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第七話「見送り」(1)

 洛外北の商家鈴木屋(すずきや)

 そこの店主、次郎衛(じろうえい)は常のように手ずからその預かり物の手入れを行っていた。


 五分(約1.5cm)の羽金(はがね)による肉厚の幅と、二尺(60cm)以上の刀身は、毎日見ていても惚れ惚れするほどの出来栄えである。

 金色の龍の拵え(こしらえ)はその刃の威圧感に負けず荘厳なもので、しかし金特有の卑しさというものがない。


 ――いっそ、あの方が金を借りたまま逃げてくれれば良いのに……

 と、商人にあるまじき期待まで持ってしまう。


 だが、その男は次郎衛の店へと再びやってきた。

「半年後までには返済の都合をつける。だから、この小春(こはる)巌全(げんぜん)の作を担保に金をお借りしたい」

 という約束を、律儀に守って。


 まして貸した額を倍以上にして持ってきたのだから、どう抗する術があるだろうか。


「水樹さま、これは……」

「貸していただいた金と、半年の利息分、それと保管するにも苦労しただろうから、その手間賃です」


 店先でそう説明されれば、その金額自体はいちいちもっともで腑に落ちる。まるで日々帳簿でもつけていたのではないかというほどに、妥当な値だ。

 問題は、家一軒建つような大金を、この浪人がどのように手に入れたか、であった。


 水樹家が家老職であった頃は、よく贔屓(ひいき)にさせてもらったものだが、だからこそ、没落して後の目を覆うばかりの貧窮(ひんきゅう)ぶりも知っていたし、その末裔たるこの陶次青年にも、利子をつけて借金を完済できる経済的余裕がないことも承知していた。


 ……それでも金を貸したのは、ここまでの付き合いという以上に、彼が担保に差し出した父祖伝来の名刀に一目惚れしたからではあったが。


 対して水樹は用意していたように円滑に返答した。


「この金は、上社家より前借りしたものです。近々、共に孟玄府征伐に打って出るので、武具の支度金も兼ねていますが。御心配であれば、上社家にお問合せてもらっても良いですよ」


 そこまで言われては、もはやぐうの音も出ない。

 涙を飲んでぐっと鞘を差し出す彼とは対照的に、水樹陶次は柔和な笑みに、相手を気遣い、反応をうかがうような気弱さを秘めているようであった。


 商人の手には余る名刀が、完全に離れたその瞬間である。


「危ない!」

 と声が頭上から降ってきた。

 それよりも先に、一枚の石片が、水樹の身に落ちようとしているのが次郎衛からも見て取れた。


 その石瓦は、肩に当たって弾んで、地面に落下して二つに割れた。

「すいやせん!」

 と軒の上から左官屋が面目なさそうに顔を覗かせる。

「お客人になんてぇ粗相を! 水樹さま、お怪我は?」


 と気遣う商人ではあったが、内心で彼が気にかけている本命は、陶次本人ではなく、彼の手にした刀であった。


「大丈夫ですよ。それよりも、次郎衛さん」

「へ?」

「この刀は良い。手入れが行き届いています」


 怒るどころか肩の痛みなど気にした風もなく、妙な感心によりしきりに頷いている。

 楽天家といおうか能天気と言おうか。もっと悪し様に言えば鈍重だ。

 見当はずれの反応にかえって次郎衛の方が苛立ったぐらいだった。


 ――刀も見ずに、よくそんなことが言えるもんだよ。


 このような主君の手元に戻った刀を、彼は一層哀れんだ。


 そんな店主の悪感情を知ってか知らずか、陶次はじっと細めた目を下ろし、


「申し訳ない。瓦を割ってしまった。弁償させてもらいます」


 と言って次郎衛をまた狼狽(ろうばい)させた。

 逆に賠償金を支払わされるのではと警戒していた矢先にそんなことを言われ、逆撃を被った気分であった。

 そんな彼の手に握らされた額は、決して高いものでもなく、むしろ中途半端

なものであっただろう。

 だが、その勘定を見た瞬間、冷たいものが次郎衛の背筋を撫でた。


 それは、瓦一枚の単価とビタ一文、まったく違いない金額であった。

 原材料はどこの土だからどうで、それを焼くのに炭薪はどれほどに必要で、それらを搬入(はんにゅう)するのにこの時期どれほどの経費がかかって……

 というものをまるで帳面で照らし合わせて算盤(そろばん)を弾いたかの如く、すっとその場で算出したのだ。


「不足あれば、上社邸にお願いします。……もっとも、すぐに出立することになりますが」


 そう断ってからぺこりと頭を下げ、水樹陶次は去っていった。


 小さくなっていくその背を目で追いながら、


「惜しい……」


 次郎衛はポツリと呟いた。

「未練ですよ、お前さん」

 それを聞き咎めた新妻に、ゆるりと首を向けた。

「未練?」

「あの刀のことでしょう? まったく、あんなものの何処が良いのやら」


 口吻を尖らせる妻には、刀の入れ込みように対する若干の嫉妬が込められていた。

 だが、それを次郎衛は聞き流した。

 刀のことなど、指摘されるまで忘れていた。


「まったく惜しいねぇ」


 と彼が繰り返すのは、別のことに対してであった。

 しかしいつまでも忘我(ぼうが)しているわけにもいかない。

 そう思い、割れた瓦を拾い上げた時、 今度こそ彼は小さく声を漏らした。


 瓦は割れたものではなかった。

 まして彼の肩にぶつかったせいで破損したわけでもなかった。


 ……その石瓦は、明らかに刀の一撃と思われる断裂が入り、真っ二つにされていた。


~~~


「水樹、水樹ではないかっ!」


 武具一式を買い揃えた帰りに、旧友と再会したのはまったくの偶然であった。


 その男、任海是正は相変わらず銅鐘の音のような騒々しさで、都の群衆のざわめきを突き抜け、彼らを振り向けせるだけの力が込められていた。

 水樹の顔も思わず綻び、彼に駆け寄った。


「是正、久しぶりじゃないか! 主人に従って岐曜を出たと聞いていたが」

是正はフンと鼻を鳴らし、忌々しげに舌を打った。

「あのような愚昧(ぐまい)な主人は、こっちより愛想をつかせてやったわ」


 また、暇乞い(いとまごい)したのか。


 陶次は苦笑した。

 両親を失ったばかりの頃、朝廷直轄領を差配する代官任海家に、寄宿していた時期がある。その嫡子是正と知己を得たのもその時であった。


 独善的で我は強いが、気に入った者には気前が良く正義感と行動力に溢れた是正。秀才肌ではあったが他人より一歩身を引く慎み深さを兼ね備えていた陶次。

 一見真反対の二人だが、いやだからこそ、気が合った。


 任海家を去った後も是正は何かと自分の仕官先を気にかけてくれるが、むしろ陶次の方が逆に心配したいほどである。

 彼の招きに応じたのも、自分の野心からではあったが、何より陶次が弁護しなければこの親友は他者と無用の衝突を繰り返す。それを予期していたからであった。


「で、お前のその出で立ち……さては、孟玄府の乱と関わりがあるか?」

「あぁ。私は信守卿……禁軍第五軍に従い、母国の軍勢と戦うよ」

「やめておけ、やめておけ!」

 任海是正は手を左右に振った。


「今の戦は藤丘家の私戦ではないか。しかも禁軍にはもはや勝てる見込みがない。上社信守と言え、当代における最強の天才相手に、寡勢で勝てるわけがあるまい! お前ほどの大才が、雑兵や人足(にんそく)の真似事をして死ぬこともあるまいよ」


 陶次は苦笑とともに忠告を甘受した。

 都人(みやこびと)の慌ただしさは、何もその出征間近だからではない。

 要するに、いつでも逃げ出せるよう、その準備を整えているが故の騒々しさであった。

 誰しも、都は陥落するものだと考えている。


 それほどに、今回の戦いは絶望的であった。

 大軍をもって速攻を仕掛ける天童ら連合軍と対する予定の信守は、自らの禁軍第五軍に加え、元第四軍、大将佐古直成の独立の際に反対し、離脱した二〇〇〇を加えた五〇〇〇である。


 一地方の主力軍として見れば相当な大軍ではあったが、二万超の敵と相対するには心許ない。

 まして、前回はそれよりも規模の大きい禁軍が、今よりも規模の小さかった敵に完敗したのである。


「それほどまでに、朝廷は弱体化してしまったのだ」

「いや俺は信守卿が群臣の前で『手勢のみで十分』と大言壮語を吐いたと聞いた」

「いいや! 宰相星井文双めが信守卿の成功を恐れ妬んで、大軍を与えられないよう根回ししたのさ!」


 様々な憶測や風聞が、(ちまた)に飛び交っている。是正もそのうちの一説を信じているのだろうか。


 だが是正は知らないのだろう。

 まさか没落していた水樹家の貧乏御曹司が、たまたま渦中の大将の知遇を得て、足軽人足どころか、客将として一〇〇人の指揮権を与えられていることなど。

 その御大将が、少数精鋭にて大軍に挑む理由、それが


「他の禁軍連中が居ても鬱陶しいだけだ」


 ……という単純かつ横暴極まりない私情であったことに。

 作戦行動を円滑にするため、意思疎通を密にする。

 陶次は出来るだけ好意的解釈をして、そういう意味だろうと思うことにした。


 だが、確かに。

 順門府で地獄を見た禁軍第五軍と、さっさと退散した他の軍では、機動性一つをとってみても、まるで練度が違う。

 大将信守にしても、良し悪しはともかくその戦略戦術は独創の色が強すぎて、追いつくことができる者は希少である。


 だが、もしかしたら。

 ――私ならば、どうか?

 追いすがることができるのか。追いつくことは能うのか。……追い抜くことが、できないだろうか?


 (らち)もない妄想に自嘲を手向け、ゆるゆると首を振る。

 一兵も率いたことのない身で、そんなことを考えること自体がおこがましい。


 故に、一定以上の兵を率いる経験を、おのれのものにしなければならない。

 これまで培ってきた自身の理を証明するために、陶次はあえて母国に、刃を向ける。

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