第六話「信守の献策」(3)
上社信守は、露骨に嫌そうな顔をした。
嫌そうで、億劫そうで、面倒そうであった。
隠そうともしなかった。
真実この臣は、嫌で面倒で億劫なのであろう。
自分は帝ではなかったのか? 天下万民が歓呼の声と共に認めた……表面上は。その、最大にして最高の権力を持つ存在ではなかったのか?
そう疑いたくなるほど、その朝臣の反応は険しいものであった。
やがて信守は一呼吸、あるいはため息のようなものを口から吐き出した。
姿勢を正すと、
「主上」
まっすぐ見据え、一応はわきまえた礼節と敬意を示してくれる。
「まずは主上のお考えを拝聴したく存じます」
「朕の……?」
「この乱をどう処したいのか、どのような方法で、どういった結末を望んでいるかです。それによって、臣の献策と、主上に対する心証も変わってまいります」
帝は一瞬、息をする方法さえ忘れた心地であった。
――朕は、試されているのか? おのれの配下に。
そして返答次第ではこの男は、一天万乗の存在である帝さえ、見下しかねない。
なんという凄まじい男だ。だが、相手の肝胆をさらけ出そうというのだ。この程度の本音も己の言葉で語れない男に、どうして世の臣民がついてくるだろうか?
意を決し、唇を一度湿らせてから、帝は答弁に応じた。
「……朕は、布武帝の如く寛容にはなりきれぬ。そわそわと浮き立つ府公どもを牽制するためにも、新帝としての威容を示すためにも、乱に与した者らは徹底して討たねばならぬ」
「ははぁ」
「だが、それには禁軍のみではならぬ。防戦に徹するのであれば戦いようはあるが、反攻に転じ、即座に乱を終息させるには、他の府公の協力を仰がねばならない」
「威容を示す、でございますか」
薄く片目を細めた信守の表情は、ぞっとするほどに冷たかった。
何か、失言をしたか。溜まる生唾を、帝は辛うじて歯と下の裏に押しとどめた。
「かつて威容を示すために、大義のない戦いに挑み、無様に負けた愚者がおりました。誰とは申しませぬが、主上はその御仁の二の舞になりたいと?」
誰とは申しませんが、とは言うものの、信守の双眸に宿る憎悪が、かつて彼と多くの兵を残して戦場を離脱したその男の姿を、浮き彫りにしている。
先帝、父、平安帝。
――このたびの乱もそうであるが、朕の事業は、あの方の植え付けた恨みの芽を摘むことで終えるのであろうな……
だがその自嘲と、今おのれがなすべきことは、また別だ。
「威容を示すために喪うものもある。だが、威容を示すことで守れる命もある。まして今回の場合はあちらから仕掛けてきたことだ。放っておけば乱は拡大する。朕が玉座と権威を放棄すれば、戦乱は全土に拡大する。……違うか、上社」
だから、お前もおのれの職をまっとうするが良い。
視線を振り絞り、帝が言外にそう告げた。
「……かしこまりました」
そう言った信守の眼差しは、軽蔑とは無縁のものとなっていた。
「しかしすでに方針が決まっておられるのであれば、迷わず府公どもに勅を飛ばせばよろしいのでは?」
そう、問題はそこなのだ、と。
帝は嘆きの声で信守に泣きつくように言った。
「既に何度も催促はした。だが、はぐらかされるばかりで、てんで動かぬ」
風祭などは藤丘一門にも関わらず『内紛に関わる気はない』などと平然と言ったそうだ。
そうして命令をはねつけておきながら、風祭府の政務一切を取り仕切る公弟、風祭康徒は国境の方面へと軍を進駐させているという。
桃李府はその挙動を警戒して目立った行動がとれずにいる。
「それは頼み方が悪うございますな」
対する信守は、公弟の悪辣さを鼻で嗤うように言い放った。
「では、どうせよと」
「朝廷には、他の府国にはない二つの武器がございます。一つは、勅命。白を黒、黒を白をこじつけることができるほどの権威」
――こじつける……
これほど不遜な物言いをする朝臣は、古今探しても類を見ないだろう。
まったくもって、他の家臣団を遠ざけておいて良かったと、帝は心より安堵した。
「もう一つは、恩賞。一つの餌では足らぬほどに、連中は肥えております。大義と恩賞。この二つを差し出してこそ、奴らは自らの流血に価値を見出す」
「……恩賞とは、金か」
「土地です。広大にして不可侵の都の天領。奴らにとっては、垂涎の餌でしょう」
「なっ!?」
「あるいはそれを条件に引き出すことが、静観を決め込む風祭康徒の本望かもしれませぬな」
「だ、だが……どこを出す? 康徒めはどこが狙いだと言うのだ」
「孟玄府内に存在し、風祭府に隣接し、かつ我ら朝廷からすれば飛び地となっている僧ノ山とその周囲三里。豊かな金脈とその輸送を可能にしている街道筋は、孟玄府討伐を条件に風祭に下賜なさいませ」
帝はもはや、どう答えて良いか。いや己の心が何を思い、何を考えているのか。それさえもだんだんと麻痺をしてきた。
飛び地とは言え、僧ノ山は朝廷の支配下にある領土中、二、三箇所しかない金の産出地の一つである。
そればかりではない。
「そこは……太后の化粧料……我が母の地であるが」
化粧料。
額面どおりの意味であればそれは、貴人が化粧直しをする場所として、各府公がそれぞれに朝廷に献上している領地である。
風光明媚な歓楽地の場合もあれば、僧ノ山の如く、莫大な利を生む土地を献上する場合もある。
その差出人たる孟玄府天童家が反旗を翻したとなれば、当然その地も奪還されて、彼らの手中にある。
それでも、王朝の屋台骨を支える収入源の一つには違いなく、まして帝とて思いのままに放棄できない母の領地である。
「主上」
と、信守は喜怒どうとも受け止められような、目の歪め方をした。
「主上がご下問されたのは孟玄府と風祭府をどう処すかという点のみだったはずですが?」
それ以外はあずかり知らぬ、と言外に表現する。
「それにかの地の収入の大半は、太后様の懐に入っているはず。収入と言っても国家にとっては微々たるもの」
「だ、だが喪うばかりではないかっ! 逆賊に領土を奪われ、親族に土地をかすめ取られるとはっ」
「確かに、得るもののない戦いとなりましょう。『内紛』とは、そうしたものです。そこから富を得る術など、臣は不明ゆえ知りませぬ。あるいは内紛を解決し、大利を得ることのできる万能の方策があるのかもしれませぬな」
では、それを待つべきだ。
そう言いかけた帝の口は、この男の眼光に止められた。
「国が滅ぶまでそれを待つか、今決断し損を最小限に抑えるか。二つに一つです」
「……朕が悪かった。許せ」
帝は胃の縮むような心地でいた。臣の口より滔々と続けられる言葉を、胸の内へと飲み込んでいく。
――なんという、不遜か。そして、凄まじき男か。
だが、今この状況を打破できるのは、後々星井文双の専横に対抗できるのは、この上社信守をおいて他におるまい。
意を決して「信守」と短く名を呼ぶと、彼はわずかに睫毛を上へ持ち上げた。
「だが、風祭府は良しとして、実際に目前に迫っている逆賊どもを何とかせねばならぬ。また、我らの優勢を示さねば風祭も容易には動くまい」
目の前の不遜な臣下は、帝の言わんとしていることを先読みしたようであった。
居住まいを正す彼に肩を置くと、威厳を取り戻したその玉音にて、彼に命じた。
「上社卿、勅命である。兵力、選出する将、戦略方針一切を卿に委ねる故、疾く敵を迎撃せよ」
対する信守は、即答を避けた。
嘲笑の様子はなく、その自信がないのであればここまで大言壮語は吐くまい。
思案するように、ひょっとすれば迷っているように、じっと畳を睨んでいたが、しばらくしてから顔を上げた。
「そのお約束、お間違えないようでしたら」
という、消極的かつ懐疑的な承諾から、天童軍対禁軍の、真の戦いが始まった。




