保育園児から中学時代の私
虐待....それは、とても醜い存在。
親が児童への虐待は増えている。
虐待の種類は沢山あるんです。
身体的虐待・心理的虐待・性的虐待・経済的虐待・ネグレクトの5種類がある。
私も幼い頃から虐待にあって生きてきた。
私の場合は心理的虐待に多く当てはまり、あと少し経済的虐待にも当てはまっていたのだ。
最悪な生活を今もしてきている私は、もう母親から離れて1人になりたいという願望が強かった。
幼い頃の話からしましょう。
私が保育園の頃は母親は仕事せず家に居、私を保育園にもあまり連れて行かず休みが続いていた。保育園から家まで1分で行ける距離だというのに、外に出るのが面倒なのだろう、私を保育園に連れて行くのが殆ど無いぐらいだった。母親の友達と仲良くなって、私もその友達の子供と仲良くなったので、よく自分のクラスの子とは遊ばず、その子と遊んでいた。だから、自分にはクラスの中には友達がいなかった。けど、寂しいとは思わなかった。その子とずっと遊んでいたから。保育園児のときはお喋りだった。だけど、小学校入って高学年に入る前ぐらいから無口になった。その理由は母親に学校で合ったことを話しても、拒否ったり興味なさそうにしていたから、私の学校での話には興味ないんだなって思ったから、それからというもの母親には学校で合ったことを話さなくなったのだ。
小学校になって1人も友達が出来なかった。やはり保育園の頃のことと無口の原因なんだろう。だが、高学年になって初めて1人の友達が出来た。その子とは初めて同じクラスになれた。それからというもの一緒に下校したり遊んだりして楽しい出来事だらけだった。
やがてその友達とは親友になった。中学も同じでしかも同じクラスになれたのだ。だから、いつも私と親友は一緒にいた。学校を毎回サボって親友の家でゲームしたり外でブラブラと出歩いてた。
家に居るより親友と一緒に居るほうが気が楽だ。私は保育園の頃から食事も1日に1食のみの生活だった。私が欲しい物もケチられていた。母親は堂々て欲しい物を買っていたのに。母親が怒れば、すぐ孫の手で殴ったり言葉の暴力を浴びた。私は母親の機嫌を損ねないように偽りの笑顔で偽りの自分を作った。中学2年になり親友と又もや同じクラスになり、何かの縁があると思った。だけど、3年になる直前ぐらいに親友は引っ越してしまい、学校も代わってしまった。ショックだったけど、親友の幼馴染みの女の子二人と仲良くなり友達にもなれたので、寂しさが少し和らいだ。
二年の頃に私1人で投稿してきたとき、休憩のチャイムが鳴る前に到着して廊下で国語担当の教師とチャイムが鳴るまで話をしていたらチャイムが鳴り、1人の女の子が近寄ってきた。
その子は最初明るくて元気な子だなって思った。私とは正反対の性格だ。その女の子が私、まだ小倉さんとは一回も話したことないって言われ、教師がじゃぁ、今から話したらいいやんと言われ教室でその女の子と話すことになった。最初は何を話せばいいのか分からなかった。今まででこういう子とは関わったことなかったから、どうすればいいのか...どうすれば機嫌損ねないかを真っ先に考えた。
しかし、その女の子はそんなことを考えてるのも知らず次々と色々な話をしてきたので、私としては楽だった。そんなことを考えなくても次々へと話題を出してくれたから。私的にはその女の子は不思議な子のイメージを持った。私の人見知りは直ぐには消えなかったが、徐々に慣れていった。もう1人の子は一年の頃から知り合ったみたい。記憶があ曖昧なためハッキリとは覚えていない。
私はこの二人と親友と出会えて奇跡だと思う。
楽しくない生活から1つ楽しみが増えたからだ。
これは、とても辛いお話です。
この辛い気持ちを全国の親達に知らせたい。




