その4
少女が目の前に座っている。俺たちは真・生徒会室、要するに旧校舎の空き教室にいた。ショートカットでくりくりっと大きな瞳をした女の子。彼女はやってきてしまったのだ。そして入ろうとしているのだ。どこにかって? そりゃ決まっているだろう。
「真・生徒会に入りにきましたっ!」
昼休みにこの真・生徒会室で弁当を食べていると、この娘が入ってきて、そう宣言したのだ。いかにも元気な女の子だ。背は鈴とれおなの中間くらいか。
「あ、名乗り忘れてましたっ、アタシっ、長野みほ(ちょうのみほ)っていいまーす! 一年四組でーす!」
まあさすがに偽・生徒会以外の全校生徒、という鈴の希望は叶えられていないが、これでも上出来なほうだろう。それにこれからもっと集まるかもしれない。さらにこの長野さんがいれば、偽の生徒会に喧嘩を売りやすくなるだろう?
案の定、鈴の瞳は田舎の夜空の星星のようにきらきらと輝いていた。そして両手で長野さんの肩をぽんぽん、と叩く。
「長野さん、だっけ? あんた、見る目あるわよっ! ハラショーよっ。オーチンハラショー! これからよろしくねっ。あっ、あたしのことは会長じゃなくて、同志星野って呼んで! あたしもあなたのことを同志長野って呼ぶわねっ。この生徒会はね、みんな平等なの! 社会主義なんだからっ!」
嘘八百とはこのことだ。スターリンみたいな社会主義と思わせといて実際には独裁体制ってのが好みなんだろ、鈴は、とツッコミを入れたくなったが、喉の奥の奥まで仕舞っておこう。
「素晴らしいですっ、地上の理想郷ですねっ!」
おおっ、なんと純粋な長野さんの瞳じゃあ。人を疑わないその目っ。騙されるな、長野さん。という視線を送るが、長野さんは全く気づいていないご様子だ。
「そう、地上の理想郷、真・生徒会! オーチンハラショー!」
「おおちんはらしょー!」
ロシアのサーカス団の名演技かあるいはチャイコフスキーの曲をモスクワ・フィルハーモニー交響楽団が演奏した後のような盛り上がり方だ。
「あ、アタシ、空手も黒帯だし、柔道も黒帯。格闘には自信があるので、そういうところでもお役に立てると思いますよっ、同志星野。ケンカ十段とか呼ばれてます!」
うん、古いね。知ってる俺も俺だが。昔の某空手漫画に出てきた二つ名じゃないか。そういえば、この娘のことを聞いたことがあるな。いや、空手の大会で見たことあるぞっ! まさに格闘の天才だと思ったものだ。
「ああ、そういえば俺、長野さんのこと知ってるぜ。なんというか、俺も腕に自信があるけどさ、長野さんの場合は別格だと思うわ」
「まったまたぁ、アタシも縁屋センパイのこと、空手の大会で見たことありますよ! 縁屋センパイの腕も相当なものですよねっ!」
「いや、長野さんには及ばないと思うぜ」
「まあ、そうかもしれませんねっ」
実のところ俺が空手を始めたのは、鈴を守りたいがためだ。恥ずかしくて直接は言えないけどな。
まあ、それはともかく。
長野さんが格闘が強いという話を聞いた鈴がさらに目を輝かせて叫んだ。
「素晴らしい! オーチンハラショー!」
「おおちんはらしょー!」
ああ、二人してハラショーハラショーと五月蝿いっ、と口に出して言わないところが俺の奥ゆかしいところだな。
「誰が五月蝿いって?」
「え?」
鈴の言葉に顔が引き攣った。
「声に出てる、声にっ」
「ご、ごほん」
わざとらしく咳払いなんかをしてみる。誤魔化せないだろうけど。
「あ、そういえば。なんで登呂津センパイが生徒会長をしている生徒会は『偽』なんですか?」
ナイス! 長野さん。これでさっきの失言を誤魔化せるぜ。
「説明すると長くなるけど」
「長くてもいいです」
「とりあえずは、卑怯な手段であのきいが生徒会長選挙に勝っちゃったってところからが始まりね」
…………。
きいは多分卑怯な手は使ってないと思うぞ。
「だから、こちらは正々堂々と本当の生徒会を作ったってわけ」
「ふむふむ、つまり登呂津センパイは悪いやつなんですね?」
「悪いもなにも、きいはまさにブルジョワの象徴。この生徒会長選挙だって自分の財力と権力を誇示したに決まってるのよ。大体『野間仁香』って改名したほうがいいくらいの存在なのよね。あ、にこの『こ』は、子供の子じゃなくて、香りの香と書いてそう読ませる」
どうでもいいわっ、そんな細かいことは。のまにことか何のことだよっ。
「のまにこ? 何ですかっ、それは?」
長野さんの頭の上にクエスチョンマーク。俺の頭にもぷかぷかクエスチョンマークが浮かんでいるがな。
れおなだけが口の端に笑みを浮かべだ。
「このネタ分かるのか? 同志椎名」
「ええ、分かるわ。でもマニアックすぎよ、さすが同志星野と言ったところだわ」
東大の入試問題や百万光年先の惑星からやってきた宇宙人の話す言葉くらいにさっぱり意味が分からん。もしかしたらまた赤いネタか?
「年末にやってた、坂の上の雲、見たかしら?」
鈴がそう俺に尋ねた。
「なんだそりゃ、そんなもん普通の高校生が見るわけないだろ。ミリオタのおっさんか、ジイサンバアサンが見るもんだぞ」
「ロシアのロマノフ朝の最後のツァーリ、つまり皇帝の名前」
うーん、世界史でまだやってないのでさっぱり分からんぞ。いややったとしても寝てるし、俺。
「じれったいわねっ! ニコライ二世よ! ロシア革命で本人もろとも一族皆殺しにされた」
「マニアックすぎだろっ!」
本当にツッコミが追いつかねえ。
「まさに打倒すべき存在ってところかしら。根本的には彼はブルジョワじゃなくて、特権階級なんだけどね。それと登呂津さんを重ね合わせている、ってことかしら」
れおなのその言葉に長野さんは小首を傾げている。
「よく分からないです……」
確かに分からん。俺も分からん。
「登呂津きいってそのまま読めば『トロツキー』ってなるでしょ、まあこの人はロシア革命の中心人物で、後にスターリンに反革命分子とされて失脚するんだけど、あのきいみたいな特権階級、ブルジョワジーには相応しくない名前なのよ」
赤いネタには詳しい同志星野。オーチンハラショー。
「とにかく、悪いやつなんですね? 登呂津センパイは。そうは見えませんでしたけど」
長野さんの言ってるとおり、あいつはそこまで悪いやつじゃない。あのきょぬーさえなければっ。「姿に惑わされちゃダメ。あいつは悪いやつよっ! 同志長野、共にあの卑怯で傲慢なきいに一泡吹かせましょう!」
「はいっ!」
本当に素直な子だなあ、長野さんは。
「あ、そうだわ、どうして長野さ……同志長野はこの真・生徒会に入ろうと思ったのかしら?」
そう尋ねるれおなに、「だって、楽しそうじゃないですか!」と長野さんは元気よく答えた。
「同志長野! 楽しいだけじゃなくて辛いこともあるわっ! ここからは泥沼の百年戦争よ!」
鈴が長野さんに釘を刺した。
「はいっ!」
ぐー、きゅるるっ。
そこで長野さんのおなかが鳴った。
「そろそろ、昼ごはん食べないか? あんまり時間もないしさ」
俺がそう促すと、鈴は頷いた。真・生徒会室の机を三つ組み合わせて、そこに仲良く輪になって座った。まるで俺リア充だな。女の子三人と昼ごはんか。
「食べながら、これからの相談よ! 同志たち!」
玉子焼きを口の中に入れて、「うーん、玉子焼きうめえ」と昨日と同じことをやってみたら、案の定、向かい側に座る鈴に足をぎゅむりと踏まれた。
偽・生徒会に喧嘩を売る、か。はてさて、どんな方法があるのだろう。
「はいはーい! あっちとは別に独自の活動をやっていけばいいと思いまーす。もくもくっ」
長野さんが、ピロシキ専門店『クレムリン』のピロシキにかぶりつきながら、そう言った。ここのピロシキ、美味しいんだよなあ。鈴の好物でもある。
鈴はぶんぶんと首を振って、長野さんの意見を否定する。
「あたしの目標はあの生徒会室を手に入れて、きいをこの空き教室に追いやることなの。あの冷暖房完備の生徒会室、そしてあの会社役員の座るような会長の椅子……まさに理想郷なのよ」
うっとりとしながら鈴はそう言った。
「……ここが理想郷じゃないんですか?」
意外と鋭いツッコミをするなぁ。長野さん。だが鈴はあっさりその言葉をスルーする。
「そして、きいのやつが悔しがる顔を見たいのよ」
「同志星野ってこういう人なのよ、同志長野」
れおなの言うとおり。どこまでもきいにライバル心剥きだしで。
「問題は、どうやって相手を挑発するか、だよな。相手をこっちペースにひきこまないと」
素朴な疑問を言ってみた。現状に満足していないのはこっちであって、きいたちはわざわざ立場を危うくする真似はしないだろう。
「みんなで考えて、放課後にでも発表したらいいんじゃないかしら?」
れおなの発言に「そうね、慌てる必要はないわね」と鈴は納得した。俺も頷き、長野さんも頷いた。
「うーん、あたしの作ったおにぎりは最高ね」
美味しそうに鈴はおにぎりを食べる。まったく世話が焼けるぜ。このどこまでも自信家で楽天家な女の子は。
ロマノフ王朝の血を引くってロマンですよね……あ、反動分子として処刑される!