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終、手紙



  愛しい我が娘 フェリア・パーチスへ


 この手紙が貴女のもとへ辿り着くのがいつになるのか、果たしてそもそも貴女のもとへ辿り着くのかどうか、私には悲しいことにわかりません。どれだけ時間を経てもいい、どうぞ貴女の元へ辿り着きますようにと父は願いをこめてペンを執っています。


 父が軍隊に入り、貴女と別れ、いつのまにか四年もの月日が通り過ぎて行きました。貴女はもう十一の年となり、母によく似た綺麗な娘御にと成長していることでしょう。

 私は一兵士となり、隊への命令を受け、東の国へと遠征に行くこととなりました。その遠征の途中、一つの小さな村で宿を取ることとなり、父はなんと母と再会を果たしたのです。

 貴女の母は、思い出を裏切ることなく、それはそれは美しい踊り子でした。小さな村の中で、美しい踊りを披露しておりました。父との再会に愕然として、狂喜乱舞してくれました。娘のフェリアのいないことを大変嘆いておりました。どうかフェリアに会いに行ってやってほしいと伝えましたが、身売りされた自分を豪族の手から救ってくれたこの村への恩返しがまだ済んでいないからと、残念ながら村へ残ることを母は選びました。それでも、例えどこにいようとも、貴女の幸せを祈り、そしてまた、貴女なら自分で幸せの道を拓けるだろうと毅然として言い放ちました。その姿はやはり女神のように美しく、かつての輝きを失ってはいませんでした。


 それから私は母のいる村を離れ、東の国境を越えました。東国ヤンムへの遠征です。この手紙も、東国の山奥にて書いています。今宵は月もなく、化け物が姿を現さないため、今しかないと思ったのです。

 東国の山には、『獣人』と呼ばれる恐ろしい化け物が多々潜んでいます。かつては人であったといいますが、我々の出会う獣人はすでに成長し、人であった頃の面影など少しもなく、人間を見つけるなり襲いかかってきます。彼らは人肉を食らいます。すでに幾人もの同士が犠牲になりました。

 我々の隊の任務は、この山を切り開き、後に続く遠征軍の道を作ることです。すなわち、この獣人を全て排除しなくてはなりません。しかし、獣人はとてつもなく凶暴で、頑強で、一筋縄にはいきません。彼らには鋼の刀も、固い石槍も、効かないのです。成長した獣人は固い毛皮を持ち、炎にすら打ち勝つといいます。

 恐らく、父が貴女の所へ戻ることはないでしょう。何一つ貴女に残してやれなかった父を許してくれとは言いません。ただ一つ傲慢が許されるのなら、貴女には自由に生きてほしいと思います。母のように踊り子として劇場に縛られるのでなく、父のように時代の惨劇に飲み込まれるのでなく、何にも左右されない自由な人生を送ってほしい。これが私の最後の願いです。


 貴女の歌声は、人を救います。

 貴女の歌には力があります。


 どうか、そのことを、忘れないで。


 父 ラドレッサ・パーチス






 夜の帳の下りる頃、舞台の幕が開く。

 衣装に着替えて楽屋から出てきたベーラは、そこに親友の姿を見つけて目を丸くした。そろそろ、プリマがいないという騒動が起こる頃だろうと思って身構えていただけに、呆気に取られてしまう。

「フェリア、なんであんたここにいるの」

「なんでって……そろそろ舞台が始まるじゃない」

 突然の無作法な質問には、フェリアも驚いたようだった。何を言っているんだと訝るようにベーラを睨みつけてくるので、戸惑う。しかしもともと表情の乏しいベーラは、困惑していてもそれが相手に伝わりにくいという。長年良き友人を続けているフェリアですら、時折何を考えているのかわからないと口にするほどだった。

「……でも、あんた、お父さまからの手紙、読んだんでしょ?」

「読んだけど……」

「じゃあなんでここにいるの」

 やはりベーラの戸惑いは通じていない。それどころかフェリアの方が困ったように頭に手をやって、セットされた髪型を崩すまいとすぐに離した。

「読んだからってどうして此処にいちゃいけないのか、私にはそっちの方がわからないわ」

 フェリアは衣装の皺を伸ばし、大きく腕を回してストレッチをすると舞台の方に意識を集中させる。幕を挟んで向こう側から人々のざわめきが聞こえた。スールイ公の後ろ盾をなくしたとは言え、客入り状況は変わらない。今宵も満席のようだ。フェリアにつられてベーラも舞台の方を窺うと、しばし考えこんだ。

 フェリアはもう戻ってこないに違いないとベーラは思っていた。ナイザーとどのように話をつけるにしろ、前に進むべきだと思っていたからだ。フェリアには悪いと思いながらも、ベーラは中身を確認するためにフェリアの父ラドレッサの手紙を一読していた。故にその内容も知っている。

 フェリアがこの劇団の中に残っているのは、いつか父親が戻ってくることを信じているからだとベーラは解釈していた。ならば、父からこのような手紙が来た時点でその動機は消えてしまう。自由の身になったフェリアなら、例えばナイザーという男とともに旅立つことも、東の方向にいるという母を捜しに行くことも、父の亡骸を探しに東の国へ行くことも出来よう。今更何もためらう必要はないのである。

「なのに、どうして」

「え?」

 フェリアの綺麗な青の瞳がこちらを向いた。ベーラは客席に声が響くことのないよう配慮して彼女に近付き、口を開く。

「……まず最初に、グロピウスの弁護をしとくわ」

 時折フェリアは、ベーラの話は唐突すぎると失笑するが、それは由縁あってのことである。だが、ベーラはいつだって、脈絡がありきちんと筋の通った話をしているつもりであった。

「ずっと貴女に手紙を隠していたことだけど……たぶん、グロピウスは、貴女に父親の死を伝えたくなかったのよ。その手紙が届いたのは、貴女がまだ十一かそこらのことでしょう? 自由に生きろと言われたところでこの劇団の他に居場所もなかった貴女に、此処に居座らせる動機を持たせ続けてくれたんだと思うの」

「それは……私もそう思ってるわ」

 他人には理解しがたい突飛な話題の振り方でも、フェリアには慣れたものである。きちんとベーラに付いてきて、声を潜めて頷いた。

「グロピウスはお父様の代わりに、私のことを本当の娘みたいに可愛がってくれたわ。それは重々わかってる」

「なら、いいわ……。でもフェリア、もう貴女は子供じゃないのよ。自分の好きなように生きていいし、貴女にはそうできるだけの力がある」

「力……」

「そうよ、力よ。こんな小さな劇場で、こんな狭い世界に縛られて生きていく必要なんて、ないんだから」

 力という単語がフェリアに与える影響を、ベーラは知らない。それでも彼女に力があるとベーラは言い張った。

 フェリアはしばらく、何かを考え込んだようだった。こちらとは視線を合わせず、やがて呟いた声は細くとも、決して弱弱しくはない。

「そうね……私には、力があるの」

「そうよ、だから」

「でも、まだそれを使う時は来ていないわ」

 正々堂々と言い放たれて、ベーラは言葉を飲み込んだ。自慢ではないが、フェリアとの会話で彼女に言い負かされたことは滅多にない。そのはずなのに、どうしたことだろう。一瞬で言葉を見失ってしまった。

「使う時……?」

 なんとか反芻だけすると、フェリアは自信満々に頷く。

「私はその時まで、生き続けなきゃいけない。だから、ここで待つわ。その時を……」

「フェリア……」

 彼女は満面に微笑みを称えていた。少しの迷いもなく、何かを決したように笑顔をふりまいて、衣装を翻す。

 客席から拍手が上がった。幕開きの合図だ。

「だ、だけど、フェリア!」

 このまま言い負かされてたまるかと慌てて前を行くプリマの肩を叩くと、彼女は簡単に足を止める。そして振り返った花のかんばせには、心底不可解そうな色が浮かんでいた。

「……じゃあ、聞くけどベーラ。あんたは、私に此処にいて欲しいの? 欲しくないの?」

「私……?」

 オーケストラの奏でる音に、会場が包まれる。照明に照らされ、ダンサーたちの衣装が幾重にも反射した。白に近い色彩が舞台裏の二人の下まで届く。

 まさか逆に問い返されるとは思っていなかったため、気の利いた返答は一つも用意していない。

「私は……いて欲しいわ」

 ゆえに仕方なく、本心を語った。

 ベーラがフェリアと出会ったのは、今から十数年前のことだ。孤児であり、最も古い記憶にもこの劇場しかないベーラにとっては、初めて対等に話せる友人であった。自分より三つ年下であり立場は後輩であったが、ベーラにとっては何より大切な親友だった。ゆえに、どんなことをしても幸せになって欲しいと願った。けれども、それはフェリアにどこかへ行ってしまって欲しいということではない。

「私は、あんたに此処にいてほしいわよ……」

「ベーラ」

「……だって、そうじゃないと、他のダンサーとか歌手の妬みが、全部私一人に向くじゃない?」

 せめてもの反撃、茶目っ気たっぷりに片目を瞑ってみせると、フェリアの青い瞳が丸く開かれた。やがてそれはいつも二人の間で交わされる冗談を受け止める形に歪んで、くすくすと笑い声が漏れる。

「そうね、私たちここの看板だものね」

「その通り。……いいわ、今回は私の負け。好きなだけここにいなさいよ」

「言われなくとも」

 序幕の踊りが終わった。フェリアが舞台上を示し、ベーラも頷く。此処からはプリマドンナの出番だ。

 歩武堂々と進んでいくその姿には、誰にも負けない凛々しさがある。他の歌手たちはもちろん、彼女の母にだって劣らない。それこそが彼女の生まれ持った力である。


 ——少女の父親は、線の細い作曲家であった。特殊な才能の持ち主であり、この世の全てを音に変えた。その力は娘にも引き継がれている。

 ——少女の母親は華々しい踊り子であった。優美な輝きの中に人を愛する心を持ち、今もそれは娘へと届けられている。


 国中で知らぬ者はいないとまで言われた伝説の歌姫は、今日も歌い続ける。世界が例え火に焼かれようとも、胸に抱いた希望を世界へと発信していく。

 彼女は、時を待つ。いずれ彼女の力が世界に必要とされるその日まで、彼女は待ち続けるのだ。彼女の歌声が国境を越えて全世界へ羽ばたく時、天地は姿を変えることだろう。


 ——そして、その時はすぐそこまで迫っていた。



「北国のプリマ」完——



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