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10、想い溢れて解き放たれて

 スールイ公が暗殺された。アンナがナイザー准尉の記憶を失った。こんなにも大きな変化を一度に受けて、眠れるはずもない。

 フェリアはその夜、一睡もできずに朝を迎えた。

 昨夜はあの後、宿舎に帰りながら何度もアンナに「本当に覚えていないのか」と問いただした。しかしアンナは困ったように苦笑し「覚えていないっていうか……知らないわよ」と言うだけで、埒があかない。仕舞には「なにか夢を見ていたんじゃないの」とさえ言われた。フェリアにはもう、何を言い返すこともできなかった。

 まさかあの男の存在が夢であったとは、とても思えない。夢を見ていたのはアンナの方だ。あんな得体の知れぬ男に夢を見ていた少女は、どこへ行ってしまったのだろう。全てを本物の夢に変えて、忘れてしまったとでもいうのだろうか。

 アンナが彼についての記憶を失った。そして、スールイ公が暗殺された。フェリアにはそれらの真意のわかろうはずもない。それなのに、フェリアは直感的に確信していた。——これらの変化は、あの男によるものだ。そうに違いない、と。


 だが、何故。何のために。


 考えることが多すぎて頭の中で氾濫し、ほとんど眠れずに過ごした夜があけ、翌朝、フェリアは無意識のうちに舞台上に立っていた。どのようにして自室を出たのか覚えていない。それどころか、昨夜アンナと別れた後から記憶は途切れ途切れであった。宿舎から自室へ戻ったのかどうかも怪しいが、寝間着を着ているからには一度自室を訪れたのだろう。


 そして、いつのまにか劇場へと戻ってくると舞台の中央に立ち尽くして、広い客席を見下ろしていた。


 当然ながら人の姿はなかった。寂寥感漂うがらんどうを見渡して、フェリアはその場に崩れ落ちる。体力的にも精神的にも、限界が近かった。舞台に膝を打つ音が、やけに澄んで聞こえる。妙に研ぎ澄まされた聴覚と、夢の中をさまよっているような思考が、自分の中で反発しあっていた。自分は現実にいるのだろうか、それとも夢を見ているのだろうか。

 そして舞台裏から足音が聞こえてきたのは、フェリアが此処にうずくまってしまってからどれほど経ってからのことだったのだろう。一瞬のようにも感じられたし、もう数時間が経過しているようにも思えた。 こちらへ迷わず向かってくるその足音は、こつこつと冷たい。それは高いヒール特有の音で、丁稚や番頭たちの物では奏でる音ではなかった。彼らの他に劇場への自由な出入りを許されており、またヒールを普段から履いているのは出演者である少女たちしかいない。こんな早朝から誰だろうと霞む意識の中で考えていると、やがてヒールの音が舞台袖で止まった。

「フェリア」

 耳に鳴れた声で呼ばれる。

「ここにいたのね。部屋に行ってもいないから、驚いたわ」

「——ベーラ」

 フェリアは、場内の掃除をする丁稚たちによって高く結わえ上げられた幕を片手で掴んでいる親友の姿を見上げた。幕から手を離すと暢気に欠伸などしながらこちらへ歩いてくる彼女の姿は、昨晩の舞台が終わった時のままである。さすがに衣装からは着替えているものの、スールイ公の件で忙殺されているグロピウスの代わりに客への対応をしていた時の正装のままだ。着替える暇もないほど忙しかったのだろうかとぼんやり思っていると、額を小突かれた。

「こんなとこで、何してるの」

「何、って……」

 すぐには答えられず、フェリアは口籠った。何をしているかと聞かれても、特には何もしていない。あえて言うならしゃがみこんで考え事をしていた。それだけである。

「まだ朝日も昇ってないわよ」

 こんな早朝から何をしているのかと暗に言いたいらしいが、それはベーラにも言えることだ。——いや、ベーラには仕事をしていたという立派な動機がある。そして、一方のフェリアはただ茫然としていただけだ。

「……ねえ、ベーラ……」

「うん……?」

「ベーラは、覚えているわよね? 准尉のこと……」

「どの准尉?」

 観念して自分の思いの丈を話してしまおうと口を開いたが、ベーラの答えは素っ気ない。よもやベーラまで彼のことを忘れてしまったのではあるまいな、と恐ろしい考えが頭を巡ったが、その一瞬後に彼女のくすと笑う声が聞こえた。

「ごめん、覚えてるわよ。ナイザー准尉のことでしょ?」

 からかわれたと気付き、フェリアは憮然とする。こちらは真剣な話をしているというのに、と苛立つ反面、フェリア以外の人間の一切がナイザーのことを忘れてしまったというわけではないと確認でき、安堵した。 フェリアの渋面を見て怒らせたと思ったらしいベーラは、それでもまだ笑いながら、宥めるように言う。

「別にからかったわけじゃないわよ。私はナイザー准尉とは関わりなんてないもの。他の准尉の噂話だってよく聞くし、貴女たちみたいに、准尉と言ったらナイザー准尉、っていう不文律は通用しないの」

「貴女たちって……私と、アンナのこと?」

「そうよ。他にいる?」

 問い返されて、フェリアは首を振る。必死に首を横に振りながら、自分の脇に立っている親友に縋った。

「……でも、アンナがっ……!」

「忘れてしまったそうね。准尉のこと」

「ベーラ、知ってたの……?」

「知ってるも何も、口を開けばナイザーナイザーうるさかったあの子が、突然何も言わなくなるんだもの。おかしいと思うでしょ」

「そう……そうよね」

 ベーラの落ち着き払った声を聞いて、フェリアは肩の力が抜けていくのを感じた。今まで思いつめていた物が嘘のように晴れていく。そのかわりに、ぽっかりと空虚感に支配された。それをなんとしてでも振り払おうと、頭に手を置いてみたが、それだけでは息が詰まってしまう。フェリアは大きく深呼吸をして、言葉を探した。呼吸の代わりに、会話をすればいい。

「ベーラ、私……」

「うん」

「何から、話せばいいのかしら。私……」

「何でもいいわ。思ってることから話せば」

「……じゃあ……。スールイ公が、亡くなったでしょう?」

「そうね」

「あれね、たぶん、准尉の仕業よ……」

「え……?」

 思っていることから話せと言われたのに、口をついて真っ先に出てきたのは自分の直感で得た情報であった。さすがの情報通のベーラも、これには面食らったようである。それも無理はない。あの男のことだから、暗殺すると決めればとことん隠し通してやるだろう。それにフェリアが気付いたのは、彼を暗殺に導いたのが自分の一言だったに違いないと確信したためだ。とは言え、これはフェリアの想像の範疇を出ていないはずだ。それなのにそうに違いないと断定したのは、あの雨の日のナイザーの顔が、これまでにないほど追い詰められていたからである。今思えばあの時の彼は、その後に起こる事件を予想していたのだろう。

「准尉は、私たちの大切な後援者を殺したわ。准尉は、私たちの大切な妹分の記憶も奪っていった」

「それも、准尉の仕業だと……?」

「そうだと思う……いいえ、そうに違いないわ」

 今度こそはっきりと断定できる、とフェリアは力強く拳を握った。

 ナイザーはあの時、言った。「お前には俺のことを忘れさせることが出来ない」と。それはつまり、フェリア以外の人間になら、自分の記憶をなくさせることが出来るということだ。具体的な方法などは思いつくあてもないが、彼はその面妖な術を知っていたのだろう。実際に、アンナは記憶を失っている。

「あの男は、私から様々な物を奪っていったわ……それなのに、もうすぐ死地へ行くと言うのよ。逃げる気なの。私に仕返しの一つも許さずに……!」

 ナイザーは五日後に出陣すると言った。そしてそれから四日が経っている。彼が西の国へ発つまで、わずか一日と迫っていた。

「憎いわ、彼が。誰よりも憎い。私、ずっとお母さんを憎んできたけれども、それよりも激しい憎悪の念なんて生まれて初めてよ。殺してやりたいと思った。何度も、あんな奴いなくなればいいのにと思った、なのに……!」

 鼻の奥がつんとひきつる痛みを訴える。唇がわなわなと奮え、いつもと同じ舞台の上にいるのに、おおよそ舞台上で聞かせられるような声は出てこなかった。代わりに、弱弱しく嗚咽の混じる声が響く。

「アンナが、准尉のことを忘れてしまってから、私、ずっと不安で……実は、ナイザー准尉なんて人はこの世にいなかったんじゃないかって。全て私の妄想だったんじゃないかって。いなくなればいいのに、って何度も思ったくせに、本当にいなくなってしまったのかもしれないと思った瞬間に、怖くてたまらなくなったの」

「……あんた、言ってることが支離滅裂よ」

「わかってる。私、おかしいの」

 あっさりとベーラの苦言を認めると、頼りがいのある親友は調子が狂うとばかりに肩を竦め、フェリアに並んで舞台上に腰を下ろした。そして黙って背中を撫でてくれる。母の愛を知らずに育ったフェリアにとって、三つ年上のベーラの掌が、何よりも安堵感を覚える象徴であった。

「……私、あの男を殺したいとまで思ったのよ。それなのに、いざ彼が死地にいくと聞いたら、涙が止まらないの」

「うん」

「三日前の雨の日に、私、彼を殺そうとした。でも、できなかった。どうしても、殺せなかった。なのに、殺意が止まらない。私はどうしたらいいんだろう……」

「貴女は、どうしたいの?」

「わからない……わからないの……。私、自分がどうしたいか、何一つわからないの。それを准尉に言い当てられて、むっとしたわ。でも本当のことだから仕方ない……私、自分がどうしたいのか全くわからない……!」

「じゃあ、仕方ないわね」

「ベーラ」

「……会いに行きなさいよ」

「え……?」

 ベーラには珍しいほど遠慮がちな小声で吐き出された台詞は聞き取れず、フェリアは涙に濡れた目を上げる。涙のためか寝不足のためか歪む視界に、見慣れた顔が映った。しかし、そこには見慣れない慈愛に溢れた優しい笑顔が広がっている。

「ベーラ……?」

「フェリア、貴女は自由よ。もう、この劇場にいる必要もないの」

「え」

 どういうこと、と続ける前に、ベーラによって何かが手の中に握らされた。紙のような感触の物体を確かめようとゆっくり目線を落とすと、それは綺麗に折りたたまれた古い紙切れだった。問いかけるようにベーラの目を覗き込むと、ますます彼女の瞳は優しく細められる。

「手紙よ」

「手紙……?」

「あなたのお父様から」

「えっ……?」

 心臓が突如激動し始める。短く言葉を詰まらせたきり、フェリアは絶句した。

 震える指先でその手紙をなぞると、乾ききった感触が脳へ伝わる。黄ばんだその様子からわかることは、随分昔に書かれた物だということ。それなのに、フェリアはこの紙の存在すら知らなかった。

「どう、して……」

「グロピウスがね、ずっと隠していたの……」

 何故それを貴女が、とフェリアが問う前に、ベーラはその疑問にも答えてくれた。

「私も何か怪しいと気付いたのは四日前なんだけどね。グロピウスの私室を探れる機会を窺ってたら、丁度よくスールイ公が暗殺されるじゃない。だから、グロピウスの代理を買って出たのよ」

 そうじゃなきゃ頼まれたって座長代理なんてやらない、と不躾なことをさらりと言うのはさすがである。仮にも散々世話になった公爵の死を軽く受け流すことなど、ベーラほどの図太い神経なくしては不可能だろう。

「で、昨日、客を全員帰してから今までずっとグロピウスの私室を捜索してたから、まだ一睡もしていないの」

 道理で眠そうにしているわけだと他人事のように思ってから、フェリアは固まった。どうしたら良いのか、にっちもさっちもいかなくなってしまったのである。父の手紙を開くのか、それとも。

 そんなフェリアの手を引っ張ったのは、ベーラであった。彼女は自分が立ち上がるなりフェリアのことも無理やり立たせて、その背を力強く押す。

「ほら、早く行きなさい」

「でも、何処に……」

 力の入らない足はもつれて二、三歩進んだところで歩みを止める。当惑しながら振り返ると、両手を腰にあてたベーラが堂々と胸を張っていた。

「この歓楽街の入り口にある大きな酒場があるでしょう? あそこで昨晩から今朝にかけて二日後に西へ行く軍人の出陣祝いが催されているの。もちろんナイザー准尉もいるはずよ」

 本当に彼女は何でも知っている。

「だけど……」

 それでも二の足を踏むフェリアに、痺れを切らしたようにベーラは声を荒げた。

「何を話せばいいか、何をすればいいかなんて、会ってから考えればいいことよ。もう貴女はここにいなきゃいけないわけでも、お父様を待たなきゃいけないわけでもないわ。自分のやりたいと思うことを好きなようにすればいいのよ。わかる? ——貴女は自由なの!」

「でも、私」

「貴女は自分が何をしたいかわからないわけじゃないわ。わからないようにしていただけよ。それが自分とお父さんへの裏切りになると思っていたから」

「ベーラ……」

「だけどもう、気にしなくていいの。貴女は貴女の好きにすればいい」

 フェリアはまだ父の手紙を読んでいないゆえに、その内容はわからなかったが、ベーラが言うからにはそういうことなのだろう。父はもう二度と、フェリアの元へは戻ってこない。フェリアは父を待つ必要がない。

「早く行きなさい! 今を逃したら、もう会う機会なんて二度とないと思いなさい」

 一瞬逡巡したが、それはものの数秒のことで、気付けば手紙を握り駆け出していた。その背中にベーラの叱咤の声が届く。意味を聞き取ることはできなかったが、おおよそ予想はついた。フェリアは心の中で謝礼を述べて劇場を飛び出した。


 一人場内に取り残されたベーラは、「世話の焼ける親友だこと」と呟いた。滅多に他人の事に首を突っ込まない彼女が、睡眠時間を削って、座長代理だなんて面倒な役割を買って出てまで働いたのは、他でもない親友のことだからだ。

 しかしいくら情報通で聡明なベーラにも、これ以上彼女のために何かをしてやることはできなかった。


 答えは他の誰でもない、フェリアが自分で出すものだ。

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