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9、激震

  ーー今日から五日後には、俺は西へ派遣される。平和な都で、もう劇の鑑賞なんてできなくなるからな……。


 その言葉が、その言葉を語った男の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。他にもたくさん、フェリアの持っている『力』、その『力』ゆえにプリマになれたこと、強大な『力』を持つという皇太子殿下、そして戦を続けるラウグリア国のこと、衝撃的な事実はいくらでもあったはずなのに、何故だろう、頭に浮かぶのはその言葉と、彼の顔だけだ。

 俺には時間がない、と彼はそう言った。そう、もう時間はないのだ。もう数日もすれば、あの男はこのラウグリア国の国土からいなくなる。二度とこの国には帰ってこないのかもしれない。下手をしたら、この世に帰ってこなくなってしまうのかもしれない。あの男の一挙一動にいらだつこともなくなる。客席から見つめられて歌を間違うこともなくなる。なにもかもーーなくなる。

 頭を破裂しそうなほどの強烈な悩みを抱えて、悩み抜いて、惰性の毎日はただ過ぎて行き、彼が西へ旅立つという日が刻一刻と迫っていた。


 そして、変化が見られ始めたのは、あの大雨の日から三日後のことであった。


 変化と言っても、ラウグリア自体を揺るがすような大きな物ではない。民衆の多くはその変化を知らないだろうし、知ったところで興味を示さなかったろう。だが、グロピウス座には、甚大すぎるほどの衝撃を与えた。——グロピウス座を後援していたスールイ公が暗殺された。


 丁稚がその知らせを運んできた時、最初に発狂せんとばかりに動揺したのは、劇団長のグロピウスであった。

「どういうことだ……っ? 暗殺、暗殺だと? 死んだというのか? スールイ公が……? 何故だ。誰によって、何のためにっ?!」

「私も、都の役人より情報を得ただけですので、詳細はわかりません……が、何者かによって殺されたと」


 スールイ公には息子がおらず、世継ぎがいない。そのため、公爵の地位は宙に浮く。必然的に、グロピウス座への後援も途絶えることとなった。それは劇団にとっては死活問題であった。

 明らかな情報不足により、グロピウスは混迷状態に陥った。その日も当然ながら劇場の公演のなくなるわけではない。すでにチケットは売れてしまっている。しかしながら、グロピウスは劇場の指揮を取れるような状態ではなくなった。劇場自体が混乱に見舞われた。


「グロピウス……このままでは埒があかないわ。直接スールイまで行って、スールイの役人に話を聞いてくるべきよ」

 劇団の誰も彼もが混乱に陥っている中で、そう冷静に助言したのは、トップダンサーのベーラであった。彼女はーーひょっとしたら動揺しているのかもしれないがーー表面上ではこれっぽちの動揺も見せず、凛として助言した。

「ただ殺されたのでなく暗殺ということは、何か裏に大きな思惑が隠れているかもしれないということよ。軍が一枚噛んでいるのかもしれないわ。……だとしたら、情報は遮断されて私たち市民には入ってこない。軍の管轄下にないスールイ公の知己の役人に話を聞いた方がいい。軍からの口止めが入る前に、なるべく早くね!」

 まくしたてたベーラの持つあまりの説得力に、誰もが圧倒された。もとより、聡明で他のただの踊り子と比べると異彩を放っていたベーラであるが、その真の実力は緊急事態下においてようやく露見される。

「しかし、しかし……私がいなくなったら、この劇場の指揮は、誰が……」

 口ごもった頼りにならぬ劇団長を見下ろして、ベーラは威風堂々と言い放った。

「グロピウスが戻ってくるまでは、私が代行するわ……私はもう何年もこの劇団でトップダンサーをしているのだもの。劇団の経営如何は全て把握しているわ」

 これで他の女がトップダンサーであったなら、「踊り子ごときに経営がわかるものか」と一蹴されたところであろう。しかし、この女にはそれが許されるほどの覇気があった。それは、彼女が常日頃から蓄積させてきた恐ろしいほど多量の情報網の成せる技だ。

 それからグロピウスがスールイへ旅立った数日間のみ、劇団はベーラの指揮下に置かれた。

 これは彼女にしてはとても珍しい行動であった。ベーラは聡明であるが、目立つことを好まない。物事を上から見渡して達観することが趣味である。自らが指揮を取ろうとすることは、滅多になかった。

 グロピウスは旅立つ時に、指揮官となったベーラに、劇場の全てを管理する親鍵を預けた。これを使えば、劇場のいかなる扉もベーラの自由に扱える。

 ベーラが柄でもない行動を取ったその動機がまさかこの親鍵にあるとは、誰も気付かなかった。後援者をなくし、団長までもが役に立たないこの状況で、誰もがベーラを頼るしかなかったのだ。誰もが彼女の言う事に素直に従った。

 そしてまた、この劇団の看板である、プリマドンナのフェリアも、親友の抱えている本意には気付いていなかった。しかし、フェリアの場合はこの劇場の混乱に我を失って冷静さを欠いていたというわけではない。スールイ公暗殺の報を受けて、フェリアの頭をよぎったのは一つの記憶のみであった。


 ーーひとつ、教えてくれ。お前の歌に『力』があると再三言って止めない人物が、俺以外にいないか?

 ーースールイ公よ。アナトーリ・ヘルム公爵。うちの劇団の後援者よ。


 その質問を投げかけてきたオレーク・ナイザー准尉は、「俺には時間がない」と言った。その時のフェリアには彼が何を焦っているのかなんてわかる由もなかった。だが、もし、ナイザーが「誰か」を暗殺しなくてはいけないとして、その暗殺しなくてはならない「誰か」を必死に追っていたのだとしたら。ーー彼に答えを与えたのは、フェリアだ。

 しかし、不思議なことに、フェリアの心には少しの罪悪感も浮かばなかった。いや、後ろめたさが全くないと言ったら嘘になる。スールイ公はフェリアにも良くしてくれた。とてもお世話になった人物だ。彼個人の死を悼む気持ちはある。ーーだが、フェリアにとっては、この劇団の行く末などどうでもよかった。それよりもずっと気になることがある。

 この暗殺を企んだのかもしれない、男のことだ。



 ベーラの名采配によって、なんとか劇団は団長のいない中での公演を無事成功させた。しかしさすがにこの状況下での面会は自粛して、女たちはぞろぞろと疲弊しきった顔のまま宿舎へと帰って行った。

 フェリアも彼女たちの後を追おうとして、しかし足を動かすことができなかった。考えることが多すぎて、頭がおかしくなりそうだ。あの男だ。あの男が来てからというもの、全ての歯車がおかしな方向へと動き始めている。一体全体、これから何が起ころうとしているのだろう。

 フェリアは誰もいなくなった楽屋の窓辺に立って、閉じきられた窓を開いた。冷たい北風が外から吹き込んでくる。まだ季節は秋であるが、夜はとてつもなく空気が冷たい。

「ーーフェリア」

 窓辺にたたずむフェリアに気付いて、楽屋へ戻ってきたのは、

「アンナ……」

 彼女の妹分であった。

 アンナは魂の抜けきってしまったようなフェリアを見上げて、労りの表情を浮かべる。がちゃん、と楽屋の扉の閉まる音がした。アンナはゆっくりとフェリアの方へ歩みを進めながら、戸惑うように視線を迷わせていた。言葉を選んでいるようだった。

「フェリア……元気を出して、っていうのは、難しいかもしれないけれど……」

 アンナはフェリアの前で足を止めて、言葉も止めた。何と言ってよいのかわからない、と言った具合だ。

 フェリアは彼女を見下ろして、目を細めた。ーー嗚呼、そういえば、この子は、あの男に恋をしているのだった。今更ながら、そんなことを思い出した。

「そっか……アンナも、彼のことを、知っているのね」

 だから、自分をいたわってくれるのだ。フェリアはそう解釈した。ナイザーは様々なことをフェリアに吐露してくれた。きっと、あの女誑しはこのあどけない少女にも五日後には西の土地にいかなくてはならないことや、スールイ公の動向を探るようなことを喋ったに違いない。だから、アンナにもフェリアの悩みがわかるのだ。

 そう、フェリアは解釈したのだが。

「知っているもなにも、劇団の後援者じゃない……フェリアは格別良くしてもらっていたものね。突然暗殺だなんて……気が滅入ってしまうわよね」

「え?」

 フェリアは予想外の返答に、きょとんとした。ーーナイザーのことではないのか。

「アンナ、貴女は……准尉からは、何も聞いていないの?」

 その問いがひょっとしたら彼に恋をするアンナを傷つけてしまうかもしれないものだと知りながら、しかし聞かずにはおれなかった。あれだけ彼に執着していたアンナなら、何か知っているのではないかと思ったのに。

 一方のアンナは、フェリア以上にぽかんとした表情を浮かべている。

「准尉? どの准尉のこと?」

「准尉よ。貴女のご執心だった准尉!」

「まあ……最近私、そんなご執心になるような准尉にお会いしたかしら……」

「ふざけないでよ、アンナ……ナイザー准尉よ。オレーク・ナイザー准尉」

 フェリアは、妹分が自分をからかっているのだと思った。このような状況下でよくそんな冗談を言えるなと少しだけいらだつ。だがしかし、それに対するアンナの返答は、フェリアの予想を遥かに逸脱していた。

「オレーク・ナイザー准尉……? ーー誰のこと?」

 フェリアは大きく目を見開いた。

 アンナとは幼い頃からの長い付き合いだ。彼女が嘘をついているかどうかなんて、その表情を見れば安易にわかる。アンナの顔は、真剣だ。ーー彼女は、あれだけ執心していた准尉のことを忘れてしまっている。

「嘘……でしょ?」

「どうしたの? フェリア……今日はいろいろなことがあったし……疲れているのかしら」

「……嘘」

 空いた口が塞がらない。悪い夢でも見ているような気分だ。

 だってアンナは、あの男はやめろと言ったフェリアの忠告も聞かず、劇団の掟さえ破って、彼に恋いこがれていたではないか。あの雨の日にナイザーを追ったのだって、彼女があの男にたぶらかされていると思ったからだ。そして、あの男に見つかって、そして、フェリアは彼と話をして……。

 そこまで考えて、フェリアはふと彼の台詞の一つを回想した。それはあの汚らしい閉鎖的な部屋で雨宿りをしていた時のことだ。


 ーー俺だって、関係などなくしてしまいたいさ。しかし、お前には俺のことを忘れさせることが出来ないからな。


 フェリアは、はっと息をのんだ。

 あの時は、うぬぼれるのも大概にしろと彼に対して癇癪を起こしたものだった。しかし、その言葉の持つ意味がもし、ただのうぬぼれでないとしたらーー。

「フェリア、帰って寝ましょう……そうしたらきっと、疲れもとれてすっきりするわよ」

 アンナは彼のことを綺麗さっぱり忘れてしまっている。彼の記憶を、なくしてしまっている。そしてフェリアは、彼のことを忘れることができない。

 一体どういうことなのだ。何が起こっているのだ。

 フェリアの頭はますます混乱した。わからないことが多すぎる。ナイザーは、何をしでかしたのか。

 大雨の日から三日、確かな変化が生じていた。それはフェリアの周りを蝕んで、しかしながら彼女自身には手を出そうとしない。

 それがナイザーの言った彼女の持つ『力』故なのか、なんなのか、フェリアにはまだ判断する術がなかった。

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