王妃付きの下級侍女は、後宮の門を閉じた
「待て!」
後宮の門をくぐったとき、近衛兵の叫び声が響いた。
王妃マグダレーナ陛下と侍女長ヘレーネ様の後ろについて歩いていた私は振り返った。
見ると、二人の侍女がこちらに走って向かってきていた。ひとりは髪を振り乱すほど必死に駆けていた。
その後ろを、近衛兵らしき男が追いかけていた。その目は血走り、獲物を逃すまいとする強い意思が感じられた。
「刺客よ!」
「待て、貴様!」
「……門を閉めるのよ。王妃陛下を守って!」
侍女たちや、刺客と思われる男が口々に言った。
「門を閉めなさい、ノエラ! 今すぐに」
危機を察知したヘレーネ様が私に向かって叫んだ。
侍女のひとりがこちらに手を伸ばす。
その後ろには近衛兵が迫っていた。
私が今、この門を閉めたら、二人の侍女はどうなるのか……。私の脳裏に最悪の想像が浮かんだ。
「た、助けて!」
もうひとりの侍女が叫んだ。
「早く閉めなさい!」
ヘレーネ様の怒声に近い指示に、下級侍女の私の体は反射的に動いた。
門を閉じ、閂を挿した。
外で、揉み合うような音がして、侍女たちの悲鳴が響いた。
「ドンッ」と一度大きく扉を叩く音がした後、外からは何の音もせず、静かになった。
同じ後宮にいる侍女だ。私にはその二人に見覚えがあった。
お二人ともお使いで本殿に出ていたところ、男が王妃陛下のお命を狙っていることに気がついて、知らせようとしてくださったのだろうか。
けれど、それでかえって刺客に追われることになってしまったのだろう。
私はその静けさが、最悪の事態を暗示しているように思えて仕方がなかった。
※
ヘレーネ様と私は、後宮内の侍女たちに、刺客が迫っていることを告げて回りつつ、マグダレーナ陛下を王妃宮の自室までお送りした。
そのままヘレーネ様はマグダレーナ陛下と部屋の中に残り、中から施錠し、私は外で見張りに立った。腕っぷしにはまったく自信はないが、危険を知らせるくらいの役目は果たそう、と考えていた。
神経を尖らせながら、目を光らせていると、やがてひとりの侍女がやってきて、私に告げた。
「近衛兵が来て、安全は確保されたわ。もう大丈夫」
「でも、刺客がまだ王妃陛下を狙っているのでは……?」
私はなおも警戒を怠るつもりはなかった。
「刺客も死んでいるわ」
刺客が……死んだ……。
近衛兵が追い詰めて、討ち取ったのか。
そこでやっと私は少し安堵した。
けれど、私はまだもうひとつ尋ねなければならなかった。
「逃げていた侍女の方たちは……?」
「残念だけど……亡くなったわ」
ああ……。
そうなることは、わかっていたつもりだった。
私が後宮の門を閉めたとき、それ以外の可能性があっただろうか?
屈強そうな刺客に追われ、逃げ道を失ったか弱い侍女たちが、殺されずに見逃されるなどということが、ありえただろうか?
——私が殺したのだ。
けれど、その侍女が続けて告げた言葉に、私は混乱した。
「刺客の男と一緒に、二人は門の前で倒れていたわ」
刺客の男と二人の侍女の方々が一緒に倒れていた……?
「刺客の男は、近衛兵が討ち取ったのではないのですか?」
「いえ、応援の近衛兵たちが集まってきたときには、三人ともすでに亡くなっていたわ」
どういうこと? 刺客の男は剣を持っていたはずだ。少なくとも、私には侍女たちが武器を持っていたようには見えなかった。それなのに、刺客の男を撃退した……? そんなことがありえるのだろうか。
いったい、門の向こうで何があったのだろうか。
※
後宮において、最も穢らわしい仕事のひとつと言われるのが、死体の処理だった。そして、それは後宮の中でも最下級の侍女の私、ノエラ・フェルマンの仕事のひとつでもある。
嫉妬や憎悪が渦巻く後宮で、死体が出ること自体はそれほど珍しくない。けれど、私がその死に関与した遺体を扱うのは初めてだった。
私は陰鬱な気分だった。
後宮の遺体安置所には三体の亡骸が横たえられていた。
いずれも、あの後宮の門の前で息絶えた人たちだ。
ヘレーネ様や私も王宮の調査に協力し、私たちが見聞きしたままに証言を行った。王宮内には、刺客の男が抜き身の剣を持って、二人の侍女を追っているところを目撃した者もいた。
王宮では、刺客の男——ディートリヒという名前の近衛兵が、王妃陛下を狙っていたと結論づけられた。
殺された二人の侍女は、側妃オクタヴィア様の上級侍女アーデル様と、下級侍女のフリーダさんだった。二人は、本殿に書簡を届けた帰りに、何らかのきっかけでディートリヒの陰謀を知ってしまった。
ディートリヒは王妃陛下が後宮の外に出ていたあの日に計画を実行するつもりだったが、二人の侍女と、門扉を閉めた私によって、その計画は阻止された、というのが王宮の見解だった。
まず、上級侍女のアーデル様の亡骸を清めていく。
長い美しい黒髪で、死に顔も美しく気品のある、貴族令嬢だった。
側妃オクタヴィア様を敬愛し、とても忠実で真面目な方だったと聞く。王妃陛下を必死に助けようとしたことを考えると、後宮そのものへの忠誠心が高い方だったのだろう。今回の事件によって、「後宮の英雄」となった。
胸の深い刺し傷が痛々しかった。ディートリヒに剣で刺されたのだ。
私が門を閉めなければ、ひょっとしたら助かったのではないかと考えてしまう。アーデル様とフリーダさんを先に中に入れてから門を閉めることはできなかっただろうか。けれど、ディートリヒはほとんど追いついていたので、二人を中に入れる判断をしたら、王妃陛下を危険にさらすことになった可能性も高かったはずだ。
下級侍女のフリーダさんは、どこか田舎娘のような風貌で、顔には吹き出物が多くあったが、どこか愛嬌があった。フリーダさんもやはり真面目に仕事をされる方で、悪い評判を聞いたことはなかった。
フリーダさんの服を脱がし、体を布で拭っていると、ふと違和感を覚えた。いや、違和感などというものではない。明らかにおかしい。
剣の刺し傷がないのだ。
その代わりに、首筋に細い刺し傷が二つあった。浅い傷がひとつと、深い刺し傷がひとつ。もちろん致命傷となったのは深い傷のほうだろう。
ディートリヒが、剣以外の武器も持っていたのだろうか。
フリーダさんの手首には誰かに強く掴まれたような跡がくっきりと残っていた。ディートリヒがアーデル様を刺した後、剣がすぐに抜けず、逃げないようにフリーダを捕まえて、細い針のような得物で首を刺したのだろう。王妃陛下を襲撃する計画を妨害した二人を絶対に許さないという、あまりに残酷な強い意志が感じられた。
フリーダさんの手のひらには、擦れてできたような傷もあった。どういう経緯でできたものかはわからないが、何かしら抵抗をした跡のように見えた。
最後に、刺客の男の亡骸を清めていく。
後宮で、男性の亡骸を清めるのは初めてだったけれど、男の体に触れる恥ずかしさなんかよりも、男に対する憤りのほうが大きかった。
それでも……仕事柄なのか、私は死者に対して、どうしても畏敬の念はぬぐえない。王妃陛下を狙うなどと愚かな判断をしたとしても、このディートリヒという男にも、そこに至るまでの人生があり、大切な人がいたのではないか。近衛兵は楽な仕事ではなかっただろう。仕事の時間も不規則で、危険を伴う。怪我もしただろうし、今回のようなことがなくとも、命を落とす危険は常に付きまとっていたはずだ。
そんな近衛兵のディートリヒが、なぜ王妃陛下を狙ったのだろうか。私怨などは考えにくそうだけれど、誰かに雇われたのだろうか? 例えば、王妃の座を狙う側妃の誰かにでも……。貧しい家の出自だと聞くから、報酬を得て家族を助けようと考えたのだろうか。けれど、その愚かな判断は、家族にとって、より大きな足枷となってしまうだろう。
ディートリヒの胸のあたりに、自身の長剣で刺したと思われる刺し傷があった。アーデル様のものと同じような形状だ。
王宮では、ディートリヒが王妃陛下の襲撃に失敗し、妨害をした侍女たちを殺して自害したと判断されていた。
けれど……。私はまた違和感を覚えた。
私が見た限り、ディートリヒの剣は、長剣だった。
よほど腕が長くなければ、剣の柄を持って、力を込めて胸を刺すなどということができるとは思えなかった。
刃の部分を握って胸を刺すには、よほど力を入れなければならない。下手をしたら、手が切れてしまいそうだ。けれど、ディートリヒの手のひらには傷や、刃を握ったような跡も見当たらなかった。
胸を刺されたアーデル様や、首を刺されたフリーダさんがディートリヒに剣を突き立てたとは考えにくい。
例えば、地面や壁に剣を突き立てたりすれば可能だろうか?
胸の傷は少し心臓から脇にずれているようにも見えるので、無理な体勢で自害を図ったのか。
あるいは、第三者がいたのだろうか……?
「ノエラ、遺体の様子はどうだ?」
私が考えに没頭しながら亡骸を清めていると、聞き慣れた声がした。
※
遺体安置所に現れたのは、「死神」と呼ばれる王弟ヴォルフラム殿下だった。王宮内で死体が出ると必ず姿を現すため、そう呼ばれるようになった。人々は、死体好きの変質者のようにいうけれど、それは違う。ヴォルフラム殿下は兄の国王陛下の信任が厚く、王宮内の事件の調査を担っているのだ。
ヴォルフラム殿下は後宮の遺体安置所にもやってくることが多いので、私とはよく知った仲だ。身分は天と地ほども違うのだけれど、なぜか殿下は私を対等に扱ってくれるので、いつしか私も遠慮をしなくなってしまった。
「ヴォルフラム殿下……」
私の口から出てきた声は、ひどくか細かった。
「どうした、ノエラ? 何かあったか?」
「私は、この人たちを見殺しにして、後宮の門を閉じたのです。私が殺してしまったようなものです……」
「王妃陛下に刺客が迫っていたのだ。王宮の誰ひとりとして、おまえを責める者などいない。むしろ、門を開け放していたほうが責められただろう。おまえは正しい判断をしたのだ」
「もちろん、王妃陛下を危険にさらすわけにはいきませんでした。ですが、この方々のことも助けられたのではないかという思いが拭えないのです」
「ノエラ、誰かを助ければ、誰かが犠牲になることもある。それよりも起こってしまったことに、どう対処していくかが大事なのだ」
「……はい」
「私は、死者たちの犠牲を無駄にせず、真実を明らかにして、同じ悲劇を繰り返さないことが大切だと思うが、どうだ」
「はい……。そのとおりだと思います」
ヴォルフラム殿下が頷いた。
「よし。で、何か気になることはあったか?」
「はい……。いくつか……。ディートリヒさんが、どう自害したのかがわからなくて……。長剣で胸を刺したと思うのですが、それは少し難しいように思えて……。もしかしたら自害ではないのかもしれないとも思うんです。例えば、第三者に殺されたとか」
私は自信なく言ったのだけれど、ヴォルフラム殿下は一蹴した。
「第三者がいた可能性は低い。女の悲鳴を聞いて、すぐに近衛兵が駆けつけたようだが、三人以外の人影は見当たらなかった。後宮の周囲は見通しも良いから、逃げる者がいればわかったはずだ」
「そうですか……」
ではやはり自害なのだろうか……。確かに、剣をどこかに固定さえできれば、胸に刺すことはできそうだ。
「だが、私は、ディートリヒは自害などしていないのではないかと思う」
「えっ?」
「ディートリヒは評判の良い男だ。夜勤やきつい仕事も厭わずこなし、家族を大事にする男だったそうだ。年老いた母親と、妻とひとり息子と四人暮らしで、少ない給金でも仲良く暮らしていたようだ。貧しい平民の出自で出世は望めなかったが、本人も家族も王宮を守る仕事に誇りを持っていた。どんな人間だろうと、過ちを犯す可能性はある。私はディートリヒという男と親しかったわけでもない。だが、どうも私には、ディートリヒが王妃陛下を害し、ましてや自害までするような男に思えんのだ」
「そうですか……。でも、仰るとおり、どんな人間でも、たとえ善人であろうと、悪いことに手を染めることはあるはずです。貧しかったのであれば、お金で買収されていた可能性もあります。家族のためを思っていたのであれば、なおさら家族のためと思っていたかもしれません」
「そうだな。私も憶測で決めつけるつもりはない。ただ、おまえは知らないだろうが、三人の死亡時の状況からも、どうもディートリヒが自害したとは思えんのだ」
「どういうことですか?」
「ディートリヒの長剣はアーデルの胸に刺さっていたのだ。王宮の調査でもこの点ははっきりと説明できていない。ディートリヒは自害を試みて、意識を失う前に気力を振り絞ってアーデルを刺したのか? 相手を殺す前に自害するなどありえるか?」
自害をしてから、相手を殺す……? どんな状況であればそんな判断をするのだろうか? 自害をしてから、悔しさが募り、計画の妨害をしたアーデル様への憎しみが溢れた……?
「あの……もうひとつ、気になる点があるのですが……」
「何だ? まだディートリヒの自害を裏付けることがあるのか?」
「いえ、ディートリヒさんではなく、フリーダさんの遺体です。直接の死因は、首に何か細い針のようなものを刺されたことのように見えるのですが、それらしい凶器は見つかったのでしょうか?」
「ああ。針の部分に血のついた銀の髪留めが門の外に落ちていた。フリーダは、それで首を刺されたようだな。おそらく、アーデルのものだろう。アーデルの髪は、見てのとおり乱れていた」
ヴォルフラム殿下がアーデル様の遺体を指さした。
「アーデルに刺さった長剣を引き抜くよりも、アーデルの髪留めを取って、フリーダを刺すほうが簡単ではあっただろう」
侍女は仕事中は邪魔にならないよう髪をまとめる。髪がほどけたアーデル様が髪留めを外していたのは間違いないだろう。けれど……。
「でも、アーデル様は、逃げているときに、すでに髪留めを外していたと思います。私が見たときには、髪を振り乱して走っていました」
「では何かの拍子に髪留めが落ちたのだろう。慌てて逃げていただろうから。だが、それをディートリヒが第二の武器とするために拾ったのか? あるいは後から金に換えようとでも?」
いや……それは無理がある……。
「王妃陛下を必死に狙っている最中に、わざわざ価値もわからない髪留めを拾いますか? 丸腰の女たちを相手に、長剣のほかに武器が必要だと思いますか?」
「ノエラ……。つまり、逃げる途中か、逃げる前に、アーデルは意図的に髪留めを外したというのか? そのほうが走りやすいということか?」
「……いえ、髪が乱れていたら視界の邪魔になりますし……逃げるのにあえて髪留めを外す理由はないと思います」
私は、フリーダさんの亡骸に目をやった。
首には髪留めによってつけられた浅い傷と、深い刺し傷。
手には……擦り傷……。手首には強く掴まれた跡。
アーデル様の乱れた髪……。アーデル様は、逃げる前から髪留めを外して、手に持っていたのだろう……。なぜ……?
アーデル様はディートリヒに長剣で胸を刺され……。ディートリヒは誰に刺されたの?
私はもう一度、あの門を閉めた直前のことを思い返す。
「刺客よ!」
あの声は誰のものだったか? アーデル様? フリーダさん? しっかり思い出せばわかるはずだ。……あの甲高い声は、きっとフリーダさんだ。
「……門を閉めるのよ。王妃陛下を守って!」
あの声は? アーデル様だ。「門を閉めるのよ」の前に何かを言っていたが、ディートリヒの「待て、貴様!」という声と重なってしまっていた。私は何かを聞き逃していたのだ。重要な何かを……。
「あっ!」
私の脳裏にある可能性が浮かび、そのことに思い当たった瞬間、頭から血の気が引いていくのを感じた。
私は、アーデル様の亡骸に近づき、その右手を取った。硬直してうまく動かない。けれど、フリーダさんの手首の跡は、大きな手のディートリヒのものではなく、アーデル様の手の大きさに近いように思えた。
もし、フリーダさんの手首を最後に握っていたのが、アーデル様だったとしたら……?
「ヴォルフラム殿下……。私……取り返しのつかないことをしてしまったかもしれません……」
※
私は朝一番で、後宮の門の前を掃除していた。
ここで何人の人がどう死のうが、生きている人間に朝は来る。
ここ数日、ずっと私は気分が晴れないまま仕事をしていたが、天気はずっと良く、それが何か恨めしかった。
「ノエラ、おはよう」
聞き慣れた声。
振り返ると、ヴォルフラム殿下がいつものように、無表情に立っていた。
私は、この日ばかりは、殿下から出てくる言葉が恐ろしくて仕方がなかった。
「ノエラ……。おまえの推理は概ね正しかった。いくつか細かい点で、今となってははっきりとはわからないことはあるが……」
ああ……。
あの後、私はヴォルフラム殿下に、認めたくもない推理についてお話しした。それが正しかったというのだ……。
「刺客は、ディートリヒではなく、アーデルだった」
それが最もありえることだと、頭ではわかっているはずだった。それでも、その事実は私の胸に深く刺さった。
「アーデルの自室から、計画に関係する文書が出てきた。王妃陛下の行動予定、護衛の配置、側妃の王妃への昇格に関する文書などがな。オクタヴィア様の他の侍女の話によれば、アーデルがオクタヴィア様を王妃にして、自分も出世するのだと吹聴していたようだ。王妃陛下が後宮の外に出ることもわかっていて、侍女や護衛があまりいないところを狙ったのだ」
「それでは……やはり刺客のアーデル様の犯行を察知して、フリーダさんと、ディートリヒさんが止めようとしていたのですね?」
「ああ。これは推測だが、王妃陛下を目にしたアーデルが銀の髪留めを外し、凶器として手に握って、襲いかかる用意をしているところを見たフリーダが異常を察して止めようとし、さらにその様子を目撃したディートリヒが近づいてきたのだろう。アーデルはフリーダを振り切って、王妃陛下を追った」
「そして、後宮の門の前まで来た……。フリーダさんが、アーデル様を『刺客』と言い、ディートリヒさんが『待て』と叫んで制止しようとしていた……。アーデル様は、とっさに、ディートリヒを刺客と誤認させようとして、『私が入ったら、門を閉めるのよ。王妃陛下を守って』と叫んだ。私はその声が聞き取れず、すぐに門を閉めてしまった……」
「それからのことは……おまえの話したとおりだろう。アーデルが刺客だとはっきりし、亡骸や凶器の状況を見る限り、それ以外の可能性は、もはや考えにくい。……門が閉められた後、アーデルのすぐ後ろにフリーダが迫り、さらにその後ろにディートリヒが迫った。追い詰められたアーデルは、フリーダの手首を掴み、首に髪留めの先を突きつけた。そのときに、まず浅い傷がついたのだ。そしてアーデルはフリーダを盾にして、剣を捨てるように要求し、フリーダの命を優先したディートリヒは長剣を放り捨てたのだろう」
アーデルは、フリーダを人質にして、ディートリヒを無力化した。そしてディートリヒを殺そうとするが、フリーダを拘束するのに、両手が塞がってしまっていた。
「アーデルは、フリーダに長剣を拾わせ、ディートリヒを刺せと指示した。フリーダはもちろん迷っただろう。けれど、おそらく、ディートリヒが『やれ』と言ったのではないかと思う。すでに死は覚悟していただろう。だが、ディートリヒは、王宮を守る近衛兵として、フリーダを守ることを優先した。フリーダも首に凶器を突きつけられ、抵抗したらすぐにでも刺される状況だ。それでも、簡単に人を殺せるような女性ではなかっただろう。だからこそ、ディートリヒも強く『やれ』と命じたのかもしれない」
ディートリヒは自害をしたのではなかった。命をかけて、フリーダを守ろうとしたのだ。
「フリーダはディートリヒを長剣で刺し、そして引き抜いた。慣れない長剣を握り、フリーダの手のひらに擦り傷ができたのだろう。次にアーデルは、フリーダの首を髪留めで刺した。この二人の口を塞げば、自分が刺客だと証言する者はいなくなり、再び王妃陛下の襲撃を図ることもできる……とでも考えただろう」
私はその様子を思い浮かべ、思わず口を覆った。
「だが、ディートリヒは即死を免れていた。長剣の扱いに慣れていないこともあっただろうが、フリーダはアーデルに気づかれない範囲で、少しでも急所を外そうとしたのだろう。少しの間だけ生きながらえたディートリヒは、最後の力を振り絞り、長剣を拾ってアーデルの胸を突き刺した。アーデルは悲鳴をあげてそのまま後ろに倒れ、門にぶつかった」
私の目から、涙が溢れていた。
あまりに耐えがたい事実だった。
「フリーダさんや……ディートリヒ……さんのご家族は……?」
「王妃陛下を守った本物の『英雄』たちの家族だ。王宮から褒賞を与える。残された家族が生活に困らぬよう、国王陛下にも取り計らうつもりだ」
「でも……。もし私が、アーデル様こそ本物の刺客だと気づいて、門を閉めなければ……。それで私がアーデル様を少しでも足止めしていれば……フリーダさんも、ディートリヒさんも死なずに済んだかもしれないのに……」
やはり、皆を助ける方法はあったのだ……。
「ノエラ……。悔やむ気持ちはわかる。だが、少なくともおまえは王妃陛下を守った。そして死者の声に耳を傾け、真実を明らかにしたではないか」
ヴォルフラム殿下の慰めの言葉は、私の耳には届かなかった。
私は嗚咽を漏らして泣き続けた。
涙はとめどなく溢れてきた。
殿下がそっと私を抱き寄せた。
私はその大きな胸に顔を埋め、より激しく泣いた。
嗚咽は止まらなかった。
ヴォルフラム殿下はただ私を優しく抱きしめ続けた。
「私は昨日、ディートリヒの家族に会って、調査でわかったことを伝えてきた。……慰めになるかわからんが……」
私はすがるようにその声に耳を傾けた。
「ディートリヒの妻が言っていた。『夫は、最後まで立派に務めを果たしたのですね。夫を誇りに思います』と」
私は、最後に門に迫っていたディートリヒさんの鬼気迫る顔を思い出した。
あれは、必死に王妃陛下を守ろうとする兵の顔だったのだ。
あのとき、私はディートリヒさんを刺客と思い、門を閉ざした。
今となっては、謝ることも、感謝を伝えることもできない。けれど、あの門の前で最後まで王妃陛下を守ろうとした誇り高い近衛兵がいたことだけは、決して忘れまいと思った。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
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