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黒い水音

作者: 黄猫屋トモロヲ
掲載日:2026/08/27

 ぴちゃん、ぴちょん


 しずくが落ちる


 ぴちゃん、ぽちゃん


 みなもの上に


 けれど、その音の出所を、目にする者はいない


 * * *



 これは大学の後輩でサークル仲間のMさんから聞いた話。


 Mさんと同じ1年次の講義を取っている仲良し女子グループにBさんという人がいる。

 実家暮らしだったBさんはアルバイトをはじめたことをきっかけに一人暮らしを考え、大学の最寄り駅付近に賃貸物件を探していた。

 Bさんは駅前の不動産屋を何軒か見て回ったものの、その時期はすでに手頃な物件は学生や新社会人に押さえられた後らしく、なかなか希望する部屋を見つけることが出来なかった。

 そんな折、Bさんはグループ仲間のTさんから、彼女の高校時代からの知り合いという二年上の男子学生Sさんを通じて格安の物件を紹介してもらえることになった。

 なんでもSさんの伯父が経営する不動産会社が短期の借り手を探しているとのこと。いわゆる事故物件ということで、一度非公開に安値で貸し出し、その入居者が退去したあとで元の家賃で掲出する予定なのだとか。


 とりあえず家を見せてもらうということになり、伯父から鍵を預かってきたSさんがBさんを案内することになった。Sさんは時々こうして伯父の仕事を手伝っているらしい。


 築40年の木造二階建て一軒家。Bさんは古さが気になったものの、どうせ大学を卒業したら引き払うのだからと安さに惹かれて契約したという。


 一軒家に移り住んだBさんは、最初の頃は特に問題なく新居での生活を楽しんでいたという。

 そんなある日のことだった。

 その日Bさんは、一階のリビングでウトウトして、そのままソファで横になって眠ってしまった。

 深夜、Bさんが寝苦しさに目を覚ますと、どこからか水音が聞こえる。


 ぴちゃん、ぽちゃん……


 水たまりに水滴が落ちる音が反響している、そんな音だった。

 どこかの蛇口のパッキンが古くなって水が漏れているのかもしれない。そう考えたBさんは台所のシンクや浴室にトイレと見て回ったが、音の出どころはわからなかった。

 二階の寝室に移動すると音は聞こえなくなり、その日のBさんはそのまま寝ることにした。

 翌朝階下に下りると、水音はしなくなっていた。


 これで終わったかと思えば、また次の晩、深夜に一階にいると水音が聞こえてくる。

 漏水を疑ったBさんは後日不動産会社に連絡して業者を呼んでもらったが、水道周りから水漏れしている箇所は見つからなかった。

 二階にいれば気にならないこともあり、Bさんは音の出所を探すのを諦めた。そして、音が聞こえること自体をだんだんと意識しなくなっていった。


 と、ここまでがMさんがBさんから聞いた話だ。

 ここからはMさん自身が体験した話になる。


 ある日、大学の講義でグループ発表をすることになったMさんたち仲良しメンバーは、Bさんの家に集まり発表の準備をすることにしたそうだ。ただ、準備は口実のようなものであり、集まりの真の目的はBさんの家でホットプレートパーティーを開催することだった。


 時が経つのも忘れて女子会を楽しんだ後、帰宅する手段が無くなったMさんはBさんの家に泊めて貰うことにしたという。


 リビングのソファに毛布を借りて寝ていたMさんは、ふと、寝苦しさに目を覚ます。

 スマホを確認したところ時刻は深夜。Bさんは二階の寝室で寝ているはずだ。


 水でももらおうと起き上がったMさんの耳に、その音は届いた。


 ぴちゃん、ぽちゃん……


 洗い物をした際、蛇口を締めるのが甘かったのだろうか。そう思いキッチンを確認するも、シンクの中は綺麗に乾いていた。


 浴室やトイレを確認したいという気持ちもあったが、眠っているBさんを起こすと悪いと思い、念のためBさんの就寝を確認すべく廊下へ出た。

 ここでこの家の間取りを説明すると、玄関正面に各部屋につながる廊下と二階へと続く階段がある。リビングから廊下へ出ると、左上に向かって伸びる階段の側面と、それに連なる柵状の手すりが目に入る形だ。


 そこでMさんは、音の出所らしきものを目にする。

 二階廊下のすぐ下に位置する階段の板。そのやや張り出した厚板側面よりこぼれ落ちる液体が、その下の一階の廊下に黒い水溜りを作り、その水面に絶え間なく黒い滴を降らせているのだ。


 Mさんは何かただならぬことが起きていると感じ、一刻も早くBさんの様子を確認するため電気も点けずに階段を上りはじめた。ほどなくして二階の廊下が見えてくると同時に、そこにあるものもまた視界に入る。

 それは倒れた人影に見えた。しかも、その黒い人影の頭部とおぼしき辺りから液体が広がり、廊下のフローリングを浸した上で階段へと流れ落ちているのだ。


 Mさんは、その人影がBさんだと思い、叫ぶように彼女の名前を呼んだ。


 すると、Mさんの声に反応したように二階の寝室から灯りが漏れ出し、開く扉からBさんが顔を出した。

 Bさんに何事かと尋ねられたMさんは状況を説明しようとしたが、灯りに照らされた廊下には人影も液体もありはしなかった。


 その夜Mさんは渋るBさんを押し切り、家中の灯りを点けたまま二人一緒に夜通し起きていたという。



 * * *



 ――ということがあったのだと、Mさんは語る。さらに話は続く。


 Bさんは事故物件であるという話は聞いていたが、詳しいことは何も知らされていなかった。その家で過去に起こったことを知りたくなったMさんは、Bさんを伴い不動産会社へ話を聞きに行ったそうだ。

 事故物件には入居者に対する告知義務があるため、問い合わせがあれば拒むことは出来ない。

 結果、次のことが判明した。


 Bさんが入学する前の年、その家に住んでいた女性が事故で亡くなった。

 発見したのは彼女の友人と、不動産会社の社員。女性と連絡が付かなくなったのを不審に思った友人に請われ、社員が家の鍵を開けて中に入ったところ、二階の廊下で倒れている住人を発見したという。すでに亡くなって数日が経っていた。

 死因は、頭を強く打ったことによる脳挫傷。足を滑らせて勢いよく転んだ先に硬い手すりがあり、打ち所が悪かったのではということだ。屋内はすべて施錠されており、警察から事件性は無いものとして扱われた。


 それですべてだった。Bさんにとって気分の良いものではないが、そういうこともあるのだと割り切ったようだ。一方Mさんはどこか納得がいかない様子だった。


 * * *


 後日、先輩のKさんにこの話をしたところ、意外な答えが返ってきた。

 1年前に例の家に住んでいたのは、Kさんと同じ年に入学したYさんではないかというのだ。彼女の友人であり、遺体の発見者でもあるFさんとも知り合いだという。


 それからKさんは頼んでもいないのにFさんをサークルの部室(兼・資料室)に呼び出し、私はMさんと共に当時の話を聞くことになった。


 Fさんによれば、YさんもまたSさんの紹介であの家を借りたのだという。友人にワンルームの狭さに対する不満を漏らしていたところ、それなら広くて安い物件があるというSさんの話に飛びついたとのこと。


 Yさんは家を気に入った様子だった。Fさんも時々遊びに行き、そのまま泊まることもあったという。ところがある日を境にYさんと連絡が付かなくなり、発見に至ったのだ。


 亡くなる直前、Yさんに変わった様子は無かったのかとMさんが尋ねる。するとFさんは、少し考えた後、そういえば、と話を続ける。


 Yさんが亡くなる少し前、Fさんはどこか苛立つような様子の彼女を時折見かけるようになった。以前とは違う様子が気になり話を聞くと、ある男に言い寄られて迷惑しているのだという。話題にするのも嫌だという調子だったので、それ以上のことは聞けなかった。

 当時そのこともあり彼女の死が男性トラブルによるものでは無いか、という疑念を抱いていたFさんは、単なる事故死と聞かされ釈然としない思いをしたという。


 なぜ釈然としなかったのかと、私はFさんに問う。


 するとFさんは記憶の糸を辿るように考え、こう答えた。



 ――だって、まるで寝室から逃げるみたいに倒れていたから。



 黒くて大きな虫でも出たのでは無いかとKさんは軽口を叩く。


 だけど、とMさんが口を挟む。


 自分の見た影は、仰向けに倒れていたように見えた、と。


 寝室から逃げ出してその勢いのまま転んだのなら、うつ伏せになるのではないか。

 Fさんに確認すると、確かにYさんは仰向けに倒れていたという。後頭部を手すりにぶつけて、そのまま崩れ落ちたように見えたのだと。



 話を聞いた私の脳内に、ひとつのビジョンが描き出される。

 夜中に目を覚ましたYさんは、寝室の中に何者かがいることに気づく。それから逃げるように部屋を飛び出すYさん。廊下に出たところで追いかけてきた何者かに腕を掴まれ、振りほどいた弾みに、足を滑らせ、手すりに頭を打ち付け、その場に倒れる――


 すべては妄想の域を出ない。


 現代の科学捜査は優秀だ。警察が事故だというならそうなのだろう。



 * * *



 その後、MさんからBさんの近況を聞いた。

 変わらず例の家には住み続けているとのことだが、家の件とは別に最近困ったことがあるのだという。

 なんでもSさんからしつこく言い寄られて迷惑しているのだと。


 Bさんは、その後ほどなくして引っ越しを決めたという。


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