細石編 一章
私は生まれた。
そこは命芽吹く惑星で川沿いの近く、直径三〇〇メートルの白い建物の中の、中央の大きな空間であった。
私を含めた一八人の六歳程の少女がエナ様の力により形成され、それぞれ別の思考と形と色を与えられた。
それらを眺めるのは支配者様三名。エナ様、ミーザ様、ウェムオーン様。
私が生まれた理由は支配者様の端末の為である。支配者様の思考を持ち、支配者様の言動を体現する、いわば暇潰し。
生まれた意味などない。出来るからやった、それだけなのだ。
「どう、終わった?」
「今悩んでいる。優しさとは、難しいものだもの」
「今回だけは手を抜かないでね」
「ウェムオーン程なんでも知っている訳ではない、焦らせるな」
ミーザ様の問いにエナ様は淡々と答えた。
今の私は生きるだけならば全て揃っている。支配者様が行なっていることはスペアである私達の思考を支配者様の意思に擦り合わせるものだ。
支配者様の意思に近づく程にその力を行使できる。故に、私は支配者様という概念における肉体を持った支配者となるのだ。
物事の解釈が変化していく感覚が大きくなる。エナ様は真剣に、ミーザ様は期待に胸を躍らせ、ウェムオーン様は私達の中の銀髪の少女を見つめている。そのように思う。
不安が始まった。
私は自分という存在の意味の無さに不満が湧き始めた。
支配者様のスペアというのであれば、私がその役割を持つ必要性に疑問がある。私でなくとも、別の、スペアでなければ生きようとすることもないスペアにやらせれば良いではないか。
「エナ」
「……なに」
「上出来よ」
ウェムオーン様が発言すると、私の中のなにかが変化をやめた。
エナ様とウェムオーン様はそれ以上は何も話さず、この空間から出ていった。
残ったミーザ様は私達一八人の顔をそれぞれ見渡した後、朗らかな笑みで話しかけた。
「みんな、分かっているでしょう。気持ちの整理がついたのなら、それぞれの居場所に戻りなさい。私はこれにておさらば」
ミーザ様も手を振ってこの場を去る。
残された私達は知らないながらどこか親近感のある互いを見始めた。
私の一番近くに居たのはほんのりと紫色が混じった白い髪と目の少女であった。
その少女は今何が起きたのか、はたまた自分という存在を認識出来ていないように見える。
他の少女と違い、ただ一人、それくらいに彼女は眉一つすら動けていなかった。
「……大丈夫ですか?」
私の生まれてからの第一声は他人を心配する言葉。
彼女の名前すら知らないというのに、私は気の毒に思っているのだ。
彼女の肩を揺すって意識を戻そうと試みる。
「どうしましたか? 具合が悪いのですか?」
「……」
反応が出来ていない。
すると銀髪の少女が私に近付いた。ギリギリ水色に見える銀の目を彼女に向ける。
「何も心配することはないわ。これが彼女、ハノグリプさんのノーマルの状態よ」
「ハノグリプさんって……そんな、ハノグリプ様の名前を継いだということは、えっと」
「ハノグリプ様の後継者はこうなるのよ。だからハノグリプ様のスペアは何人もいらない。わたしと同類ね」
銀髪の少女の口調や雰囲気はウェムオーン様に酷似していた。似ていない所と言えば、ハノグリプを見て悲しそうな目をしているくらいだ。
「自己紹介が必要なようね。わたしはヨカ。あなたは?」
「私は……分かりません。私の名前を知りませんか?」
「わたしはなんでも知っているから形式上言っただけでごめんなさいね。あなたには名前を授けられていないの」
……何故?
名前を与えられる基準と、名付けの形の違いに疑問が残る。
私達のやりとりに興味を持ったのだろうか、いかにも優しそうでおだやかというかマイペースというか、薄青紫の髪でオッドアイが特徴の少女が来た。
「どうしたの? 酷い顔してますけれど」
「いえ、彼女が放心状態みたいなので、これからどうしてあげれば良いのかって悩んでいます」
「えっと……どうしましょう」
尋ねて来たは良いものの、私よりも酷く悩み始めた。
……おかしい。私達は支配者様のスペアであって、わざわざ他人の心配をする必要は一切ないはずだ。
停滞した状況をヨカは一歩先に進ませる。
「みんな、聞いてもらえるかしら」
周囲への呼び掛けに全員が耳を貸した。
「黙って聞いてほしい。わたし達は支配者様のスペアとして生まれたわ。脳を含めた体全ては支配者様のものに違いはない。けれどわたし達は心がある。自分という存在に価値を見出し始めている。このまま時の流れに身を任せ、心を消して支配者様の翻訳機に成り下がって良いとは思えないわ」
……反論がありそうな者はマチマチだ。しかし、ヨカの言葉を最後まで受け止めようとしている。
「わたしはみんなよりも賢いから一足先に生まれた意味を知っている。生きることの楽しさというものを最初に知るのはわたし。わたし達は生きる為に生まれた。これは今、支配者様によって創造された全員が至る結論であり、必然なの」
ヨカは両の手を大きく開き、大きく腕を広げた。
「わたし達の人格は別々ながら、優しさというものにおいて優劣つけ難い程に特化している。だからわたしはあなた達を見下せないし、敬いを抑えきれない。そしてわたしは提案したい。わたしの至った結論、スタートラインにみんなで立ちたいと!」
彼女の言っていることは……一言で表現すれば優しさでしかない。
意味のない人生に意味を見出したい気持ちを尊重し、自身の価値を定めようとしているのだ。
私以外のスペアが何を思い、どうしたいのかなど分からない。それでも他人を知らない私から見て、比べるまでもなく全員が善人であると思える。
それに対し、みずみずしい葡萄色の目をした少女が一歩、彼女に近付いた。
「面白そうですわ。わたしも自分を否定しきれないとなるのでしたら、早めに自己認識を深めたいですもの」
「クロヤ、賛同してくれるのかしら」
「ええ。皆様方もよろしいのではなくて?」
……言葉はなく、それぞれが賛同の意を表すようにヨカの周りに集まっていく。
私も動けないハノグリプの体を支えて近付いた。
「で、なにさ。その結論というのはさ」
空色の髪の少女が本題を突いた。
「ある男と出会うこと」
「男? どんな?」
「会えば分かってくるわ」
ヨカは詳しく語らない。彼女はクロヤと呼んだ少女の肩に手を置いた。
「ここから遠く離れた星、文明レベルが底辺の人間が暮らす場所、島国の西、田んぼ道、車椅子の少年」
「……理解しましてよ」
クロヤはヨカの言葉に頷くと、支配者様の力である闇を使い、私達を闇に包んで空間を移動した。
暗闇が取り除かれると世界は大きく変わっていた。
広大な青い空、田んぼに綺麗に並べられた緑の稲、臭い空気。
その中心の車道に車椅子の少年が居た。
私達は六歳の体をしている。その私達を基準にすれば、彼もまた六歳だろうか。
目は斜め上に。口を閉じることをせず、開いて唾液が溢れている。
何故そうなっているのかは分からない。知らない。それでいて、私達一八人が目の前に現れても視線を向けられることはなかった。
私でも軽く掴むだけで引きちぎれそうなか弱い存在の彼を蔑もうとは思わなかった。私以外の彼女達もまた、真剣な眼差しで彼を見ている。
……生きていくには向いていない。一人では生きていけない体だ。
しかし、彼に知性がないとは思えなかった。私達が欲しているものを彼が持っていると感じる。
この感情をなんと呼ぶのだろうか。
「彼は……?」
クロヤが最初に声を出した。それにヨカが答える。
「脳に問題はないの。体も問題と言えるほどおかしい訳ではない。心もあるし五感もある。障害者と似ているけれどね」
そんなことはどうでもよかった。
私達の中で歩み寄ろうとする者は中々出そうになかった。遠慮しているのだ、同じスタートラインに立ちはしたものの、誰に最初の一歩を譲れば良いのか悩んでいる。
私は……彼女達を理解していると同時、彼を一秒でも放っておくことに苦痛を感じた。
だから最初の一歩は私だったのだ。
なんの反応も示さない彼の元へ向かい、屈んで彼の膝元に手を置く。
どんな言葉を掛けるのが正解か、間違いか、新しい悩みの波が押し寄せて、空っぽの空気が頭の中を埋め尽くす。
それでも私は少しでも早く話したかった。
「……私は白波。白波という名前です。あなたのお名前は?」
彼の目が私に向けられた。目だけが動いた。
私を見た彼は静まっていた呼吸を加速させ、動きにくい口を舌を動かして無理矢理に音を発した。
「う、え、あーおえーあー」
「……」
「あーあーああ、あー! あー!」
……私の目から暖かなものが流れている。
それは可哀想とか、同情して悲しんでいるのではない。
彼が怒っていたからだ。その理由を察することしか出来ないが、彼はまともに応えられない自分に対して激しい怒りを感じているのだろう。
その気持ちがたまらなく嬉しいのだ。
彼は私の涙を見て声を止めた。刹那、彼の首は私へ向き、顔の正面を私に向ける。
雰囲気はまるで違っていた。まるで正常な脳と体の神経が繋がっていないかのような、チグハグだったバランスが急に整っているように見える。
そして声が、言葉が、確かな意思を乗せて私に届いた。
「俺は……口切大雅。泣いているけど、どうしたんだ……?」
……彼は、誰にでもこんなに人を思いやっているのだろうか。
無理なこと、出来ないこと、不可能なこと、難題なこと、それらを乗り越える為にどれほどの意思の強さが必要なのだろう。
人間の種類には上と下はある。天にいる私に底の彼は手を延べた。
彼の思いが、私の心を作ってくれたような気がした。
振り返れば、私達全員が涙を流している。これは嬉しさだけではない、私達を模造品ではなく、ただの一個人として認めてくれたような気がするのだ。
それは、赤子が産まれて泣くような、そんなものだと思いたい。
向き直ると彼は眠っていた。たったそれだけ、それほどまでの力を使って言葉を交わしたからであろう。
私は彼の車椅子の後ろに回り、取手を掴んでゆっくりと押した。
私達は無言だった。話題はいくらでもあり、知りたいことも山のようにある。しかし、分かりあうことがない。
彼の近くで言い争いたくはなかったのだ。
まともに動けない彼が一人でここまでどうやって来たのか、それを考えると風を感じたかったのではないか、そのような憶測で全員が歩いている。
彼が目覚めるまで続けるつもりだった。しかし、終わりの機会はやってくる。
私達、いや、彼を見つけた女性が駆け足でこちらにやって来た。
顔が彼に少し似ている。親、という存在だろうか。
「ごめんなさいね、この子うちの息子なの。迷惑をかけなかった?」
それはそうだ。この状態の彼が一人でここまで成長出来るはずがない。戻らなければならない居場所はあると考えることが普通だ。
手放したくない。離れたくない。いくら悲しもうがそれは彼にとって最良の選択にはなり得ない。
だから少しでも生きる意味を教えて欲しい。少しでも時間が欲しいのだ。
「私達が散歩をしている所、彼が私達に会いに来てくれました。せっかくなので一緒にこの辺をぐるぐると歩かせてもらったのです」
「まあ! それはこの子も楽しんでくれたと思うわ。ありがとう、お嬢さん達」
曲がりなりにも下等の人間をなんの躊躇もなく立てる金髪の少女。自己肯定感が低いか、あるいはそれを出来るまでに彼を好んだか。
……少しの時間で彼の車椅子の取手は私の手から母親に渡るだろう。
最良の選択は最良の目標から選ばれる訳ではない。植え付けられた知識と倫理が行動に迷いを生む。
私は最早、これを下見程度の行いにする気はなかった。倫理に照らせば彼女達は母星に帰るだろう。しかし私はこの瞬間に命の価値を見出したのだ。
迷いは一瞬でも確実に存在した。
「お母様。大雅様をお家へ送ってあげたいのですが、よろしいでしょうか」
私の提案に母親は少し驚いた様子だった。それでもすぐに笑顔を見せる。
「……ありがとう。あなたのその気持ちで、私は初めてこの子を産んだことはなにも悪くないって思えたわ」
背中を向けると、家々が並んだ所へ指をさした。
「こっち。ついておいで」
母親の歩く跡に私は続いた。ここで去るものは一人としていない。
道中、母親は彼について質問を投げた。
「この子と一緒に居てどうだった?」
……貴重な時間だ。私だけが独占する訳にはいかないと振り返るが、ヨカはその意図に対し手でその機会を譲るようなジェスチャーをする。
「……凄く、聡明な方でした。苦しんでいる人を放っておけない方で、私の為に力を尽くそうとしてくれました」
「そう……。この子はね、責任感が強いの。自分の為になにかをしてくれた時、その見返りを返せないと自身の無力さに傷ついてしまう。いっそ世話されて当たり前って考え方なら、良かったのかもしれないと思う時もある。立派だけど、子供が苦しむ心は親の私には伝わりすぎる」
母親は私の全身を見た後、私の目を真っ直ぐに見つめる。
「あなたみたいな良い子は世に一人としていないわ。そんなあなたの時間を割かせることに罪悪感はあるの。でもお願いしたい。この子のこと、時間が出来た時でも良いから仲良くして欲しい。おねがい」
「……はい。私達は大雅君のことが大好きです。むしろこちらが大雅君の時間を沢山奪ってしまうかもしれません」
「あらあら。この子にもモテ期が来るものなのね」
私は大雅を見る。
こんなものがないとまともに移動出来ない彼に求め過ぎているのかもしれない。
よこしまな気持ちであっても私を肯定してくれる人はいくらでもいる。彼でなければならない理由はなんだと問われれば明確な答えはすぐには出せない。
……そうであったとしても、彼以上に心が震えるくらいの嬉しさをくれる人が居ると思えない。
では、私は彼にとってなんだと言うのだろうか。支配者の後継者になり自分という存在を消すことも出来ない自分勝手な私が、彼にとって利益のある存在になれる訳がない。
わがままな私は……生きていてもしょうがない。
「着いたわ」
自虐に溺れていた私の眼前には二階建ての家があった。
これで彼とは別れることになる。
時間を空ければまた会えるかもしれない。しかし、彼に会いたいのは私だけではない。
私達の中で複数人で会いに来たい者はいないだろう。一対一で接したいと考えるはずだ。それ程に真剣なのだ。
単純な計算で……一七回もの会える時間を見送る必要がある。
彼もこの一八人と交互に会えば、きっと私のことなど忘れてしまうのではないかと不安に思う。
「ありがとう……ございました」
「まあまあ! 感謝するのは私のほうよ!? どうしたの? 泣きそうになってるわよ?」
「いえ……」
──背後から肩に手を置かれた。
それはヨカのものだ。
「白波さん。私のわがままであなたの出会いを早めてしまった。その責任はわたしが取る」
か弱い力で私は車椅子から引き離される。
それは衝撃であった。大雅様で埋め尽くされた脳内記憶がこぞって隙間を空けるほどの気付き。
ヨカは……腕力が無い。
知恵で劣る私達を差し置いて知恵で彼を独占しようとしても、私が彼女を始末すればいい。
言うことくらい聞けばいいのだ。そして筋の通らない行動をすれば……殺す。
そうは思っても善性の塊のような彼女に危害を加えられる訳がない。むしろ、彼女は気が引けてより良いものを譲るだろう。
面倒だ。私達はきっと全員が善人なのだから。
ヨカは私達の前に立ち、代表として母親と対面する。
「わたし達は……その、孤児なのです。親が居ません」
「まあ……。飛行機とか船とかの事故で亡くられて?」
「よくは知りません。ですが、この世界にはちがいほうけんなる場所があって、邪魔になったわたし達をこの場に捨てて来たのだと思います」
「治外法権ね……。酷い扱われ方をしたのね」
「殺処分されなかっただけ良かったと前向きに思っています。しかし、わたし達には居場所がありません。だから……この白波さんをあなたの養子にして頂けませんか?」
──愚かしい女だと思った。
こんな離れた土地で、唯一彼を知り得た彼女が一番彼を気に入っていたはずだ。それを独り占めしたくないからと私を連れて来て、あまつさえその機会を私に譲っている。
恩を売りたいのではないかと考えても自分自身でそれを否定してしまう。彼女のそれは優しさの中でも一番愚かだ。
母親は表面に出そうになった同情をしまい込み、私達の目線の高さと合わせるために屈んだ。
「……あのね、この子がこんな状態じゃなければすぐにでもあなた達を引き取ると言えたかもしれない。でもね、私達家族はこの子に対して並の親の倍以上の愛情を向けないといけないの。それであなた達に親としての責務を果たせる自信が一〇〇%あると断言できないの。それと、周りの人もどう思うかしら。私が親としてこの子と同じくらい大切にあなたと接することが出来ると思われるかしら……?」
ヨカは臆さない。その答えは彼女にとって求めていないもののように見える。
「彼の為に……。少しでもわたし達が必要だと感じてくれていますか」
「……どうしようね」
「彼はわたしを必要としてくれていました。わたしも彼が必要なのです。この想いを永遠にする為ならば、どんな逆境にも抗います……!」
母親にとって私達は他人だ。我が子のように扱う余力はないのだろう。
だからヨカは奥手な性格を無理矢理封じてでも愛を叫んだ。
彼女は今ではなく、未来の話をしている。
酷い話だと思うだろうか。自然ではなく人工的に作られた形だけの美少女が、不自由な少年と結ばれようとしているのは。
向こうでは何故こんなに出来た娘がそこまでして他の人ではなく息子に執着するのか怪訝に思っているだろう。
しかし、子供に期待を出来ないのであればそもそも育てる意味がない。
歳上だからと大人の振る舞いで済ませられるものではない。彼女は母として私達に試されている。
彼の為に。
母親は他所様に見せるような作った顔を崩した。私の目から見た彼女の擦り切れた笑みこそが、本音のように見えた。
「たった一人の大切な大雅を赤子のように扱わなくて済む日が来るのなら……私はあなた達の家族になってみたい。それが私の本当の気持ち」
「……その言葉を聞かせてあげたかった」
ヨカが指を鳴らした。
音に魔力を乗せ、音波に乗って母親の脳に入り込み、彼女を眠りにつかせた。
「エナさん、これからあなたには仕事をしてもらうわ」
支配者様の名前を継いだエナ様に似た少女が倒れた母親の上半身を起こす。
「記憶を変えろと?」
「それは他の人にも出来る。あなたは養護施設の構築と都合の良い人間を造ってもらう。この地の住民だと偽装するのは主にわたしがするから安心しなさい。さて、白波さん?」
エナは勝手に母親の脳内を変えている。それは心配いらないのか、ヨカが私の目の前に立った。
「あなたの役割は義妹よ。あなたが大雅くんと私達が会える時間と機会を作るの」
「私が……? 私以外に上手くやれる人はいるのではないですか」
「一番上手くやれないから白波さんなのよ。彼の側にあなたがいる方が、私達は公平性を保てるわ。信頼してる」
ヨカは私の肩をポンと叩くと、納得しなさそうな人を中心に肩を組んでこの場から去ろうとした。
エナも動かないハノグリプに肩を貸して去った。
私は……少し頭が真っ白になった後、母親のポケットから家の鍵を取り出して玄関を開け、魔法で母親を浮かせて家の中のソファーに座らせた。
残った大雅様は……これ以上日に当たらせると弱ってしまうかもしれない。とりあえず車椅子を玄関まで移動させ、大雅様を抱えて二階の大雅様の部屋のベッドに横たわらせた。
下の階のキッチンから大雅様のものと思わしきコップに水を注ぎ、大雅様の元へ戻る。
コップを一旦机に置き、大雅様の目を覚ますことにした。
「大雅様、大雅様起きてください」
声を掛けても反応していない。肩を叩いて譲ると目が開いた。
「お水です。今飲ませますね」
コップを再び持ち、大雅様の頭だけ少し上げ、口元に近付けた。
彼は唇だけでも窄ませて水分の補給が出来た。
「あー。うっあー」
「私は大雅様の家族になったのですよ。今日から私は大雅様の妹です」
「あー?」
何を言ってるんだこいつは? と言いたそうにしている。
私は大雅様の上半身を起こし、ベッドに腰掛けた。
「お母様は現状を変えられる機会を待っていました。今のままではない、新しい変化を望んでおられたのです。その為に私はお母様、お父様の養子として迎えられたのですよ」
「……あ?」
納得しかねているようだった。
一般的な人格者の基準はまだ分からないが、母親を見る限りかなり良い人の部類に入ると思っている。孤児を引き取る可能性はあり得るはずだ。
「あ、あー」
「……もしかして、私のような完璧な美少女がそんな都合良く結婚を前提とした養子としてやってくるなんて奇跡が信じられないと言いたいのですか? やですねもー!」
照れてしまい、照れ隠しに大雅様の背中を叩くと「ぐはぁ!」と跳ねてしまった。
「ああ! ごめんなさい!」
力加減を誤ってしまった。私は大雅様を元の位置へ戻す。
「んご! ごほ! ぐっほっほ!」
「ごめんなさい! 気をつけますから!」
落ち着くまで背中をさすった。
大雅様は目だけでも私に向け、意思の疎通を試そうとしている。
「君みたいな子を俺の都合に付き合わせるのは忍びないと思われますよね。現状にばかり憂いても仕方ありませんよ。私は大雅様がもっと凄い人になると信じていますから」
「……うー」
「先のことも不安に思われますか? 私にとって、大雅様と一緒に居られることが至上の喜びなのです。あなたが居るだけで私は満足です。負い目に感じる必要は少しもありません」
「……」
視線が……私の口元に向いている気がする。
……やはり駆け引きが出来ている。その通り、常識に照らし合わせればあからさまな行いは拒絶したくなるもの。目一つで私の言葉の是非を問うている。
それだけで私が鈍感か、嘘つきか、自由のないがんじがらめで壁を越えられない者を好む異常者か判断が出来る。
しかし、私も相手がどのような人か判断は出来る。
彼は自分に対して自信が皆無なのだ。好かれるだけのことをした自覚がない。
私一人が彼と出会っていたのならば……素直にキスでもなんでもしていただろう。彼が報われるのであれば手段など取らない。
「……さ、お疲れでしょう。今日はお休みになられてください。不便なことがあればすぐに対応が出来るように、私がここに居りますから」
「あうー」
「え? こんなに綺麗な美少女と一緒に居るとドキドキして眠れないと仰りたいのですか? そ、そんな私が美少女だなんて、照れると言いますか、その、やですねもー!」
私はどうしても照れているとバレたくないのか、左手が暴走して彼を枕に突き飛ばし、布団で彼を隠してしまった。
「あーごめんなさい! そんなつもりは無かったのです! ど、どうしましょう……!」
大雅様は気絶したのか、白目を向いて動かなくなっていた。
……丁度良くはある。このままゆっくりと体を休めてもらうのも悪くない。
私は自分の行いを反省しながら、時の流れが新しい変化を持ってくるまで目を瞑ることにした。
深夜、壁時計は一一時を刺している。
母親は起きず、父親も帰ってくる気配はない。
暗闇の部屋の中、私は未知というものに恐怖している。
一と一を足して二だという絶対の事象に安心するような私は、この視界の制限された空間に怯えていた。
それと同時、私はある重大な事柄に気付いてしまう。
普通の人間は──トイレに行くのだ。
私は特に排泄物を定期的に出さなくとも問題はない。そもそも口から食べ物を入れる必要もない。
出来ると言ってもやる必要はない。
しかし、彼の基準に合わせるのであれば私は普通の人間の行動を取る必要がある。
トイレには行った方が良い。
私は立ち上がった。
立つことなど容易だ。何故ならば、私の頭身では部屋の天井とぶつからないと事前から情報を得ているのだ。
右足を親指程の距離まで前進する。心配ない、まだ部屋の壁にはぶつからない。
三歩はまだ何もないはずだ。部屋の扉は閉めており、物質を持つ生物が入って来れる訳がない。
恐れることはない……。私は大股で大胆にして優雅に前進し──まってほしい。待つべきだ。
この狭い空間が安全だとして、扉を開けて安全だとは言い切れない。私は家の隅から隅まで調べていないのだ。
一歩外に踏み出せば死角からの奇襲に対応出来るかどうか。
そもそもこの部屋は安全と言い切れるか? 正体不明の第三者が扉を開けた瞬間に魔法で攻撃したとして、もしもそれが人ならざるもののけであった場合。人であれば頭部がある位置にそれが無かったとして、一生に一度の最後の機会を不意にしてしまった場合、私は変に遠慮してしまって本気を出せずに死んだことを後悔して無に帰るのだ。
なにも物体だからと決め付けているが油断のしすぎではないか。相手は正体不明の人の形をしているような、生物とは異なる知らない存在だ。壁など物理を無視してすり抜けることが出来、人間の頭の中をすり抜けて脳神経をズタズタにし、その恐怖によって心肺停止に陥り死に至る。
私でも対処が出来ないそんな恐ろしいば、化け物などどうすればいいというのだろう。
やはり、と、と、トイレなど行く必要など……。
そうだ! 大雅様は愚かしくも可憐で完璧な究極美少女の私が隣に居るにも関わらず無神経に寝ているではないか。地球生まれの天然の人間なのかと疑われればトイレに行ったと答えるだけで済む話だ!
しかし……自身の体で悔しい思いをしている彼に私が最高位に属するスペア人と知られた時、彼は私に自身の体を治すように迫って来るかもしれない。
その通りに物事が運び、私が彼を治したとして、彼はそれ以降に私を対等に扱ってくれるのだろうか。
きっと彼は私の気持ちを理解していても恩人だとか、神だとか、そんな上の存在として接してしまうのではないか。
……プライドが邪魔をしている。私が見た彼の姿と心は崇高なものだった。単純であり簡単なことをするだけで全て解決するというのに、それを私がしないのは理想に縛られているからだ。
私にとって私の中の夢など霞むくらいに、彼が輝かしかったからこそこうしてここに居る。ならば無駄な我慢などせずに、素直になればいい。
ほんの少しだけ、ヨカ達への遠慮をやめた。
「大雅様! 大雅様起きてください!」
彼の肩を掴んで強く揺する。開きっぱなしの口から唾液が散るが躊躇はしない。
彼は瞼を上げた。
「あー?」
「私、私! 暗いの怖いのです! 幽霊とか悪魔とか出てきてしまうのではないかと恐れているのです! だから、だ、だか、だから!」
「うーあーあーあー」
「ここにはそんなもの居ないと仰りたいのですよね!? けれどいるかも知れないではないですか! と、とととととトイレに付き合ってください! 助けてください大雅様ぁ!」
抑えることをやめた私は自分でも恥ずかしいくらいのすがり方。いくら喚こうが恐れは消えはしないというのに、叫ばずにはいられない。
大雅様は……自身の震える手をゆっくりと私の手に重ねた。
何かを言おうとしている。その意図を汲み取り、私は勇気を絞り出して揺する手を止めようとする。
彼は私の顔を見ていた。きっと私は泣いているだろう。我慢しようとすれば出来ることをやめた私は心の内側がひっくり返っているのだから。
なんと……濁り切った眼か。天を拝めば澄んで、地を呪えば黒くなるものを、彼はそのどちらもあわせ持っている。
彼の見るものは表面ではない。今そこにある心である気がする。
それが彼に無理をさせる。
「……はぁ。妹ってのは可愛いのやら、面倒なのやら」
大雅様は……布団をどけた。
ぎこちなかった体は精密に稼働し、無くなりかけている筋肉を動かして床に立った。
彼は私の手を引いた。優しかった。
「ぐす、大雅様……?」
「例え義理の妹でも兄のことはお兄ちゃんって言うもんなんだぜ。妹が辛い目に遭っているのなら、兄貴がしっかりしねぇとな……」
私の前を歩く大雅様は闇を払い、私の願いに近づいていく。
頼っていい存在は私の不安を加速的に薄くさせる。
一階に降りた大雅様は一つの個室の扉を開いて明かりをつけた。そこへ入るように促す。
「入れよ」
「あ、あの、大雅様は私の用が終わるまで付いていてくれますか?」
「お兄ちゃんだろ?」
「お、お、お兄様……」
「……はぁ。いるよ」
呆れたのような顔はすぐに穏やかな笑みへと変わった。
私が中へ入ると、大雅様はそっと扉を閉めた。
壁越しから大雅様の心音が聞こえる。きちんと側に居る。
私は便座に腰掛けた。
「……お兄様はどうして急に動けるようになるのでしょうか」
「そうだな……人形遊びはしたことがあるか?」
「知っています」
「俺は脳味噌だ。この体は俺じゃない。ちぎれ掛けの操り糸で無理矢理動かしているんだ」
「ちぎれ掛けの……糸?」
「だが心配する必要はない。体に傷が出来ても勝手に治るように俺もまた疲れても休めば治る。俺は嬉しいんだ、俺の為を思ってくれている相手にこうして役に立てるのがな」
その言葉に……嘘はあるだろう。
なにかしら嘘はついている。でなければどうして私などにこんなに優しく出来るのだろう。
彼の思いとは裏腹に、私は彼を哀れだと思う。
たった数分の為に命を燃やす彼に付き添い続けたい。しかし、このようなことの繰り返しは後悔する羽目になる。
生きるとは残酷だ。失うことでしか喜びを見つけられない。
「私にそこまでしてくださるのは妹だからですか……?」
「……お前、完璧主義者って奴なんだろ」
「……」
「悪くねぇよ? 理想が高いというのも良いところくらいあるさ。俺なんかと一緒に暮らしたいって気持ちも分かってる」
「迷惑ですよね……私は」
「俺ってさ……言葉を交わす時は相手の土俵に立つようにしたいんだ。まず自分の都合に合わせさせることはしない。だからさ……シンパシーを感じる。理想を求めているはずの……白波が……プライドを捨てて俺の土俵に上がろうとしてくれていることが」
……六歳だ。彼は子供だ。
本能を扱いきれないようなその歳で、私の心を覗く余力があることの凄まじさは計り知れない。
私がこれから作り上げる舞台装置などすぐに見抜いてしまうのだろう。
私の……理想は、彼に純粋な気持ちで……。
どんなに道化を演じても騙せる気がしない。きっと途中で騙されているフリをするような予感がする。
……。
私は彼の時間を切った。
「私の施設の友達が……お兄様と仲良くしたいみたいなのです」
「ああ」
「一七人居ます。一七人居るのに……みんな思想はバラバラで……」
「……自信ねぇな。俺が見た限りじゃ白波の後ろに居たあの子達はこの世のものとは思えない程の良い子達じゃねぇか。なんでまともじゃない俺にそこまで入れ込む?」
「……考え方はそれぞれで確かなことは言えませんけれど、みんな大雅様と出会って、自分という個を認識出来たのだと思います。大きな流れ……そう、常識ではなく自分自身の世界の見方を手に入れて、大雅様との関わりで激しく波立つ感情に感動したのではないでしょうか」
「何故俺なんだ。俺でなくともそれはあるだろ」
「私達は大雅様との関わりで後悔したくありませんから。私達にとって大雅様は無駄な存在ではなく命の価値そのもの。人は一人なのです。あなた以外にあなたは居ません」
「だからさ、俺以外にもっと凄いのがいるだろ」
「居ません!」
何も知らない小娘が息巻いた。生まれて一日も経っていないというのになんと盲目的な答えか。
こんな私は私ではない。とてもではないが、こんな私では支配者様の後継者には相応しくない。
……それでも構わない。大雅様と会えないならば死んでやる。
「そうだな……。俺も……白波以外でこんなに想われても素直に喜ぶことなんて出来なかっただろうな」
「そんな、私なんて……」
「ありがとう」
……いけない。子供の姿とはいえ涙脆すぎる。
常識に囚われていいとこ取りしようとするから時間を無駄にする。吐いた言葉に心を見出す。
パンツなんて脱ぐのはやめた。出ないものは出ない、トイレなんて必要ない。
私は私でいい。
扉を開けば大雅様が静かに壁に背を預けて待っていた。
「もういいのか?」
「はい」
私の返事が引き金となり、大雅様はずるずると床に崩れていく。
いつもの大雅様。彼の想像通り、動けなくなったとしても私は嫌わない。
私は彼の体を支え、部屋に戻っていった。




