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第2話 嫌いと言いながら朝食を作るな

朝、というよりは、かなり遅い朝だった。


 昨夜は結局、宿の後始末に巻き込まれたうえ、部屋に戻ってからも召喚術式の断片を見直していたせいで、寝ついたのは真夜中をとうに過ぎていた。おかげで目が覚めた時、窓の外はもう白く明るく、王都の通りにはすでに人の声が満ちていた。


 寝起きの頭で最初に思ったのは、喉が渇いた、だった。


 次に思ったのは――腹が減った、だ。


 昨夜まともに食べたのは、エルセが置いていった焼き菓子と、女将が「片づけの礼だよ」と押しつけてきた薄いスープくらいだった。育ち盛りの高校生の胃袋、というにはもうこの世界で三年も消耗し続けているが、それでも空腹には変わりない。


 起き上がり、寝台の端に腰掛ける。


 狭い部屋だ。寝台ひとつ、机ひとつ、椅子ひとつ。壁は薄く、隣室のいびきまで聞こえる。だが、今朝は妙に静かだった。たぶんあの兵士あがりの団体客とやらはまだ来ていないのだろう。


 ぼんやりした頭で顔を洗おうと水差しに手を伸ばしかけた、その時だった。


 こつん。


 扉の向こうから、軽い音がした。


「……?」


 昨日も似たような音を聞いた気がする。


 俺は立ち上がって扉へ向かい、取っ手をひねった。


 廊下に、人影はない。


 だが床には、木の盆がひとつ置かれていた。


「またかよ……」


 思わず呟いた。


 盆の上には、湯気の立つスープ、白い丸パンが二つ、薄く焼いた卵料理、それから見覚えのない小さな果実が添えてある。宿の朝食にしては妙に丁寧だ。女将の豪快な料理は嫌いじゃないが、もう少し大雑把で、もう少し茶色い。


 これは違う。


 どう見ても、誰かがわざわざ用意した朝食だった。


 そして、端には例によって紙片が一枚。


『余り物。腐る前に処分しなさい』


「昨日より雑になってないか」


 拾い上げて眺める。


 字は相変わらずぶっきらぼうだ。だが、角の丸い文字の癖に見覚えがあるのが腹立たしい。魔王軍の作戦盤に座標を書き込んでいた時の字だ。つまり、間違いなくエルセだ。


 俺は廊下の左右を見た。


 誰もいない。


 階段の下からは、食堂の椅子を動かす音と、女将の怒鳴り声が聞こえる。


「……せめて姿くらい見せろよ」


 誰にともなく言って、盆を部屋に運び入れた。


 机の上に置く。湯気が立ちのぼり、野菜と鶏肉の匂いが鼻をくすぐった。


 ひと口すくって飲む。


「……うま」


 反射的にそう漏れた。


 塩気は控えめなのに、香草の香りと出汁がきちんと立っている。寝起きの胃に妙に優しい味だ。卵料理も、半熟ぎみに焼かれた黄身がちょうどいい。パンも外側は少し硬いが、中は温かい。


 しかも、妙に俺の好みに合っていた。


 昨日の焼き菓子といい、何なんだ、本当に。


「余り物でこれかよ……」


 ぼやきながら食べ進める。


 空腹には勝てない。俺は五分もしないうちに、盆の上をきれいに空にしていた。


 問題は、そのあとだ。


 食い終わっても、なぜかすぐ机に向かう気になれなかった。代わりに、扉の向こうを気にしている自分に気づく。


 別に、期待しているわけじゃない。


 ただ、あれだけ勝手なことをしておいて顔も出さないのが腹立つだけだ。


 たぶん。


 水を飲み、顔を洗い、適当に身支度を整えてから階下へ降りると、食堂では女将が床板の傷を眺めながら「まったく、魔獣ってのは掃除代も払わないから嫌だねえ」と一人でぶつくさ言っていた。


「お、起きたかい」


「おはようございます」


「朝飯、食べたかい?」


「……食べました」


 すると女将が、にやっ、と口の端を持ち上げた。


 嫌な笑い方だった。


「そうかいそうかい。若い娘の手料理はさぞ美味かったろうねえ」


「は?」


「何をとぼけてんだい。今朝、あの綺麗なお嬢さん、厨房借りに来たんだよ」


 俺はぴたりと止まった。


「厨房を?」


「そりゃあもう、朝っぱらから大騒ぎさ。あんたの部屋番号聞いて、鍋の場所聞いて、包丁の切れ味に文句つけて」

 女将はくつくつ笑う。

「口は悪いし、愛想もないし、ちっとも素直じゃないのにねえ。手だけは妙に丁寧だったよ。見てて可笑しくてね」


「……あいつ、自分で作ったのか」


「そうだよ。しかも人参の切り方ひとつで三回やり直してた」


「そこまでして余り物扱いかよ」


「余り物?」

 女将はわざとらしく首をかしげた。

「へええ。あれが余り物に見えたのかい、リョーマ」


 言い返せなかった。


 見えるわけがない。明らかに、誰か一人のために作られた朝食だった。


 女将はそんな俺を見て、ますます面白そうに目を細めた。


「昨日から思ってたけど、あんた、あの子にだいぶ好かれてるねえ」


「違います」


「違うわけないだろ。あの目はそういう目だよ」


「そういう目?」


「女が、好きな男を見る目」


 あまりにも断言されて、むしろ笑いそうになった。


「ないです」


「何でそんな自信満々なんだい」


「いや、だって昨日からずっと嫌いだの最低だの近寄るなだの言われてますよ」


 女将は真顔になり、それから深く息を吐いた。


「……こりゃ重症だ」


「何がですか」


「鈍さが」


「ひどくないですか」


「ひどいのはあんただよ!」


 朝から見知らぬ客にまで怒鳴られた。昨日魔獣に椅子を投げつけていた大男である。肩幅の広い髭面の中年が、なぜか真剣な顔で俺を指差している。


「姉ちゃん、どう見てもあんたのこと好きだろうが!」


「好きな相手にあんな暴言吐きます?」


「吐く女は吐く!」


「偏見がすごいな」


「偏見じゃねえ、経験だ!」


「説得力があるようなないようなこと言わないでください」


 食堂にいた他の客まで、にやにやしながら頷いている。朝飯時から何だこの空間は。俺が知らないうちに、この宿は恋愛相談所にでもなったのか。


 女将が決定打とばかりに言った。


「それで、そのお嬢さんはさっきまで宿の裏庭にいたよ」


「……何してたんですか」


「洗い物」


「は?」


「使った鍋と皿、自分で洗ってった」

 女将は愉快そうに肩を揺らす。

「そこまでしていったのに、あんたが“余り物”で納得してるんなら、もう何も言わないよ」


 何も言っていない顔ではなかった。


 言外にものすごく言っていた。


 俺は頭を抱えそうになるのをこらえ、とりあえず水を一杯もらった。冷たい水が喉を落ちる。だが、妙なむず痒さは引かない。


 朝食を作る。

 自分で厨房を借りる。

 鍋まで洗う。

 それでいて紙には『処分しなさい』。


「……意味がわからん」


 昨日からそれしか言っていない気がする。


 そして、まるでその呟きを聞いていたかのようなタイミングで、食堂の入口の扉がばん、と開いた。


 朝の光を背負って立っていたのは、案の定というべきか、銀髪の魔女だった。


 黒い帽子、黒いマント、黒いドレス。朝日なんて似合わなさそうな格好なのに、なぜか似合ってしまうのが悔しい。灰青の瞳は相変わらず不機嫌そうで、入ってきた瞬間から食堂の空気が一段引き締まった気がした。


 昨日の騒ぎを見ていた客たちは「おっ」と顔を見合わせる。やめろ。観客面するな。


 エルセは俺を見るなり、あからさまに眉をひそめた。


「……なによ。まだいたの」


「ここ宿だからな」


「そういうことじゃない」


「わかるように言えよ」


「言いたくない」


 朝っぱらから通常運転だった。


 女将がにこにこと手を振る。

「おや、お嬢さん。朝からご苦労さま。あんたの朝飯、美味かったってさ」


 瞬間。


 エルセの動きが止まった。


「……は?」


「余り物の割に上出来だったって、さっき」


「言ってません」

 俺は即座に訂正した。

「そこまで言ってない」


「美味いとは言ったねえ」


「女将さん」


「……っ」


 エルセの白い頬が、みるみる赤く染まっていく。


 その変化が面白かったのか、髭面の中年客がにやりと笑った。


「ほら見ろ、姉ちゃん照れてるぞ」


「照れてない!」


 反射的に叫んだ声が、必要以上に大きかった。


 食堂が一瞬静まり、それから誰かが耐えきれずに吹き出した。連鎖するように、あちこちで笑い声が上がる。


「ち、違うから! 別にこいつのために作ったんじゃないし!」

 エルセは俺を指差してまくしたてた。

「余った材料があっただけで、無駄にするのももったいなかっただけで、あんたなんかが飢えて倒れても後味悪いってだけで――」


「十分すぎるほど手間かかってると思うんだが」


「うるさい!」


「いや俺、礼は言うぞ。うまかったし」


「気持ち悪い!」


 昨日も聞いたな、その台詞。


「礼言われると死ぬのかお前は」


「死ねばいいのに!」


 食堂が、しん、と静まった。


 いや、厳密には静まったわけじゃない。皆、笑いをこらえようとして失敗しかけている顔をしていた。


 俺は半目になった。

「本人を前にその言い方はどうなんだ」


「っ……!」


 エルセは口を押さえた。今さら何を、という感じだが、どうやら自分でも言い過ぎたと思ったらしい。いや、毎回言い過ぎていると思ってくれ。


 彼女はつい、と視線を逸らす。


「……別に。本気で言ってないし」


「だったら最初からそう言え」


「言えるわけないでしょ!」


 何で逆ギレするんだ。


 女将が肩を震わせながら厨房へ逃げた。完全に笑っている。食堂の客たちも同じだ。さっきまで赤の他人だった連中が、今や完全に芝居見物の客みたいな顔をしていた。


「おい、リョーマ」

 髭面の中年が小声で囁く。

「今のは“もっと美味しいって言って”って顔だぞ」


「なんでそんな翻訳ができるんですか」


「経験だ」


「便利だなその経験」


 するとエルセがぴくりと反応した。


「……何をひそひそ話してるの」


「別に」


「別にじゃない」


「じゃあ朝食の件で」


「っ……!」


 また赤くなった。


 何だこの反応速度。


「本当に、お前が作ったのか」


「……そうだけど」


 今度はやけに小さい声だった。


「何で」


「何でって……」

 エルセは目を逸らしたまま、帽子のつばをいじる。

「昨日、ろくなもの食べてなかったでしょ」


「見てたのか」


「見えてただけ」


「だから何で」


「…………」


 沈黙。


 食堂中が息を潜めた。やめろ。そんなに集中して聞くな。


 エルセは唇を引き結び、それから絞り出すように言った。


「空腹で倒れられると、迷惑だから」


「ああ」


「それだけ」


「なるほど」


 そう返した瞬間、なぜか彼女はむっとした。


「何よその顔」


「いや、別に納得しただけだが」


「納得されるのも腹立つ」


「じゃあどうしろと」


「知らない!」


 本当にどうしろと言うのか。


 俺が心の底からわからない顔をしていたせいか、エルセは苛立たしげに靴音を鳴らして近づいてきた。そして俺の胸元を指でつつく。


「それより、今日はどこへ行くつもり?」


「南の古書店街」


「却下」


「何で」


「怪しいから」


「だいたい帰還の手がかりなんて怪しい場所にしかないんだよ」


「だとしても却下」


「理不尽だな」


 エルセはむすっとしたまま腕を組んだ。組んだ拍子に、マントの下から細い腰が見える。朝からそんなもの見せるな。いや、別に見たくて見てるわけじゃないが。


「……昨日の古道具市の件、当たってたな」


 そう言うと、彼女は一瞬だけ目を細めた。


「当たり前よ」


「何で知ってた」


「知ってたから」


「説明になってない」


「説明する気もない」


 昨日と同じ答えだ。


 だが、今朝の宿の様子を見れば、確かにあいつの忠告は正しかったのだとわかる。昨日俺が古道具市へ行っていたら、面倒ごとに巻き込まれていた可能性は高い。


「……助かった」


 ぽつりとそう言うと、エルセはまたわかりやすく固まった。


 灰青の目が揺れる。


「だから、そういうの気持ち悪いって……」


「いや、事実だろ」


「事実でも、言わなくていいの」


「意味がわからん」


「こっちの台詞よ……」


 最後の方は、ほとんど聞き取れない小ささだった。


 そこで女将が絶妙なタイミングで割って入る。


「はいはい、お二人さん。痴話喧嘩は外でやっとくれ。店の朝営業に差し支えるからね」


「痴話喧嘩じゃありません!」


「違うわよ!」


 今度も綺麗に重なった。


 だが、またしても食堂全体がにやにやと頷いている。何でだ。そんなにぴったり否定するとむしろ肯定に見えるとか、そういうやつか。納得いかない。


 女将は俺たちに追い出すように手を振った。

「ほらほら、若いのは朝の空気でも吸ってきな。お嬢さんはさっきから顔が真っ赤だし、あんたは鈍いし、このままじゃ見てるこっちがもどかしくてかなわないよ」


「最後の一言が余計です」


「でも本当だろう?」


「そこは否定しとくもんじゃないんですか」


「鈍いのは否定しようがないねえ」


 ひどい宿だ。


 だが結局、そのまま食堂に留まる空気でもなくなった。俺がため息をついて扉へ向かうと、エルセも不本意そうな顔でついてくる。


「……何でついてくる」


「別についていくわけじゃないし」


「じゃあ何だ」


「たまたま同じ方向なだけ」


「どこへ?」


「知らない」


「知らないのに同じ方向なのかよ」


「うるさい」


 宿の外へ出る。


 朝の王都は、昨夜とまるで違う顔をしていた。市場の露店が並び、荷を積んだロバが鳴き、パン屋からは焼きたての匂いが漂ってくる。石畳には昨日の騒ぎの痕跡なんてもうほとんど残っていない。人間の暮らしは、面倒なくらい逞しい。


 だが、その喧騒の中でも、俺の隣を歩く銀髪の魔女はやけに目立った。


 目立つうえに、美人だ。


 正直に言うと、美人すぎる。


 昨日から何度か思ってはいたが、最終決戦の時より数段危険な方向に洗練されている気がする。もともと人外じみた雰囲気のある女だったが、今はそこに妙な可愛げまで混ざっているのが厄介だった。


 本人の口があまりにも悪いので、その辺が全部台無しになっているだけで。


「……何」


 エルセがじろりと睨んでくる。


「いや、別に」


「今、変なこと考えてたでしょ」


「考えてない」


「嘘」


「何でわかる」


「わかるから」


 便利だなその答え。


 通りを少し歩いたところで、果物屋の店主がにやにやしながら声をかけてきた。


「よう兄ちゃん、今日は随分べっぴんな連れじゃねえか!」


「連れじゃない」


「連れじゃないわ」


 また綺麗に重なる。


 店主は笑いながら、赤い果実をひとつ放ってよこした。俺が反射的に受け取ると、彼は親指を立てる。


「彼女に食わせてやんな。朝から可愛い顔して睨んでるんだから」


「誰が彼女よ!」


 エルセが食ってかかるが、店主はどこ吹く風だ。


「照れるな照れるな」


「照れてない!」


「その反応は照れてるやつだな」


 周囲の通行人までくすくす笑う。王都の人間は朝から他人をいじるほど暇なのか。


 俺はもらった果実を見て、それからエルセへ差し出した。


「ほら」


「……は?」


「もらったから」


「いらない」


「店主が食わせろって」


「だから何よ」


「じゃあ俺が食うぞ」


「…………」


 エルセはしばらく果実と俺の顔を見比べ、それから、ものすごく不機嫌そうにそれをひったくった。


「別に、あんたから貰ったわけじゃないから」


「そうか」


「そうよ」


 なのに食べるのは一番大きいひと口だった。


 しかも、噛んだ瞬間に少しだけ目を丸くしている。どうやら甘かったらしい。


 その反応に、俺はつい口元が緩んだ。


「……何」


「いや、甘かったんだなと思って」


「最悪」


「食ってる本人が言うな」


「うるさい!」


 通りがかりの老婦人が、あらあらまあまあという顔でこちらを見ている。頼むからそんな微笑ましいものを見る目で見るな。


 そのあとも、エルセは何だかんだ言いながら俺の横を離れなかった。


 薬草屋の前で立ち止まれば、俺より先に値札を確認する。

 道具屋を覗けば、古びた護符の危険性を横から説明してくる。

 古書店街へ向かう路地に入れば、「そこ、昨日ひったくりが出た」と当たり前みたいに別の道へ誘導する。


「お前、王都に詳しすぎないか」


「そうでもない」


「いや、だいぶ詳しいだろ」


「少し歩けば覚えるわよ」


「少しで覚えられる範囲を超えてると思うんだが」


「うるさいわね」


 結局、その日予定していた店は半分も回れなかった。


 俺が向かおうとする先々で、エルセが「今日は閉まってる」「あそこは碌なものがない」「店主が詐欺師」と口を挟み、そして実際だいたい合っていたからだ。


 いや、便利ではある。


 便利ではあるんだが。


「……お前、何なんだ本当に」


 昼前、広場の噴水のそばで思わずそう漏らすと、エルセは露骨に顔をしかめた。


「何よ、急に」


「昨日今日で助けに来て、飯作って、勝手について来て、しかも妙に事情通だ。意味がわからん」


「意味なんかなくて悪かったわね」


「そうは言ってない」


「言ってるのと同じよ」


 彼女はぷいと顔を背ける。


 だが、その直後。


 ぐう、と、極めて間の悪い音がした。


 俺は目を瞬いた。


 エルセは固まった。


「……今の」


「違う」


「いやまだ何も言ってない」


「違う!」


 顔が一瞬で赤くなる。耳まで真っ赤だ。


 なるほど、朝飯を作った本人は食っていなかったらしい。


「お前、朝から何も食ってないのか」


「食べた」


「嘘だろ」


「嘘じゃない」


「腹が正直すぎるんだが」


「最低」


「そこは俺のせいじゃないだろ」


 俺は肩をすくめて、広場の屋台を見た。ちょうど焼き串を売っている店がある。香辛料の効いた肉の匂いが漂ってきていた。


「……買ってくる」


「いらない」


「腹鳴ってるのに?」


「いらない!」


「じゃあ二本買って一人で食う」


「…………」


 沈黙。


 わかりやすい。


 俺は屋台へ向かい、焼き串を二本買った。代金を払い、一本を差し出す。


「ほら」


「だからいらないって」


「じゃあ俺が二本食う」


「太るわよ」


「別にいいだろ」


「……それは嫌」


「何が」


「知らない!」


 結局、エルセはものすごく嫌そうな顔で串を受け取った。


 そして、ぱくりと一口かじる。


 次の瞬間、目を丸くした。さっきの果実と同じ反応だ。わかりやすい。たぶんこいつ、口よりだいぶ表情に出るタイプだ。


「うまいか」


「べつに」


「そうか」


「……ちょっとだけ」


「素直か」


「うるさい」


 噴水の縁に腰掛け、二人で串を食べる。


 不思議な時間だった。


 魔王討伐の旅の最中も、確かに似たような場面は何度かあったはずだ。焚き火の前で干し肉を齧ったり、戦闘の合間に果物を分けたり。でもあの頃は、もっと殺気立っていた。敵同士だったし、信用なんて半端なものだった。


 なのに今は、口喧嘩はしていても、空気そのものは妙に穏やかだ。


 だからこそ、余計に落ち着かない。


「……なあ」


「なによ」


「お前、今後もこんな感じでついてくるつもりか」


「嫌だけど」


「その前置きもういいから」


「必要よ」


「必要ない」


 エルセは串の最後の肉を食べ、それから小さく息をついた。


「しばらくは」


「しばらく、か」


「何よ。不満?」


「不満というか、理解が追いつかない」


「理解しなくていい」


「お前は本当にそればっかりだな」


「……理解されたら困るし」


「何か言ったか」


「何も」


 風が吹き、噴水のしぶきがわずかに頬へかかった。


 広場では子どもが走り回り、鳩が飛び立ち、旅芸人が昼の演奏の準備をしている。


 平和だ。


 平和すぎて、少しだけ腹が立つ。


 俺は帰る方法を探している。立ち止まる気はない。誰かとこうしてのんびり肉串を食っている暇なんて、本来はない。


 なのに――。


 隣にいる魔女が、ひどく自然にその空白へ入り込んでくる。


 それが厄介だった。


「午後は図書院に行く」


 俺は意識してそう言った。


「そう」


「一人で行ける」


「知ってる」


「だからついてこなくていい」


「そうね」


 エルセはあっさり頷いた。


 思わずそちらを見る。


 彼女は前を向いたまま、淡々と続けた。


「でも、行くわ」


「何で」


「嫌だから」


「意味がわからん」


「知ってる」


 噴き出しそうになった。


 あまりにも意味がわからなくて、逆に笑えてくる。


 その時だった。


「師匠ぉぉぉぉぉ!」


 場違いなくらい元気な声が、広場の向こうから響いた。


 同時に、青と白のローブをひらめかせた小柄な影が、こっちへ全力で走ってくる。金色の髪を揺らし、杖を背負い、息を切らしながらまっすぐ俺を指差している。


「やっと見つけました! わたしを弟子にしてください!」


「……は?」


 聞き覚えのない声だった。


 だが、その宣言の勢いは、昨日再会した魔女と同じくらい一方的だった。


 そして隣に座るエルセが、ものすごく嫌そうな顔をしたのを、俺は見逃さなかった。


 どうやら、また面倒が増えるらしい。

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