4:常世の校舎に潜む者
「…はっ!」
羊を数えて何分が経過していたか。いつの間にか意識を失っていたらしい。
疲労は彼が言うとおり、蓄積していたらしい。
身体は軽いが…生憎、心は重い。
なんせ調査を彼一人に押しつけてしまったから。
「こういっ…なんだこれ」
「ああ、四季。起きたか」
閉ざされた分厚いカーテンを払いのけ、室内全体の様子を把握する。
その先には、カッターナイフを突きつけられた紘一と、それの持ち主である少女。
同じ、日和見高校の制服を着込んだ女子生徒だ。
「なんで、こんなことに…」
「気に病むことは無い。疲労を覚えていたのだろう。ゆっくり休めたようで何よりだ」
「でも…」
「それでも気に病むと言うのならば、手を貸して貰えないかい?」
「…貴方も、この得体の知れない不審者のお仲間ですか?」
彼女の名前は知っている。
勿論、彼女が被害者であることも…霞先輩から聞き及んでいる。
彼女は今、僕らを警戒している。慎重に話を運んでいこう。
「貴方は、日和見の生徒なのですね」
「はい。僕は日和見の生徒ですよ…媽守副会長」
同じ境遇で同じ志を持った新聞部の仲間である霞先輩…竜胆霞の親友。
そして水曜日の憂鬱「第七の被害者」となった生徒会副会長。
媽守鏡。それが、目の前に立つ彼女の名だ。
「…名前は?」
「今坂四季。二年生です。先輩のことは聞き及んでいます。その相手は霞先輩…竜胆霞といえば、わかりますか?」
「…霞の」
「先輩は、霞先輩の親友ですよね」
「ええ。確かに。貴方の言うとおりです。霞は私の親友です」
「それなら」
「霞本人から聞いたのか、どこかで仕入れた情報かは定かではありませんので、信用には値しませんが…」
「そうですか…」
残念。知り合いの情報を出しても信頼は勝ち取れないらしい。
警戒心が強いことは、この状況下では仕方が無い事だと思うが…もう少し優しくして欲しいね、先輩。
「今坂君の事は、ある程度信用をしようと思います。分かっていると思いますが、霞の名で信用を勝ち取ったのですから、彼女の名に泥は塗らないように」
「わ、分かっています…」
適当を擬人化したみたいな存在である霞先輩と親友をやれるとは思えないレベルの堅物だ。
それでも、霞先輩のおかげで警戒は解けたらしい。ありがとう霞先輩。生きて帰れたらジュース奢らせてください。
「しかし、そちらの不審者は別です」
「ふむ。あくまで信用できるのは、日和見高校の生徒であり、君の親友の名を出した四季だけと」
「そうなりますね。この状況で部外者だなんて…水曜日の憂鬱を引き起こした犯人と言っているようなものではないですか」
それは確かにそう。僕も最初に行き着いた発想だ。
この状況下で部外者なんて疑ってくれと言うようなものだ。疑われるのは仕方が無い。
でも、その疑いを持った上で…僕と紘一は協力関係にある。
協力者である僕が、助け船を出さなければ、紘一のみに何が起こるか分からない。
「は、媽守先輩。落ち着いてください。逆に言えば、外部の人間であれば水曜日の憂鬱とは無関係という発想も出来ます。状況次第では、最も信用できる存在になれるんです」
「…四季」
「では、彼が犯人ではないと言い切れる根拠は?」
「…調査中です」
「…馬鹿馬鹿しい」
「ところで、四季。彼女もその…例の水曜日の被害者なのだろうか?」
「ええ」
「せっかくだ。彼女が巻き込まれた事件の詳細を教えてくれ」
「今!?」
「今がいい。本人もいることだ。情報の齟齬があれば指摘してくれるはずだ。さあ、早く」
「えっ!?あ、ええっと…確か、一階の端に食堂があったでしょう?そこで媽守先輩が食堂で注文したメニューに、食堂では取り扱いがないそば関係の食材を混ぜられて、アレルギー症状を…あ」
紘一の口角が一瞬動く。
僕が言っていることを媽守先輩も冷静に処理してくれたのだろう。紘一へ向けていたカッターナイフを降ろしてくれていた。
「申し訳ありません。外部の人間が急に現れた事で冷静さを欠いていました」
「…気付いてくれたかな」
「ええ。平時であれば、学内に部外者が侵入できるわけがない。他の犯行はともかく、私“達”の事件に、貴方の関与は考えられません」
「ああ。四季の様に通学路で被害が出た場合なら、外部犯を疑える。しかし君の場合は学校関係者の犯行以外疑えない状況だ」
「まあ、貴方が生徒に犯行を教唆した主犯及び幇助した共犯者という可能性も、捨てきれませんが」
「ああ。その可能性はまだ残されている。私の事は警戒したままでいい。嫌だというのならこの場を後にしよう」
「…物わかりがいいですね」
「冷静さを取り戻してくれたんだ。再び君の機嫌を損ねるのは控えておきたくてね。その代わり、四季の質問に答えてあげて欲しい」
「どうして、貴方がそれを願うのですか?」
「私と四季は協力関係にある。私は私の記憶を、四季は事件の真相を追う立場だ。被害者として些細な気づきを彼に提供してあげて欲しい」
「…お断りします。不審者の頼みなんて聞けるわけがありませんからね」
「…自分と同じ学校の生徒でも、協力できない理由が君にあるのかな?」
「お答えする義理はありません」
紘一の言葉は届くことなく、振り払われる。
媽守先輩はそう言い捨てた後、棚から包帯と痛み止め、それからテープとガーゼ、消毒液。最後に保冷剤を回収して保健室を後にする。
…どこか、怪我をしたのだろうか。そんな様子ではないのだが。
「…怪我をしている子を、匿っているのかい?」
「だから!」
「…その量だ。全身に生傷が絶えない存在でもいそうだな」
「…答える義理はありません!それでは!」
媽守先輩は探りを入れる紘一の声を遮るように、自分の声を張り上げた。
それから、追求を避けるように急いでその場を立ち去る。
紘一は申し訳なさそうに目を伏せるが、彼は彼で出来ることをしてくれた。
…媽守先輩の動きは、メモに書き留めておこう。