現世6:「相棒」はまだまだ始まったばかり
しばらくして、サイレンの音が響く。
少し離れた場所で、無事に脱出した千々石と合流を果たした。
「…ふぅ。バット、持っていっておいてよかった」
「うわくっさ」
「仕方無いだろう。ゴミ屋敷だったんだから…帰ったら制服クリーニングに出さなきゃ…」
「もう買い換えたらいいんじゃね…?」
「個人的にそうしたい気持ちもあるが、後約三ヶ月だと思うと抵抗がある」
「あー…」
「予備もあるし、修復不可ぐらいになってもらわないと、流石にな…」
こういうところの買い物感覚は庶民なんだよな。
…まず庶民は制服というかブレザーの予備は持っていないと思うけど。
「詳細の報告はした方がいいか?」
「…まずそうな表現は避けて貰えると」
「ふむ。とりあえず息はあったことは伝えたな。だけど…一瞬で臭いがこびりつくような環境。衣服の至る所に血痕が付着していた。長袖だから患部が見えなかったのが正直幸いだな」
「…」
「酷さはよく分からないが、最悪の場合は切除も考えなければいけない部位がでるかもしれない代物だった。大分ぼかしたが…顔色が悪いな」
「ま、まあね…想像しただけで…うぷっ…」
「報告程度でそうなっては困る。お前は将来死体と相まみえる可能性もあるんだぞ」
「そんな想像をさせるな!八番目以前は夏場を越えているわけだし…うげぇ…想像しただけでも…」
「想像力が豊かだな、竜胆…」
「そこはまあ…てか、お前は!?」
「何が」
「怪我とかしてない?臭いけど臭い以外のことはない!?」
「…攻撃はバットで弾いたし、逃げる課程で転んだり、ぶつかったりもしていないが…」
「それならいいんだよ。それならさ…無事でなにより…」
肩に手を置いて、一息つく。
色々あったけど、無事に帰ってきただけ十分だ。
ここまでの課程には…目をつぶっておこう。
「…変な奴」
「…さりげなく人の手に自分の手を重ねるな」
「先に載せていたのはお前だ。別にいいだろう…?」
一回り大きな手が載せられ、指をなぞる。
ぼんやりと、何を考えているか分からない目をそちらに向けて…壊れ物に触れるかのように、本当にそっと。
どこまでも、距離感がおかしくて笑い飛ばしてやりたい。
だけど本人にとってその距離感のおかしさは普通のことなのだろう。
誰に教えて貰った訳ではない。自分で考え、恐る恐る踏み寄っている行為を、バカには出来なかった。
「心配、してくれたことには感謝を述べよう」
「別にいいって。相棒だろう?」
「俺は、紘一先生以外に心配をされたことがないから」
「ホント凄まじい環境で育ってるな…だからその執着っぷりか?」
「多分、そうなのだろう。自分の身を案じてくれる第三者。その人に何も返せない、から、せめて自分なりに大事にするのは、間違いだろうか」
「間違いではないけど、方向性としてぶっ飛んではいそうかな。パパになって欲しいとか、普通は抱かないし」
「…それは竜胆が、保護者相手に満ち足りているからだ。俺の場合はそれが欠けていて、理想が目の前にあるものだから…必死に無い物ねだりをしているだけ。竜胆も別のことが当てはまるはずだ。自分にはないけれど、理想が目の前にあって」
「それが欲しいと思うこと。うん、確かにあるね」
相手の才能を羨み、それが欲しいと願うことはある。
でも、それが手に入る事なんてない。努力で手に入れられるものはあるだろうけど、大半は各々が持つ唯一無二。
いくら努力しても、個が有する唯一に追いつくことはできないのだ。
「だけど私は、それでいいと思うんだ。欲しがっていたまま、欠けていても」
「…完璧な人間でなくても?」
「うん。欲しい欲しいって、欲張りでいた方が…人間らしく生きられていると思わない?」
「確かに…?」
「千々石が欲しいものって、父親である渡々枝紘一になりそうだけど…多分手に入れられないと思う。あの人はあくまで校長としてお前に向き合うよ。だって、先生だから」
「…そうだな。紘一先生も、教師として俺を心配していた。どんなに願っても、望んだ間柄にはなれないし、たった一言の嘘さえ吐くことはないだろう。それは、必要な嘘ではないから…尚更だ」
「だろうね…」
「あの人は庇護対象を探すなと言った。竜胆は、その意味をどう捉える?」
「秀才に分からないことが、私にわかると思うなよ」
「竜胆なら分かりそうだったんだが」
期待してくれてありがとう。だけど本当に分からない…と言うことはない。
渡々枝校長は当たり前の事を述べているだけなのだ。
私はもう誕生日を迎えている。だから、もう成人していたりする。
千々石はどうだろうか。だけど半年もしないうちに定義上の大人にはなる。
簡単な事だ。渡々枝校長は「親離れをしろ」と言っているだけなのだ。
いつまでも理想の保護者像を追うな。
探すのは守ってくれる対象ではなくて、共に歩む相手であるべきだと。
ただ、それだけの話も行き着かないほどの飢えが存在している相棒が、恩師の教えの意味に気付く日は来るのだろうか。
「とりあえず…学校に戻ろう。校長に連絡を取らなきゃ」
「そうだな。持ち帰った情報は、早めに共有しなければ」
私達は次の目的地を定め、歩き出す。
彼がああなった理由の全ては判明していない。
一つ終わっても、まだまだ先の道のりは長い。
水曜日の憂鬱は、まだ崩れない。
◇◇
和良市のとある住宅街。
寿司屋露河の中から人が争うような音がするとの事で通報があった。
「ここって、元々虐待疑惑で通報が相次いでいたところっすよね、竜胆さん」
「…らしいなぁ。とりあえず、声かけするかぁ。露川さーん?」
もちろん返事はない。いつも通りだが…今回は鍵が開いている。
「…無理矢理こじ開けられているな」
「空き巣…としても、こんな家に入り込もうと思う泥棒はいませんよね。ゴミ屋敷っすから」
「…通報に鍵。何らかの目的がありそうだな」
そういえば、この家には日和見高校に通う子供がいるんだよな。
露川魚澄。霞がこの家の子供の名前が記載された資料を手によく聞き込みを行っていたな。
日和見高校の「水曜日の憂鬱」あの事件を追っている事は知っているが…まさかな。
仕事中、普段は思い出さない娘の顔を思い出し、内心複雑になりながら家の中へと踏み込む。
家主と侵入者…揉め合った末に双方共に意識不明なんて事もあるだろうし、確認はしておかないと行けないだろう。
しかし本当に臭いな。これ帰ったら霞から「うわお父さんくっさ」とか言われないだろうか。
…そんなことを、気にしている場合ではなさそうだが。
「加藤、すぐに救急車を呼べ」
「あー…あれっすか。可哀想に。こんなゴミ山の中で…」
「…そうだな。ん?」
横たわる遺体———と思わしき身体に触れると、まだうっすらと熱を帯びていた。
呼吸も非常に浅いが行われている。しかも、自力で。
「…急がせろ。まだ生きている」
「うそぉ!?」
加藤が慌ただしく連絡を行う中、ゴミ山の中に落ちていた生徒手帳を拾い上げる。
日和見高校のものだ。てっきり露川魚澄のものかと思いきや、そうではないらしい。
おそらく、この家の鍵を開けた侵入者。
「…千々石蘭太郎ねぇ」
ピッキング技術は卓越しているようだが、おっちょこちょいな奴だ。こんなところに生徒手帳を落とすだなんて。
とりあえず、自宅と学校に連絡して、本人とは事情聴取コースかな。
しかし、こいつも水曜日の憂鬱を…ん?
『明日、竜胆に情報を共有』
『竜胆=竜胆霞。相棒。覚える』
生徒手帳後半。記載されていたメモを目にした瞬間。俺はそれを自分の背広のポケットに突っ込んだ。
霞が関係しているのなら話は別だ…。・それになんだ相棒とは!
「竜胆さん。竜胆さん…竜胆刑事?」
「あ、ああ。なんだ」
「いえ、連絡終わったのでその報告を…。何かポケットに入れました?」
「いや、ゴミが出てきたから。落ちないように入れ直しただけだ」
…霞。好きにしろとは言ったが、ピッキング技術持ちの男と組んで何をしているんだお前は。
…今夜は家族会議だな。そもそも帰れるのだろうか、今夜。
竜胆裕五は小さくため息を吐く。
想定以上に自由奔放に育った娘が関係している世界へと、俺も足を踏み入れていく。




