13:霞と鏡
時は少し戻って、媽守君を揺動する為、屋上の柵に液体を塗布したあたり。
「…なにしてんですか?」
「屋上の柵を壊そうと思ってな。何、柵は下に落とさない。水酸化ナトリウムで柵を溶かし、人力で破壊できたら、こちら側に倒して…」
「零咲先輩みたいにさりげなく破壊行為に乗り出さないでください!」
「必要な犠牲さ。何、ちゃんと手袋はしている。発生した煙は吸うなよ?」
「頼まれても吸いませんよ!それから屋上の柵の破壊が必要な犠牲な訳がないでしょうが!」
「大丈夫。すぐに分かる」
ちょっと危険な液体を柵にかけ、のんびり時を待つ。
反応が出てくるのは…まあ時間がかかるが、布石は打てた。
屋上に問題が出たら、生徒の立ち入りも禁止されるだろう。
予算の少ない日和見高校。元々屋上は立ち入り禁止にしようと何度も議題に出ていた。
柵の修理をすることもなく、立ち入り禁止で済ませるだろう。
屋上前も自然と立ち入り禁止になる。
屋上前に連絡手段を常設するのは、これが功を奏してからだ。
私とて、何も考えていないわけではない。
まさか、媽守君の陽動と連絡手段常設を同時に行うことになるとは思わなかったが。
「とりあえず、魚澄。れっつごーだ。陽動開始!」
「あーもー!この件は二人にも報告しておきますからね!」
「大丈夫。理解を示してくれるだろう」
「その自信はどこから湧くんですかぁ!」
ヤケクソ気味で魚澄は廊下をゆっくりと進み、図書室の方角へ向かう。
さて、次は媽守君との対面だな。
鏡合わせを行い、竜胆君にいつでも声かけが出来る状態に整えておくか。
胸ポケットから桜の模様が入った手鏡を取り出す。
八重さんが亡くなってから、片時も手放さなかったこれが…こんなところまで一緒で、こんなところで役に立つとは思わなかった。
『うおっ、もう繋がった…準備中だったのに』
『おはようございます、紘一先生』
鏡合わせをして、現を映す。
その先には既に待期をし、情報のやりとりをしていたと思わしき竜胆君と蘭太郎が座り込んでいた。
「おや、竜胆君、蘭太郎。おはよう。もう来ていたのか。ちょうどいい。今から媽守君が来る。千尋君救助に向け、私の正体を伏せた上で媽守君に協力してくれるよう説得してくれ」
『本当に急だな!?』
『わかりました。しかし、媽守もそっちにいたんですね』
「それは、どういう…?」
『俺、一応媽守と穂上と同じクラスなんで…昨日聞き込みしてみたんですよね』
そういえば、蘭太郎は三年一組。
四番目の穂上君と七番目の媽守君とは同じクラスどころか、三年間クラスメイト。
進学科は一クラス。クラス替えは存在しないのだから。
『穂上をいじめていた主犯格は在宅学習で登校不可の処分だったので、その辺りは追々探るんですけど、俺も周囲も穂上がいじめに遭う原因って分からないままだったりします』
『どういうこと?』
『非の打ち所がない優等生。人望は厚くて、媽守と付き合い始めたって時も、妬みよりは「穂上ならな」って反応ばかりだった印象です。媽守鏡。良いところのお嬢様が選んで納得するような存在だったと思ってください』
確かに、生徒調査資料にも欠点らしい欠点はなかったな。私も「どうしてこの子が」と思ったぐらいだった。
少なからず不満を抱いていた誰かが、何者かに誘導された…そんな考えも出来るだろうな。
『それから媽守は、誰から見ても穂上に執着しているように見えたそうです。女子が近づこうものなら食い殺す勢い…みたいな』
『マジかよ鏡…私は彼氏がいたこともそれが穂上だってことも初耳なんだが…』
『親友である前に、竜胆は「女」扱いされていたんだろうなぁ…』
『私、穂上と会話すらしたことないんだが!?』
「…まあまあ、二人とも落ち着きなさい」
しかし、蘭太郎の行動力は凄まじいな。
私と話した後、すぐに出来ることを探してクラスメイトに接触してくれたのだろう。
些細な情報ではあるが、きっとこれは媽守鏡に迫る重要な情報だ。
「ま、そんな感じなので…クラス内で媽守は誰かにアレルギーを盛られたってよりは、穂上の後追い自殺を実行したって認識みたいです』
『そんなわけない!だって、鏡は私の目の前で…!』
『「媽守が自殺なんてするわけがない」よりは「媽守なら後追い自殺ぐらいするだろう」の認識が強めだったな。目の前で事件が起きた竜胆の視点も大事にすべきだが、それ以上に媽守鏡が抱いていた穂上譲司への執着心の度合いを確認しておく必要があるだろう。現に、竜胆でも知らされていなかったんだろう?』
『それは…』
「とにかく、二人の事件を追うのは後にしてくれ。まずは千尋君救出と、魚澄のことだ。一つずつ、的確にこなしていこう」
『はい。先生』
『…わかったよ』
『それから、七不思議の家庭科室。調査完了です。品評会に使えそうな会話集も収録しています』
「助かる。十秒単位でめくってくれ」
『そんな速さで読めるの…?』
『紘一先生を何だと思っているんだ。読める。紘一先生だからな』
『その謎信用理論はどこから来るんだよ!』
竜胆君の抗議を横に、蘭太郎は指示通り一枚十秒感覚でめくり、私に資料を読ませてくれる。
なるほどなるほど。これなら無事に対処できそうだ。
「助かるよ、蘭太郎。これで無事に千尋君を助け出せる」
『お役に立てて何よりです。さて、お客様がいらっしゃったようですよ』
「———今度は何をしているの?」
カッターナイフの刃を出す音と共に、彼女は現れる。
騒ぎを起こした人間を彼女は許さないだろう。しかし、今回は彼女を止められる存在がこの場にいる。
「いらっしゃい、媽守鏡さん。君を誘導したのは他でもない。君に会って欲しい人がいるんだ。よろしく頼むよ」
息を切らした彼女が歩み寄る前に、対面していた存在が見えるように身を動かす。
その先にいるのが竜胆霞。この作戦の要である。
『…鏡』
「…霞」
『四季がここにいたから鏡もいるって思ったけど、やっぱりいたんだ!よかったぁ…』
「なんで、霞と」
『七不思議の合わせ鏡を使ったら、現世とこの世界が繋がったみたいなんだ〜』
「…」
『そこに閉じ込められているんだよね。だからこっちで目を覚ませないのかな…』
「…て」
『でも安心して!私が水曜日の憂鬱を解決して、鏡も四季もこっちに帰れるよう頑張るか』
「やめて、霞」
『…へ?』
竜胆君の意志を、媽守君はあっけなく打ち砕く。
それに呆然とするのは無理もない。私も、蘭太郎も…その言葉が飛んでくるとは想像すらしていなかった。
———いや、蘭太郎は想定していたかもしれない。
クラスメイトの総評を聞いた彼は、この言葉が出てくる可能性を…。
「私は帰りたくない。帰らなきゃ、譲司君とずっと一緒にいられる。ここで死ねば、あの人を一人で死なせることもない。一緒に逝けるもの…だから、やめて。霞」
『…そんなこといわないでよ。鏡のご両親、待ってるよ』
「家の繁栄の為に、でしょう…?どうせ生きて帰っても、私は…」
『そんなことないよ。鏡、ご両親は———』
「そんなにここを終わらせたいのなら、帰りたい人だけ引き上げて頂戴。千尋とか、今坂君辺りは帰りたい側でしょう?霞には悪いけど、私は今度こそ一緒にいたいの」
『…』
『だったら、帰りたい奴を帰らせる協力だけはやれ。零咲さえ取り戻せばこっちのものだ。お前には興味ないよ。好きにしろ』
「…そうさせてもらうわ。千尋の救助の見込みが立ったなら、手を尽くす。でも、それまでよ」
媽守君は私を睨み付けた後、竜胆君から目を逸らして淡々と意志を述べてくれる。
「…千尋は必ず救うわ。この野郎と協力してでもね」
『…ん。ありがと、鏡。鏡が力を貸してくれるなら、百人力だよ』
「でも、そっちには帰らないわ。こうして話すのも最期ね」
『…冗談言わないでよ』
「冗談じゃないわ。私は、そっちに帰っても幸せになれない。もう、落ちてしまったから」
『まだまだ人生長いじゃん。たった十八年で人生決めるなよぉ…!』
「たった十八年で、私にとって一番の幸福は…人生を奪われたわ」
『だからって自分の人生まで落とすんじゃないよ、バカ!』
『竜胆!すみません、今日はここまでで。ちょっと追いかけます』
「ああ。酷なことをさせたな」
『…いえ。それから媽守』
「…なにかしら、千々石君」
『穂上もそこにいて、お前は穂上に生きている事を黙っているな?』
「さあ、どうかしら」
『…いいだろう。お前の事件は俺が真相を暴いて、穂上の前で晒しあげてやる。覚悟しておけ』
「…」
言い放った後、蘭太郎は竜胆君を追ってくれる。
残されたのは、私と媽守君。そして物陰から様子を伺っていた魚澄の三人。
「…露川君を使って誘導して、したかったことがこれかしら?」
「そんなところだ」
「…言葉に偽りはないわ。千尋救助の協力までは手を貸す。だけど、それ以降は邪魔したら」
「わかっている。しかし、私達側も君が生存している事実を握っていることをゆめゆめ忘れないように。私達はいつでも穂上譲司に君が生きている事実を伝えられる」
「…」
「今度こそ一緒に逝く———だったか。君の馬鹿げた願いを壊す準備はいつでも出来ていることを、忘れるな」
「ええ。忘れないわ。貴方の顔も、この怒りもね」
媽守君は駆け足で階段を下り、図書室の方へと戻っていった。
魚澄がそっと物陰から顔を出したタイミングで彼女が完全にいなくなったことを悟り、息を吐く。
…これまた、面倒なことになってしまった。
媽守君は互いに動けない理由がある。放置していても今は構わないだろう。
それよりも竜胆君の方だ。
助けたかった存在にあそこまで言われたんだ。心配だ。
私の計画のせいで、帰還を望んでいた親友がまさかの帰還拒否という事実を突きつけてしまった。
彼女には非常に悪いことをしてしまった。
この先、彼女が事件を追う気力さえ奪ってしまったかもしれない。
「…あの、これからどうします?」
「とりあえず理科室に戻ろう。媽守君が戻ったなら、四季達も戻ってくるだろうから」
「そう、ですね…今はそうするしかないかも。それから、あの…鏡の先の」
「竜胆君と千々石君か?」
「はい。大丈夫でしょうか」
「多分…」
心配だが、今は常に連絡を取れるわけではない。
蘭太郎。全てを任せることになってしまったが…君なら大丈夫だと信じている。
どうか、上手く彼女を支えてやって欲しい。君ならきっと、できるだろうから。




