8:家庭科室の七不思議
なんだかんだで時間がかかり、夜時間の少し前。
俺たちは家庭科室の前にやってきた。
「もう夜時間ですね」
「だねー…」
「な、なんでこんなに時間かかってんだよ…移動したタイミングが三時ぐらいだったとはいえ…」
確かに時間がかかり過ぎている。
それも仕方のない話だ。
厨房に向かった後、どれを作ろうか相談しているうちに時間が経ち…。
移動した後も後で、零咲先輩が喧嘩している和民先輩と我持先輩の仲裁に入ったり、教室のプレートが落ちてきて辺野古さんが怪我をしたらしく、その治療に走ったりで大変だった。
なんだかんだでこんな時間になるのも仕方の無い話だったりするのだ。
「今日のところは材料を冷蔵庫の中に入れて、明日の朝から作ろうよ」
「そうですね」
「…ガタガタブルブル」
「どうしたんですか、西間先輩」
「い、いや…家庭科室ってうちの高校の七不思議に入ってるからさぁ。夜にはあんまり来たくなかったというか」
「お化け怖いの?」
「…ま、まあ、そんなところです。格好悪いっすよね…」
「んー?怖いものがあるのは当然なんだから、そこまで恥ずかしがらなくて良いと思うけどな」
「零咲先輩…」
人を非常に甘やかす言葉を述べながら、零咲先輩は慣れた手つきで家庭科室の鍵を開けた。
彼女が扉を開き、荷物を持っていた俺たちが先行する。
「…何か寒くね」
「怖がりすぎているからそう感じるだけじゃないですか?」
「虎太郎君ビビりすぎだよ〜」
「で、でも…なんか…早く出ましょうよ」
「そういうの俺の台詞だと思うんですけど」
「魚澄君は逆に冷静だよね」
「そうですか?まあ、お化けなんかより、生きた人間の方が怖いからですかね。特に大男」
「…君も君で何かあったんだろうけど、聞きにくいなぁ」
冷蔵庫にささっと材料を入れ終え、家庭科室を後にしようとする。
そそくさと西間先輩が扉の前に向かうと、彼がおかしな声を出し始めた。
「…あれ?」
「どうしたんですか、西間先輩」
何度も何度も扉を引くが、ガタガタと音を立てるのみ。
「鍵、閉まってんのかな…」
「…私、鍵閉めてないよ?」
零咲先輩の言葉に、西間先輩が絶句したのは言うまでもないだろう。
いや、原因はそれだけじゃない。
空気が、変わった気がした。
寒いと訴えていた西間先輩の言葉がやっと理解できるほど、家庭科室は冷気に包まれる。
「…ひぃ」
「…西間先輩、ひっつかないでください。動きにくい」
「何が起きているのかな…」
周囲の様子を伺いながら、三人固まって警戒を始める。
でも奴は、かつて人だった存在。
俺たちの常識は通用しない領域にいる。
瞬きの間に…「それ」は現れた。
西間先輩と零咲先輩にも見えている、青白い存在。
———俺たちの何倍もある身長を持つ、コック帽を被った骸骨。
それが今、俺たちを見下ろしていたことに…やっと気づけたのだ。
『…ヤット』
「ば、化物…」
「か、家庭科室の七不思議って、元コックの教師だろ…?」
「…と、とにかく捕まらないように逃げる!走って!」
骸骨の手が俺たちを掴もうと双方向から伸ばされる。
大きい分、動きは遅い。それに俺たちが小さいおかげで十分逃げられる。
でも、家庭科室からは逃げられない。袋の鼠であることには、変わりが無いのだ。
「どうするどうするどうする魚澄ぃ!?」
「うるさいですね!幽霊なんだから塩でもぶっかけたらどうにかなるでしょうよっ!」
小分けされていた調味料の棚の前に辿り着けたので、その場のノリで塩を骸骨目がけて投げてみる。
しかし俺が投げた塩壺は大きな的であるはずなのに骸骨へ当たらない。
「投擲下手くそー!」
「仕方無いでしょう!?片目しかないんだから…!」
「———ここは俺に任せて扉の様子でも見てこい」
「なんで急にまともになるんですか…?」
「うっせっ!」
俺の代わりに西間先輩が塩を投げてくれる。
ちゃんと彼が投げつけた塩壺は骸骨に当たるが…当然と言えば当然。何の変化もない。
「…そういえば、お清めの塩ってちゃんとお清めされているんだっけ?」
「そういう豆知識はもっと早く公開してください!」
振り上げられた手を避けながら、ドアの方へ走ってみる。
そんな中、零咲先輩はある事を思いついたように…机の前に立つ。
家庭科室特有の、水道と、コンロ…それからオーブンが併設されている調理台。
「…塩がダメなら、火とか、水とか!」
コンロに火をつけて、水道から水を出し、蛇口の穴を指先で軽く塞いで、勢いを強めて骸骨の方へ向けてみていた。
『……!』
骸骨が声にならない声を出す。
火か水か、どちらかが恐怖の対象だったらしい。声にならない悲鳴を上げて、苦しんでいた。
「二人とも!今なら入口が!」
「任せてください!」
西間先輩は骸骨から最も遠い扉の前に突進し、扉ごと廊下へ滑り込む。
すぐさま起き上がった彼は、中にいる俺と零咲先輩に向かって、手を伸ばした。
「二人とも!早く!」
「今行く!」
「お、俺も…!」
いの一番に辿り着いたのは、零咲先輩。二人は入口前で、今も中心付近を駆けていた俺の方へ手を伸ばしてくれる。
「…った」
俺は上手く走れない。
片目が見えないから、西間先輩の様に走ることは出来ない。
昔は、こんなことで悩まなかった。
移動する中、机にぶつかって思いっきり床に転んでしまう。
その時に、脚を捻ったらしい。
———上手く立てない。
その隙を、奴は見逃したりしてくれない。
『セメテ、ヒトリ…!』
「…もうだめだ」
痛む脚を押さえながら、伸ばされた手が頭上に重なる。
あの日の様に。大人の手が。頭の上に。
「あっ…ああっ…」
こんな怖い思い、もうすることは無かったと思うのに。
「嫌だ…嫌だ…!ごめんなさいお父さん。ごめんなさい!ごめんなさい!」
その骨の手には、灰皿なんて握られていないのに。
「痛いのは、もう———!」
「———こっちだよ!化物!」
それに備えて、頭を守ると同時に、彼女の叫び声が遠くから響いた。
先程と同じく、調理台の前に立ち、火と水で骸骨の意識を誘導する。
その間に、姿が見えない西間先輩が廊下から声をかけてくる。
「魚澄。出口はまだ開いている!急げ!」
「あ、脚…捻って…」
「そう来たか…。零咲先輩!扉、元に戻ろうとしているので俺が抑えています!魚澄お願いします!」
「なるほどなるほど…了解。力は男の子の方が強いもんね!扉は任せた!すぐ戻るから持ちこたえて!」
「うっす!」
再び骸骨がたじろいだ隙に、零咲先輩は俺の身体を支えて、出口の方へ向かう。
『ヒトリ…ダケデモ!』
「二人とも、早く!」
扉の前には元の位置に戻ろうとする扉を抑えながら、手を伸ばしてくれる西間先輩。
それでも諦めようとしない骸骨は、再び家庭科室に残されていた俺たちの方へ手を伸ばす。
「…このまま二人で逃げられそうにないね」
「…ごめんなさい」
「いいのいいの。私に任せてよ、魚澄君」
彼女がそう述べた瞬間、俺の身体が、零咲先輩によって押し出される。
バランスを崩した俺が伸ばした手を、西間先輩が引き上げて…俺はやっと教室の外へ出られた。
———だけどまだ、俺を押し出してくれた彼女は教室の中。
「零咲先輩!」
「私は大丈夫。どうにかしてみせるよ!」
いつも通りの朗らかな笑みを絶やさず、僕らを見送るようにその場に立つ。
西間先輩が破った扉が、宙を舞い始めた。
「———後は、お願いね」
零咲先輩が何かを言ったタイミングと、家庭科室の扉が戻るタイミングは同じだった。
「…零咲先輩!魚澄、鍵は!?」
「零咲先輩が、持ったまま…」
「そんな…」
家庭科室の鍵は、零咲先輩が持ったまま。
彼女を助けたくても、家庭科室を破る手段は見つからない。
◇◇
「…と、そんな感じで。あれ以降、家庭科室の窓を破壊したりして入室を試みたりしたのですが、トンカチで叩いても窓ガラスはびくともしなくって」
「七不思議パワーが影響を及ぼしているのかな…」
「そんなところかもしれません。憶測の範疇しか出ませんが…」
魚澄は話し疲れたらしく、ゆっくり息を吐く。
彼の話には零咲先輩以外にも重要な情報が結構あった。
ゆっくり整理したいが…その前に、彼らにも僕がもつあれの情報を共有しておくべきだろう。
魚澄なら、虎太郎なら…大丈夫。
「助けたい気持ちはあるんですけど、鍵がないから入れもしない」
「ここから先、どうしようもなくて。せめて、マスターキーさえあれば、家庭科室に入れるのに…」
「実は、魚澄。内緒にしてほしいんだけど、僕らは校長室でマスターキーを見つけている。家庭科室にも問題なく入れる状態にあるんだ」
「…!?なんでそんなもの」
「職員室を調べていた時にね。紘一が校長室の鍵を見つけてくれたから…」
「校長室の鍵ですか…?零咲先輩の主導で職員室にある鍵を探した時には見つかりませんでしたが」
「こう言っちゃあなんだけど、捜索不足だったんじゃ…」
「それはないです。なんなら、校長室の鍵は零咲先輩が一番欲しがっていた鍵ですから…彼女は血眼で探していた印象を持っています。マスターキーがある事、校長先生から教えられていたのかな…でも、それはそれでどうなんだろう」
「へぇ…」
思えば、紘一は鍵があった場所を詳細に伝えてくれていなかったな。
機会があったら聞いてみようか。
「とにかく、家庭科室に入れるのであれば…入った後に向けての準備もしないとですね」
「そうだね。とりあえず…七不思議の詳細というか、今後必要な情報源を持っていそうな人物の協力を得る為、あの人を責め落とそうか」
「…誰を責め落とすんですか?」
魚澄の情報では、特に使えそうな情報があった。
それを使って、霞先輩の名前を借りて稼いだ僕の心象を犠牲にした無血解錠を目指す。
「———新聞部の端くれとして、不純異性交遊をしている生徒会副会長を責め落とすのさ」
「…記者ってゲスですね」
魚澄から呆れた視線を向けられるが、彼は反対してこない。
「まあ、穂上先輩なら七不思議の詳細とか網羅しているでしょう。彼に会うのは俺も賛成です。早速行きますか?」
「…今の時間帯は、近寄らない方がいいんじゃない?零咲先輩の助言通りならさ」
「…ああ、そうでしたね。しかし、決定的な証拠を得るという点においては、今の方がいいのでは?」
それは盲点だった。確かに昼間の時間で証拠もなしに追求したところで怒りを買っておしまい。
だけど今の時間なら、零咲先輩の助言通りに近づいてはマズイ事が起きているはずだ。
証拠だって回収し放題。脅は…ではなく、協力の申し出もスムーズに行えるだろう。
「魚澄、君記者の素質あるよ!」
「…全くもって嬉しくないですね。というか、本気で実行するんですか?冗談じゃなく?俺が言ったとおりに…?」
マスターキーもあるし、侵入は一応できる訳じゃん?やれるやれる…。
一応、紘一に相談してから決行した方がいいかもな。
虎太郎は理解していないようだから、話しても無駄だろう。すまないねピュアボーイ。
僕たちは協力者。無断の行動は、慎んだ方がいい。
例え紘一が聞いたら「そんなことは流石に…」と、訝しみそうな話題でも…共有しておく必要があるのだ。
理科室に戻り、二人の帰りを待つ。
ふふふ。決行が楽しみでゲスね!
◇◇
一方、家庭科室————の隣。家庭科準備室。
あの骸骨は家庭科室の中でしか行動出来ないらしく、準備室に転がり込んだ私を追いかけることはできないようだった。
準備室から、廊下に出ることは出来ない。
窓が棚で塞がれているこの部屋から出ることは叶わない。
実質、私は七不思議に捕まって被害を受けていないだけで、囚われていることには変わらない。
調理器具や調味料が並ぶこの部屋で、誰かが助けに来てくれるのを待つしか無い。
だけど家庭科室の鍵は私の手に握られている。
あの時、二人のどちらかに渡せていたら…。
ううん。渡していたら、彼らは引き返してしまう。
だから、これでよかったはず。私が、持っていて良かったはず…。
準備室の中で、縮こまりながら助けを待つ。
鍵がないから、誰も助けに来ないことは分かっているのに。
「たすけて、こういちせんせ…」
ここにいないと分かっている紘一先生に縋ってしまう。
最初から、今の今まで縋り続ける。
先生がいたら、もっと上手くやれただろう。
的確な助言をいつだってくれる。先生がいてくれなら、こんなことにはならなかった。
もう会えない私の恩師に———助けを求め続けてしまう。
今日もまた、一日が終わる。
私の日々は、何も変わらないし、変わることもない。
でも、どこかで着実に時間は動いている。
『千尋君、必ず助けに行くから』
教室の外で、先生の声がした気がした。
おかしいな。男の子の声だったのに…先生は、もっと低い声なのに。
先生が若い時はこんな声だったんだろうな。
先生のことを思い出していたら、少しだけ恐怖が和らいだ。
もう少しだけ、ここで耐えられそうな。そんな気さえした。




