7:彼女の憧れ
あの日も、零咲先輩は校門前の花壇に水をやっていた。
枯れることも、つぼみが開くこともない花壇に毎日必ず水をやる。
それが、現実にいた時の彼女の日課だったのだ。
「零咲先輩」
「おやおや、今度は魚澄君だ!こんにちは!」
「こんにちは、零咲先輩。それから、西間先輩…なんでここにいるんです?」
「…なんか放って置けなくて」
「お人好しだよね、虎太郎君。私が一人で水やりしてたら、声かけてこうして手伝ってくれるし…」
「これぐらいは。それに、暇ですし」
ここから先、できるだけ誰かと共同生活をしよう。
零咲先輩は現在いる面々を一堂に集めた場所で、そう提案した。
脱出の為、協力関係を構築しなければ。
そんな考えがそれぞれの中に過り…反対していた我持先輩は和民先輩に促される形で賛成派に転がり、共同生活を送ることになった。
俺のペアはお人好しの西間虎太郎。
怪我が原因か、それとも別の何かが彼のセンサーに引っかかったのだろう。
宵淵君や辺野古さんのように単独行動をしようとしたら、彼に無理矢理ペアを組まされ…理科室に陣取り、共に過ごす事になった。
「暇つぶしなんだぁ…」
「そ、それは…」
「いいんだよ。理由はどんなものでも、そうしようと思ってくれた気持ちが嬉しいからね」
普通なら嫌がられるような言葉も好意的に捉え、最終的には丸く収める。
何というか、その姿は…。
「…なんか、零咲先輩って先生みたいな感じですよね。こういうのが「大人」っていう、勝手なイメージをそのまま体現しているような…理想的な存在っぽいです…」
「そんな大層な存在にはなれないよ。でも、憧れはあるかもね」
「憧れっすか?」
「うん。憧れ。私…こうぃ…ちょう!校長のね、渡々枝先生に憧れがあるの!誰かの為に、自分を犠牲にしてでも動ける人…」
「校長先生って、そんな大層なことをしている人なんですか?」
「んー…むしろ逆かも。むしろ後悔で生きて、贖罪の人生を歩んでいる人かな」
零咲先輩は頭の中で、今、一番自分を支えていて欲しい存在を思い浮かべながらその人物のことを語る。
普通の生徒では知らないような話も、近くにいた分彼女は知っていた。
「新任時代に、いじめで生徒を一人…自殺させた事をずっと引きずっているの」
「…」
「それから、今の奥さんに支えて貰いながら、生徒の悩みに寄り添って、元気に高校卒業まで送り出して…卒業生の相談も聞いている。自分が関わった人に自ら死を選んで欲しくない。そうさせない為には…自分はどんな苦労でも引き受けるって」
「そりゃあ凄いな…」
「その自殺した生徒、校長先生の特別…とかだったりしたんですか?」
「んー?生まれつき声が出せなかったんだって。で、何かと気にかけるようになったら、趣味が一緒だったらしいの。先生、映画大好きだから」
「あの校長が映画好きとはなぁ…」
「趣味とかなさそうですよね…」
「案外多趣味だよ。暇さえあれば資格勉強とかし出すし、蘭太郎君と仲が良いのもそれが理由だろうね」
蘭太郎という存在が誰かは知らないが、校長には零咲先輩の他にも仲が良さそうな生徒がいるらしい。
そんな彼との思い出話は横に置き、脱線した話を元に戻すように、零咲先輩は険しい面立ちを浮かべた。
「でも、元々その子のことが気に食わない生徒がいてね…その子はいじめられちゃったんだって。で、最終的には先生の授業もボイコットが始まって…その子は、自分がいなければ先生を守れるって思い込んで…」
「先生を守るために、自殺したんですか?」
「そんなところ。それから先生は、誰かの為に生きる人になった。自分のことなんて、忘れちゃってるの」
「…零咲先輩は、そんな誰かの為だけに生きる人になりたいんですか?」
西間先輩は恐る恐る問いかける。
この話を聞いた後じゃ、そんな印象になるのも当然だ。俺も、そう考えたから。
「まさか。私は先生みたいになりたいけれど、渡々枝先生にはなりたくないな」
「そうなんですか?」
「うん。自分の時間を潰してでも人助けっていうのはおかしいから…私は人助けをしながら、ちゃんと自分を大事に出来る人———それこそ、大事なものを失う前の渡々枝先生なら、なりたいかな」
笑みを絶やさず、彼女は淡々と理想を述べる。
遙かに高い理想でも叶えてきそうな———そんな気さえした。
それほどまでに彼女の意志ははっきりしていて、明確で…輝いて見えた。
「さて、今日の水やりはおしまい!お手伝いありがとうね、虎太郎君」
「いえいえ…これぐらいは」
「それから、魚澄君。ここに来たってことは私か虎太郎君に用事があるんだよね?」
「あ、はい。今回は、零咲先輩に」
「私にだね。何かあったのかな?」
「実は…この前、厨房が開いたじゃないですか」
「そうだね!私が鍵を壊したから!」
「自信満々に言う事じゃないっすよ…」
「有事だもん。渡々枝先生なら現実でも許してくれるよ」
「校長先生への信頼も凄まじいですね…」
「それに娯楽に飢えた結果は鏡みたいなことになるからね…巡回中きまずいのなんの…あの二人は付き合ってるからまだしもねぇ…」
「媽守先輩、なにしてんすか?」
「…君達が知らなくていいこと。夜時間、興味本位で図書室周辺のフロアにも近づいちゃダメだよ。お化けに食べられるからね」
「ひっ…」
西間先輩が乙女のような声を発する横で、思案する。
媽守先輩と穂上先輩は唯一の男女ペアだ。話を聞きに行った時も仲が良さそうだった。
何をしているかは想像に容易い。むしろピンときていない西間先輩は何なんだ。
「まあまあ、ピュアボーイは横に置いておいて」
「魚澄ぃ…?話の流れからして俺の事だよなそれ」
「幼稚園児みたいに幽霊を怖がる西間先輩は立派なピュアボーイですよ」
「確かに、魚澄君の言う通りかも…」
「零咲先輩まで…」
「で、開いた厨房で甘いものでも作って気分転換でもと思いまして、どうせなら生菓子…ケーキとか作りたいなって」
「でも、厨房は使い物にならないよね…ああ、だから家庭科室!」
「はい。今、鍵を零咲先輩が持たれていると聞いて…お借りできないかなと」
「いいよいいよ。私もね、甘いものを食べたいなって思って、どうせなら一緒に作ろうよ」
「零咲先輩、料理できるんすか?」
「私の家、こう見えてケーキ屋さんだよ。お父さんとお母さんに作り方を教えて貰っているからね?」
「それはよかった。作ろうと思っても、俺は製菓が初めてなので…慣れている人がいれば心強いです」
「誰にでも初めてはあるもんね!どんと胸を貸すよ!一緒に頑張ろう!」
「はい」
「せ、せっかくだし俺も…」
「西間先輩も来るんですか?」
「なんだよ来ちゃ悪いかよ。これでも弟三人いる兄貴だからな。奴らにねだられてお菓子なんて何回も作ってるさ」
「虎太郎君が優しいお兄ちゃんだねぇ。人数は多い方がいいし、一緒にやろう」
「…うっす」
西間先輩ってやっぱりピュアボーイ…。感情が非常に分かりやすい。
しかし相手は零咲千尋。彼女も結構鈍感だと思う。
ここまで露骨な矢印を向けられているのに気付かないのは逆に凄いぞ…。俺でも分かるレベルだ。
「二人とも、家庭科室に行く前に厨房で材料を取りに行くよー!」
「「はーい」」
零咲先輩に呼ばれ、俺たちは厨房に寄り、必要な材料を抱えて家庭科室へ向かう。
彼女が家庭科室に囚われるまで、一時間を切った。




