6:零咲千尋
虎太郎と紘一が教室に戻ってくるまでの間。
「虎太郎、一人で大丈夫かな…」
「ここぞという時は大丈夫だったりしますよ。俺の手を引いてくれた時も、そんな感じでしたし」
「ああ、家庭科室の?」
「はい」
「その時のこと、話してくれないかな。どんな状況だったか非常に気になって…」
「そうですよね。俺が覚えている範囲でよければ…それに、四季先輩の目的を果たす為には零咲先輩は頼りになると思いますし、俺視点でよければ話させてください」
「どうして、そこまで…」
「あの人なんですよ。俺たちを一堂に集めて、話す機会を作ったの」
「マジで!?」
驚きのあまり、少し大きめな声を出してしまう。
僕が来る、少し前の日和見高校。
そこでリーダーシップを発揮していた女子生徒のことを、魚澄は教えてくれた。
◇◇
零咲千尋先輩。日和見高校の三年生。
校長先生と共にボランティア部を立ち上げて、校内外問わず「誰かの為になること」に翻弄する生徒。
校長は勿論、教師陣の評価は高い。それもそうだ。彼女の性質は好感を呼ぶ。
ただし、同世代以外に限る話だが。
ある生徒は彼女のことを嘲笑する。
「そこまでして先生から気に入られたいんだ」
目的を勝手につけて、彼女を「偽善者」と罵った。
そんな声を、彼女は少なからず気にしているらしいが…その素振りは表に見せなかった。
「他人の声なんて気にしたらダメだから」
「ま、気になりはするんだけどね…でも、私は自ら選んだ、自分がしたいことをしているだけ」
「たとえ周囲からありえないとか、良い子ちゃんぶってるとか、偽善的な行為で、点数稼ぎに見えちゃうとしても…それでもいいの」
「私は、やりたいことが出来ているからね!」
そんな彼女はこの校舎に迷い込んでから、毎日必ず全員と顔を合わせ、話をする生活を送っていたそうだ。
俺だけじゃなくて、和民先輩、我持先輩…。
媽守先輩を説得して、彼女に隠されるように図書室に匿われていた穂上先輩まで引っ張り出した。
「動いているから」という理由で旧校舎の肉塊と会話を試みようとして、媽守先輩に止められていたっけ。
それからしばらくして迷い込んできた西間先輩に、一組の宵淵君と辺野古さんとも話して、一日のルーティーンを終える。
それが彼女の日常だ。
「千尋ちゃん?ああ…凄く良い子だよね。ボランティア部とか結成したんだっけ…ふわぁ…」
「千尋ちゃんの行動力もだけど、顧問をする校長先生凄いよね。千尋ちゃんの活動は校長先生も一緒なんでしょう?千々石君の相手もしてるし、生徒の自主性?とかいうの全力で応援してくれるというかぁ…。千尋ちゃんも同じように生徒のやりたいこと応援してくれてるよね。私も生きている間に相談したらよかったかも〜なんてね…」
「…最近、あんまり起きられなくなったこと。相談したら、二人はどうにかしてくれたかなぁ…。ま、私にはやる気が無いし、協力してくれないよね…」
理科室へカップ麺を作りに来た和民先輩に零咲先輩のことを軽く聞いてみた。
周囲が知るような印象と共に、彼女は一つの弱音を零した。
「零咲?ああ、あの偽善者ね」
「あたしはあんま好きじゃないけど、自分のしたいことが明確になっている上で、それを行動に移せているって点は凄いと思う」
「…でも、あいつの手助けは受けない」
「あたしの問題は、あたしでどうにかする。調の問題だって、双子のあたしがどうにかするんだから」
我持先輩はあまり好感を持っていなかったけど、彼女の行動に対しては評価をしていた。
彼女は彼女で、誰かの助けを必要とした方がいい願望を口にしていたのが印象的だった。
「零咲先輩…?まあ、お節介な人だとは思いますね」
「だけど、あの人がいるから…陰湿な空気にならなくて済んでいると思いますよ。できる限り、協力しようとは、私も思いますし…」
辺野古さんは別クラスだからあまり話したことはないけれど、零咲先輩という共通の話題を振れば話をしてくれた。
彼女はこの世界に来た後も勉強ばかり。無駄話には付き合ってくれないのだけど、零咲先輩の話題は別らしい。
「零咲先輩、凄くいい人だよね。善人って言葉が一番似合う」
「でも、ここまで尽くしたって彼女はなんの見返りも得られないし、僕らも零咲先輩になにもしてやれないよね?」
「彼女が「誰かの為になりたい」って考える気持ちは分からなくはないけれど…どうしてあそこまで執着するんだろうね?」
同学年の宵淵君のまた、クラスが違うから全然会話が発生しない。
というか…辺野古さんといい、ここにいる一年って進学科ばかりなんだよな。
普通科の俺じゃ、話のレベルが噛み合わないというか…。
なんで人の精神で哲学っぽいことを述べているのかよくわからない…。
「君はどう思う?」
「〜〜〜〜?」
わからなすぎて、旧校舎の肉塊に話かけて見たりしてみた。なんで零咲先輩はこんなのに毎日話かけているんだろう。
むしろ何かマスコット的な感じで可愛く思え…無理だな。ただの肉だよこれ。しかもドリップしてるし。触ると血つくし。
肉塊からは当然返事はない。まだ西間先輩の方が話は出来そう。
「…なんで図書室に入ってきているのよ」
「お、俺が入れたんだよ、鏡ちゃん。ダメだったかな?」
「…譲司君がいいならいい」
「ありがと。それで…零咲さんのことだったよね」
「俺なんかが答えていいのかな…あんな、鏡ちゃんみたいに立派な人の事。俺が評価なんておこがましいにも程がないかな…」
「そんなことないわよ、譲司君。彼女としては、複雑なところはあるけれど…千尋は魅力的な子だもの。露川君が周囲の千尋評を聞きたいというのなら、協力してあげるのも先輩の役割ではないかしら?」
「じゃあ…鏡ちゃんからの許可も頂いたので。零咲さんは誰隔てなく優しいよね。味方も多いけれど、同じぐらい敵がいる」
「彼女に助けを求めたら絶対に手を差し伸べてくれる安心感がある。だけど、巻き込んでしまったらと考えたら…手を引っ込めてしまう」
「捜し物とか、単純な悩み事なら巻き込んでも多少はね…って思うけど、俺の時みたいに、いじめの解決に首を突っ込ませたら、彼女みたいな立ち位置の人は俺より酷い目に遭うかって考えたら…俺は誰にも助けを求められなかったよ」
穂上先輩は挙動不審になりながらも、質問にしっかり答えてくれる。
この人は優しい上に強かった。だからこそ、零咲先輩にも…媽守先輩にも、助けを求めなかったのだろう。
この人は最後、何を選んだのだろうか…。それは流石に聞くことはできなかった。
「そういえば、露川君はお料理のお勉強がしたくてここに本を探しに来たんだよね。図書委員としておすすめをいくつかピックアップしてみたんだ」
話を切り替えるように、以前頼んでいた依頼の結果を俺の前に差し出してくれる。
初心者向けの料理本…製菓に関するようなものを含め、初心者向けの料理本がそこに並んでいた。
「譲司君。こう言ってはなんだけど食堂及び厨房は出入り禁止よ。勉強しても、実践をさせてあげることはできないわ…」
「この前、零咲先輩が「食事は娯楽!」と叫びながら鍵を破壊していましたが…」
「あの子はいつも無茶ばかり…たまには限度を覚えた方がいいわ…」
媽守先輩はいつも零咲先輩が引き起こす奇行に頭を痛めていた。
「でも、確かに新しい娯楽が欲しいわね…。千尋の気持ちもわかりはするけれど、相談ぐらいはしてほしかったわ」
「まあまあ、食堂の鍵破壊程度で済んで良かったじゃない。理科室で変な薬品を作って、校庭で爆発騒ぎなんてよりは可愛いよ」
だけど、彼女は怒らない。
いつもキリキリしていて、規律がどうのこうのとうるさいけれど…友達思いなのは確かだし、規律から逸脱しないものであれば基本的に全肯定をしてくる。
ただ…テリトリーである図書室への立ち入りだけは何があっても許さないし、すぐに追い返そうとしてくるが。
「で、露川君。用事は済んだかしら」
「いえ、まだです。せっかく厨房が開いたので、料理でもしようかと料理本を物色させていただきたく…他にも参考にしたい本を探したいなと」
「うんうん。自ら本を選ぶのも重要だよね。協力するよ」
「…厨房は火を扱えないようよ。私の事件がきっかけに、食堂が封鎖されたの」
「媽守先輩がここに来た原因…」
「ええ。それに伴って、設備系は全部停止しているみたいだから…」
「現実の影響って、ここにも影響を及ぼすんですね…」
「みたいね。その理屈なら、この世界の影響も現実に影響することになりそうだけど…流石に厨房の鍵が人知れず破壊されたとか噂にはならないわよね…」
「…ならないと、いいのですが」
「まあ、そんな感じだから。料理をするなら家庭科室か…」
「露川君と西間君が過ごしている理科室なら、ガスバーナーどころかカセットコンロもあると思うよ。実験で使った記憶がある」
「そうなんですか?」
「うん。ただ、調理器具は…不足しているだろうけど」
「アルミでどうにか」
「…無茶しないでね」
入学してから半年も経たないうちにこんな世界に来てしまった俺はこの学校に何があるかなんて全く知らない。
だけど、この二人は懇切丁寧に教えてくれる。
穂上先輩は自己肯定感が非常に低いだけで優しい人だし、媽守先輩は生徒会副会長として慕われるだけあってしっかり者の印象が強い。
「もっとも、オーブンとか使いたいと言うのなら、家庭科室が候補に上がるけど…そういう料理…もといお菓子作りをする気なのね、貴方」
「購買でお菓子が補充されるとはいえ、生菓子はないので…ショートケーキとか食べたくなりません?」
「ケーキ…んんっ。確かに魅力的…食べられるのであれば、食べたいわね…」
「そういえばこの前、零咲さんが食事会をやりたいからって家庭科室の鍵を持って行っていたよ。彼女に共同で使わせて貰わないか聞いてみたらどうかな。零咲さんだったら、断ることはないだろうし」
「お話ありがとうございます。早速零咲先輩の元へ向かってみますね」
家庭科室に向かうきっかけの本を片手に、零咲先輩の元へ向かう。
彼女はきっと、校門前にいるだろう。




