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龍の髭  作者: 富樫 聖
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第五話 蒼き森での夜~後編~

「誰……っ?」

「しっ。静かに……」

 気配を押し殺した低い声が返ってきた。

 その声には、聞き覚えがある。

 かさっと草むらをかき分ける音がして、ランプを手にした人物が、這い出て来た。

 げっ、とあたしはつぶやいてしまった。


 それは、シオン王子だったのだ。


 王子は持っていたランプをあたしに近づけた。

 あれっ、と驚いたような顔をする。

「君か……ちょうどいい。隠れさせて欲しいんだ」

 必死の形相でそう言うと、王子はあたしの返事も聞かずに、あたしのテントにもぐり込んでしまった。

「ちょ、ちょっと、ちょっと」

 王子につられて、声を小さくしたまま抗議の声を上げ、あたしもテントに入った。

 というのも、テントの側を、誰かが通り過ぎていこうとしたからだ。

 王子は気配を殺して、その人物が通りすぎるのを待った。

 外に出て判ったけれど、やっぱり外を王子のテントに向かって歩いているのは、女の子たちだった。「ふうっ」

 王子は気配が通り過ぎるのと同時に息をついた。何だか、この異様な事態がどういうことなのか、わかったような気がした。

「みんな、大胆だよね。……その大胆さを明日も出してくれるといいんだけど」

 王子は、そう言って苦笑した。

 やっぱり、とあたしは内心思った。

 つまり、この異様な緊張というのは、参加した女の子たちが王子のテントに夜這いを掛けにいくためだったのだ。

 王子に例え想い人がいたとしても、既成事実があればどうとでもなる、と思った人が沢山いたってことだろう。

 女の子って怖いぃぃ……。

「逃げてきたのですか?」

「そう。僕の替わりを人にさせて、いるように見せかけてる。で、僕自身は野宿しようと思って、抜け出したんだ」

「獣が出たりしたら……」

「大丈夫」

 と王子はやけに自信たっぷりに言い切った。

「襲われたりなんてしない。女の子は別だけどね」

 王子はあたしのテントで胡座をかいて坐っている。一人分のテントに二人入っているものだから、狭いったらありゃしない。

 なのにこの人ってば全然遠慮しないんだよね。

 人のテントに無理やり潜り込んでいるというのに、態度がでかいなぁと思うのは不敬罪でしょうか。

「だけど、やっぱり来たんだね」

 口調を変えて、王子は言った。ランプに照らされた顔には、意地の悪い笑みを浮かべている。

 あたしはふんっと顔を背けた。

「ドラゴン退治のためじゃないわ。あたしはおばあちゃんの病気を治せるっていう、竜の髭を取りにきたのっ」

「龍の……髭?」

「そうよ。そう、あなたの従者が言っていたわ」

「お祖母様、病気なの? 何の?」

「ボケ、なの。ボケてしまってるの。それでどうしてもあたし、おばあちゃんを治してあげたいの。あ、そうだ。誰かがドラゴンを退治したら、その髭、あたしが貰っていい?」

 あたしは一気にたたみ掛ける様に言って、王子に詰め寄った。

 でも王子は、何故か難しい顔をして不意に黙りこんでしまったのだ。 

 ムムム?

 なんだろう、あたし変なこと言ったかな?

 あ、もしかして、王子も髭が欲しいんじゃないのかしら? 誰か、大切な人が病気とかで。

 だから、ドラゴン退治をするなんて言ったのかもしれない……。

 あたしはそう思って、王子の次の言葉を待った。

 駄目、と言われたって、あたしはひくつもりはなかったけれど。

 そんなあたしの前で、王子は、ひどく困ったような表情をした。

「そうか。ボケを治したいのか……。でも彼、ロイは言わなかったの? 今度の相手のドラゴンは普通言われている恐竜型の竜じゃないってこと」

「え? どういうこと?」

「この森に住んでいる竜は、神龍なんだよ。君の知っている竜とは少し形態が違って、一般にはほとんど知られていない、伝説の龍」

 そこで王子は言葉を止めた。

 また一人、テントの前を女の子が足音を忍ばせて、中央のテントへ向かって通ったからだった。

 消すね、と小さく言うと、王子は持っていたランプの火を吹き消した。

 とたんにテントは真っ暗になる。

 だけど、近くに篝火があったから、かろうじて、王子の姿がうっすらと見えた。


「神龍はこの世に六体しか存在していない。大地と同時にこの世に誕生し、永遠に死にもしない。神と同じだ。この大地に生きる者にはね。……だから、彼らを神龍と呼ぶんだ。僕は偶然、城にある文献を見て、彼の存在を知ったんだけどね」

 そこまで王子が言った時、あたしはすっかり青ざめてしまっていた。

 そんなすごいドラゴンだなんて、あの男、一言も言ってなかった。

 いや、それよりも、そんな神様みたいな龍を退治しようという提案をするなんてっ。

 あたしはぎっと王子を睨みつけた。

「永遠に死なない、という龍を、どうやって退治するっていうのっ」

「でも不老不死ってわけじゃない。方法は、きっとあるよ。ふふっ、でも、誰も退治できなくてもいいけどね」

 と王子は含みのある笑いを浮かべた。

 そこで、あたしは怖い考えに行き着いてしまったのだった。

「シオン王子。も、もしかして、ドラゴン退治なんてことにしたのは、誰も退治出来ないことを見越して――」

 王子は答えなかった。

 でも、舌を出していたように見えたから、きっとそうなんだ。街で会った時の様子や、今の言動を見るに、まったく花嫁を選ぶつもりはないに違いない。

 だとしたら、ここに集まった女の子たちはいい面の皮だわ!

「それって、酷い。最低っ」

「まぁまぁ、そんな怒らないで。出来ないとは限らないんだから」

「だって、龍の髭がっ」

「もし誰も退治できなかったら、僕が龍に頼んであげるよ。神龍は、頭も人間より遙かにいいし、話しもわかるんだから」

 あたしはギリギリと歯を食いしばった。

 それはとても有り難い。どっちにしても、髭は手にいれなくちゃならないんだから。

 だけど、なんか気にくわない。少しばかり腹が立つ。こんな苦しい思いをして、半日歩いてきたのに、本人には花嫁を選ぶ意思がないなんて、本当にふざけているわっ。

「……誰かがきっと退治するわよ。そうすれば、あなたの力なんか借りずに、龍の髭が手に入るわ……」

 あたしは呻くように言った。


と、その時。

 青い光が、パァーと差し込んできて、あたしと王子の二人分の影をテントの中に作った。


 それはほんの一瞬のことだった。だけど、あたしは確かにテントが、いや、森が青く光ったのを見たのだった。

 目に刺すような光ではなくて、包み込むような、不思議な光……。

「い、今のが……?」

 今の今までの腹立ちも忘れて、あたしは息をのんで王子に尋ねた。

 再び薄暗くなってしまったテントの中で、王子はゆっくりとうなずいたみたいだった。

「あれは……龍が歌っているんだよ。大地の歌を。……それに反応して、森が光るんだ」

 その言葉に反応したかのように、森が再び光った。

 青い光がテントに差し込んでくる。

 青、青、青。

 あたしの顔も、体も、青く染まっている。そして、王子の――。

 あたしはどきんっとした。光の中に、一瞬はっきりと見えた、シオン王子の、顔。

 ――王子は、微笑んでいた。

 でもそれは、含みのある笑みでも、華のような明るい笑顔でもない。やわらかく、優しく、そして夢見るような奇麗な微笑み、だった。

 青い光は、すぐ消えてしまって、王子の顔も見えなくなってしまったけれど、何故だか、その王子の笑みが、スーッとあたしの心にしみ込んできた。

 どきどきした。胸がやけに騒いだ。

 あたしってば一体どうしたっていうの?

 今まで男の人といてもそんな反応したことなかったのに―――。

 でも。

 暗くなって見えなくなっても、隣のシオン王子がまだ笑みを浮かべている気配がして。

 それがなぜかとてもうれしくて。

 あたしもいつの間にか笑みを浮かべていた。


 青い光が終わっても、あたしは何も言わなかった。

 いつまでも、王子のあの微笑みを胸に留めて置きたかったのだ。

 だけど、その沈黙を王子が破った。

「機嫌がいいんだ。歌うくらいだから」

 王子の声は、何だかとても弾んでいる。わくわくして、どうしようもないという声音だ。

「歌うと……機嫌がいいの? 龍が?」

「そりゃあそうだよ。機嫌の悪い時に歌を歌う人なんて、いないだろう?」

「まぁ、そうだけど……」

 あたしは耳を澄ませた。その龍の歌が聞こえてくるかと思ったけれど、聞こえるのは、キャンプ内のちょっとしたざわめきと、隣にいる王子の息づかいだけだった。

「聞こえないわ」

「僕には聞こえる」

「……ずるい」

「ずるくはないさ」

 王子は、声を出さずに笑ったようだった。

「明日になれば、嫌でも龍と御対面じゃないか。……頑張って、退治するんだよ」

「退治なんてしないってば。見るだけ」

「でも、誰も出来なかったら、君は直接手を出すしかないんだろう? 僕経由で龍の髭を手に入れるのは、嫌そうだったみたいじゃないか」

 あたしはぐっと言葉に詰まってしまった。

 うう、話題を変えなくては……。

「……あ、あたしだって、龍も目前にして、逃げてしまうかもしれないわ。怖くて」

「君は大丈夫だと思うよ。腕も立ちそうだし、勇気もある。それに……優しいよ。自分のためでなく、他人のためにこんな所まで来るんだもの……」

「それは……」

 あたしは少しばかり赤くなって、俯いた。

 この中が薄暗くて、見えないことを、今ほど感謝した事はない。

「……そんな手放しで褒められると、照れるじゃないの……」

 思わず口に出てしまった言葉に、王子はふふっと笑った。

 あらら、ちょっといいムード?

 と思ったのもつかの間、王子は急に胡座を解いて、狭いテントの中に横になってしまった。

「もう寝たほうがいいよ。明日も大変だから……。今日も疲れただろう?」

「ち、ちょっと、ここで寝るの?」

 あたしは慌てて言った。

 だけど王子は平然と、しかも当然のように、

「だって、他に行くところある?」

 と聞いてきたもんだ。

 あたしは何て言ったらいいのか、途方に暮れてしまった。

 若い男女が狭いテントの中で、一夜を過ごしていいものだろうか。とか、あれこれと考えが頭の中を巡ったけれど、当の王子はここで休むことに決めてしまったみたいだ。

 あたしは、深いため息をついた。

「……後で不敬罪に問われるのは嫌だもの、ね……」

 王子に、というよりは自分に言い聞かせるようにつぶやくと、あたしはテントの入口近くに置いてあった袋から、もう一枚の毛布を取り出した。

「有り難う」

「どういたしましてっ」

 ただでさえ狭いのに、二人も入ったからもうギリギリもいいとこ。

 ほとんどくっついた形で寝ることになりそうだ。こんな所を女の子達に見られたら、きっとあたしは闇討ちされてしまうに違いない。

 そんなことを考えながら、あたしも横になりかけた時、ふと気づいて、あたしは王子に声をかけた。

「ね。もし退治する前に、そこに着けなかったら、どうするの?」

「それは、大丈夫。そんな事あり得ない」

 と、王子は又やけに自信たっぷりに言い切った。

 この根拠のない自信はいったいどこから来るのかしら?

「……そういえば、文献調べただけにしてはやけに龍のこと知ってるわね。もしかして、もしかして、だけど。あなた、龍の所に行ったことがあるんじゃ……」

 王子は答えない。両手を頭の下に組んで、あたしとは反対の方を向いていた。

 黙秘権ってやつね。だけど……半分あたしはもう確信していた。

「明日……全てが終わったら、ね」

 ぼそぼそ。王子は顔を背けたまま、つぶやいた。

 あたしはそれ以上聞くのは諦めて、毛布を被って、横になった。

 すぐ横に王子の体があって、狭いため、どうしても触れ合ってしまう。

 もうほとんど同じ褥にいるのと同じだった。それで、さぞかし緊張して眠れないだろう、と思ったのだけど、やはり疲れているのか、横になってものの数秒であたしの意識は沈んでいった。

 その、体と意識が離れていく、まどろみと夢現の中で、あたしは王子の声を聞いた。

「明日は龍のところに着くけれど、あまり無茶はしちゃ駄目だよ。シア」

 その声は、遠くからのような、近くからのようにも感じられた。低くて、小さくて、だけど、優しく耳に轟く。

 あれ? シア?

 あたし、王子に自分の名前教えたかな…?

「……名前。どうして…?」

 意識が遠くなっていく。沈んでいく。

 あたしが覚えているのは、そうつぶやいた所までだ。

 後は――王子が二言三言何か言っていたような気がしたけれど、でもそれは、夢の中でだったのかもしれない―――。

少し王子様を意識し出したシア。


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