第五話 蒼き森での夜~前編~
蒼き森は、この国のほぼ中央に位置している。
誰も中心部まで行き着けたことのない、不可侵の森には、何時、誰が言いはじめたのか、ドラゴンが住んでいると噂されるようになった。
なぜ、蒼き森という名称がついているのかといえば、時々、不意に、夜でも昼でも森全体が青く仄かに光るためである。どうして光るのか、今まで誰も説明出来たものはなく、蒼き森は、この国最大の謎とされ、その存在そのものが神秘に包まれている所だった。
豪胆なおじいちゃんでさえも、この森には近づかなかったそうだ。
その森の入口に、今孫のあたしがいる。なんだか、妙な気分だ。
森は、今は青く光らない。ただ、静かで、空と溶け合うような、闇色に包まれている。
空と森の高くそびえ立つ木々を分ける唯一のものが、星だった。
あたしは、ボーッと空と真っ黒な森を眺めた。
こうして見ると、普通の森と変わらない。ドラゴンがいたり、青く光ったりするなんて、信じられない……。
「ちょっと、あなた。邪魔よっ」
不意に鋭い声で怒鳴られて、あたしはハッとした。
キャンプ地の入口近くで、ボーッと突っ立っていたあたしの横で、大きな荷物を抱えている女の子が、あたしを睨みつけている。
いけない。ボーッとしちゃった。
あたしは首をすくめて、その場からそそくさと逃げだした。
明日になれば、いくらでも見れるのだから、今は場所を確保してテントを張ることの方が先決だ。
キャンプ地の中心には大きなテントがあった。
誰に聞くまでもない、シオン王子のテントだ。
おそらく中には、たくさんのランプがあるのだろう。 布地を通して、明るい光が辺りを照らしている。入口には、二人の見張り。
ふんっ。いい身分だ。
夜になって、辺りは真っ暗になってしまったが、キャンプ地には所々に篝火が燃えていて、間違って森に入ってしまうことはないし、火の近くなら、いろいろとものがよく見える。
あたしは篝火を頼りに、程よい所を見つけ出した。
近くには、キャンプ地を突っ切って森へ流れる小川があって、低い木が密集して出来た草むらもあった。
これは、薪にぴったりなのだ。
篝火も近く、王子の明るい大きなテントからも、そう距離があるわけではない。
あたしはその場所に、小さな一人用のテントを張った。
あたしが持ってきたのは、高さの低いテントだった。
座高よりやや高いというくらいで、這って入らなければならないものだったけれど、あたし一人にはこれで充分だ。
寝場所を確保したあたしは、次に食事の支度を始めた。
昼食もとってないから、お腹はぺこぺこだった。
近くの草むらから薪にする分だけを切り取り、近くの小川から水を汲む。急いで支度したから、持ってこれたのは、すぐに食べられるようなものばかりだった。羊の干肉と固いライ麦のパンを袋から取り出す。今日の食事は、これらにお茶だけ。
火に水をくべて、お茶を沸かす。
と、そこで、あたしは、このキャンプ地に異様な緊張が漂っているのに気づいたのだった。
確かに、今はどこでも食事を用意をしていて、人があっちこっちへ移動してはいるけれど、その忙しさの中に、何だか、得体の知れない雰囲気が流れているのだ。
何かの先触れにも思えるそれは、今までになくあたしの肌にぴりっと来た。
そう、まるで、獲物がくるのを気配を消して息をひそめて、待っているような、そんな感じ。
そんな緊張感が、このキャンプ地全体を押し包んでいた。
「?」
表面的には、何も変わらない。なのに、何かが変なのだ。
あたしは食事をしている間も辺りに気をくばり、その原因を突き止めようとしたけれど、駄目だった。
人を呼び止めて聞いても、きっと答えてくれないだろうし……。
夜も更けて、次々と焚き火が消えていっても、それは変わらなかった。それどころかもっとひどくなっているようにも感じる。
いったい何だろう?
テントに入って、毛布を被りながら、あたしはあれこれ考えた。
本当は、明日のために早く寝たかったのに、不穏な空気のせいで意識が眠ってくれない。
それにどうやら、外では何か、人の移動するような気配がしていた。
足音を消して、そろそろと誰かが動いている。それも一人じゃない。
行った、と思うと、また何処からか人がやってきては、あたしのテントの側を通っていくのだ。
それも――どうやら、キャンプの中心地、つまり、王子のテントの方向へ行ってるようだった。
何があるんだろう?
と思わず上半身を起こした時、すぐ側の草むらからガサッという音が聞こえてきて、あたしははっとしてそばに置いておいた剣を手に取った。
その気配は、テントを通り過ぎていくあの足音とは違って、気配を消し、キャンプの中を伺っているようだった。もちろん、獣じゃない。
誰もいないはずの森の方角に、ランプの光が揺れているのが、テント越しに見えた。
あたしは剣を握ったまま、テントの外に這って出た。
盗賊かもしれない。女だらけのキャンプに目をつけて、やって来たのかもしれない。
ごくん、息を一つのんで、あたしは意を決して、声を掛けた。