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龍の髭  作者: 富樫 聖
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第三話 王子様登場

あたしはぎょっとして、せっかく引き上げた水を取り落としてしまった。桶と、その中の水は再び井戸の中へと消えていく。

「あっ……」

 あまりのことに、あたしは振り返るのも忘れて、呆然としてしまった。

「おっと、これは失礼。驚かせてしまったかな?」

 どこか笑いを含んだその声に、はっと正気に返ったあたしは、人の努力をフイにさせた原因に、キツイ視線を向けた。向けようとした。

 ―――が、その視線は、その人物に固定された時点で、驚愕の視線に変わってしまった。

 たぶん、あたしが桶を引き上げるのに夢中になっている間に、背後に来たのであろう人物は、二人いた。

 いや、正確には二人と馬二頭だ。そのうちの後にいる一人は、灰色のフードを深く被っているために顔は見えない。

 そして先頭にいるもう一人は――これこそが、あたしが驚いた理由だった。

 明るい蜂蜜色の髪。紫の瞳をした青年。

 あたしは、彼を知っていた。いや。正確には見知っていると言った方が妥当だろう。

「……シオン王子……?」

 信じられない思いであたしはつぶやいた。

 幻? 他人の空似?

 いや、でもこの顔はシオン王子だ。国事には必ず見ているこの国の王子様の顔。

 もちろん催し物の時に国民の前に出てくる王子の顔を、平民であるあたしが間近で見たことはない。

 でも王家フェチの友人アデリアの部屋には、このシオン王子の絵姿がいっぱい貼ってあって、否応無く記憶させられてるのだ。この顔に囲まれている中でお茶したことが何回もある。

 端整な顔立ちにいつもやさしげな笑みを浮かべている王子様はこの国中の女の子の憧れの的で。もちろんあたしも例外ではなくて、こっそり1枚だけ絵を持っていたりする。

 その顔が、今、あたしの目の前に――。

 でも、今度のこの騒ぎの張本人が、どうしてこんな時刻にこんなところに……?

 あたしの不思議そうな、というより怪訝そうな視線を受けて、シオン王子はふっと笑みを浮かべた。そして、馬の手綱を引きながら、あたしに近寄ってきた。その王子の後を従者か護衛らしいフードの男が続く。

 おおっと?

 ビックリして一歩後退したら、すぐに井戸にぶつかってそれ以上動けない。回り込んで逃げるわけにもいかず、あたしはやむなく近づいてくる王子様と対峙する羽目になった。

 んーと、我ながら見栄っ張りだとは思うけど、内心動揺しているとはいえ高貴な人の前で小さくなったり、慌てたりしたくはないじゃない?

 あたしは極めて冷静に――外見上は――王子の視線を受け止めて、次の言葉を待った。

 後から考えると、この時のあたしの態度は堂々としすぎて、逆に高貴な人に対しては失礼だったかもしれない。何しろ、王子様を前にして、会釈もしなかったのだから。

 半ば挑むような顔をしているあたしの顔を、王子は珍しいものでも見るように、しげしげと眺めている。興味深そうに、でも、どこか計るような目で。

 あたしの何が、王子の心にふれたのかは知らないけれど、次の瞬間、彼は微かに、だけど満足そうな笑みを浮かべたのだった。

「な、なにか御用ですか?」

 あたしはとうとう、無礼な言葉を吐いた。だけどシオン王子は気にした風でもなく、あたしのすぐ前に来て、

「この馬と僕に、水を分けてもらえる?」

 と、言った。

 あ、あれ?

 あたしは、どっと力が抜けた。水ね、水。一体何事かと思ってしまったわ。

「はぁ……」

 とあたしは気の抜けたような返事をして、横にずれた。そして、もう一度、井戸の水を汲もうと縄に手を掛けた。

 が、その縄を馬の手綱から手を放した王子が取った。

「いいよ。女性にさせるわけにはいかない。僕が自分でやる」

 と止める隙もなく、さっさと縄を引っ張り始めてしまった。あたしの三分の一の速さで、しかも軽々と王子は水を汲みあげた。

 あたしがボーッと見てる間に、彼は汲み上げた水を手ですくって口に含み、あとは馬の前に桶を置いて、馬の好きなように飲ませた。

 その時になって、あたしは、王子本人の前でとんでもない独り言――王子妃になれば水汲みしなくてすむ云々――を言ってしまったのを思い出し、青ざめた。

 できるなら、井戸の中に入ってしまいたいほどだ。王子が見てさえなければ。いや、それよりも、さっさと家に帰りたい。もうこれ以上居たくない。

「君は、ドラゴン退治に参加しないの?」

 不意に話しかけられ、あたしはどきっとした。

「ええっと……参加はしません」

「どうして? 面白いのに」

 面白い、ときたもんだ。あたしは、何と返事したらいいのか迷いつつ、気がついたら口がすべっていた。

「シオン王子……そんな質問するなんて、意地が悪いとは思いません?」

 また無礼な言葉を言ってしまった……と思っても後の祭り。どうしてこうも正直に言っちゃうんだろうか、あたしは。

 でも、本人を目の前に、何を言えばいいと言うんだ。

 貴方の花嫁選びに参加したくない――言い換えれば、貴方の花嫁なんかにはなりたくないわよと言っているのにも等しいことを? 

 何をいっても失礼に当たる。いや、今のあたしの台詞も充分失礼だけど。

「あっと、ごめん。だけど、君はああいうの好きそうに見えるんだけど……。もちろんドラゴン退治の方がね」

 怒りもせず、あっさり言った王子の言葉にあたしは目を見張った。

 どうして、分かるんだろう。

「あ、図星?」

 くすくす、王子は笑う。

「なら、来ればいい。なかなか見られないものが見れるよ? 今からいけば、充分間に合うし」

 と言う王子の様子は、どうも花嫁を選ぶ、というよりは、冒険を前にしてワクワクしているとしか思えなかった。

「行けないの。行きたくても」

 敬語を使うのもすっかり忘れて、あたしはつぶやいた。

 王子の言葉は、心が揺らぐほど冒険心を煽ったけれど、おばあちゃんのことを考えると、どうしたって行けない。

「どうして?」

 と王子が前と同じ台詞を口にした時、今まで一度も言葉を発しなかった、灰色のフードの男が、突然言った。

「王子。そろそろ行かなければ……」

 馬は既に水を飲みおわっている。王子が残念そうに、あたしを見ながらうなずいた。

「ああ。分かった……」

 鐙に足をかけ、ひらりと栗毛の馬の背に乗る。その流れるよう動作は気品にあふれていて美しい。

 見とれていると、王子は馬上からあたしを見下ろして笑みを浮かべる。

「それじゃ、お嬢さん、水をありがとう」

 優しげな絵姿そのものの笑み、なのだが。

 気のせいだろうか、何か含みがあるような気が……。

 その笑みのまま少し前かがみになって、びっくり眼のあたしを覗き込んでつぶやく。

「また後で、ね」

 そう言った直後、王子は、灰色のフードの男に何やら意味深な視線を送った――ようにあたしには見えた。男が微かにうなずく。それを確認した後、王子は元の姿勢に戻り馬を方向転換させ、あっけにとられるあたしを尻目に、大通りに向かって走りだした。

 ええと・・今、何言われた? 

 また後で、とか言われたような……。でもあたし、コンテストに参加しないって言ったのに。

 あっという間に姿が見えなくなった王子を混乱したまま見送ったあたしは、フードの男がまだその場に残っていたのに気付いた。

 あたしは、王子が走り去った方向と、男を交互に見ながら、言った。

「あの……王子について行かなくて、いいの?」

「うちの王子なら大丈夫」

 と、答えが返ってきて、あたしは始めて、フードに覆われて見えないものの、この男が思ったより若いことに気づいた。

「お忍びでよく来ているからこの辺りの地理に詳しいし、一人でふらふら出歩くことも慣れてますからね」

 淀みなく言いつつ、その物の言いにはどこか棘あるような、ないような・・。

 どうやらあの王子様はお忍びで一人で出かけてしまい、周囲の人を慌てさせているようだ。

「ところで」

 フードの男はブルルと震えて身じろぎをする馬をなだめるように撫でてから、シアの方に向き直った。

「君こそ、ドラゴン退治に行かなくていいの?」

 行きたくても行けないと言ったからか、どうもこの主従はあたしの不参加理由が気になるようだ。

「王子といい、あなたといいあたしを行かせたがるわね。……だって、うちには病人がいるんだもの。行けないわ」

「病人……? ならよけい丁度いいじゃないですか」

 男がフードの下で笑った――ような気がした。はっきりとした笑いではなく、微笑んだような、そんな気配が伝わってくる。

 そして、一拍おいて、今度はそのフードの中からあたしを真っ直ぐ見て、言ったのだった。


「龍はね、どんな病気も治せるモノをもってるんですよ?」


 その台詞は、まさに青天霹靂。地獄に仏。


「ほ、本当!?」

 男は、ゆっくりとうなずいた。

「ええ。……龍の髭、って知ってますか?」


 ―――そして、その一時間後。

 お城への道を急ぐ、あたしの姿があった。

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