表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
龍の髭  作者: 富樫 聖
2/15

第二話 花嫁コンテスト

 おばあちゃんはボケてしまっている。

 一年前、バイスおじいちゃんが死んでから、少しづつボケーとしてることが多くなった、と思ったら、ものの見事にボケてしまったのだった。

 これは、あたし達家族に大きな衝撃を与えた。

 というのもボケる前のおばあちゃんは、肝っ玉の据わっている人で、年をとっても元気一杯。面倒見もよく、聡明な女性だったのだ。忙しい父さん母さんの替わりに、あたしとタオを育ててくれたのも、おばあちゃんだ。

 あたしは若い頃美人でモテてたおばあちゃんに一番容姿も性格も似ている、と言われていて、それはあたしの密かな自慢でもあったのに。なのに。

 今では、身内の顔も時々忘れてしまうし、わけの分からない言動はするわ、ふらりと何処かへいっていまうわ。完全にあたし達家族の悩みの種になってしまったのだ。

 あたしは洗濯した最後のシーツを裏庭の物干しに掛けながら、そっと横目で、以前おじいちゃんがしつらえたイスに坐っているおばあちゃんを見た。

 あたしが以前誕生日に贈った、何日もかけて苦労して作ったショールを肩にかけて、うつらうつらとまどろんでいる。そうして寝ている姿は、いつも通りのおばあちゃんで、とてもボケてるようには見えなかった。

 けれど最近はますますボケが進んでしまっている。だって身内の――あたしの顔が分からなかったくらいだもの。

 悲しいったらありゃしない。直してあげたいのに、お医者に見せても、治療法はないと言うし。とにかく、あたしはそんなおばあちゃんを見てるのがとてもつらいのだ。

 あたしはため息をついておばあちゃんから目を逸らし、物干しに向き直った。

 パンパンと竿に干した白いシーツの小じわをピンッと延ばして、ハサミで端を留める。一仕事終えたあたしは、ふうっと軽く息を吐いた。これをやって、あと共同の井戸に水を汲みに行けば、午前中のあたしの仕事はお終いだ。

 本当は、おばあちゃんから目を離すわけにはいかないのだけど、タオもいないし、当のおばあちゃんは眠ってしまって、目を覚ましそうにないので、あたしは桶を持って、そおっと裏口から出た。

 裏口の外には、細い路地が通っていて、その道の奥まった所に共同の井戸があるのだ。がやがやとにぎやかな音と声が響いてくるメインストリートとは反対の方向に、あたしは足を向けた。


 大通りはいつも賑やかだけど、今日はまた一段と人の往来が激しいようだ。

 それもそのはずで、王子様の花嫁選びの催し物に参加するため、国中から若い娘がこの都に集まってきているのだ。家の昨日の泊まり客だって、実に半数が、若い女性だった。

 王様や王子様が住んでらっしゃるお城は、通りをずっと先に行った小高い丘の上に、どーんと建っていて、都を見下ろしている。集合場所はそのお城だから、参加する娘たちはみんな通りを歩いて、または馬に乗っていくことになるのだ。

 友達のアゼリアも行くつもりだと言っていたから、今頃はお城に向かっているに違いない。

 あたしも一緒に行こうと誘われたけれど、それは丁重に辞退した。だって、選ばれる可能性なんて無いし、あたしには、三日もかけて家を空ける余裕はないんだもの。

 井戸の周りには、誰もいなかった。いつもなら、あたしがくるのを待ち構えていたように、友達が数人くらいそこで井戸端会議をしているのに。

 まぁ、女友達がみんな出払っている原因は判っている。そしてその原因が、まるで人の替わりだとでもいうように、井戸の脇に立っていた。

 それは、つい一月前に王子の名で国中に出された公布の看板だった。


  『来る朧月の陽の昇る日 正午

   世継ぎシオン・トゥルリオの名において

   蒼き森のドラゴン退治を行う』


 板に打ち付けられた羊紙に大きく書かれた文字。その文字の下に、細かな事項が幾つか箇条書きで書かれていた。今、この公布が国中の人が集る場所――広場や井戸、公共の建物の前など――に立てかけられているのだ。

 あたしはその大きな文字をそっと順番になぞった。

 朧月は今月のこと。陽の昇る日というのは、王子様の誕生日の比喩だ。明確な日にちを書かなくても、この国に住んでいる者ならば、王子様の誕生日くらいはみんな知っている。

 『ドラゴン退治を行う』なんて、まるで集めているのは男子のように思えるけれど、王子の名において、という部分があるってことは、当然これは王子の花嫁選びの内容なのだ。

 この公布の意味を要約すると「今月の王子の誕生日の正午、王子の花嫁選考会があるよ。今回の内容は、蒼き森にいるドラゴン退治で、見事なし遂げた人が、王子の花嫁だよ」という風になる。

 ちなみに、王子は今月の誕生日で十七歳になる。

 この国にはなぜか、世継ぎは十七の年に伴侶を定めるという法律があって、現在の王様もその前の国王も、ずっと十七歳の時に相手を選んでいるのだった。しかも公に、国民の前で選ぶことがさだめられている。

 これは他の国々にはない法律だった。

 何しろ、相手の身分は問わず、貴族でも平民でも、この国の住人なら誰でも可なのだ。

 王子妃っていったら大貴族の娘の中から選ばれるのがよその国では普通なんだけどね。本当、わが国ながら大国のくせにトゥーリオって変わってると思う。

 ところがぎっちょん。

 そう甘くはなくて、誰でも構わないかわり、人より何かしら優れた所がなければならないらしい。

 王子が提示した条件をクリアした者だけが、花嫁の資格を得るのだ。ということで、選考会、コンテストなるものが存在してしまうのだった。

 でも、これはけっこう八百長みたい。

 これもどういう訳か、代々の王子様にはちゃんと想い人がいて、その娘が選ばれるように、王子はその彼女が一番得意のものを、コンテストの内容にしてしまうのだ。

 前回――現在のエルセリオ王の場合、好きになったのは花屋の娘であったため、コンテストの内容を「花の名前当て」にして、見事花屋の娘を選ばせたらしい。その娘が今の、シオン王子のお母様、アレーナ王妃というわけ。

 だから、今度の王子の提示した内容から、王子の好きな娘は女戦士ではないかという憶測が、国中に飛んだのだった。

 それでも、その王子の隠れた相手より先にドラゴンを倒してしまえば王子の花嫁になれる、と思った娘は多かったらしい。朝も早よから城までの道は、慣れない手つきで剣や弓矢を持った若い娘達に埋めつくされたのだった。大通りから微かに聞こえてくるざわめきも、やはり女性の方が多いみたいだ。

 本心を言えば、あたしはそのドラゴン退治に行きたかった。

 といっても、別に王子様の花嫁になりたいわけではなくて、その内容そのものに、あたしは興味を抱いてしまったのだ。

 ドラゴン退治。聞いただけでワクワクする!

 都の本屋では、冒険者たちの経験したことを描いた本がベストセラーに名を連ねている。

 もちろんノンフィクション。他国と戦争があるわけではないこの国では、人々は刺激をそういう方面に求めるようになってしまったのだ。あたしもその口。

 そういった冒険談の中で、もっとも人気があって、栄誉がある話が、ドラゴン退治だ。

 だから、王子の花嫁選考会の内容を知って、行かないわけにはいかない、と思ったの。最初は。

 けれど、ある事情によって、行くのを断念したのだった。

 事情とは、もちろんおばあちゃんのこと。

 この花嫁選び、どうやら三日くらいかけて行われるらしいのよね。蒼き森ってここから距離あるみたいだから、かつてのコンテストのように一日で終了するってわけにもいかないみたい。

 だけどあたしはおばあちゃんの世話があるから三日も家を空けるわけにはいかないのだ。

 もちろん行きたいといえば、家族は自分の負担が増えてもいいからと送り出してくれると思うけど、花嫁に選ばれる可能性があるわけでもないのに、単にドラゴンを見てみたいからなんていう動機では申し訳ない。

「だけど……悔しいなぁ……」

 小さく呟きつつ、あたしは井戸のふちにあった桶を、井戸の中へ落とした。カラカラと滑車が回り、しばらくするとパシャンという水音が遠く微かに響いてきた。縄の端を手に取って、今度はそれを力まかせに引っ張る。

 いくら滑車がついてるといっても、水は結構重く、ようやく引き上げた時には、息が切れてしまっていた。腕も重たいし、手のひらも赤くなって、ひりひり痛む。

 それなのに、今度は汲んだ水を、家まで持って帰らなけりゃならないのだ。

「王子妃になったら、少なくとも水汲みはしなくて済むわよねぇ」

 と、あたしは独りごちた。いつもなら、誰かしら人がいてお互い愚痴も言い合えるけど、今日は誰もいない。あたしの独り言は、周囲の壁と石畳の路に虚しく響き渡った。


「そうだね。水汲みは確かにしなくて済むよね」


 突然、あたしの独り言に答える声が、家の壁に囲まれた狭い空間の空気を振動させた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ