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龍の髭  作者: 富樫 聖
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第十一話 祝福

 青い顔をしながら身を起こした王子は、あたしから視線を外して、あたしの後ろ、つまり龍に向かって、親しみをこめた笑みを送って言った。

「ありがとう、青龍。やっかいなことを頼んで、済まなかったね」

 驚いて後ろを振り返ったあたしの前で、龍はその色を変えた。

 暗い色をした鱗は、きらめく青色へ。

 血走ったカーマインの瞳は、空を映す、紺碧へ―――。

 龍の頭上の空も、急に灰色の雲が消え去り、水色へと変化していった。

 明るい日差しを受けた龍の胴体は、光りを反射し、虹色に輝く。

 ついっと、龍は、その頭部を王子に向けた。

 その瞳は、あの時の鋭い殺気が嘘かのように、理知的で、静かで、慈愛に満ちていた。

 龍は口を開いた。

 でもそこから出てきた言葉は、人語ではなく、あたしには理解できなかった。従者の二人も同じようだ。

 けれど、その言葉に反応を示した人間が、ここにはいた。

 シオン王子だった。

「ああ、ありがとう。……おかげで痛みがなくなったよ」

 うれしそうにそう言って、明るく笑う。

 もう大抵のことは驚かないつもりだったけれど、これには、あたしもびっくりしてしまった。

 つまり、王子は『祝福を受けし者』だったのだ。


 ドラゴンと呼ばれる種族は、もちろん、人語を理解できるし、喋ることができるんだけど、人間には竜の言葉は判らないし、また言語形態が全く違うので、喋ることは不可能なのだ。

 ただし―――竜に祝福を受けた人間だけは、竜の言葉を理解することができる。

 竜がそういう能力を与えるのだ。

 それは要するに、竜に認められた事と同じになる。

 というのも、基本的に、ドラゴンは人間という種族を卑下し、下等とさえ思っているものだからだ。

 その竜に祝福を受ける、なんて、もう並大抵では出来ない。


 そういうことを聞いてはいるけど、実際に祝福を受けた人間は、見たことがなかったんだけど……。

 あたしはまじまじと王子を見つめてしまった。

 王子はあたしを見つめ返し、

「と、いうわけで、君が昨夜言った通り、これは全部、ヤラセだったんだ。僕には、龍を退治する気なんて無かったんだよ」

とすまなそうに、言った。

「この国には、十七の年に伴侶を決めなくちゃならない決まりがあるだろう? ……でも僕には、選考会の内容を提示しようにも、好きな人なんて居なかったんだ」

 そこまで言い、なぜか従者二人の方を見る王子。

 従者二人は笑っていた。

 それも普通の笑いではなく、黒髪の背の高い方の従者は苦笑し、女装している従者はニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべていて――。

 王子はそれを見て、やや顔を赤くしたみたいだった。

 なんだろうか、この反応は?

「で、えーと、十七の誕生日が過ぎたら、この二人と少しの間旅をすることになっていて、とてもじゃないけど、花嫁を選んでいる余裕なんてなかった。選ばれた直後に相手が、半年程行方不明になるわけだし。選ぶのを延ばそうと思ってた時、ロイが言ったんだ」

「旅に同行すればいいって、ね」

 あ、俺の名前はロイね。そう明るく付け加えたのは女装した従者だった。

 間違いなく男の声なのに、外見は美女で未だに非常に違和感感じるなぁ……。

「女性がいれば雰囲気明るくなるし、男性だけで旅をするより、いろいろ警戒されずにすむし。それに俺は、何より、野郎だけで旅をするなんて嫌だったんですよ」

 美女が笑う。

 女装していて言う台詞じゃない。

「言っておくけど、男だけの旅が嫌だって言ったのはロイだけだから」

 王子はそうツッコミを入れると話を元に戻した。

「まぁ、そういったこともあって、僕は花嫁コンテストの内容をドラゴン退治に決めたんだ。というのも、同行させるとしたら、ある程度護身はできなくちゃならないだろう? 弱々しい女の子じゃ駄目なんだ。その点ドラゴン退治にしておけば、最終的には腕の立つ女の子が残るはずだから。……君みたいな、ね」

 そう言って王子は、地面に下ろされた時に放り投げたあたしの抜き身のままの剣に触れた。

 柄の方を差し出されて、あたしはその剣を鞘に収める。

 そして更なる説明を求めて王子の顔を見上げた―――が、どういうわけか王子は顔を赤くして私の方は見ずにあさっての方を向く。

「……初めて見た時から、結構いけるかなって思ったんだ。好奇心強そうだったし、剣も扱えそうだったから」

「プハッ」

 ロイが急に噴き出す。

 ビックリして振り向くと、ロイがこちらに背を向けて震えていた。

 でもそれは寒いとかではなくて、どう見ても笑いをこらえている感じだ。

 もう一人の従者――後で名前を聞いたらリュウイと名乗った――も、口を手で押えて笑いをこらえているよう。

 な、なんなのさ、この反応は?

 どうも王子の言っていることに笑っているようなのだけど……意味分かんない。

 しかも、ロイってば笑いながら「ツンデレだ……王子…そういうキャラだったんだ」とかブツブツ言っているし。

「とにかく!」

 王子がロイの呟きをかき消すかのように急に大きな声を出す。

 でも、まだまだ顔赤いし、あさっての方を向いたまま……。

「せっかくだから君にも参加して貰いたかったんだ。でも、その予定はないって言うし……。それで――君を参加させようと、ロイに嘘をつかせたんだよ」

 嘘。

 って、今、思いっきり嘘って言ったよね。

「……じゃあ、本当に嘘なのね? おばあちゃんの病気治せないの? ……そんなぁ」

 あたしはてがっくりと垂れた。

 騙されたことに、腹を立てる気力もなかった。

 せっかくこんな所まで来たのに。来たのに。

 それが全部無駄だったなんて……。酷い。


 肩を落として嘆くあたしに、龍が顔を近づけてきた。

 鼻先が触れそうな程、近づけて―――ぎょっとするあたしの顔を静かに覗きこんだ。

 青い宝石なような瞳に、惚けたあたしの姿が映る。

 龍の瞳は―――不思議に澄んでいて、奇麗だった。

 あの時あんなに恐ろしかったのが嘘みたいだ。

 龍って、こんなに優しいものだっただろうか―――。


 チカチカ。

 龍の瞳に反射する光りが、眩く瞬いた。と、同時に、あたしの頭に、一つの声が飛び込んできた。


 ―――勇気ある娘よ。


 それは、龍の言葉だった。

 耳に、不可思議な音が響いてくる。金属的な、はじけるような、声。

「え?」

 あたしはパチパチと目を瞬かせた。


 ―――私の身体の一部は、確かに薬にはなる。けれども、それは身体的な治癒であって、精神的なものには一切作用しないのだ。そして一度衰えたものを元に戻すこともできない。だから含んでも、不老不死にはなれない。命を与えることも出来ない。


 その龍の言葉の後を、王子がついだ。

「ボケっていうのは、まぁ、脳の損傷でもあるようだけど、それをたとえ龍の髭の力で直しても何もなかった時に戻せるわけではないんだ。衰えたものを元に戻すことはできない。……記憶力が無くなっていくとか、忘れっぽくなるとか、老い――万人に訪れるソレと同じように、治すことはできないんだ。龍の力をもってしても」

「じゃあ、もうボケてしまった以上、元には絶対戻せないのね」

 あたしは泣きたくなってしまった。

 おばあちゃん。おばあちゃん。

 元には戻せない。聡明で明るい、あのおばあちゃんには―――。


 ―――だが、止めることは出来る。これ以上にはならないように。


 という声が、頭に響いてきたと思ったとたん、あたしの手の中に、太く長いモノが現れた。

 それは、龍と同じ、蒼色をしているひも状のもの。

 それがいきなりあたしの手の中でクルクルっと丸まり、蒼い球体の石のようなものになった。


「龍の、髭だよ。君にくれるって。お祖母さんにお守り代わりにもってもらうといい。少しずつ脳の損傷を直していってくれる。そうしたらこれ以上ボケがひどくなることはないと思うよ。もしかしたら少しは回復するかもしれない」

 よかったね。と王子はにっこり笑って言った。

 そばにいたロイとリュウイは、何が何だかわからないといった表情をしていて、それであたしは、龍の言葉が聞き取れたことの意味に気づいたのだった。

 ――龍の祝福。

「本当……?」

 あたしの口から、驚きの言葉が出た。

 でもそれは、龍の髭に対してなのか、それとも龍の祝福を受けたことに対する驚きなのか、あたし自身にもよく判らなかった。


 ―――単身で、しかもあのような方法で、私に向かってくるとは……。


 龍はその深く青い目をうれしそうに細めた。


 ―――こんなに楽しんだのは、王子がここに初めて訪れた時以来だよ。……勇気ある娘。


「あ……」

 あたしは、思い出して、俯いてしまった。

 勇気ある、だなんて。

 龍を前に、あたしはどうしようもなく震えてしまった。怖かった。恐怖で身体が竦んでしまった。

 立ち向かえたのは、おばあちゃんのことがあったから。

 それが無かったら、あの女の子たちと同じように、あたしも逃げだしていた。

 これが、勇気のわけ……ないわ。

 視線を落としたあたしを、王子達は不思議そうに眺めていた。

 けれど龍には、あたしの心が分かったみたいだった。

 その青い瞳であたしの顔を覗き込む。


 ―――それは、勇気だよ。娘子。他人の為に、力を尽くす。それも勇気だ。王子が、私に今回の事を頼んだのは、ただ腕の立つ娘を選びたかっただけじゃなく、一番勇気のある娘を見極めたかったからなのだ。でなければ、わざわざ竜退治にしなくとも、他にいくらでも方法があった。……巨大なモノを前に立ち向かえる勇気。他人のために尽くす優しさ。それが王子の求めていたものだったのだ。


 あたしは王子を見た。

 王子は優しく、微笑んでいた。あたしに向かって。

 そして、力強くうなずいた。

「ありがとう」

 あたしは龍の髭を胸にぎゅっと抱きしめた。


 龍は、ああ言ってくれたけれど、自分の勇気のなさ。あの震え。

 本人はよく判っている――あたしは本当に怖かったのだ。

 龍に向かっている間も、怖くて、怖くて、逃げだしたかった。

 だけど―――。

 王子は、あたしに勇気があると、言ってくれた。龍も言ってくれた。

 だから、あたしは、自分の中の勇気を信じてみようと思う。

 自分の中の勇気を、少しずつ育てていってみようと思う。

 王子の為、龍の為、そして今度は―――自分の為に。

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