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龍の髭  作者: 富樫 聖
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第十話 蒼き森の龍 3

 大丈夫。あたしは平気。

 あたしは、視線を龍に戻した。

 あたしに怖いものなんて、ない。神龍の怒りよりも、もっと恐怖だと思うものを、あたしは知っているから。

 こんな危険を冒すよりも、そして、おばあちゃんが元に戻らなくなるよりも、もっとずっと、あたしにとって、怖いもの。

 それは、おばあちゃんがあたしの名前も判らなくなってしまうよりも―――そうなったおばあちゃんを、家族が、そして何よりあたしが、いっそのこと居ない方がいいと思ってしまうこと―――。

 あたしを育ててくれたおばあちゃんを、大好きなおばあちゃんを、死んでしまった方がまし、だなんて、あたしが、思う。

 そんなの、嫌。死んだって嫌。

 それだったら、まだ龍と御対面していた方がましだ。


 龍を、見下ろす。

 やるとしたら、目しかない。飛び下りて、目を刺して―――怯んだ隙に、喉の所にある髭をとるしか、ない。

 そして素早く逃げなくちゃ、あの鋭い爪か、口から吐く火にでも殺られてしまうから。

 あたしはスゥと息を大きく吸った。

 剣をぎゅっと握る。ゆっくりと、息を、吐く。


 行くっ!


 あたしは大きく跳躍した。龍の目を目掛けて。大きく、高く。

 ところが、その時、切羽詰まったような、でも稟とした声が辺りに、そしてあたしの耳に轟いた。


「やめるんだ、シアっ! 龍の髭を取ったって、君のお祖母様の病気は治せないんだ!」


「―――えっ?」

 注意が、逸れた。と同時に、龍の頭部が動いて、あたしは完璧に目標を外した。

 ―――やばいっ!

 あたしは声はならない声を上げて、目をぎゅっと閉じた。

 このまま落下すれば、地面に激突する。このスピード、高さ。絶対に助からない。

 あたしは両腕で顔を庇いながら、地面に激突するのを待った――――。


 意識が、ふっと浮上した。

 落下の速度も、受ける風の抵抗も、感じられなくなった。

 ……気がつくと、あたしの身体は、ゆっくりと、降りていっていた。

 予想よりも長く生きていることにあたしは驚いて、顔を覆っている手を外した。

 龍がいた。

 あたしを、見ている。その赤い瞳で。

 でも表情は穏やかだった。


 あたしは、自分の状態の不自然さに気づいた。

 だって、あたしは龍と同じ目の高さにいたのだ。

 重力とも離されて、でも、立っているわけでもなく、透明な円形のモノに包まれて、守られて。

 そして、ゆっくりゆっくりと、龍の前の地面に降ろされていく―――。


 ―――え?


 王子が慌てて馬を降りて、走ってやってくる。

 その王子の元に、ゆっくりと降下していくあたしは、それをボーと眺めた。

 王子が腕を延ばす。

 その手に、あたしを包んでいた透明なモノが触れるや否や、それはパッと散って無くなった。

 急にがくんっと重力が襲ってきて、受け止めた王子ともども、あたしは地面に尻餅を着いた。

「何が―――?」

 あたしは、もう放心状態。

 何が起きたのか、さっぱり判らなかった。

 でも一つ、白紙に近い頭でも判るのは、あたしが、自分で討とうとした龍に、助けられたということだった。

 あたしの顔を覗きこんだ龍の瞳は穏やかで、そしてとても優しい光りが宿っていたのだ。

 それを、あたしは覚えていた。

「……シアっ。君って、人はっ。あれ程無茶するなって、言ったのに。勇気と無謀は違うんだぞっ」

 お互い尻餅をついた状態で、王子はあたしに怒鳴った。

 ついで、胃の辺りを片手で押えると、痛そうに顔をしかめる。

「‥‥胃が痛い…」

 あたしはハタッと我に返って、王子を見つめた。

「ど、どうしたの?」

 道の入口から、二人の従者が駆けてきた。

「王子、どうしました? 大丈夫ですかっ」

「どこが痛みますか? 今、薬をお持ち致しますっ」

 という二つの、野太い男の声が同時に辺りにこだまする。

 従者は駆けつけると、王子のすぐ傍に屈み込み、俯く王子の顔を覗き込んだ。

 何もしてあげることがなく、従者たちの後でおろおろとしていたあたしだったけれど、何かがおかしいことに気づいて、思わず首を傾げた。

「いや、大丈夫だよ」

 やや青ざめた顔を上げて、王子は微笑む。

 そしてあの人――女従者――が、心配そうに眉をひそめて、言う。

「どうなされたのです?」

 低い、よく通る、の声。

 何処かで、聞いたことのある、声、だった。

 んん?

 女の声にしてはちょっと野太すぎないか?

「………胃が痛い。心臓もバクバクいってるし、冷や汗もかいてる」

 言いながら、お前のせいとばかりに王子はあたしを見た。

 その顔に浮かんでいるのは心配そうな表情と、若干の非難。

 だけどあたしはその表情を見そこねた。

 従者の顔に釘付けになっていたから。

「―――あっ」

 あたしは、小さく叫んだ。

 どこかで聞いたことのある、男の声。

 その人物に気づいて、あたしは唖然としてしまった。

 あたしの驚愕の視線に気づき、あの人―――つまり、井戸で会った灰色のフードを被った男は、悪戯っ子のように、にやりと笑った。

「あ、あなた―――っ」

 と言ったきり、あたしは絶句してしまった。

 だって、だって、男よ!

 女の格好しているけど、よくよく見てみたら喉仏あるし、声は完璧に男だし!

 井戸で会って、あたしに龍の髭のことを教えてくれた、あの男が、あろうことか、女装なんてしてて―――。

 これが驚かずにいられる?

 森で熊から助けてもらった時は声なんて出してなかったからわからなかったけど、一言でもしゃべってくれてたらすぐに男だって分かっただろうに。


「……ど、どういうことよっ! なんで女装なんてしてるのよ?」

 絶句から立ち直ると、あたしは大きな声で叫んだ。

 そして、もう一つ、大事なことも思いだしたのだった。

 岩の上から跳躍した時、王子が言った言葉だ。

「そ、それに。病気が直せないて、どういうことよっ。あなた昨日、直せるって、言っていたじゃないのよっ」

 女装の麗人。もしかして、とんでもないペテン師に、あたしは詰め寄った。

「シア。ロイを責めないでくれ。順に説明していくから」

 王子が青ざめた顔をしながらそう言わなければ、あたしは奴の首を締めていたかもしれない――――。


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