転校生をバカにすることなかれ~中学校編①~
先に小学校編を読むことをおススメします。
読まなくても特に問題はありませんが、読んでいただけたら嬉しいです。
私は「幼馴染」という言葉が大嫌いだ。本やマンガ、映画やドラマでも幼馴染という人間関係が出てくる話はたくさんある。
そして、恋愛もので幼馴染が出てくると、大抵の物語は、幼馴染同士が結局つき合うことになるのだ。主人公に幼馴染がいる場合、少年マンガやスポーツものでも、かなりの確率で、幼馴染同士が最終的に付き合うことになるのだ。例外もあるとは思うが、私はそれがとても嫌だった。
実際に私にも家が近くで、小さいころからずっと一緒に過ごしてきた幼馴染が存在する。顔と容姿だけはイケメンで、昔から女子からも男子からも人気が高かった。幼馴染としてそれはそれは誇らしかったのだが、いかんせん、頭の出来が最悪だった。
そのために幼稚園や小学校低学年くらいまでは良かったのだが、それ以降はただのバカでしかなかった。バカでもイケメンの部類に入るので、女子からは中学校に入ってもいまだにモテモテで、男子からも人望が厚いと来ている。
容姿さえよければ、何でもいいとはこのことである。
それはさておき、バカということは、その息子の親としては、どうにかして、少しでも学力を伸ばしたいと思うだろう。そこで、目をつけられたのが、私である。
ただ家が近かったというだけで、私はそのバカの勉強係兼世話係に任命されてしまった。確かに、私は昔から勉強は得意な方だった。社会の歴史上の人物を暗記するのも得意だったし、数学の文章題を解くのも嫌いではなかった。
大人に頼まれてしまえば、引き受けざるをえない。仕方なく、私は勉強係兼世話係を引き受けることになった。
世話係というのは、そいつが本当に顔だけということを証明しているようなものだった。顔以外に何も取り柄がなかったのだ。忘れ物は多いし、もはや朝も満足に起きられないと来ている。どうしようもないクズだった。
世話係と称して、日常生活の全般も面倒を見なければならないということであった。
それによって、まさか私たちがお似合いカップルだとうわさされることになるとは思ってもいなかった。
私の容姿もそのバカには劣るが、そんなに悪くはなかった。不細工と言われることもなかったし、容姿のことで悪く言われたことはなかった。そのせいもあるだろう。ただでさえ、面倒を見ることになり、一緒にいることが多くなってしまったので、私とそのバカが二人でいることが多くなったのは事実だ。
ただ一緒にいるという事実だけで、あることないことうわさは流れていく。
面倒を引き受け始めたのは、小学校4年生くらいのことだ。それから1年くらいで、私たちは、クラス内はもちろん、学年内では知らない人はいないというほど有名な幼馴染カップルとなってしまった。先生もそのうわさを信じてしまい、ことあるごとに私たちをからかってくるようになった。
意味がわからない。そもそも、隣に住んでいる男とは、ただ面倒を見ているだけで、例えれば、金持ちのボンボンとそれに仕えるメイドみたいなものだ。実際にそんなことは決してないのだが、イメージはそんな感じだ。
こちらは仕事して一緒にいるのであって、バカの親に頼まなれなければ、こんな奴の面倒は見たくもないというのが本音である。
私の男子の理想はこんなイケメンバカでは決してない。確かに顔はイケメンの方が好みだが、中身が伴っていないイケメンバカは論外である。いくらイケメンでも、バカはしょせんバカなので、内面のバカさ加減が容姿にも反映されて、どうにも好きになることができない。
それからというもの、私は幼馴染という言葉も、それに関連する内容の話は生理的に受け付けなくなってしまった。あらすじを見るだけでも吐き気が出そうである。
話の中で、よく転校生などのよそ者が幼馴染の仲を裂こうと出てくることがある。そして、彼らはただの、幼馴染たちのつき合うための一歩を与えるに過ぎない、かませの存在でしか扱われることはない。
だからこそ、中学校に入って、転校生というものが私のクラスにやってきたときに願ってしまった。
「願わくば、私とイケメンバカの仲を修復不能なくらいぶっ壊してくれないか。」
2
「別府えにしです。今まで青森県にいました。よろしくお願いします。」
彼女は自己紹介を終えると、席に着く。すぐに次の生徒が席を立ち、自己紹介を始めていく。
私はこの春、中学生になった。中学に入って、新しい生活が待っていると、わくわくしていたのは昔の話だ。何せ、私たちの中学校は、隣同士の小学校2つが合わさっただけであり、クラスメイトの半分は顔見知りという、大して新鮮味もないからだ。
クラスの半分が顔みしりということもあって、新鮮さが半減している。さらには小学校のクラブ活動で知り合った子もいるので、新しい出会いというものが少ないのだ。
その中で、新鮮さを教室に運んできたのが、この春、私たちと一緒に入学した別府えにしという少女だ。自己紹介にもあったように、他県から来ているので、目新しい存在だ。
自己紹介が終わり、昼休みになると、皆彼女の存在が目新しいのか、彼女の周りに人だかりができていた。
「青森から来たんだね。すごい遠いところから来たんだね。転校するってどんな感じ。」
「いいなあ、私も一度は転校してみたいかも。いろいろなところに行けるし、いろいろな人と会えるってことでしょう。」
「でも、引っ越しは面倒くさそうじゃない。私は片付けが苦手だから無理かも。それに友達と別れるのも嫌かも。」
クラスメイトが口々に彼女に話しかける。それを嫌がらずに彼女は静かに話を聞いている。さらには一言一言、コメントまで返している。
「転校がどんな感じかと言われると、私は慣れてしまって、今では結構楽しんでいるかも。でも、昔はせっかく仲良くなった友達と別れなくちゃいけないって、悲しかったかな。」
「転校もよし悪しだと思うよ。仲良くなった友達と別れるのがつらい。でも、確かに新しい出会いがあるから、プラスマイナスゼロって感じかな。」
「引っ越しの片づけは面倒かもしれない。私も片づけは苦手だから、そういう意味では引っ越しして転校するのに向いていないのかもね。」
私は彼女と取り巻きの様子を静かに観察していた。どうやら、彼女はこれまで何度も転校をしてきたようだ。それで、周りからたくさん言葉をかけられても平然と、しかも、それぞれに的確な返答までできるのだ。
今度は彼女が取り巻きに話を持ち掛けた。
「私ね、転校ばっかりしているでしょう。だから、幼馴染っていう存在にあこがれているの。だって、私には縁のない存在だから。」
続けて、彼女は少し変わった質問をしていた。
「それで、私は少しでも幼馴染の存在を身近に感じたいなと思っているの。このクラスだと誰と誰が幼馴染なのかしら。」
私はその時、とっさに教室から飛び出した。なんだか嫌な予感がしたからだ。別に彼女にイケメンバカと幼馴染ということがばれても、今更なので構わないのだが、それでも、彼女の耳に入ってしまうのはやばい気がした。
彼女はその質問をした後に、私のことを一瞬見つめていた。目が合ってしまって気付いたのだ。転校を繰り返してはいると言っていたが、誰もかれもが、こんなにすぐにクラスメイトと打ち明けられるはずがない。彼女はどこか壊れてしまっているのだということに。
彼女の目には生気が感じられなかった。話し方や声のトーンは明るいが、顔の表情はマネキンみたいに無表情だった。笑顔を作っているようだが、わざとらしい。
おそらく、彼女と話していた取り巻きの誰かが、私とイケメンバカの関係を暴露するだろう。すぐにばれてしまうと思うが、ばれる瞬間を見たくなかったので、私は教室を出たのだろう。自分の行動に対し、きちんと理由をつけて、教室から出た私はお手洗いに向かうことにした。
別府えにしという転校生が、私と幼馴染のイケメンバカの仲を壊そうとする存在が現れたというのに、なぜだか、うれしさも期待もなく、ただ、面倒ごとが待ち受けている未来しか見えなかった。
3
中学生になると、部活動が始まる。小学校でもクラブ活動はあったが、強制参加ではなかった。そして、週に1~2回程度しか活動は行われなかった。しかし、中学生の部活動は強制参加であり、大抵の部活は毎日行われるものである。
私は、小学校から続けている陸上部に入ることにした。専門競技は短距離で、100mや200mが得意種目である。中学校でも頑張ろうと決めていた。
まずは体験入部期間があり、いろいろな部活を体験して、最終的に入りたい部活を決めるようだ。私は最初から陸上部に入ろうと決めていたが、そうではない生徒もいるらしい。
「武田さんは陸上部に入る予定なんだよね。実は私も陸上部に入ろうと思っていたから、体験入部に一緒に行きましょう。」
放課後、私が陸上部の体験入部に行くため、教室を出ようとすると、声をかけられた。声の主を確認するために振り向くと、別府えにしであった。入学してから、初めて声をかけられたと思う。幼馴染の話題が出て、その真相がどうなったのか、直接本人に確認したかったのだが、なかなか勇気が出ずに聞けずじまいだった。
「ええと。私はそのつもりだけど、別府さんは小学校の時に陸上をやっていたの。」
「いいえ。転校が多かったから、クラブ活動も参加したことがないの。だから、陸上競技は本格的にやったことはないかな。でも、走るのは結構得意だから、やってみようと思って。」
一緒に行こうと言われてしまったので、仕方なく、陸上部が活動している校庭まで並んで歩いていく。陸上をやったことがないというのなら、特に話すことは私からはなかった。いや、話すことはあった。あのイケメンバカとのことだ。どうやって切り出したらいいだろうか。
「そういえば、別府さんと向田君は幼馴染なんだって、クラスの子から聞いたけど、それは本当かしら。」
私から話を切り出さなくても、彼女の方から、幼馴染についての話題を持ち掛けてきた。
「ええと、まあ、確かに小さいころから家が近所だから、一緒に過ごしてはきたから、世間一般から言えば、幼馴染といえるかもしれないね。」
あいまいに答えておくことにした。私自身はあのイケメンバカと幼馴染という関係だけでひとくくりにされるのが嫌だ。だからこそ、幼馴染という関係を断言したくはないのだ。
私の発言を聞いて、彼女は少し驚いたような顔をした。考え込むように一度目をつむり、すぐに顔を上げた。
「もしかして、幼馴染といわれるのが嫌だったりするの。もしそうなら、ごめんなさい。そうよね。世の中のだれもが、幼馴染を自慢するわけではないわね。」
そして、突然謝られた。頭を下げられてしまい、あさってしまう。別に謝るような発言をしたわけではないので、顔を上げてほしいというと、おとなしく顔を上げる。
「入学式の日にもクラスメイトに伝えたんだけど、私は転校が多くて、幼馴染という言葉に過剰になっているの。だって、私がどう頑張っても手に入らない関係だもの。あこがれというか、なんていうか……。」
「そんなにいいものでもないけどね。幼馴染なんて。」
ぼそっとつぶやいた言葉は彼女には聞こえただろうか。そんな話をしているうちに玄関にたどりつく。私たちは上履きから外靴に履き替えて、校庭に向かった。
体験入部を一緒に行って以来、別府えにしは私によく話しかけてくるようになった。しかし、話題はいつも決まって、幼馴染についてだった。
あのイケメンバカといつもどのように過ごしているのか、中学校に入っても、休日は一緒にいることが多いのか。彼のことをどのように思っているのか。根ほり葉ほりいろいろ聞かれた。
「どうして、そんなに幼馴染にこだわっているの。もしかして、別府さんも漫画とかアニメとかの幼馴染設定を信じている痛い人なの。」
あるとき、思わず聞いてしまった。だって、こんなに熱心に幼馴染を押してくるのはどう考えても尋常ではない。何か理由があってのことだと思うのだ。その理由として考えられるのが二次元というわけである。
「そうねえ、まあ、少しは影響されているかもしれないけど、それだけが理由でもないわ。でも、理由を教えるとつまらなくなるし、理解してもらえないと思うから、話さないけど。」
4月が終わり、GW明けに部活動の体験入部期間が終わり、一年生は部活動を正式に決めることになった。私はもちろん、陸上部に入部届を出したが、別府えにしもまた、陸上部に入部届を出していた。
はれて、私と彼女は同じ部活になったのだった。
4
中学校と小学校の違いといえば、部活動の他にテストがあるということだろう。GWが終わり、部活も正式に決まったところで、中学校最初のテストが一週間後に待ち受けていた。
私はというと、小学校の時から、勉強は嫌いでなく、むしろ答えが出て、やればやるだけテストの点数が上がるということで、勉強はむしろ好きな方だった。
世の中、私みたいな人ばかりだったら、それこそ、バカという言葉はこの世からなくなっていただろう。残念ながら、そんなことはなく、バカはこの世に存在した。
その筆頭ともいえるのが、私の幼馴染といわれている向田俊哉である。今まで、小学校の4年生から、勉強係兼世話係を押し付けられているが、一向に学力が伸びる気配が感じられない。見かねた彼の両親は塾に通うことを彼に勧めたのだが、彼は全て断っていた。
「塾なんて行かなくても、俺にはあやながいるから大丈夫だ。あやなが勉強を教えてくれるから。」
そんなふざけたことを抜かしていた時期もあった。それを信じた両親はしぶしぶ納得して、彼は中学校に上がるまで、塾に通うことはなかった。
イケメンバカのこの発言のせいで、私は今まで以上に彼と一緒に行動せざるを得なかった。それが更に幼馴染カップルといううわさを広めることになった。
今回のテストはどうするつもりだろうか。彼は、小学校からサッカーをやっていたので、中学校でもサッカー部に入部したそうだ。
サッカー部の顧問は勉強ができない生徒が大嫌いらしい。ただし、ただ勉強ができないという生徒ではなく、努力もせずにぐうたらしていて、テストの結果だけ見て嘆いている生徒を嫌っているようだ。
まさしく、イケメンバカのようなタイプである。顧問はそういった生徒に対して、厳しく指導する先生だと同じクラスのサッカー部に入部した男子が友達につぶやいていたのを耳にした。
そんなサッカー部の顧問が、テストに対して、ある規則を決めたそうだ。
「勉強することができない奴にサッカーなんて無理だ。今回のテストでは点数がどうとは言わない。各自好きなようにテストに挑んでくれて構わない。ただし、それ以降のテストではその成績をもとにサッカーの指導をしていこうと考えている。」
先輩たち曰く、テストで先生は実力を見るようだ。バカはやはりバカなので、運動もできないと考えているのだろうか。先生の真意はわからない。
「あやな、俺にテストに出そうなところを教えてくれ。」
小学校からの癖で、イケメンバカはいつものように私に懇願してきた。小学校の頃にあまりにもバカ過ぎて、テストに出そうなところを教えたことがあり、それで味を占めたのだろう。テストがある前に必ず、この懇願をするようになった。
この話を持ち掛けてきたのは、テスト週間に入った初日だった。今日から、テスト週間ということで、部活もなくなる。部活の時間をテスト勉強に充てなさいという、学校側のありがたい配慮だろう。
「中学生にもなったんだから、ヤマくらい自分ではったらどうなの。私も自分のテスト勉強で忙しいの。あんたに構っている暇はないの。」
今回はあっさりと断ることにした。せっかくの初めてのテストである。やはり、良い点数と順位をとりたいものである。そのためには、普段から勉強しているとはいえ、しっかりテスト勉強に励みたい。こんなイケメンバカの相手をしている暇はないのだ。
しかし、まさか断られるとは思っていなかったという顔をされた。驚きと困惑の表情を浮かべたイケメンバカは断ったにも関わらず、なおも食い下がってきた。
「どうしてだよ。小学校の時は、教えてくれただろう。」
「いや、そもそも、テスト勉強というものは本来、自分でするものであって、他人からテストのヤマを聞くなんてことはしないからね。全部自分でやるのが普通なの。」
さらにこの際だから、本音をぶち明けることにした。
「中学校に入って、今だから言える話だけど、私はあんたの面倒を見るのはいい加減嫌なの。小学校の時から、私たちが周りからなんていわれていたか知ってる。『美男次女のお似合いカップル』だってさ。」
ハッと自嘲気味に笑って言えば、それのどこが嫌なのかわからない様子で首を傾げられた。
「自分でいうか普通。それに、俺たちが『美男美女カップル』なんていいじゃないか。周りから俺らの仲は認められているってことだろう。それのどこが不満なんだ。」
「はあ。」
こいつにはきっと理解できないだろう。私の好みの男子は外見イケメンのバカ、またはチャラい、ヤンキーイケメンではない。むしろ、その手の類の男子はごめんこうむりたい。理解してもらう必要はないが、今まで続いた勉強会とやらはもういい加減に止めなければならない。
「向田君は勉強が苦手なのかしら。だったら、私でよければ勉強を教えてあげてもいいよ。人に教えるのって、勉強になるんだって、どこかで聞いたことあるし。」
救いの手を差し伸べてきたのは、別府えにしだった。
5
「いや、いくら何でも、こいつのバカさ加減は半端ないから。」
私とイケメンバカは放課後の教室で、二人きりで話をしていた。他のクラスメイトはすでにテスト勉強のために家に帰っている。別府えにしも例外ではないと思っていたので、いきなり声をかけられて驚いた。今まで何をしていたのかは不明だが、今はそんなことはどうでもいい。
彼女の申し出には正直、戸惑いを隠せなかった。何を言い出しているのか、わかっているのだろうか。こいつはバカの中でも飛び切りのバカ。大抵の人間は教えようとして、三秒であきらめていくというバカの中のバカだ。
「そうは言っても、話を聞く限り、武田さんは向田君に小学校のころから勉強を教えていたのでしょう。」
「そうだけど………。」
「それなら問題ないわ。向田君。いつまでも武田さんに頼るのは良くないわ。いつかはあなたも武田さんから離れることになるのだから、今からでも、他の人に頼ることも覚えた方がいいわ。」
意味深な言葉を残して、そのまま彼女はその場を去っていった。残された私とイケメンバカは彼女の突然の登場をどう受け止めていいかわからず、混乱していた。
「別府さんに話しかけられた……。」
ただし、彼が思っていたのは、彼女から声をかけられたというどうでもいいことだった。
「あっそう。じゃあ、これからは別府さんに勉強を教えてもらえばいいんじゃない。彼女なら、優しく丁寧に教えてくれるかもね。その代わり、彼女に教えてもらうっていうなら、金輪際、私に勉強を教えてなんていわないで。迷惑だから。」
彼が別府えにしに教えてもらうことで、勉強係兼世話係りから外れることができるならば、これよりうれしいことはない。そう思うのに、こんなぽっと出の転校生があっさりと私の苦悩を取り外してくれそうなのは、なんだか釈然としない気分だった。
それから、テスト週間中、私は自分の勉強だけに時間を割くことができた。最初は、いつもの癖から、イケメンバカが近くにいないことに違和感を感じていたが、それも2,3日たつとすぐにその状況に慣れた。そのため、中学校初のテストに向けて、万全の準備ができたのだった。
部活がなくなるということで、いつもより、1時間近く家に早く帰ることができ、私は帰りのHRが終わると、すぐに帰りの支度をして自宅に帰ったのだが、別府えにしとイケメンバカは、二人でどこで勉強するのかを話し合っているようだった。楽しそうに話すイケメンバカを見ると、また腹が立ったが、その理由を考えるのもあほくさかったので、すぐに家に帰ることにした。
「あやな、としやくんと喧嘩でもして別れたの。」
そんなことを同じ小学校出身のクラスメイトが話しかけてきたのは、テストを週明けに控えた金曜日の昼休みのことだった。
「喧嘩はしてないし、そもそも付き合ってもいないからね、私たち。別れるとかの問題でもないから。」
「でも、みんな、としやくんが別府さんに乗り返ったって、うわさになっているよ。あやなが振られたみたいな感じになってるけど。真実はどうなの。」
私がいくら付き合っていないといっても、話を聞いてくれないことはすでに慣れているので、今回もうわさを正すことはあきらめた。その後も、ちらほら、私とイケメンバカ、別府さんの関係を問いただされたが、面倒なので、黙秘することにした。
週末も、イケメンバカから何も連絡はなかった。ここまで何も音沙汰がないと、逆に気味が悪くなってくる。とはいえ、自分から話しかけるなといった手前、連絡するのもバカらしいので、やはり放っておくことにした。誰にも邪魔されることなく、土日もテスト勉強に集中することができた。
6
週が明けて、いよいよ中学校最初のテストが始まった。テストは2日間にわたって行われた。中学校一年生の初めてのテストで、みな、私と同じように準備をしっかり行ってきたのだろう。テストの最中に周りをちらっと確認すると、机の上のテスト用紙にかじりついて問題を解いていた。シャープペンの筆記音がカリカリと静かな教室に鳴り響く。
ふと、一人気になる生徒を見かけた。テストが始まって20分くらいたっただろうか。時計を見て時間を確認しながら問題を解いていた私は、思わず二度見してしまった。
それは、一限目の数学の試験だった。その生徒は、すでに問題を解き終えたのか、問題用紙を裏返しにして、何とそこに絵を描いていたのだ。周りはまだ問題を解いている生徒が多い中で、その行為は目立っていた。
別府えにしだった。彼女は勉強が得意なのだろうか。まあ、それでなければ、わざわざあのイケメンバカに勉強を教えようと言い出さない。
彼女を見つめていたのは数秒くらいだっただろうか。私の視線に気づいたのか、目があってしまった。慌てて、机の上の問題用紙に目を下ろす。なぜか、見てはいけないものを見たような気がして、その後の数学のテストは集中できなかった。とはいえ、普段から勉強と、中学校最初の問題が、正と負の簡単な計算とそれに関する文章題であり、そこまで考える問題もなかったので、テストの点数に影響は出ないだろう。
それからのテストも、彼女は決まって、テスト開始から20分ほどでテストの問題用紙を裏返し、そこに絵を描いていた。その様子をいちいち確認していた私もどうかと思うが、気になって仕方がなかったのだ。
こうして、テスト二日間は無事に終了した。ちなみに彼女と一緒に勉強したあのイケメンバカの様子も確認してみたが、彼もどうやら少しは勉強をしていたようだ。問題用紙に向かって、真剣に悩む姿を見ることができた。
月曜日と火曜日にテストが行われて、水曜日にはもう、一日目に行った教科のテストが授業で返却された。最初に返却されたのは、数学のテストだった。名簿順にテストが返却されていき、呼ばれた生徒は教壇にいる先生のところに解答用紙を受け取りに行く。
「武田。」
「はい。」
私の名前が呼ばれたので、席を立ち、解答用紙を受け取りに行く。解答用紙を渡す際に、先生にほめられた。
「すごいぞ。これからも頑張るように。」
全員分の答案用紙が各自に返却され、先生が今回のテストの最高得点と、クラスの平均点、学年の平均点を黒板に書いていく。最高得点は100点。どうやら、ほめてくれたのは満点だったからのようだ。
「今回のテストは、みな、よくできていた。100点も数人ほどいた。素晴らしいできだ。これからも頑張って勉強していくように。」
私以外にも100点がいるということだ。さて、いったい誰が100点を取ったのだろうか。気になるが、わざわざ人の点数を聞くのは気が引ける。まあ、人のことなど気にすることもないだろう。
その後も、テストは次々と返却された。5教科すべて返却され終わったのは、金曜日のことだった。
私は5教科の結果は満足のいくものだった。国語100点、数学100点。英語95点。社会98点。理科95点だった。惜しいミスを何箇所かしたせいで、オール100点は無理だったが、まずまずの出来だったと思う。それに周りの反応から、私のように結構点数を採れた人は多いらしい。
テストの間違いがないかの確認が行われた。間違いがあった生徒は速やかに先生に報告するように言われた。私は特になかったが、数人が先生に間違いを訂正していた。
テストの順位は、来週の月曜日に発表されるようだ。私自身の順位も気になるが、別府えにしや、あのイケメンバカの順位も気になるところである。来週が楽しみである。
7
土曜日のことだった。テストが終わっているので、土曜日は部活があった。テストが終わったその日から部活は始まっていたのだが、そこではなかなか別府えにしと話す機会はなかった。部活のメニューをこなす際に私語は禁止で、黙々と練習メニューをこなすために走っていたのだ。休憩中も休むことに精一杯で話しかける余裕もなかった。
帰りも家の方向が違うため、一緒に帰ることもできずにいた。クラス内で話しかければよかったのだが、イケメンバカと私と別府えにしの謎の三角関係のうわさが流れているのを知っているので、うかつに声をかけづらかったのだ。
そうこうしているうちに、土曜日の部活まで話す機会がなかったというわけだ。土曜日の練習は平日の練習と比べて、部活の時間が長いために、休憩時間も平日より長めにとっている。
休日の練習は、近くの運動公園のグラウンドを使う。休憩は、荷物などが置かれている倉庫の日陰で休むことになっていた。
「武田さんは、今回のテストどうだった。私はだめだった。もっと自分はできると思っていたのだけど、この結果だと、私はただのバカということだわ。」
休憩中に私から話しかけようと思っていたら。彼女から話しかけてきた。
「ええと、もしかして、別府さんは見直しとかしなかったから、悪かったのかもしれないよ。ほら、問題を解き終わってすぐに裏に絵を描いていたでしょう。」
彼女が今回のテストの成績が悪かったというので、つい思ったことが口から出てしまった。
「あら、見ていたの。確かにそれかもしれないわね。私は悪かったけど、別に私のことはいいの。武田さんのテスト結果を知りたいわ。」
「私は……。」
なんて答えようか迷っていると、彼女は思いもよらない言葉を投げつけてきた。
「まあ、よかったんでしょうね。だって、テストが返却された時の顔が結構うれしそうだったから。」
私が彼女を見ていたように、彼女も私を観察していたようだ。お互いに気になる人物ということか。気を付けて行動をしないと、彼女に足元をすくわれてしまうかもしれない。
「それはそうと、としや君の結果はどうだったのか気になるでしょう。」
あのイケメンバカの話題を振ってきたので、顔をしかめると、別府えにしに笑われてしまった。
「よほど、彼のことが嫌いみたいね。でも、彼、すごい勉強熱心だったわよ。だから、武田さんも今度機会があったら、ほめてあげるといいわ。としや君もきっとあなたに褒められたらうれしいと思うわ。」
名前呼びになっているのが気になった。いつの間にそんな親しくなっているのか。テスト期間中に一緒に勉強した時にしかありえない。しかし、どう見ても真面目そうに見える別府さんが、あのイケメンバカを好きになることはない。私の偏見だが、断言できたので、名前呼びに違和感を感じた。
その違和感に気付くことができなかった私は後々後悔することになるのだった。そもそも、別府えにしがどうしてわざわざ、イケメンバカの勉強を見たいと言い出したのか、その理由に気付くべきだった。
「休憩終わり。さあ、残りの時間もしっかりやっていくよ。」
顧問の休憩終了の合図を聞き、私たちはまた練習を再開した。そして、そのまま、部活は終わり、いつもどおりの週末を過ごしたのだった。
8
月曜日になった。帰りのHRでテスト結果が配られた。細長い紙きれに5教科のそれぞれのテストの得点、その下に各教科の個別の順位、一番右の欄に5教科の合計点数と総合順位が記載されていた。さらには、クラス内の順位も学年順位の下に記載されている。
これもまた、名簿順に先生が生徒の名前を呼んで、教壇の前で渡すことになっていた。私の番が来たので、名前を呼ばれて教壇前まで歩いて行って受け取る。
「よく頑張ったなあ。これからもがんばれ。」
先生はたいそう嬉しそうだった。よほど良い順位だったのだろう。そっと渡された紙きれを見ると、何と驚くべき順位が記載されていた。
席について、思わず二度見をして確認していると、後ろから覗きこまれていたようだ。どうやら、結構な時間、眺めていたようだ。
「すごおい。武田さん、学年一位だって。」
クラス中に響く大声で、別府えにしが私の順位をクラスに伝えた。クラス中が一気にざわざわとうるさくなる。
「まじかよ。」
「うちのクラスに一位か。」
「小学校の時から、あやなは頭よかったもんね。」
「そんなことないよ。ただ、今回は初めてのテストだったから頑張っただけだし。」
驚きの声と、賞賛の声が相次ぎ、それにこたえるのに精いっぱいになっていると、別府えにしはその一言だけで、そのまま自分の席に戻り、そのまま今度はイケメンバカに話しかけていた。
「静かに。まだ帰りのHRは終わっていませんよ。別府さんもむやみに人の順位を他人に言いふらすんじゃありません。」
「はあい。ごめんなさあい。」
なぜか、別府えにしの言葉は語尾が上がっていて、後ろにハートが付きそうな気色悪い声を出している。イメチェンだろうか。それとも、担任に媚でも売ろうとしているのだろうか。
帰りのHRが終わり、部活に向かおうとすると、別府さんが先ほどの件を謝ってきた。
「さっきはごめんね。つい、一位を見て驚いて声が出ちゃった。お詫びに私の順位と点数も教えるね。やっぱり、私って自分が思っているほど頭がよくないみたい。」
頭がよくないという割に、他人に順位を見せるのは平気のようだ。よくわからないのだが、見せてくれたので、遠慮なく見せてもらうことにする。
「えっ。」
まさかの順位だった。これは予想もしていなかったので、言葉に詰まってしまった。
「武田さんもびっくりしているね、私も自分の点数に驚いちゃった。まさか、私がすべての教科で平均点を出すなんて思ってもいなかったから。」
普通に考えて、この結果はそう簡単に出せるものではないだろう。だって、すべての教科で平均点なんて、取れるはずがないのだ。それが、現実に起こっている。目の前の彼女は平然とした顔で、私って、平凡な子なのかしら、などとぬかしている。
「そうそう、としや君はどうだったと思う。」
「どうせ、学年最下位でも取ったんでしょう。」
そんなのは簡単に予想できることだ。だって私は彼とそれこそ、幼稚園の頃からの付き合いである。彼のバカさ加減は私が一番よく知っている。
「ざんねんでしたあ。」
「はあ。」
「何と、3桁ではなく、2桁の順位だったのです。」
私たちの通う中学校は一学年120人ほどだ。ということは、少なくとも、あとイケメンバカよりさらに馬鹿な奴らが20人はいるということになる。
「私の結果はダメだったけど、としや君が喜んでくれたからよかった。今度のテストも教えてあげようかな。」
「何が目的なの。」
「いやだなあ、ただの善意だよ。そうじゃなかったら、漫画みたいに私はとしやくんと武田さんとの間をさく、嫌な転校生役でしかなくなってしまうでしょう。」
笑いながら、私はこれから少し用事があるからといって、校庭に行く前に、どこかに行ってしまった。
残された私は彼女の行動や言葉の意味を考えながら、部活に向かったのだった。
9
テストが終わり、部活動が再開した。私と彼女は陸上部で日々練習に励んでいた。
ある日の週末、陸上の市内大会が総合グラウンドで行われることになった。そして、同日にはサッカーの試合も別のグラウンドで行われることになっていた。
「なあ、俺のカッコイイ姿を見に来いよ。」
例のイケメンバカに試合を見に来いと誘われた。誘われたのは、大会が行われる週の月曜日の朝だった。朝、登校して開口一番に言われた言葉だ。挨拶よりも先に用件とはいい御身分である。
「あいにく、私たち陸上部も大会があるので無理です。そもそも、その日はどの部活も大会で応援なんて来てくれないでしょう。」
そうなのだ。市内大会が一斉に行われるために、どの部活も大会があるのだ。
「そこを何とか頼むよ。おまえ、どうせ、選手じゃないんだろ。先輩の応援をするくらいなら、俺の応援に来いよ。俺なんて一年なのにレギュラーなんだぜ。」
自信ありげにいうのだが、レギュラーに選ばれるのは当然である。サッカーは11人で1チームとなるが、私の学校のサッカー部の部員はなんと、12人。試合のコートには11人しか出ることはできないが、交代もあるから、全員ユニホームをもらえる。すごいもくそもない。
それに、うわさによると、12人のうち、2人がゴールキーパーらしいので、もれなく全員試合に出ることができるというわけだ。
「としや君はレギュラーなんですね。すごいです。私なんて、出る人がいないから、無理やり出るという感じなので、尊敬します。」
私たちの会話に割り込んできたのは、別府えにしだ。
「いや、別府さんがその種目に出たいといったからでしょう。だって、その種目は……。」
「できれば応援に行きたいのですが、私も選ばれたからには走る義務があります。申し訳ありません。その代わりに、今日から一緒に帰りましょう。そうしたら、俊哉君の頑張りを見ることができなくても、頑張りを聞くことはできますから。」
「そ、そうか。まあ、大会なら仕方ないよな。でも、俺たち、結構部活が長引いちゃうから、待つことになると思うけど。」
「構いません。武田さんと一緒に待ちますから、終わるまでの間にいろいろ積もる話もできるでしょうし。」
よくわからないうちに、私と別府えにしとイケメンバカの三人で帰宅することになってしまった。
一緒に帰って気付いたのだが、彼女は、私たちの家と割と近いところにあるアパートに住んでいるようだった。
待ちたくもないイケメンバカを待つ毎日だったが、彼女の話を聞くのは思いのほか楽しかった。私は生まれてから一度も引っ越しも転校もしたことがないので、彼女が話す転校話は、心ひかれる興味深い内容のものばかりだった。
「それでね、私は転校することになったのだけど、そこで、ふと気付いたのよ。幼馴染を観察するのは本当に面白いことだと。私には縁のないものだから、見ていて飽きないわ。」
「幼馴染なんていいものでもありませんよ。だって、何でも一緒にひとくくりにされてしまうから。」
「それがいいという人がいるのでしょう。それなら、いっそ私がそれを壊してもいいけれど。」
転校についての話しをしていたはずが、どうやら、別府えにしは、幼馴染という関係にかなり固執しているということが改めてわかった。
彼女の物騒な発言は丸きりの冗談とも思えないほど、真面目で真剣な響きであった。
「本当ですか。」
「冗談に決まっているでしょう。そんなひどいことをする人に私は見えているかな。」
「そうは見えないけど……。」
「まあ、あなたは他の幼馴染と違って、少しは面白そうではあるけれど。それもどうなるのか……。」
最後の言葉はぼそっと独り言のように言われて、聞き取れなかった。
残念ながら、部活動の大会は、私は風邪で休むことになってしまった。風邪の原因はわかっている。私が買って読んでいる漫画の新刊が出ていて、それを買って家で読もうとしたら、最初から読みたくなってしまい、1巻から徹夜で読んでしまったことが原因だ。
漫画は現在26巻まで発売されていて、それを1巻から読み始めたので、読み終わるにはそれなりの時間がかかるだろう。その漫画は、私が嫌いな幼馴染展開にはならない。さらには幼馴染という関係性すら出てこないバトルものだった。
お風呂もそこそこに、髪も乾かさずにみふけってしまったのだ。私の髪の長さは、肩くらいまである。そのせいで、濡れた髪が冷たくなってしまい、そのまま徹夜をしてしまったので、風邪をひいてしまったというわけだ。
漫画の新刊を買ったのは、木曜日。次の日の金曜日は少し熱っぽい気がしていた。そして、部活が終わり、家に帰って熱を測ったら38度という高熱を出してしまったのだ。
なんとも情けない休み方である。そのため、私は陸上部の顧問に休みの連絡を入れた。顧問は苦笑いをしながらも、ゆっくり休みなさいと言ってくれた。
私が大会を休むことは、当然、同じ部活の別府えにしにも伝わることだ。それは当たり前のことで、何も思わない。しかし、どうしてイケメンバカまで私の家に見舞いに来るのだろうか。
最近はめっきりイケメンバカの家との連絡は途絶えていたはずで、私の親もわざわざ私の情報を隣の家に流すことはしていない。そもそも、情報を流すなと親にはきつく言っているのだ。それを破るとも思えない。
それなのに、別府えにしは、イケメンバカと一緒に私の家に見舞いに来た。そして、うるさいくらいに自分の陸上部の大会のこと、イケメンバカはバカで、サッカーの試合について延々と私に話し出した。
二人を見て思ったのだが、二人の距離は異様に近かった。まるで、付き合っている恋人同士の距離である。私はベットで寝ていたのだが、彼らは私のベットの横から話しかけているのだが、二人は密着して隣同士に座っていた。そんなに私の部屋は狭くないはずだ。
これは面倒なことが起こりそうだと、私の本能が告げているのだった。
10
一回目のテストが終わり、夏休みを目前に、中学一年生二回目のテストがすでに迫っていた。
今回も前回と同じようにイケメンバカは別府えにしに勉強を教わると言っていた。わざわざ私にそのことを伝えてきたのだった。
「俺、今回もえにしに教えてもらうことにしたから。お前よりも勉強教えるの上手でさあ。将来先生になったらって提案してやったんだ。」
「ああそう。よかったわね。」
「そうしたら、えにしったら照れてんのか知らないけど、私には向いてないわって。マジかわいいよなあ。」
会話がかみ合っていない。イケメンバカは別府えにしに夢中のようである。イケメンバカが別府えにしに惚れるのはわかるが、どうにもわからないのは、彼女の行動である。あたかもイケメンバカに好意を持って接しているように見えるが、何か裏があるとしか思えない。
親切すぎるのだ。普通、自分の勉強をおろそかにしてまで、他人の、しかも出会って数カ月の異性に勉強を教えるだろうか。私なら絶対そんなことはしない。
さらにはそのせいか知らないが、成績は良くなかった。まさかのすべてが平均点という結果である。それなのにまた、勉強を教えるという始末。
別府えにしが何をしたいのか、イケメンバカを使って何をしようとしているのか。意図が全くつかめない。クラスメイトとして過ごす時間が増えれば増えるほど、わけがわからなくなる不気味な女だ。
すっきりしない気分のままでは、当然テスト勉強も集中できない。さすがに全くできないというわけではなかったが、それでも万全の準備ができたとは言えないまま、試験当日を迎えてしまったのだった。
しかし、テストに集中できないのは、別府えにしの存在だけではなかった。あるうわさがクラス内、さらには学年内に広まっていることも要因の一つだった。
どうやら、別府えにしとイケメンバカがつき合いだしたという、まったくのでたらめともいえないうわさが広まり始めているのだった。まあ、広まるのも当然のことだと私は思っている。
すでに一回目のテストから二人が仲良く勉強会をしているのをクラスメイトは目撃しているし、一緒に帰るところなどは他のクラスメイトも目撃し放題である。
別に二人がどうしようと二人の勝手だと私は思うのだが、私以外はそうでもないらしい。
それこそ、迷惑だと思うくらい、いろいろな人に忠告された。
「別府さんと、としやがつき合っているみたいだけど、あんたはそれで平気なの。としやを
とられて悔しくないの。」
「まさか、としやがぽっとでの転校生と付き合いだすとは思わなかったわ。あやなももっと引きとめるとかの努力をしなさいよ。幼馴染の威厳がないでしょう。」
同じ小学校出身者は毎度おなじみ、イケメンバカ押しである。
「私は絶対に別府さんがとしや君を誘惑していると思うわ。でなくちゃ、あの二人がつき合うはずがないもの。としや君はあやっちのものでしょう。もっとガツンと言ってやったらいいわ。」
「そうそう。それに、私、別府さんって、入学してから見てきたけど、結構おかしなところがあるから、きっと向田君はだまされているのよ。」
違う小学校出身者も見事なイケメンバカ押しである。どれだけ、私とイケメンバカをくっつけたいのだろうか。
私とイケメンバカがつき合っている前提で、別府えにしが私からイケメンバカを奪ったということになっている。否定しようと試みたが、今までのイケメンバカとの付き合いを話に出されては、どうにも否定が通じない状況に陥っていた。
「別に私とイケメンバカ……。としやと私は付き合っているわけじゃないから、二人がどうしようと気にしないから。」
「そんなこと言って、強がっているだけでしょう。確かに別府さんはかわいくて、優しくて女子力が高くて、男子にもてる要素はたくさんあるけど、あやなにもあやなのいいところがあるから。そこをアピールすればいいのよ。」
最終的に私は否定をあきらめた。別にイケメンバカと付き合っているつもりは毛頭ないが、こればかりは仕方がない。
試験当日は、初夏にふさわしい快晴だった。教室は窓からの爽やかな風が入ってきて、テスト日和というよりも、教室の日の当たるところで昼寝をしたいような、そんないい天気だった。
万全とはいえない状況でのテストだったが、普段からの勉強のせいか、満点とまではいかないが、そこそこの点数をとれる自信があるくらいには問題を解くことができた。
つい、別府えにしが気になって、確認すると、前回とは違い、彼女は問題を真剣に解いている様子だった。時計を見ると、残り15分となっている。今回は真面目にテストを受ける気になったらしい。
他人に、ましてやあの私ですら手を焼いたイケメンバカの勉強をずっと見ていたのだ。真剣にやったところで、今回も自分のテスト勉強などほとんどできなかっただろう。
それに前回のテストの結果も鑑みれば、そんなにできることはないだろうと、私は彼女のことを甘く見ていた。
それが大きな間違いだと気付いたのは結果が発表された時だった。
ついでにとイケメンバカにも目を向けると、彼も必死に問題と向き合っていた。まあ、こちらも元がバカなので、勉強したところで、結果は目に見えている。
私は気楽に考えながら、テストを終えたのだった。
11
テストの結果は予想外の展開となった。クラス内も騒然としていた。これまた前回と同じように各授業でテストが返却されていった。
国語、数学、英語とテストが返却されていったのだが、そのどれにも100点がいたという。さらには、オール満点という離れ業をやってのけたすごい人がいるといううわさも流れていた。
確かに中学一年生の二回目のテストなので、100点が出るのは不思議なことではないと思う。かくいう私も、一回目のテストでは満点を取ったし、それ以外も満点に近い点数を取ることができた。
しかし、すべて教科で満点と、満点と満点以外の点数を取ったというのは、点数は近いが、大きな差だと私は思っている。満点とはノーミスということであり、完璧な回答をしたということだ。一教科だけならまだしも、それが5教科すべてとなるとすごいと思う。
そんな偉業を今回のテストで達成した人物がいるという。いったい誰なのか、私も気になるところである。そして、その完璧な点数をたたき出したのはまさかの人物だった。
「テストの結果を返すぞ。点数が間違っている奴は放課後までに先生に伝えること。」
テストがすべて返された日、同じく点数と順位が書かれた紙が渡された。食い入るように順位と点数を凝視しているクラスメイトを横目に、私も同じように渡された紙を確認する。
私の今回のテストの点数は前回と同じような結果だった。100点もあったのだが、やはり最後の見直しが甘かったのか、すべて満点とはいかなかった。
そうは言っても、前回のテストはそれでも学年一位をとれたのだから、今回も一位の可能性はあるかもしれない。楽観的に考えていたが、その考え方は甘かったようだ。
確かに今回のテストは万全のテスト勉強ができないまま迎えて心残りの点数であった。それでも他の子と比べれば十分に良い点数である。
「高田さんは2位だったんだね。でも、すごいじゃない。学年2位だよ。120人いる学年の中でナンバーツーなんてすごいことだよ。たとえ、前回から一つ順位を落としたとしても、誰も別に文句は言わないわよ。別に一位じゃなきゃ意味がないなんてことはないからね。これはたかがテストだし。」
例のごとく、私の点数を横から覗いてきたのは別府えにしだった。やけに私の順位をけなしてくるのはなぜなのだろう。いちいち、人をイラつかせるような言葉選びで私に話しかけてくる。
「なになに。学年2位って言葉が聞こえてきたけど、もしかして、高田さんが学年2位ってこと。すごいじゃん。前回に続いて天才じゃん。おめでとう。」
「あやなが二位ってことは誰が一位何だろうね。それはいいとして、あやな、今回もおめでとう。」
私たちの会話を聞いていたクラスメイトが次々に私に話しかけてくる。
「ありがとう。まあ、今回もテスト勉強は結構やったつもりだから、それの成果が出たのかな。あとは日ごろの予習、復習の玉ものかな。」
アハハと苦笑いを浮かべながら、私はあいまいに言葉を濁してクラスメイトの会話から抜け出そうとした。とはいえ、そうは問屋が卸さないと、クラスメイトはなおも食い下がってきた。
「やっぱり普段の勉強が大事だよね。」
「付け焼刃の徹夜勉強だけじゃあ、だめかあ。」
「いい点数とる勉強法を教えてよ。」
「あやなの順位ばかりじゃなくて、俺の順位も聞いてくれよ。」
さらに面倒くさい奴が会話に参戦してきた。今はすでに放課後であり、本来は部活に即座に行くべきなのだが、クラスメイトの大半は、テストの順位の方が部活より大事なようだ。私としては、面倒な奴も絡んできたので、即座に部活に行きたい気分だったのだが、そうもいっていられなかった。
「としや君の順位なんか聞いてなんかいいことでもあるのお。」
「だってとしやってぶっちゃけそんなに成績良くないでしょ。それこそ、あやなにべったりで勉強教えてもらってたのに全然だったじゃない。」
「そうそう。」
「今回の俺は一味違うのだ。なんたって、あやなみたいな教えるのがへたくそな奴じゃなくて、えにしが教えてくれたからな。」
ふふんと、得意げに言ったイケメンバカは、バーンと効果音が付きそうな勢いで自分の点数と順位が書かれた紙をクラスメイトに見せつけた。当然、私にもその紙の内容は読むことができた。
「学年10位って……。」
「これ、ほんとにとしやの順位表でまちがいないよね。0が一つ少ないミスなんじゃ。」
「テストの点数も順位の桁も間違ってるのかも。先生に報告して直してもらった方がいいよ。嘘は良くない。」
私がいじられたかと思ったら、今度はイケメンバカがいじられる番だった。人間、興味がすぐに他人に映るので、その隙をつくのは大事なことだ。
会話の内容がイケメンバカの順位と点数に向きかけているのを察して、私は気配を消して教室から抜け出そうと試みた。
「嘘だなんてひどい。私が一生懸命勉強を教えて、としや君もそれにこたえようと頑張って勉強した結果だよ。そんなにとしや君をいじめないで。本人だって、信じられないと思うから。勉強を教えた私だって、いまだに信じられないんだから。」
いなくなったかと思っていた別府えにしもここで会話に入り込んできた。
これ以上の面倒事は見ていられない。私は全力ダッシュで教室から抜け出した。
幸い、別府えにしの言葉に気を取られていて、誰も私を追いかけるものはいなかった。
教室から抜け出した私は、その後部活に向かったのだが、その日はなぜか、別府えにしは部活に来なかった。部活を休む際は、きちんと顧問や部員に連絡を入れている彼女だったが、連絡も入れずに休んでいた。初めてのさぼりだった。
12
部活を休んだ別府えにしだったが、次の日は普通に学校に来ていた。教室に入ると、教室が妙に騒がしいことに気付いた。いったいどうしたのだろうと思っていると、教室の中心にまたもや人が集まっていた。よくもまあ、毎日のように集まりたがるものである。
「おはよう、いったい朝から何があったの。」
いつものように近くにいたクラスメイトに話しかけると、興奮した様子で返事が返ってきた。
「あやな、おはよう。だってこれが興奮しないでいられる。今回の学年1位と2位がまさかこのクラスにいるなんて。」
「1位がこのクラスにいるの。」
私が学年2位だったということは、私以外の誰かが1位を取ったということになる。そんなに頭がいい人がクラスにいただろうか。一回目のテストではいなかったように思ったのだが。
「驚いてる、あやなも驚きだよね。それがまさかあの別府えにしときたら。驚きと嫉妬で気が狂っても仕方ないよ。」
「えっ。」
クラスメイトの言葉に一瞬、誰のことか考えてしまった。しかし、別府えにしという珍しい名前は一人しかいない。
「べ、別府えにしって。」
「そうだよ。彼女が今回の1位だったんだって。でもさあ、すごいのは5教科すべて満点だったことだよ。1位もすごいけど、満点取るのもすごいよね。さらに驚きなのは、あのとしやを教えながらも、その順位と点数を達成できたことだよね。」
「……。」
私だって、テスト勉強は万全ではなかったが、それでも自分の時間はたくさんあった。しかし、別府えにしにはそんな自分の時間があったのだろうか。どこまであのイケメンバカに真剣に勉強を教えていたのかはわからない。
わからないけれど、相当な時間をかけていたことだけは、イケメンバカの今回の順位を見れば明らかだ。どのような方法を使ったのかは皆目見当つかないが、教え方がよほど良かったのか、はたまたテストの出る問題を的確に予想できたのか。
そんなことはどうでもいい。ただ私が一番ショックを受けたのは、自分の時間が十分に取れなかった、テスト勉強をそこまでできなかったと思われる相手に負けてしまったことだ。
加えて、周りの反応が嫌だった。ただえさえ、イケメンバカが私というものがありながら、別府えにしと付き合っている、浮気しているといううわさが流れているのだ。
そこに私が別府えにしにテストで負けたと加われれば、もっと面倒なうわさが流れるに決まっている。
「あやな、別府えにしに負けたんだってさ。やっぱり、平気そうにふるまっているけど、としや君に振られてショックなんだね。」
「勉強も勝てないようじゃあ、別府えにしに勝てるはずもないよな。あいつのいいところって勉強だけだもんな。」
「別府えにしってすごいよな。かわいいし、頭もいいし、優しいし。あんな女子と俺もつき合いたいな。」
様々な妄想が私の頭の仲を駆け巡る。そうは言っても、終わってしまことを悩んでいても意味がないことくらい、私はわかっている。
教室で中心にいるのは、おそらく別府えにしだ。朝から何を騒いでいるのかがわかったところで、私は自分の席に着く。
「おっはあ。おまえ、えにしより自分の勉強時間あったくせに、あいつに順位負けたとかうけるわ。」
自分の席に着くなり、別府えにし並みに面倒な奴がやってきた。すべてこいつのせいである。こいつがいなければ、別府えにしとの変な三角関係のうわさが流れることもなかったし、テスト勉強にも集中することができた。
恨みがましい目で見ていたことに気付いたのだろう。顔をしかめて私のことを見つめてくる。
「なんだよ。俺のせいで勉強ができなかったと言いたいのか。それは違うぜ。今回、俺はお前の手は一切借りていないし、何なら迷惑すらかけていない。」
「そ、それはそうだけど。でも、あんたが……。」
「としや君をそんなに責めてはいけないわ。」
私のイライラの元凶がやってきた。そもそも、こいつが私たちに絡んでこなければこんなことにはならなかったのだ。どうしてくれようか。
「としや君とはただテスト勉強をしただけであって、それ以外のことはしていないわ。だから、高田さんが心配することは何もないわ。」
でも、と申し訳なさそうに言葉を続ける別府えにしは、私から見ればさながら悪魔のようだった。私にはそれが演技だと気づいていた。だって、顔を隠していてもオーラがおかしい。どう見ても、申し訳なさそうに思っていない雰囲気だ。大方、私にテストで勝ったことをひけらかしたいだけだ。
それに気づいているのは私くらいだ。いつの間にか私の周りにはたくさんのクラスメイトが集まってきた。別府えにしを囲っていたやつらが彼女の移動によってついてきた結果だろう。
人気者はつらい、いつどんなことをしていようと公衆の目が光っているのだから。下手な発言をすると、すぐにうわさとして広まってしまう。それを消すのは至難のわざだ。
「高田さんが勉強に集中できなかったのは、私のせいだわ。だって、としや君は高田さんと付き合っているって知っていながら、一緒にテスト勉強をしていたのだから。責められても文句は言えないわ。でも、責めるなら私だけにして。としや君は何も悪くない。私が一緒に勉強したいと言い出したから。」
それを聞いたイケメンバカは馬鹿らしく、別府えにしを擁護する。
「そうだぞ。えにしを責めるなよ。もとはといえば、お前が俺に勉強を教えないと言い出したのが悪いんだぞ。だから、それを可哀想に思った彼女が親切に声をかけてくれたんだ。逆恨みもいいところだ。昔からいお前はそうだよな。すぐ怒ったり、イライラしたり……。」
「もういい。」
私も我慢の限界である。クラスメイトが集まっている公衆の面前であるにも関わらず、大声で思ったことをこれまた馬鹿正直に叫んでしまった。正気ではなかった。
「いい加減にしろよ。私とこのイケメンバカがいつから付き合っていたんだって。ああん、バカかてめえら。目が腐ってんじゃねえか。私がいつ、こいつと付き合っているって言ったんだよ。」
「だって、あんたたち、いつも一緒にいるじゃない。それによく二人でいるのも見かけるし。」
「そんなん、こいつの親に面倒みろと言われてるからに決まってんだろ。それに私の好みは、こんなチャラいイケメンじゃなくて、頭のいいカッコいいイケメンだわ。人類が私とこいつだけになっても。絶対選ばないわ。そんなことがあったら、とっとと死んでやらあ。」
ここで一息ついて、さらに一気にまくしたてる。すでに思ったことを口にしているのだ。いまさら何を言おうが知ったことではない。
「とにかく、私はこいつがだ、い、き、ら、いだ。ついでにこいつの面倒を親切心で見てやっているお前も嫌いだ。」
はっきりと別府えにしを指さして、言ってやった。言われた本人は驚いて言葉を失っている。
言い切ってから、しまったと思ったがもう遅い。やばいと思った私は、朝だというのに教室から飛び出した。飛び出した後のことは考えていないが、とりあえず保健室に向かうことにした。
「なにあれ。サイテー。あやなって、あんな嫌な奴だったっけ。」
「別府さん、大丈夫。顔色が悪いけど。」
「気にしないで、あれは全部あやなが悪いんだから。」
クラスメイトが別府えにしに声をかけていることを私は聞くことはなかった。さらにはその気遣いに丁寧に受け答えをしている彼女ももちろん知ることはなかった。
イケメンバカは私の突然の啖呵に驚いて固まっていた。
13
保健室に向かっていた私は、ふと足を止めた。保健室に行くアイデアはいいと思ったのだが、保健の先生と私は相性が悪い。
なぜかというと、保健の先生が男子好きだからだ。さらにはかわいい女子も好きだという差別的先生だったからだ。
かわいい女子や男子といっても、先生が好むのは、いわゆるチャラい系であり、ただのかわいい、格好いい男子には目もくれないという変態教師だ。これがどうして保健の先生をやっているのか皆目見当つかないが、それでもやっているのだから、きっと採用試験を担当した教育委員会か誰かの目が腐っていたのだろう。
本当に世の中腐った人だらけで嫌になってしまう。そう思っているうちに始業のチャイムが鳴ってしまった。こうなっては保健室に行くより方法はない。保健室にいることがわかれば、先生も具合が悪くなったと解釈して、運が良ければ早退させてくれるだろう。
保健室の前まで来た私は、それでも入るのをためらった。だって、自分と相性が悪い先生と二人きりになるのは、精神的に苦痛であることはわかりきっている。
それでも、教室に戻るよりはましだと思い、保健室の扉をノックする。返事がなかったが、特に気にすることもなく、扉を開いた。
「失礼しま……。」
思い切りドアを閉めて廊下で一息つく。幸い、私が扉を開けたことに、保健室内にいた人間は気づいていないようだった。
うっかりしていた。そこにはすでに先客がいた。そいつも私が嫌いな体育教師だ。こいつもチャラい系の生徒が好きな変態だ。
うっかりしていたといえば、私が嫌いな保健の先生と体育教師は付き合っているのだった。10月に結婚を予定されているとのことだ。
そいつらが保健室で抱き合ってキスをしているところをうっかり目撃してしまったというわけだ。最悪すぎる。嫌いな先生二人のラブシーンなど見せられてはたまったものではない。
こうなると、私はどこで、気持ちを落ち着かせればいいのだろうか。いっそのこと、家に帰ってしまうのはどうだろうか。いや、それでは負け犬みたいでいやだ。
廊下で考え込んでいると、ちょうど担任が通りかかった。私のクラスの担任は国語の担当で、私はこの教師は結構気に入っている。
40過ぎぐらいの女性だが、差別は特になく、みな平等にほめるときはほめる、叱るときはしっかり叱るという具合だ。
担任は私を見つめると、不思議そうな顔をした。それもそのはず、担任は私がクラスにいないのを不審に思っていたのだろう。それが、保健室の前にいたのだから不思議がるのも当然だ。
「おはようございます。高田さん。こんなところでどうしたのですか。朝のHRにはいなかったみたいで心配していたのですよ。」
「おはようございます。浅利先生。実は……。」
先生には今朝のことを話してもいいだろうか。話したところでどうにもならないし、先生が、私の気持ちをわかってもらえるとも限らない。
「何か、教室に戻りたくない理由でもあるのでしょう。教室内の雰囲気がおかしかった原因に高田さんが関係していますか。」
私が話すのを迷っていると、それを察したように浅利先生自ら質問してくれた。こうなったら話してしまってもいいだろうか。意を決して話そうと口を開くが、同時に保健室の扉が開かれた。
「おや、浅利先生ではないですか。おはようございます。高田さんも。」
「おはようございます。磯崎先生に、安田先生。」
体育教師の磯崎先生と保健の先生の安田先生がタイミング悪く教室から出てきてしまった。
この二人に話を聞かれるのは嫌なので、開きかけた口を慌てて閉じる。幸い、私たちが何を話していたのかまでは聞かれていないようだ。
そうして、話をしないまま、かといって、具合が悪いとも言えずに私はしぶしぶ戻りたくない教室に戻る羽目になったのだった。
14
嫌々ながらも、朝ぶりに教室に戻ろうとしたが、戻ろうとした途中で、一時間目の授業開始のチャイムが鳴ってしまった。今から言っても、もう遅い。こうなったら、急いでいこうが、多少遅れようが変わらない。
私は急ぐのをやめて、ゆっくりと教室に向かうことにしたが、一時間目の授業を思い出して気分が一気に急降下した。まさかの保健体育の授業だった。
たまたま、今日は保健の授業であり、体操着に着替える必要はないが、視聴覚室に移動となっている。視聴覚室でビデオを見ることが多いからだ。
保健体育ということは、あの嫌いな磯崎先生が授業をするということだ。絶対に授業に遅れた理由を聞かれる。
授業に遅れた理由は話したくないが、何かしらの理由を考えておかなければならない。
いったん、教室に戻り、保健の教科書などの必要なものを持ち、私は重い足を引きづって視聴覚室へ赴いた。
視聴覚室の前で一度、深いため息をついて、一気にドアを開けた。真っ暗な部屋の中で、一斉に私を見つめる視線が集まってくる。そんなことを気にしてもいいことは一つもないので、さっさと部屋の前方にいる先生に声をかける。
「遅れてすいません。お腹の調子が悪くて、お手洗いに行っていて遅れました。」
無難な理由を述べて自分の席につこうとすると、ぼそっと話しかけられた。
「保健室前にいた理由はそれか。まあいい、早く席につけ。」
誰のせいで、保健室に入れなかったと思ってるんだよ、と突っ込みたくなったが、心の中だけにとどめておくことにした。
席に着くと、クラスメイトからは非難の視線が私に集まってくるのがわかった。今日一日、もしくはこれからずっと、こんな視線を浴び続けなければならないのかと思うと気がめいってくる。
はあ、と先ほどより深いため息をついて、教科書を広げた。磯崎先生は意外と私語に厳しい教師だったのが幸いだ。そのおかげで、私に対して暴言や中傷を吐かれることはなかった。
磯崎先生には、授業後、視聴覚室に残るように言われた。授業に遅れた理由を詳しく聞くためだろう。とはいえ、担任でもない、ましてや自分の嫌いな先生に本当の理由を話す必要はない。
私はお腹の調子が悪いことを主張して、何とか先生を納得させ、視聴覚室を後にした。先生も次の授業があるのか、特に深くは追及してこなかった。
その日は、一日中、私が予想した通りの展開だった。休み時間はもちろん、授業中もクラスメイトの視線が痛かった。
まったく、理不尽もいいところである。
テストが終わって無事に点数と順位が発表されたと思ったら、もうすぐ夏休みである。中学生になったら、部活が始まり、今年は宿題と部活で終わるなあ、としみじみ思っていた矢先に重大発表が担任から伝えられた。
7月に入った最初の月曜日にそれは発表された。
「別府えにしさんですが、親の仕事の都合で、転校することになりました。皆さんと一緒に過ごすのは一学期が終わる7月まで、つまり夏休み前までとなります。」
それは突然の発表だった。担任の浅利先生の話しにクラスは騒然となった。それもそのはず、私も知らなかったのだが、どうやらクラスのだれ一人として、別府えにしの転校を知らなかったようだ。
「本当ですか。」
一番驚いていたのは、あのイケメンバカだった。クラスのだれ一人知らなかったということは、こいつにも当然、別府えにしは伝えていなかったということだ。
「本当ですよ。別府さん本人から聞いたのですから、間違いありません。そうでしょう。別府さん。」
「そうです。先週の月曜日に突然、父から言われて、私……。」
先生に話を振られて、別府えにしはおどおどと話し始める。どうにもうさん臭かったが、わざわざ転校するという話をうそでするとも思えないので、転校は本当の話と信じて良いだろう。
しかし、クラスのだれにも言わずに、最初に先生に言うのはどういうことか。一応、私は部活が同じで、彼女と接する機会が多いと自負していた。まあ、私は彼女の恋敵という立ち位置になっているようだから、話さないのも無理はない。
他のクラスメイトはどうだろう。例えば、一番驚いていたイケメンバカ。こいつには教えてもよかったのではないか。勉強まで教えていたのに教えなかったというのはおかしな話である。
深く考えても仕方ないことなので、そのまま別府えにしの話に耳を傾ける。言葉を途中で止めていたが、やがて話し出す。
「私、一学期だけだったけど、クラスのみんなとは、本当に楽しく過ごせ、ました。残り、の時間も、どうか、よろしく、おね、がいしま、す。」
何と、言葉をとぎれとぎれに話だしたと思ったら、急に泣き出した。意味がわからない。クラスメイトのだれにも話さず、まず最初に担任に転校の話をしたくせに、そうかと思えば、泣き出す始末。
別府えにしに不信感は募るばかりだ。何事も起こらずに無事に夏休みを迎えられるといいのだが、嫌な予感がした。最後の最後まで、この別府えにしという女は何かやらかしそうである。
そんな私の予感は見事に的中したのだった。
15
別府えにしの転校の発表があってからというもの、クラスはその話題で盛り上がっていた。
私が知らない間に、別府えにしとイケメンバカは付き合うことにしたようだ。別に私が知っていようといなくても構わないのだが、それでも、私以外はそうは思わなかったらしい。
一緒に二人でテスト勉強をしていたり、二人一緒に私の風邪のお見舞いに来たりしていたのに、付き合い始めたのは6月の終わりということだ。すでに最初のテストのときに仲良くなって付き合い始めたと思っていたが、そうではなかったようだ。
付き合いだしたタイミングが微妙なのが気になった。6月の終わりということは、別府えにしが親から転勤を言い渡された時期とちょうどかぶっている。もしかしたら、転校を知っていたにも関わらず、彼女の方から告白した可能性がある。
あいつらの告白や付き合っている様子など、正直、私は聞きたくもなかったし、むしろ、あのイケメンバカが、私の手から離れてせいせいしたくらいだと思っていたのだが、詳しく聞く必要がある。
別府えにしはイケメンバカと真剣に付き合う気はあるのか。ただの遊びなのか。幼馴染という言葉にやけに固執していたことと、今回の告白は関係あるのか。気になりだしたら止まらない。
あの二人がつき合いだしたという情報をクラスメイトから聞いた私は、詳しく内容を聞くことにした。
「ねえ、別府さんとイケメンバ、としやがつき合いだしたって聞いたけど、どっちから告白したか知ってる。」
部活をしている最中に、たまたま別府えにしが転校の手続きで部活をやすむという連絡が入った。彼女本人がいない間に聞いてしまおうと、彼女とイケメンバカの話をきいたら、同じクラスの部員が教えてくれた。
私が予想した通り、別府えにしの方からイケメンバカに告白したそうだ。
イケメンバカは即座にOKを出して、ようやく正式に付き合い始めたようだ。そこで、別府えにしの転校話が出てきたので、二人は今、もめているらしい。
「告白したのは別府さんからなのに、その別府さんが、自分から『転校して、遠くに離れてしまうから、別れよう』と言い出してもめてるらしいよ。」
「それって、別府さんの都合だよな。とはいえ、としやは今、別れたくないと駄々こねているみたいだぞ。」
「あやな、別府さんみたいに薄情な奴がとしや君の気持ちをもてあそんで捨てるみたいだから、これはチャンスよ。あんたがとしや君の傷ついた心を癒してあげるのよ。」
「だから、何度も言っているけど、私はあいつのことは嫌いなんだって。前にもクラスではっきり言ったはずだよね。」
どうしても、みな、大好きな三角関係に発展にさせたいようだ。この手の話題は少女漫画では毎度おなじみの展開だ。
大抵の場合、男は付き合いだして、幼馴染の女がいない日常に違和感を覚え始める。そして、最終的に幼馴染の良さに気付いて、幼馴染の女と付き合うことになるのだ。
今回は、転校生から告白して、転校生が振ってしまう状況だが、その程度の誤差は気にされないらしい。
私はその展開がどうにも嫌だった。不愉快といってもいい。転校生の性格が悪すぎて、幼馴染の株があがるのも問題だが、それにしても、最終的に幼馴染と落ち着くのが気に食わなかった。
今、目の前で繰り広げられている茶番は、まさに少女漫画さながらの展開だった。
ということは、この後、イケメンバカは私のところに戻ってくるということだ。なんとしてでもその展開を防がなければならない。戻ってきたイケメンバカをなぐさめるなど、死んでもごめんこうむりたい。
これはあいつと縁を切る絶好のチャンスだ。これを逃せば、きっと中学を卒業して高校に入るときにしか縁を切るチャンスは訪れない。
私が現在起きている茶番について考えていると、予想外の展開に陥ることになる。これにはさすがの私も驚きだった。
16
別府えにしの転校が決まり、皆が私たちの恋の行方に注目していた。そのまま、ずるずると夏休みまであと一週間というところまで過ぎていった。
別府えにしからの突然の告白だった。
「実はね、私、としや君みたいなチャラい男はタイプじゃないの。今まで黙っててごめんなさい。」
その現場を私は目撃してしまった。放課後、私は部活にむかった。また別府えにしが部活をさぼっているのを、先輩が心配して、どうしているのか聞いてこいと言われたので、しぶしぶ教室に向かっていたところだった。転校の手続きといって休んだことがあるが、今日は顧問にも先輩にも連絡が来ていないようだった。
しかし、放課後、彼女が職員室に行くのを目撃しているので、転校についての話を浅利先生とでもしているから、部活に来るのが遅れているのだろう。
教室にたどりついた私は、教室の明かりが漏れていて、扉が閉じられているのを不審に思った。何か男女の話し声が聞こえるので、そっと扉に耳を寄せて、会話を聞き取ろうとした。
「話ってなんだよ。転校すること、どうして先生より先に話してくれなかったんだ。俺たち、付き合っているだろう。そういう大事なことは彼氏に真っ先に言うものだろう。」
「ごめんなさい。私が転校するなんてこと、想像したことがなくて、気が動転していたの。とにかくまずは先生に知らせなくちゃいけないと思って。そうよね、私たち付き合っているのだから、としや君に先に話すべきだったわね。」
「そうだぞ。それに俺たちのこれからも考えなくちゃいけないだろう。転校したら俺とのことをどうするつもりだったんだよ。」
男女の声の主は、別府えにしとイケメンバカだった。とんでもない場面に遭遇してしまったようだ。このまま引き返すという選択肢は私の中にはない。そのまま、静かにその後の会話に耳を傾ける。
話の流れが不穏な方向に進んでいるとわかったのは、その後の別府えにしの言葉からだった。
「うざい。」
『エッ。』
私は思わず小さく声を出してしまった。その声は気づかれることはなかった。イケメンバカとハモったためだ。
「バカかてめえ。私がお前みたいな顔が少しいいくらいのバカを好きになるはずないだろ。少し優しく振舞えばコロッと騙されるなんて、ほんと男ってバカな生き物だよな。」
ハッとバカにするような笑い方をしているのが教室越しに聞こえる。
「だから、これを機に私たち、別れましょう。としや君にはきっと私以外の運命の相手がいるはずよ。例えば……。」
運命の相手は聞き取れなかった。話し方をいつものように変えて、別府えにしは話を続ける。
「実はね、私、としや君みたいなチャラい男はタイプじゃないの。今まで黙っててごめんなさい。」
話し方を戻したところで、別府えにしの衝撃な発言が消えることはない。そこで、話は終わったようだ。二人が教室の扉に向かってくる足音が聞こえたため、急いで教室から離れ、足音を立てないように部活に向かった。
これは、明日やばい展開になりそうだ。今から覚悟していなければならない。
次の日は終業式だった。朝起きたときから私は憂鬱な気分だった。どう考えても、隣の家のイケメンバカは、落ち込んでいるか、怒っているか、もしくは荒れているかのどれかである。すべての感情が混ざっているかもしれない。そのとばっちりは私に来るだろうことは間違いない。
「面倒くさいなあ。」
「どうしたの。あんたがそんなこと言うのは珍しいわね。それに今日は終業式だけでしょう。頑張って学校行ってきなさい。」
心の声が口から出ていたようだ。朝食の時に母親に聞かれて、私はあいまいに返事をしておいた。
「おはよう。」
最近、どうも教室に入るのが憂鬱だ。しかし、それも今日までだと思うと、頑張れる。自分を奮い立たせて教室の扉を開ける。
そこにはすでに慣れてしまった光景があった。教室の中心に人だかりができている。どうせまた、別府えにしだろうと思っていると、クラスメイトがこれまた親切に話してくれた。
「おはよう、あやな。よかったね。」
挨拶のすぐ後にそんなことを言われて、頭にはてなマークを飛ばしていると、補足された。
「としや君のことだよ。なんか、としや君と別府さんが別れたんだってさ。それも、別府さんが一方的に振ったらしいよ。」
「そうそう、やっぱり、転校して、遠恋とか無理って言って。『本当はとしや君のこと振りたくない』とか言って、泣きながらの告白だったらしいよ。」
わざわざ、別府えにしの物まねまでして教えてくれた。
「お前が一方的に振ったんだろ。しかも、本当は振りたくないってなんだよ。昨日の話と違うじゃないか。」
「ひどい。そんなに怒鳴らなくてもいいじゃない。別府さんが可哀想。」
「そうだぞ。別府さんが怖がっているじゃないか。」
「いいの。だって、もとはといえば私が悪いんだから。転校するのがわかっているのにとしや君に告白したのだから。それに付き合うって決めたのは私だから。でも、会えないなら、きっととしや君は、私のことなんかすぐに忘れてしまうわ。だから、忘れ去られてフェードアウトされるのなら、いっそのこと、この場で振ってしまった方がいいと思ったの。ごめんな、さ、い。」
こいつは都合が悪くなったときや、話を自分の思い通りに進めたいときに泣けばいいと思っているのか。
「もういい。俺はお前なんか好きじゃなかったんだよ。お互い様だな、俺もお前みたいな性悪女なんかタイプじゃないんだよ。それに俺にはあやながいるからな。」
「いつ、誰が付き合ってるんだって。」
突然私の名前を出されて、黙っていられるわけがない。私が会話に参戦すると、クラス中が騒ぎ出す。
「元カノ登場かよ。これは面白い。」
「頑張れ、あやな。」
「これは修羅場だ。」
「俺とお前が付き合ってるに決まってるだろ。」
「なに、言ってる……。」
「パンッ。」
乾いた音が教室中に響き渡る。音の正体は、別府えにしがイケメンバカの頬をはたいた音だった。
「な、な、なっ。」
「ひどい。確かに私はとしや君と別れると決めたけど、その口から他の女子の名前を聞くためじゃない。」
本格的に泣き出した別府えにしはその場で顔を覆ってしまった。
とんだ茶番もいいところだ。
「別府さん、あなた、いい加減にし、な、『バンッ』」
「ドンッ。」
今度は先ほどより大きな音が鳴り響く。今度の音の正体は、イケメンバカが別府えにしの頬をはたいた音だった。思い切りはたいたのだろう。彼女の顔は赤くはれていた。さらには足で机をけり倒していた。
「きゃっ。」
別府えにしが可愛らしい悲鳴を上げる。ここまでくると、わざとらしくて気持ちが悪い。これも彼女の計画通りなのだろうか。
これはやばい。いろいろとやばいことだけはわかった。
17
「おはようございます。あら、朝から騒がしいわね。」
先生がやってきてしまった。
「キーンコーンカンコーン。」
無情にも始業のチャイムが鳴り響く。みな、私たち3人の様子が気になるが、クラスメイトはおとなしく席に着いた。
「さて、向田君の顔はどうしたのかしら。それと、どうして別府さんは泣いているのか説明できる人はいる。」
たまたま今日は終業式であるが、その前に学活の授業が設けられていた。本来は成績表などを渡す時間なのだが、この教室の有様だったので、急きょ、話し合いとなってしまった。
話し合いの結果、双方悪いという結果に落ち着いた。そして、なぜか私も今回の騒動に関係があるとして、放課後残ることになってしまった。
私と別府えにし、イケメンバカの三人は、終業式が終わって、帰りのHRが終わり次第、教室に残るように言われてしまった。
それからはひどい有様だった。別府えにしは泣いて話もできない状態に自ら作り出していて、イケメンバカは興奮してまともに話をする気配がない。
私がこの3人の中で、唯一まともに話ができる状態だったが、すでに面倒くさくなっていた。だから、私も二人と同じように話をするのをやめた。そのために、先生は今回の騒動がどのようなものかわからないようだった。
そのまま、話があいまいなまま、結局、夏休みを迎えてしまったのだった。
余談だが、別府えにしは、イケメンバカに頬をはたかれたと親に伝えたようだ。それに激怒した両親が、イケメンバカの家に乗り込んだとか、こっぴどくイケメンバカの家族はやられたとかいううわさが流れてきた。
私は別に可哀想などと思わなかった。ただ、自業自得だとしか思えなかった。
こうしてみると、私はいかにクズな男に振り回されていたかがわかる。しかし、それもこの一学期で終わりだ。
二学期以降は、私はイケメンバカとは縁を切ろう。どうせなら、彼がもう二度と学校に来られないくらいの出来事が起こればいいとさえ思っていた。
今まで、勇気がなくてできなかったが、別府えにしのおかげで踏ん切りをつけることができた。
変な奴だったが、それでも私は彼女に感謝している。
私は夏休みの最終日、イケメンバカ、向田俊哉の家にわざわざ出向いて、両親も呼びだしていってやったのだ。
「金輪際、私に近づかないでください。近づいたら、お前ら家族をぶっ潰してやる。」
彼も彼の両親も、私の言葉を真に受けることはなかったが、私は本気だった。とはいえ、ぶっ潰すといっても、殺害とか傷害事件を起こしてしまっては、その後の私の人生がダメになる。
もっといい方法がある。それは私が自殺未遂をすることだ。そうだ、遺書をかこう。遺書にあいつのことを書いてやれば、あの家族はさぞダメージを受けるだろう。
その時の私は正気ではなかった。そのまま、勢いのまま、遺書を書き、自分の部屋で首を吊った。
そのまま死んでしまえば話は終わりだが、死にはしなかった。死ぬ前に母親が見つけて命はとりとめた。最初から死ぬ予定はなかったので、あらかじめ母親がいる時間帯を見計らっての行動だった。
そして、遺書は見つかったが、私は記憶を失った。隣の彼のことは全く覚えていなかった。
ただ、一つだけ覚えていることがある。
「幼馴染なんてくそくらえ。」
その一言しか、隣の家に住んでいる男に対しての感情はなかった。