私が死んだら
平穏に生きてきた割に、あっけない死だった。
いえ、まだ死んではいないけれど、もう死んでいるも同然。
自分の部屋のベッドに横たわる私。
あの体に私の魂はない。
何があったのかよく覚えていないのだけど、私は階段で転び、頭を強く打ったらしい。侍女のメグが私の両親にそう説明しているのを聞いた。母はうろたえ、父は呆然としていた。
翌日には婚約者のローランド様が来て、父母の前で私の手を取り、
「どうしてこんなことに…」
と涙ぐんでいた。
誰もが心配しながらも、数日で意識を取り戻すだろうと思っていたようだった。私もそう思っていた。
だけど、私は目覚めなかった。
私は来年ローランド様との結婚を控えていた。
ローランド様はデンパー男爵家の三男で、男子のいない我が子爵家の後継者として婿養子となる予定だった。ローランド様とはそれなりにお互いの立場をわきまえた付き合いができていると思っていた。私の両親も安心して家を任せられると喜び、そう遠くない引退に向けた道筋を考えていたことだろう。
それを私が「階段から落ちる」という貴族令嬢にあるまじき失態で壊してしまった。
間もなく七日。この頃にはもう皆私が目覚めることなど諦めていた。
いっそあの時死んでしまった方が幸せだったかもしれない。まさか、信じていた人からこんな裏切りを聞かされようなんて。
「これも神のお導きかもしれない」
婚約者の様子を見に来たと言っていたローランド様は、一緒に部屋に入って来たアザレアの手を取り、その腰を引き寄せた。
アザレアは少しはにかみながらも
「そんなこと、お姉様の前で言っちゃだめよ。お姉様に悪いわ」
と言って笑顔を見せた。それは愛する者に向けた幸福と、愛されていると勘違いしながら横たわる敗者への侮蔑の笑み。
「優しいことを言うね、アザレア」
二人は目を合わせると、仮死状態の私の前で長い口づけを交わした。優しい人は起き上がれない人の前でその婚約者といちゃつくようなことはしないと思うんだけど。
「ナタリーのおかげで、婚約解消も面倒を起こすことなく済みそうだ。助かったよ。さすがに子爵を説得するのは骨が折れただろうからね」
「さすがお姉様、気が利くわ。こんなタイミングで死んでくれるなんて」
「おいおい、まだ死んではいないよ」
「でも、そう長くはないでしょう? …いっそぽっくり死んだ方が楽だったでしょうに」
アザレアの言う通り、いっそあっさりと死んでた方がすっきりと昇天できたかもしれない。
父に言われるままに婚約し、笑顔を向けられ、悪い人じゃなさそうだったから無難にそれなりに家族になっていくものだと思っていたんだけど。
相思相愛。婚約者こそが邪魔者。死んでくれて嬉しい。…これが現実。
悔しいけれど仕方ない。こんな場面を見せられたら、万が一意識が戻っても絶対にやり直そうなんて思えない。今ならアザレアと代われと言われたら、むしろ喜んで代わるわ。
…私、殺されたんじゃないわよね? まだ死んでないけど。
青白い顔の私を二人がのぞき込み、首元を触られ、いよいよとどめを刺されるのかと思ったけど、まだ生きているのを確認されただけだった。今首を絞めたらさすがに跡が残ってしまうだろうし、そんな危険を冒さないわよね。
私、何故死に損なってしまってるんだろう…。
今の私は蜘蛛になり、二人の後ろでそっとこの場面を観察している。
蜘蛛に転生したのか、魂だけ乗り移ったのかはわからないながら、気が付いたら自分の部屋の天井に張られた蜘蛛の巣の上にいた。自分の姿が見えないのが幸いながら、儚げな蜘蛛の巣を器用に歩く自分がちょっと怖い。
二人は私が二人の不埒な様子を見ているのも知らず、散々いちゃついた挙句、落胆したふりをしながらもさらに距離を寄せ部屋を出ていった。手慣れた様子に、長い間騙されていたことを知った。
よもや、自分の不幸が誰かの幸せを招くとはね。
侍女のメグが私に声をかけながら花瓶の花を換える。香りの高い花を選んで活けているのは匂いのある花が刺激になるとでも言われたんだろうか。今の私にはあまり好ましい香りではなく、目眩がしてくる。
「お嬢様、早くお目覚めになってくださいね」
満面の笑顔で元気づけようとしているみたい。無理してないといいけど。
お母様も時々来てくださるけれど、気落ちして泣いてばかり。
「どうしてナタリーがこんな目に…」
すっかり憔悴して、足元もふらついている。親より先に死ぬなんて何よりの親不孝。ごめんなさい、お母様。
ああ、私までくらくらしてきた。そしてうっかり足を滑らせて蜘蛛の巣から落ち、着地した先は母の肩の上…。
その気配に気が付いた母が、
「きゃーーーーーーっ!」
と悲鳴を上げて、私をバシッと平手打ちし、肩から落とした。
う、動けない。た、助けて…
悲鳴を聞きつけ、メイドのマリーがどかどかと部屋に入って来て、
バンッ。
箒で一撃。
私の二度目の人生は終わった。
蜘蛛として死んだ後、私はネズミになっていた。蜘蛛よりも広範囲に移動できる。見つかったら大変だけど。
応接室には、父と母。向かい合ってローランド様とアザレア。
今、我が家は婚約者を入れ替える話し合いの最中。
私が意識をなくして十日ほど経ち、二人は父に眠ったままの私からアザレアとの婚約に切り替えたいと持ち掛けた。父も私に回復の見込みがないと覚悟したらしい。
「ナタリーのことを想うと心苦しいのですが、私にこの家を継がせてください。これまで学んできたことを生かし、ここにいるアザレアと共に子爵家を守っていきます」
長い沈黙の後、父は
「…仕方あるまい」
そう言って、私との婚約は解消になった。そして後日ローランド様を養子に迎え、アザレアとの婚約を結ぶことになり、この家は二人が継ぐことが決まった。
婚約者が倒れて二週間足らず。世の中そんなもの。父は家を守ることを優先させたいのだろう。元々私には愛想がなかった父だ。ほぼ死んでいる私になど興味はないのか、あの後部屋に来ることもない。
「ナタリーの遺志を継いで、きっとこの家を立派に盛り立てていきます」
涙ながらに決意を語るローランド様。
まだ死んでないけどね。
ああ、見事なハッピーエンド。
二人が腕を組みながら笑顔で去った後、
「…あんな男だったなんて」
と母がつぶやいた。
「あの様子では、二人は以前からそういう仲だったのだろうな。…ナタリーには申し訳なかった」
父がそう言ったのが信じられなかった。自分の決定が絶対で、私がそれに従うのが当然だと思っている人。それが私の父に対する印象だった。
家のため、仕方ない。それは私の諦めだったけど、今や父の諦めになってしまった。
母も泣くのをやめ、私の部屋に滞在する時間も減った。
それでもまだ侍女のメグは笑顔で返事のない私に声をかけ、時々体を拭いてくれる。花も二日に一回は換えられている。
我が家の主治医のリード先生が定期的に往診に来て私の状態を確認した後、栄養剤っぽいものを打って帰る。
目覚める見込みもない私にそんなに尽くしたところで、あとはミイラのように干からびて死んでいくだけ。お金と手間ばかりかかる。みんなに迷惑をかけないように、早くこと切れた方がいいように思うけれど、若いから体力も残っているのかそう簡単には死にそうにない。砂時計のようにやがてその体力が尽きた時、私の呼吸は止まり、心臓は鼓動を失うのだろう。
ローランド様の養子縁組とアザレアとの婚約は来月に行われることが決まり、二人は満足げだ。愛しい人と結婚し、家も継げる。最高だろう。
眠り続ける私のいる家で二人は幸せになれるんだろうか。…私が嫌だわ。昔の婚約者がいちゃつくところを見せつけられるくらいなら、土の下で眠りたい。
軒を伝って自分の寝ている部屋に移動すると、往診に来ていたリード先生が帰るところだった。窓が開いていて、風が気持ちいい。ずっと締め切りで、薄暗くて気持ちも暗くなりがちだった。まあ、自分の死にかけの姿を眺めてさわやかも何もないんだけど。
「では、また二日後…」
「ありがとうございます」
母の弱々しい声。
先生がいなくなるとすぐにメグが入って来て、窓を閉めてしまった。せっかく明るかった部屋はまた陰気な病室に変わってしまう。
もう間もなく私は死ぬのかもしれない。以前よりさらに顔色が悪くなり、頬もこけている。水分が足りないのか、唇がカサカサでしわが入っている。どうして私は生きているんだろう。そしてどうして心はあの体に戻れないんだろう。
この部屋にいるとどうも調子が悪い。ふらつきながら巣に戻ろうとすると、入り口の近くで子ネズミが猫に捕まっていた。この体の弟妹だろうか。走り寄って猫のしっぽにかじりつくと、
「みぎゃーーーーっ!」
と猫は大声を出し、咥えられていた子ネズミは口から離れたものの動くことはできなかった。もう死んでいるのかもしれない。
振り払われたしっぽ。飛んでいく私。近寄って来る猫の手の先には鋭い爪…。壁に激突した後、記憶が途絶えた。
ガタガタと揺れる馬車。その中にそっと忍び込んだ。
あの家をローランド様達に引き継ぐ準備として私は家から出されることになり、死にかけの私は馬車に乗せられた。丁寧に毛布にくるまれ運ばれる私はまるで墓場に捨てられに行くかのようだった。生きたまま埋められるのかと思いきや、そうではなく、運ばれた先はリード先生の家だった。結構な金額を積まれたに違いない。お医者様が引き受けなければいけないことではないのに。
出迎えたリード先生に抱えられ、すぐに二階の部屋に運ばれると用意されていたベッドに寝かされた。ここで死ぬまでの最後の時間を過ごすのね。
水色の壁の清潔な部屋で、窓には薄いカーテンがかかっているけれど、自分のいた部屋より明るい。少し開いた窓から新鮮な空気が入って来る。きつい花の匂いもなくて、メグには悪いけどほっとする。
夜になり、部屋に現れた先生は私の体調を確認した後、大きな手でそっと私の前髪をかきあげた。熱はない。その手が額から頬に移り、死にかけの私のガサガサの唇に触れた。
感触はない。今はあの体は私のものじゃない。私は部屋の片隅にいるミツバチにすぎない。
近づいてくる顔。本来の自分にいたずらされるのは気持ち悪く、飛んで行って背後から肩にチクリと一刺しお見舞いしてやった。
「いたっ」
リード先生は慌てて手で蜂を追い払い、はじかれた手に強打され、中途半端な一刺しを残し力なくふらふらと落ちていく。
ああ、私はまたしても死ぬ…。こんなにもあっけなく。
死ぬ前だというのに辱めを受けるなんて嫌。でも逃げるすべもない。
次こそはもうこの記憶ごと、この心ごと甦ることがありませんように。
もう、もう私なんて、生きていたって…。
「目が覚めたかい?」
ゆっくりと目を開けると、目の前にいたのはリード先生だった。
うまく体が動かない。
「やっと意識が戻ったんだ。もう二十日近くも眠ったままだったからね。急に動いちゃいけないよ」
知らない部屋。ここはどこだろう。どうしてこんなところに?
「ここは僕の家だ。君は家で階段から落ち、頭を強く打って意識を失っていたんだ。…覚えてない?」
そんなことがあったような、…なかったような。
すべてが朦朧として、思い出せない。
二階で本を読んでいたら、何かの割れる音がして、何事かと思って下に見に行こうとしたら、急にめまいがして…
落ちた時のことはよく覚えていない。だけどその後、蜘蛛になって…、
「ローランド様とアザレアは…」
「…二人のこと、知ってたのか」
知ってたわけじゃない。けれど、
「私との婚約は解消って、…あれは夢じゃなく?」
「目は覚めなくても意識はあったんだな。眠っている君の前でそんな話をしたのか。…ああ、確かに君は婚約を解消され、二人が子爵家を継ぐことになっている」
あれは夢じゃなかった。
もしかしたら蜘蛛になったと思い込んでいただけで、目が覚めないながらも意識はあったのかもしれない。あれは私自身が聞いたことなのかも。
でも、全ての話を私の部屋で聞いた訳じゃない。
確かに私は自分ではない何かになっていた。生まれ変わったというより、憑依するかのように。次々と思い出す、本当なら見ているはずのない光景。天井から見下ろす私。ローランド様とアザレア。お母様。花の匂い。巨大な箒。応接室での話し合い。父の落胆。メグの笑み。襲い掛かる猫。家から出される私。この部屋で…、!!
思い出した途端、冷静でいられなくなった。
この部屋で私はミツバチになっていて、そして…
「あ、あの、先生、私に…、キス…、しましたよね?」
驚いたように目を丸くした先生が、悪びれもせずいきなりぷっと噴き出した。
「ああ、そういう言われ方をすると照れてしまうな。…解毒薬を飲ませたんだけど」
解毒薬…?
飲ませた!
何てこと、私は無体なことをされると思って、蜂の姿で先生を刺してしまった。
そんな私の狼狽など気にも留めず、先生は説明を続けてくれた。
「何者かが君に毒を盛っていたようだ。すぐに死ぬようなものじゃないが、目眩やふらつきを起こし、階段から落ちるような事故を引き起こしかねないような…」
「あれは、…事故じゃなかった?」
「事故になるように仕向けられたと言うべきか。あの日君が履いていた靴に蝋のようなものが塗ってあった。事故の後君の様子を見に行くと部屋は閉め切られ、揮発性の薬が置かれていた。香りの濃い花を活けてあったのは匂いをごまかすためだとすると…」
「犯人は…メグ?」
「断定はできないけどね。君の母上に空気の入れ替えをするよう頼んだんだが、君の侍女が君が寒がると言ってすぐに閉めさせていたようでね。…何か恨まれるようなことを?」
メグとは特段仲が良かったわけではないけれど、さほど険悪ではないと思っていた。でも嫌がらせを受けるくらいには嫌われていたってこと…?
私が目覚めない間に浮かべていたあの笑顔は、弱っていく私を見て浮かべたものだった…?
ブルッと悪寒が走った。
私は婚約者にも侍女にも裏切られていたのね。
ついこの前まで、平凡で平和な人生を過ごしていると信じて疑わなかったのに。
私の人生ってそんなものだったのかしら。
「まあ、その侍女とデンパー男爵のご子息またはアザレア嬢がつながっていれば、婚約を回避し、家を乗っ取るための策略ともとれるが、僕のような立ち回りが悪い人間では裏付けが取れなくてね。今頃君の父上が動いていることだろう」
目が覚めたその日のうちに母が先生の家に来て、私を見て大泣きしていた。心配をかけてしまったことを謝ると、母は目覚めたことは喜ばしいことだから謝らなくていいと言ってくれた。
母を見て、死ななくてよかったと、そう思えた。
三日後、家に戻るとメグはいなかった。
メグの使っていた部屋から何種類か薬物が見つかった。メグは私が元気だった頃はお茶に、意識がなくなった後も揮発性の薬品をこっそりと部屋に仕掛けていたことを認めたらしい。
理由は、私がメグをいじめていたから。
「ナタリー様に命じられて納戸の掃除をしていたら、そのまま閉じ込められて、夕方まで出られなかったことがありました。その日以来、掃除したばかりの場所を汚されたり、部屋に置いてあった本がびりびりに破かれていたり、家からの手紙が黙って捨てられていたことも。遅くまで仕事を命じられ、私だけ食事がなかったこともありました。ずっと我慢してたんです」
全く心当たりのないことばかりだった。
私さえいなくなれば。そう思ってやった。弱って寝込んでしまえば意地悪もできなくなるだろうと。
それならこの家を出て、他の家に奉公すればいいのに。そう思うのは、私が雇う側の人間だからだろう。侍女が別の家に勤めるには紹介状が必要。だけどその家の「お嬢様」にいじめられているのに紹介状など書いてもらえるわけがない。メグはそう思い込んで、ずっと我が家で我慢していたというのだ。
高価な薬をどうやって手に入れたのか聞いても、決して口を割らなかった。恨みを晴らす手助けをしてくれた人に「恩」を感じているのだろうか。ローランド様やアザレアとの関係はつかめなかったようだ。
実際にいじめをしていたのは侍女仲間のカレンだった。私のせいにするつもりはなかったらしいのだけど、最初に私の名前で呼び出し、メグがそう信じるようになってからは誤解するようほのめかしていたようだ。
既にカレンもいなくなっていた。メグとカレンの処分内容は教えてもらえなかった。侍従長は減給になったけれど、解雇はされなかった。人手不足で何かと落ち着かないことが多かったけれど、そうしないうちに新しい侍女が採用され、徐々に日常を取り戻していった。
父から私が意識がない間に婚約が解消されたことを伝えられ、私も同意した。父は謝ったけれど、二人の仲を見破れなかったのは私も同じ。結婚前に気が付いてよかった。
我が家に呼び出されたローランド様は緊張していた。
「ナタリー、目覚めたんだね。…よかった」
空々しいほどの棒読みに、引きつる笑顔。
「ご心配をおかけしました」
私は軽く会釈をした。
「ナタリーは無事意識を取り戻したが、婚約はすでに解消されている。君とアザレアが婚約予定である今、当家はナタリーとの婚約を復活することはないが、それでいいな」
父からの確認の言葉にローランド様は私を目の前にしてばつの悪そうな顔をしながらも、その決定に満足し、受け入れた。
「はい。それでお願いします」
「ただし」
父はローランド様に厳しい表情を向けた。
「ナタリーが戻り、婚約を解消した以上、我が家との養子縁組はなくなった。この件は男爵とも合意済みだ。君と我が家の関係はこれまでだ」
ローランド様は急な展開にうろたえていた。
「わ、私は、アザレアとこの家を継ぐ、のでは?」
「何故アザレアと?」
「別に姉でなくても、妹が家を継いでも構わないでしょう?」
ローランド様の言葉の意味がわからなかった。父も訝しそうに眉をひそめている。
「…うちの子は、ナタリーだけなんだがね」
目を見開いたままのローランド様。まさか、婚約者の家族構成もちゃんと把握していなかった? そんな、まさか。
「君がこの家の養子になり、アザレアとの婚約を願うなら承知しなければならんと思っていたが、もはや当家とは関係ない。我々に君とアザレアの婚約をどうこうする筋合いはないからな。デンパー男爵も反対はしないだろう。アザレアの家に申し込みに行きたまえ」
「え、あ、あの、アザレアはこの家の…、君をお姉様と呼んでいたじゃないか。君の妹じゃ…」
父の不機嫌な顔に恐れをなしたのか、視線を私に向けてきた。
「アザレアは私の従姉の子供です。学生の頃ここから学校に通ってましたので自分の家のように馴染んでいますが、子爵家の者ではありません。今でも我が家の名を使ってパーティに参加したいようでよく遊びに来ていますが、平民ですので我が家より格上の方々のパーティや夜会には同席していませんでしたでしょう? ご存知かと思っていましたが」
「そ、それは君がアザレアへの嫌がらせで同席を許さなかったと…」
なるほど。自分が出られない夜会を私からのいじめとし、ローランド様に泣きついていたと。そしてそれを信じたローランド様は悪女である私より可哀想なアザレアを選んだということね。
「私のこと、妹にそんな嫌がらせをするような女だとお思いだったのですね」
もしメグのことも知っていたとしたら、私は彼の中でどれだけの悪女だったのか…。
よく今まで笑って応対してくれていたものだわ。むしろそう言う意地悪を見聞きしたなら注意し、私を更生しようとしてくれていれば、ちゃんと本当のことを伝えられたのに。表面を取り繕うばかりで、子爵家を良くしていこうという気さえなかったのね。
この人とご縁がなくなってよかった。思わず安堵のため息と、笑顔が漏れた。
「アザレアとお幸せに」
私が言うことはそれだけだった。
父は次の婚約は少し時間を置いてからでいいと言ってくれた。私もしばらくは結婚に関する話から離れたかったので嬉しかった。父は私のことなど道具くらいにしか思っていないと感じていたけれど、それなりに愛情を注がれていたみたい。
家族がわかり合うきっかけになったなら、死んだ甲斐があったというものね。
三カ月ほどして、母が風邪で寝込み、久々にリード先生にお会いした。先生はいつもと変わらないのに、変に意識してしまう自分がばかみたいに思えた。
母の診察が終わり、玄関までお見送りした時、ふと思い出して聞いてみた。
「先生、私が先生のおうちにいた時、肩の所を蜂に刺されませんでした?」
「どうしてそのことを?」
さすがに蜂に刺されたような経験は忘れることはないはず。そしてそれが本当なら、私はやはりあの時蜂になっていたんだわ。…目の前のこの人に殺されたけど。
「あの時、私、ミツバチになっていたんです。先生が私に不埒なことをしそうになったので、背後から肩を刺してやったのですわ」
先生はじっと私を見つめた後、急に笑顔を見せた。
「はは。…なるほどな。絶妙なタイミングで邪魔されたと思ったら…」
こんな突拍子もない話を信じてくれるなんて、何だか嬉しい。だけど、
「となると、蜂をやっつけた後のことは知らないよね…」
後?
訝しがる私に、
「でなきゃ、解毒剤の言い訳で許してくれたりは…。いや、やめておこう」
「あの…、先生?」
い、一体何を?
「…ま、君を預かる時に君の父上と約束したからね。君の今後は僕に一任すると。…父上は君が元気に戻って来るなんて思ってなかったんだろうけど、約束は約束だ」
先生は上着を着て、帽子をかぶると、そっと私の頬に手をやり、反対の頬に口づけた。
「来週、母上が元気になられた頃にご挨拶に伺うよ。お大事に」
そして翌週、死にかけた娘の最終処分を頼んだ父と頼まれた医師の思惑により、私は我が家の主治医との婚約を提案された。
父がくれた次の婚約までの少しの猶予はたった三カ月でおしまい。
だけど家のためではなく、私のために取り交わされた約束に、私はどうしようか、ちょっと悩むふりをすることにした。
お読みいただき、ありがとうございます。
読みたい病と書きたい病の二大疾患で、目を酷使。
2023.4.30
2023.5.2 一番星をいただきました。
たくさんの方にお読みいただき、ありがとうございます。