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お邪魔します、春花です

http://reviews.bookstudio.com/author/10794/10728/5.htm

2008年07月20日(Sun) 22時54分に投稿



皆様、お久しぶりです。


皆様とは、『第2セマーナ』の第四回目以来になります。


あの時、最後の方に、「・・・何回か登場させて頂くかもしれません・・・」と書きましたが、期せずしてその予言通りになってしまいました。


皆様にはもしかしたら、そしてアラキさんには絶対に、ご迷惑でしょうが、どうしても正したい間違いがあり、この私がのこのこ再登場して参る事となりました。


と言うのは、「間違い」をアラキさんに訂正するよう助言したところ、アラキさんは、自分では良く分からないので、春花さんが皆様に直接説明した方が良いだろうと言って下さったのです。


そこで、アラキさんにはこの回を又々譲って頂きました。私の拙い文章で分かりにくい事も多いかと思いますが、どうぞ辛抱強く読んで下されば幸いです。


本当は、「間違い」は一個ではなく、何個かあるのですが、取り敢えず一番簡単なのから行きますネ。


それは、他でもありません、前回アラキさんが書かれていた使徒パウロに関する事です。


ひょっとして、皆様の中には新約聖書を読まれた御経験がある方もいらっしゃるかもしれませんネ。もしそうでしたら、これは「間違い」を正すまでもないかもしれません。


アラキさんは、パウロは「キリストの顔さえ知らなかった」と書かれました。しかし、正しくありません。少なくとも、それは正確ではありません。パウロは直にキリストに会った事があるからです。


パウロが十二使徒の中に入っていない事は、その通りです。彼は、アラキさんが言われたように、最初、クリスチャンを目の敵にし、信者の殺害にも加わっていました。ところが、そんな中、彼はキリストに出会ったのです。ただし、復活した後のキリストにです。十字架に付けられる前のキリストを、パウロが見ていたか否か、それは聖書からは窺い知る由もありません。実際に会っていたかもしれませんし、全然見た事もなかったかもしれないのです。なので、復活前のキリストに付いては断定的な事は言えませんけれど、復活後には、確かにパウロは会っています。


とはいえ、「パウロがキリストの顔を見たか」は、問題として依然残ります。なぜかならば、パウロは強力な光で目を見えなくされたからです。キリストが彼に現れた時、パウロは光の前にひれふしてしまいした。そして三日間、何も見えない状態が続きました。


皆様も慣用句「目からうろこ」を使われると思いますが、それはこの逸話から来ています。パウロが三日後、信者の祈りにより再び目が見えるようになった時、「目からうろこのような物が落ちた」と、聖書には書かれています。


なので、ある意味、イワムラさんが書かれていた、「パウロはキリストの顔さえ知らなかった」は、当たっていると言えるかもしれません。少なくとも、今の遭遇事件に関しては。でも、パウロ自身は、彼が書いた手紙の中で、キリストを見た事があると言っているので、多分、他の折に顔を見た事はあると思われます。


ほかは、イワムラさんが書かれていた通りです。間違いはありません。


折角ですので、他の回で誤解を招いたかもしれない事についても触れておきたいと思います。


一つは、献金に付いてです。逾越の會では、たまたま、礼拝の中で献金を集めないだけです。しかし、礼拝中に集めるからと言って、それが悪い事だと言う気は毛頭ありません。色々なやり方があるだろうと思うからです。


それから、確かに、逾越の會では、信者ではない方からの献金はお断りしています。でも、これにせよ、色々な考え方があるでしょう。一概には言えないと思います。逾越の會に於いては、みんなで話し合った結果として、今のやり方に落ち着きました。献金する人は、誰がいくら献金したかを誰も分からないようにと、好きな時に別室にある献金箱に入れます。では、献金の話はおしまいです。


次は三位一体に付いてです。イワムラさんは、逾越の會は三位一体の教えを否定するみたいに書いておられましたが、これも正確にはそうではありません。進んで受け入れていないだけです。理由は、イワムラさんが書かれていた通りです。(聖書的な根拠が皆無だからです。)


ですけれど、積極的に否定もしてはいません。なぜかならば、聖書には書いていなくても、正しい可能性だってゼロではないからです。三位一体が正しいか正しくないかは、「分からないから三位一体そのものを言わない」としておくのが正しい態度でしょう。


ところが、分かる事があります。それは、キリストが神だと言う事です。これは、三位一体派であろうとなかろうと、皆認めている事ですし、聖書にはっきりと書いてあります。


キリストは決して神様の三分の一ではなく、ましてや、ただの「良い人」ではなかったのです。


この誤解は広く行きわたっているようです。「キリストは体を張ってまで愛を生き抜く感動的に良い人だった」と。これが最大の誤解です。


聖書が断言する事は、キリストは万物の造り主、神御自身なのです。


人間を作った神が、罪深い人間の身代わりになり、死刑の苦しみを受けて下さった。神が人間のスケープゴートになるとは、天地が引っ繰り返るぐらい筋違いな話ですが、これがキリスト信仰の全てと言って良いのです。三位一体の話もおしまいです。


それに比べれば小さな誤解かもしれませんが、皆様もアラキさんに付いて誤解を持たれているかもしれないので、私から一言。


アラキさんの文章を読んでいると、少し不真面目な、はっきり言えばふざけた方のように思われるかもしれません。でも、実際は、全くと言って良いほど違っています。


直に会話していると、ふざけた態度などは全然ありません。いつも真面目な方です。たまに(さむい)ギャグを言って笑わせようとする事はあります。


なので物凄く真面目な方です。少なくとも、この私は、アラキさん以上真面目な男性に会った事はありません。ただし、これはアラキさん自身の基準による真面目さだとも付け加える必要はありますが.....。


最後に。


裏事情を暴露してしまうと、本当は、アラキさんは第三週の『ザ世田谷コネクション』で一度シリーズを終わらせました。アラキさんにしてみれば、暇つぶしにやっていた事だったので、何の得にもなりませんでした。


続きを書いて下さいと言ったのは、この私でした。


私の今までの半生を書いて下されば、アラキさんの申し入れを受け入れても良いとお答えしたのです。アラキさんの本心を確かめたくて。


でも、なかなか核心の部分を書いて下さいません。私の事を考えて下さっての事とは、痛いほど分かるのですけれど。


アラキさんは週に四日間、教会で運営している慈善事業を手伝う形で、パートタイムで働きつつ、かたや、新しい正規の就職口も探す毎日です。それをしながら、フリーの時間を全て私のために傾け、書いて下さっているのです.....。



ps 毎回きっちり八百字で来ていたのに、私がぶち壊す結果になり、啓一さんごめんなさい。


http://reviews.bookstudio.com/author2.php?id=10794

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