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自分の家の庭に、ディノは上半身裸で立っていた。目隠しをしており、視界は完全に奪われている。
そんなディノのもとに剣が迫ってくる。その剣をディノは躱すが、まるで意思をもっているかのように剣はひらりと反転し、再びディノへと迫る。
迫る、避ける、迫る、避ける。
ディノは最小限の動きのみでひたすらに躱し続けるが、その体は汗でびっちゃりだった。
それもそのはずで、ディノはかれこれ二時間以上も目隠しをしながら剣をかわし続けているのだ。その間ずっと動き続けているにもかかわらず、ディノの息は多少乱れる程度だ。
だが流石に疲れがたまっていたのか、迫る剣を躱し切れずにその一撃を受けてしまう。
「ハー、クソ。やっぱこれ難しいな」
「うえっぷ。おい、ディノ……この訓練は、ゼエ、ゼエ、嫌だと、言っただろう」
所有者から離れると所有者を追尾する、呪われてるともいえる剣の特性。
その特性を利用し、ディノは"見えない中で迫り来る物体を避け続ける訓練"をしていた。
だが、実際に訓練をしたディノよりも、生き物ではないので疲れとは無縁のはずである剣のほうがずっと疲れている。
剣はこの二時間ずっと飛び回っておりそれによる肉体的疲労は皆無だが、その間剣の視界はずっと移り変わり続けていた。つまり酔ったのだ。
「お前昔からホント良く酔うよな。剣なのに酔うとかいう感覚あるのか?」
「黙れ。とにかく、この訓練はもうするな。良いな?」
「へいへい」
ちなみにこの訓練、今回で百七十八回目であり、剣がもう二度とするなといったのも百七十八回目である。ディノは今日のように姿を消せる魔物の対策を練るため、この訓練はまたやろうと剣に内緒で決意するのだった。
「ふう、よし。落ち着いてきた。して、この後はどうするつもりじゃ?もうかなり遅い時間じゃが」
ディノはあの後、しばらくの間ソシーナと一緒にいた。ビルヘイムが迷惑そうだったので、ディノの家に場所を移してだが。
初めはソシーナの泊まっている宿に向かう予定だったのだが、ソシーナがどうしてもディノが今暮らしている家を見たいと言ったためだ。
ディノとソシーナはこれまで会えなかった分を埋めるように、思い出話に花を咲かせていたが、ソシーナのほうに用事があるらしく、渋々帰って行った。
その後、パトロールに向かおうにも帰るのが深夜になってしまうと思い、家で訓練をすることにしたのだ。しかし訓練に熱中している間に、あたりはすっかり暗くなってしまった。
「まあ、兄貴の店に飯でも食いに行くか。アリシアの様子も気になるしな」
「気になるならば、実際に会って話せ。そんなんじゃから八年もまともに話せておらんのだ」
「勘弁してくれ。会って何話すっていうんだよ。昨日のを見てただろ?」
「あれはお主が逃げただけじゃ」
そうは言われても、あの場では逃げる以外どうしようもなかった。
ディノはそう反論しようとして、やめた。
こういう議論では何を言っても剣には勝てる気がしないからだ。それに、自分が親として失格な行動を続けているのは分かっていた。
それでも怖いのだ。
あの日のことを思うと、アリシアとどんな顔をして話せばいいのかもわからない。
そのあと剣も何も言わなかったので、しばらく無言の時間が続いた。
ディノは湿らせたタオルで体をふき、服を着替え、グレイの営む店に向かった。
いつもはうるさい剣が何もしゃべらないので、店までの時間がやけに長く感じた。
店が見えてきたとき、剣はようやく口を開いた。
「……お主がつらいのであれば、全部放り出して逃げても、儂はなにも言わんぞ」
「……ありがとうな。けど、いらねえ気遣いだ」
「……そうか」
店に入ると、グレイが店の清掃をしているところだった。
「すみません、今日はもう閉店で……ってディノか」
少しだけ呆れたような顔で言うグレイに、ディノは苦笑いする。
この後、グレイは小言を言いつつもなんだかんだで夕飯をふるまってくれるというのがいつもの流れなのだが、今日は少し様子が違った。
グレイはその表情を真面目なものに変えると、ディノにこう切り出した。
「なあ、アリシアちゃんがおかしいってセナが言うんだけど、なんか知らないか?」
突然の相談に、ディノは面食らった。
おかしいと言われても、アリシアはずっと前からディノにはあんな調子である。
事件があった当初は、避けられていることはあっても今のように悪態をつかれることはなかったのだが、ここ二・三年は会うと毎回罵倒される。罵倒の内容にそうそう違いなどあるはずもなく、ディノはわからないと答えるしかなかった。
「だよなー。俺も分からないし」
「二人とも、ちゃんとアリシアちゃんのこと見てあげないとダメじゃない。アリシアちゃんが可哀そうよ」
奥の厨房の方の掃除をしていたセナが、そんな風に二人を注意する。
「義姉さん、アリシアがどうかした?」
「最近たまに帰りが遅いことがあるのよね。どこに行ってるのかも教えてくれないし」
「多少帰りが遅いだけだろ?気にし過ぎじゃねえの?」
あくまでも楽観的にとらえるディノに、セナは眉を顰めて考え事をしつつも返事をする。
「……そうだといいのだけれど」
「もう十五歳なんだからよ、そういうこともあるもんだって。兄貴なんてもっと酷かったしな」
「おいディノ、ここで俺の話をするのはやめてくれ」
「何その話?ぜひ聞きたいわね」
気になる話が出てきたので、セナは考え事を打ち切って身を乗り出す。
「兄貴は昔、町の半グレ集団とつるんでてな。帰りが遅くなるどころか、何日も家に帰ってこなかったんだよ」
「へ~、意外ね。そういうのはディノ君の方だと思ってたわ」
「もうやめよう。ほらディノ、さっさと帰れ」
「いいじゃねえか、聞かせてやろうぜ。木刀振り回してた頃の兄貴の話」
「いやだよそんな黒歴史。誰にだって話したくない過去の一つや二つくらい、あるだろ?」
「……まあ、それもそうか。悪かったな」
確かにディノにも、誰にも聞かれたくない話はあった。
グレイにとってのそれが、聞かれたくない話なのであれば、自分もうかつに立ち入るべきではないだろう。
家族であっても、線引きは必要だ。ディノがそう思って話を変えようとした時だった。
「――たとえ話したくなくとも、いつか必ず話さなくちゃいけない時は来るわ」
セナは、やけにキッパリとした口調で、確信と実感を伴った声で、そう言い切った。
「家族だからって、いいえ、家族だからこそ、隠しておかなきゃいけないことはある。けれど、いつか必ず隠し事は暴かれる。その時、隠されていた方はどう思うのでしょうね。少なくとも、私は悲しいわ。だって、大好きな人に隠し事をされたら、裏切られたような気持になるから」
それは、グレイに向けられた言葉だ。恥ずかしがって隠し事をする夫に向けられた言葉だ。
なのになぜかディノは、青天の霹靂でも見たかのように、固まって動けなくなった。
「しょうがない、俺の武勇伝でも語ろうじゃないか」
「ええ、ぜひ聞かせて」
「おお、あれは俺が十三の時――」
それからディノは、グレイの話にもあまり身が入らなかった。