16
夜の帳はすっかり下がり切り、三日月も沈もうかという頃、ソシーナは一人座っていた。
机を指で忙しなくたたきながら、何かを考えこむように天井を見上げている。
ソシーナのいる部屋は領主館の一角にある客室であり、貴族用とあってそれなりに豪勢なつくりをしていた。その部屋の廊下に続く扉は開け放たれており、廊下には監視役の女性が立っている。ソシーナが何か怪しい動きをするか、三分以上姿が見えない場合は飛んでくるそうだ。
そこに、廊下の先から別の女性がやってきた。
「交代の時間よ」
「そうですか。では、あとはお願いします」
ヨウムが気を回したのかこれまでの監視は全員女性であった。
ソシーナはそんなことを考えながら新しい監視役の女性をなんともなしに見て、そうして固まった。ソシーナはしばらくの間動くことができなかった。
その女性があまりにも彼女に似ていたからだ。
「……何見てるのよ」
「申し訳ありません、あなたが私の知り合いに少し似ていたものですから」
「そう」
その女性に注意されてなお、ソシーナは目を離すことができなかった。
その女性の正体に何となく感づくが、しかしそうであるならば辻褄の合わないことも出てくる。そんな風な思考の渦にとらわれているソシーナを、女性は再度注意した。
「あんまりじろじろ見ないでくれる?」
「……やはり似ていますね」
「……誰によ」
「リア・フリスターという――」
「っ!母さんをその名前で呼ばないで!」
その叫びを聞いて、ソシーナは名前を尋ねる。
「もしや、あなたはアリシア・フリスターなのですか?」
「だから、その名前で呼ぶなって言ってるでしょ!私の名前はアリシア・グラトニーよ!」
その女性――アリシアが名乗った姓は、彼女の母であるリアの旧姓だった。
ちなみに、リアが名乗っていたフロリアというミドルネームはリアの父が治める領地の名前であり、領地を治める貴族とその家族は自分の領地の名前をミドルネームとすることが義務づけられている。リアはディノに婿入りしたことで貴族ではなくなったので、その子供であるアリシアはその名前を名乗らない。
アリシアは憎々しげに顔を歪ませてつぶやく。
「忘れてたわ、王女様ってあの男と仲がいいんだったわね」
「あの男、とはあなたのお父様のことですか?」
「っ!……いちいち神経を逆撫でするような言い方をするのね。言っておくけれど、私に父親はいないわ!」
更に表情を歪ませたアリシアが怒鳴りつける。
それを見たソシーナは、親子関係の致命的な悪化を把握した。
「なるほど、疎遠になっていたとは聞いていましたが、絶縁どころか敵対までしていたとは。やはり彼は不器用な男ですね」
「……殺人しか能のない男に、まともな父親が務まるわけないでしょう?」
悪態をつくアリシアに一瞬腹立たしげに眉を顰めるが、聞くべきことを聞くためにすぐに表情を戻す。
「ところで、誘拐されたはずのあなたを助けに、彼があなたのもとに来たはずですが、どうしたのですか?」
「殺したわよ」
「……申し訳ありません、よく聞き取れなかったのでもう一度お願いします」
「だから、私が殺したって言ってるのよ」
端的に、しかし明瞭な言葉でもって言うアリシアに、ソシーナは小馬鹿にするようなため息を返した。
「はあ、心外ですね。そんな嘘が私に通じるとでも?」
「なんで私が嘘をつかなきゃなんないのよ」
「あの男はダーム帝国が総力を上げても殺せなかったのですよ。あなた達に殺せるはずかないじゃないですか」
「……どんな怪物でも悪魔でも、死ぬときは死ぬのよ」
それはアリシアにとってただの事実であった。自分が逆立ちをしても勝てないような解放軍の精鋭たち、それを十五人も相手にしてなお余裕を見せていた怪物。
そんな怪物もあっさりと死んだ。
あんなにもその死を願っていたというのに、アリシアの心は未だに晴れない。
だからその言葉には、思っていた以上に感情がこもらなかった。
「そんな、まさか……そもそも、なぜあなたがディノを殺す必要があるのですか?」
その言葉に、今度はアリシアが小馬鹿にしたように笑う。
「化け物は誰かが殺さなきゃならない。そうでしょう?」
「化け物?いったい、誰が?」
「あなた知らないの?いいわ、だったら教えてあげる」
そうして、アリシアはソシーナに自分の過去を話した。
なぜアリシアが『魔鎖解放軍』の一員となっているのか、なぜディノを殺そうとしたのか、そのすべてを話した。
「生贄の剣。自分の大事なものを犠牲にして、圧倒的な力を得る死神の剣。その力を使ってアイツは、多くの味方の兵士達を殺していた!」
「彼は、アチェスタを勝利に導くために、自らの手を汚していたのですよ!ですから、それは仕方のないことで――」
「嘘つかないで!私は今日、アイツの戦いを見たのよ」
アリシアが思い出す。今日のディノと解放軍との一戦を。
「圧倒的だった。剣の力を一切使っていないのに、十人以上の魔法使いと互角に戦ったのよ。あんな怪物に、どうして生贄の力が必要なのよ!あれだけの力があれば、母さんを、他の人たちだって生贄にする必要なんてなかった!なのに、アイツはたくさんの人を殺した!」
ディノへの怒りからか、アリシアの語調が徐々に強まっていく。
ソシーナがそんなアリシアを冷ややかな目で見ていることにも気づかない。
「ヨウムが教えてくれたわ。アイツは、ディノ・フリスターは殺しを楽しんでるって!自分の快楽のために、必要のない生贄を作り出して、何の意味もなく敵も味方も殺し続けている!あなた達国の上層部は、アイツの強さを利用するためにその殺しを黙認している!だから、私が殺したの!母さんを殺した、あの怪物は、私達が殺したの!」
アリシアの瞳が、何か禍々しいものに侵食されていく。
それは憎しみに似ていたが、それとはまた別の何かだった。
歪んだ笑みを浮かべながらヒステリックに叫ぶアリシアに、ソシーナが確認を取る。
「……もう一度聞きますが、あなたは本当にディノを殺したのですか?」
「だから、さっきからそうだって言ってるでしょ!」
「……ハァ、あのリアとディノから、こんなにも愚かな娘が生まれるなんて、呆れてものも言えませんね」
「……あなたもしかして、この状況でケンカ売ってるの?」
捕虜としてとらわれている何の力も持たない王女様が何を言っているのか。
そんな風に考えるアリシアを、ソシーナは敵意と侮蔑にあふれた目で睨みつける。
「あなたの話には、いくつかの矛盾点があります」
「……何の、話よ」
アリシアは、訝しげに目を細める。
「あなたはディノのことを自分の妻すら殺す殺人狂だと言っていましたが、それならばなぜディノは結婚して、子どもまでつくったのでしょうか?」
「……そんなの、分からないわよ。殺人鬼の考えることなんてね」
アリシアには、ソシーナが何の話をしようとしているのか分からなかった。
「では次に、あなたを襲ったという暴漢ですが、その方はあなたを襲った後に一度でも、あなたの元に来ましたか?」
「……来てないわよ」
「彼の目的が本当に復讐であるのならば、ただ一度の失敗で諦めるでしょうか?」
「……ヨウムが話を聞いて、手を回してくれたのかもしれないじゃない」
アリシアは、自分の声が震えていることに気づいていなかった。
「ではその暴漢は、なぜ自分の父親がディノに殺されたと思ったのでしょうか?ディノが味方を殺した、という噂はあっても、具体的に誰を殺したという情報は公開されてません。戦争を終結に導いた英雄が多くの味方を殺していた、などという話を軍部が部外者に漏らせるとおもいますか?」
「そんなの……全部偶然かも、しれないじゃない」
「偶然、ですか。ではヨウム・ロースタニアと知り合ったことはどうですか?偶然話しかけられて、偶然知りたいことを教えてくれて、偶然同じ人に同じ場所で同じく片親を殺されていた。そんな偶然が本当に存在するとでも?」
「……何が、言いたいのよ!」
アリシアは震える声を出しながらソシーナを睨みつける。その瞳には、先ほどまでの禍々しさは微塵も感じられず、ただ必死に強がっているだけの小動物のようにも見えた。
「では、最後に。なぜあなたは――リアが死ぬ所を見れたのですか?」
「――え?」
アリシアの思考が困惑で埋まっていく。なぜ見れたのか、そんなのはリアが死んだ現場に自分もいたからに他ならず、ではリアはどこで死んだ?
「よく考えてみてください。あなたの母親は自宅で死んだのですか?いいえ、そんなはずありませんよね。彼女は『魔鎖解放軍』の本部で死んだのですから。では、なぜあなたはそんなところにいたのでしょうか?」
「それは……あれ?なんで、思い出せない」
ソシーナはアリシアの話を聞いてようやく気付いた。なぜディノがリアを生贄に捧げた理由を隠していたのかを。
ディノはゴーレムが出たからといっていたが、それにしたって同じことだ。町の衛兵を大量に連れてきて討伐すれば良いだけなのだから。つまりディノとリアには、生贄の剣を使うほど急いで敵を倒さなければいけない理由があったということだ。
「あなたの言った通り、ディノは強い。バルヘルごときに負けるはずがありません。それなのに、なぜディノはリアを生贄に捧げてまで力を得なければいけなかったでしょうか」
「違う!アイツは、お母さんを殺したかったから殺した!ただ、それだけよ!」
頭を抱えて叫ぶアリシアに、ソシーナは決定的なその言葉を投げかけた。
「いいえ、違います。ディノが生贄を捧げた理由、それは近くにあなたがいたから。まだ幼かったあなたは、『魔鎖解放軍』に人質として誘拐されていた。あなたを守る為にディノは、いえリアはその身を生贄に捧げたのですよ」
そう、あの日アリシアは『魔鎖解放軍』に誘拐されていた。
『魔鎖解放軍』はどうにか倒したが、運の悪いことにゴーレムが出た。
だからディノは、アリシアを守るためにリアを生贄に捧げるしかなかった。
「……違う、アイツが、アイツがお母さんを――」
「ふざけないでください!リアは何のために、自分の身を投げうったと思っているのですか!ディノは何のために、愛する妻をその手にかけたと思っているのですか!すべてあなたのためでしょう!なのに、なのにどうしてディノを……」
怒りに打ち震えるソシーナに、アリシアは胸ぐらを掴まれる。
しかし、アリシアの目にはもうソシーナは映っていなかった。
「違う、違う違う違う違う!お母さんが、私のせいで死んだなんて、そんなの、そんなの信じない!」
激しく首を振り、ソシーナの腕を強引に離す。そして、何かを思い出したかのように呟く。
「そうだ、ヨウム。彼なら、本当のことを言ってくれる。彼なら、きっと……」
アリシアは部屋から飛び出し、一目散にヨウムのもとを目指した。
ソシーナは、アリシアを追おうとは思えなかった。
アリシアはヨウムの部屋にたどり着くと、ノックもせずに入り込んだ。
「ヨウム!」
「おや、アリシア。いったいどうしたんだい?君は今王女の見張りのはずだろう?」
アリシアは倒れこむようにしてヨウムに縋り付いた。
「ねえ、おかしいの。あの女が変なこと言うの。お母さんが死んだのは、私を助けるためだって。私のせいで、お母さんは死んだんだって。ねえ、ヨウム、嘘だよね。あの女のでまかせだよね」
「……」
「ねえ、ヨウム、教えてよ。ヨウムはいつも私に本当にのことを教えてくれたでしょ?私のことを正しく導いてくれるんでしよ?」
「……」
「ねえ、なんで何も言ってくれないの?黙ってないで、答えてよ!」
うつむいたまま何も言わないヨウムに、アリシアの不安がたまっていく。
すると、ヨウムはこらえきれずに噴き出した。
「……ハッハッハ!あ~おかしい。まさかここまできてまだそんなこと言ってるなんて、君は相変わらず可哀想になるくらいの馬鹿だね」
「……ねえ、冗談でしょう?ヨウムはそんなことしないよね?絶対に嘘はつかないって言ってたじゃない!」
「あ~、そんなことも言ったね。残念ながらその言葉が嘘だよ」
「そんな……私を騙したの?味方だって言ったのも、私を守ってくれるって言ったのも、全部嘘だったって言うの!?そんな――」
「何被害者ヅラしてんだよ、この人殺し。君は自分の弱さで母親を殺し、愚かさで父親を殺した。君さえいなければ、君の両親は今でも幸せに暮らしていられたんだよ?」
「そんな……そんなこと……っ!」
普段の人懐っこい笑みを消して、低い声で責めるヨウムに、アリシアは思わずたじろぐ。
と、そこで後ろに立っていたヨウムの護衛がアリシアの腹を殴り、気絶させる。
気絶したアリシアを支えながら、護衛が尋ねる。
「本当のことを隠してれば、まだ使えないこともないと思うんすけど、良かったんすか?」
「いいんだよ、そんな雛鳥みたいな女」
「雛鳥?」
「ピーピーうるさいし、すぐ他人に依存するし、心も魔法も弱いし。ね、雛鳥みたいでしょ?そんな女、ディノさえ殺せれば用済みだよ」
「なら、ここで殺すっすか?」
「いや、まだ殺さないよ。なんのために、わざわざ本当のことを明かしたと思ってるんだい?」
「?目障りだからとかじゃないんすか?」
疑問に思う護衛に、ヨウムは答える。
「自分のことを殺したがっている相手を見捨てるのは簡単だ。けど、たとえ相手がどんなクズでも、反省して後悔してる相手を見捨てられるほど、彼は冷酷な人間じゃない」
「つまり?」
「もしも、ディノが生きていたとき、そっちの方が人質として効果的だろう?」