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「――ということなのです」
「なるほど、それは面倒ですね」
クスワにおいて最も歴史の古い、ある高級宿泊施設。その一階中央、一般客にとっては存在しないはずの部屋。
王室専用のスイートルームにて、ソシーナはフェクトの報告を聞き終わると、大して何も感じていなさそうな顔で面倒だと呟いた。あまり現状を問題視していないようにも見える表情だったが、その頭は高速で現在の状況を整理していた。
アリシア・フリスターが『魔鎖解放軍』に誘拐された。それも、自分がこの町にいるこのタイミングで。もちろん偶然という可能性もあるが、常に最悪を考えておくべきだろう。違ったら、考え過ぎだったで済むのだから。
仮に自分が関係しているとみて、敵組織の狙いは何だろうか?
まずは被害者アリシア。
ディノの娘であるアリシアの存在はソシーナも知っていた。八年前の事件で、ディノとの間に何らかの確執ができ、今は叔父であるグレイの店を手伝っている。
ソシーナが知っているのはこの程度だ。
アリシアがまだ幼いころには何度も会ったことはあるが、その頃とはかなり変わってしまっているのだろう。なので、ソシーナとアリシアとを結びつけるものは、今となってはディノだけだ。
次に犯人。
今回の誘拐犯は『魔鎖解放軍』を名乗ったという。
仮に『魔鎖解放軍』が本物であるとしても、その規模はかなり縮小していると見ていいだろう。六十人以上の魔法使いを抱えていた『魔鎖解放軍』のうち、リーダーであったバルヘル・ロースタニアを含めた四十人以上は、八年前にディノが捕らえている。
新たにリーダーを擁したとしても、前のメンバーの信頼を得たり、新しく人員を補充したりすることは容易ではない。
それに、八年前に捕らえられなかったメンバーは、ディノの恐ろしさに早々と逃げ出してしまった者ばかりだ。
そんな者達の中で、復讐を企てる気概に溢れた人物がどれだけいるというのか。
そう考えると、今回の誘拐は『魔鎖解放軍』を名乗る模倣犯の仕業と見るのが良いだろうか?いや、そうなると目的が見えない。
誘拐犯の目的は、おそらくディノをおびきだすこと。だが、何のために?
復讐のためか、町からディノを引き離すことが目的か。後者であるのなら、やはり目的はソシーナの首だろうか?
だが、ソシーナがこの町に来ることを知っている者は限られている。
その中で、情報を漏らす可能性があるものといえば――
「――ソシーナ様!」
そんなことを考えていたとき、ソシーナは自分が誰かに呼ばれていることに気づいた。
「……なんでしょうか?」
「いえ、先ほどから呼びかけても返事がなかったもので……」
「申し訳ありません。少々考え事をしていました」
どうやら思考の渦の中に入り込み過ぎていたらしい。
まだ整理しきれたとは言い難いが、今の状況では情報が足りなさすぎる。これではどれだけ考えても答えは得られないだろう。
だから今何よりも必要なのは情報だ。
「さしあたって、状況を把握したいですね。今町に出ている近衛からの情報を待ちましょう。彼等の情報によっては町長に連絡をするか、あるいは町を離れる必要も有りそうですね」
「ディノ殿はどういたしましょう?」
「娘を助けるだけなら、特に問題はないでしょうが……念の為、三人ほど援軍を送りましょうか」
ディノの強さはソシーナもよく知っている。たとえ相手が解放軍であろうとなかろうと、ディノならば問題なく勝利を収めることができるだろう。
だが、あの場にはアリシアがいる。
流石のディノも人質を守りながら戦うのは厳しいだろうと、救援を送ろうと動きだした。
だが、フェクトがそれに待ったをかける。
「何事です?」
「いえ、宿の前にやけに人が多いような……」
フェクトは常に周囲の音を魔法で拾い続けている。常時最大規模を展開するのは無理なので、今はせいぜいこの宿とその周り程度だ。
そのフェクトが感じた違和感。
一人一人はただの通行人のように見えるが、その数が少し多い。
と、その通行人たちは一斉に進行方向を変え、この宿を囲み始めた。
「っ!どうやら襲撃者のようです」
「敵の人数と配置は?」
「全部で二十一人。全体を囲むように配置しており、中に入ってくる様子はありません」
「秘密の通路は?」
この部屋には、王族専用だけあって緊急避難用の秘密の通路がある。その存在を知るものはごくわずかだ。本来は、一組織が知っているはずもない。
実際、近衛の一人は棚を動かしてその通路への道を開いていた。
だが探知範囲を広げ、通路の先を見たフェクトによって、その道は閉ざされる。
「……駄目です。そちらにも八人います」
「全部で二十九人ですか。もしも全員魔法使いなのだとしたら、『魔鎖解放軍』はかなりの大組織ですね」
約三十人の魔法使いといえば、王女の親衛隊の倍の人数だ。
もちろん親衛隊騎士は最精鋭であり、そこらの魔法使いならば五人分にも匹敵する。
「どうしましょうか?」
「……今この場にいるのは十二人、内七人が魔法使いです。対する相手は二十九人、魔法使いの数は不明です。まあ、誰が魔法使いなのかは考えても分からないので、全員ということにしておきます」
この町に連れてきたのは、侍女四人と近衛騎士十人。
今そのうちの三人は情報収集のために町に出ている。
侍女はある程度護身術に長けたものを選んできたとはいえ、魔法使いに対抗できるほどではない。
なので実質七対二十九。
いや、秘密の通路と宿の外壁とは少し距離があるため、七対八あるいは七対二十一。
一見、秘密の通路に進むのがいいように見える。
しかし、ソシーナは別の道へと進む。
「正面突破しましょうか」
「理由をお聞きしても?」
「よろしいでしょう。私が敵の立場だったとして、秘密の通路から逃げられるのが一番厄介ですね。途中で複数に分岐してますし、かなり遠くまで逃げられますしね。ゆえにそこの警戒は一番高いと思われます」
「人数は一番少ないですが」
「おそらくは、壁を作るような防御型の魔法で時間稼ぎをされます。途中までは狭い一本道なので、敵も守りやすいでしょう。その間に、宿を囲んでいる部隊に挟み撃ちにされてしまうでしょう」
それに、魔法使いというものは必ずしも人数・力というわけではない。
それぞれがどんな種類の魔法を使えるのか、どれくらいの力が出せるのかで全く話は変わってくる。数百人の兵に匹敵する魔法使いもいれば、一般兵と大して変わらない力しか持たない魔法使いもいる。もっとも、後者に関しては索敵や治癒などの補助的な魔法を使う者を指すことが多いのだが。
「裏口や窓というのは?」
「狭すぎてすぐに追い詰められるでしょう?」
「壁や天井に魔法で穴を開けるというのはどうでしょうか?」
「なるべくこちらの手の内は晒したくないですね。それに敵の手も分からない以上、一発目で確実に何人かは仕留めておきたいです」
「なるほど、では正面玄関から行きましょうか」
それは、一見理知的な判断に見える。
少なくともフェクトには、その判断を上回るほどの効果的な作戦は思いつけない。
だがフェクトは分かっていた。
ソシーナのその判断は、決して理性だけによってもたらされたものではないことに。
「それに何より、正面から出るのが一番かっこいいからです!」
「ええ、そんなことだろうと思いました!」
この人実はほかにもっと良い手段を思いついてるけど、格好良くないという理由で却下してるんじゃないかと、つい思ってしまうフェクト。
見ると、同僚たちも苦笑いしている。
この姫様は、やけに格好をつけたがる。
おそらく、どこかの守り神の姿を昔から見続けていたことが原因だろうが。
作戦が決まると、荷物も持たずにすぐに部屋を出る。
正面玄関が近づいてくると、不意にソシーナが声を上げる。
「フェクト、分かっているとは思いますが――」
「本当に危機的状況であると判断したとき以外、犠牲は出さない。分かっておりますとも」
ソシーナが、隊長となったフェクトに最初に言ったことだ。
できる限り犠牲は減らす。それが王女としての彼女のスタンスだ。
さっきのも、半分は冗談のようなものだった。
「私が先制して倒すので他の者は五秒後に出てきてください」
廊下の陰に隠れたフェクトが部下に指令を伝える。
彼の手のは矛先が柔らかい布のようなものでできた訓練用の槍が握られている。
いうなればただの細長い木の棒だが、敵を気絶させることくらいはできる。
敵は宿の周りにほぼ均等に配置されているが、正面玄関の周りには四人いた。
フェクトが陰から飛び出し、敵に音を届ける。
「あの、すいません。何かあったんですか?」
フェクトは知っていた。
宿を囲む者たち以外にも仲間がいて、宿の前の道を封鎖して一般人が立ち入らないようにしていることを。
だから敵は、聞こえるはずのない音が後ろから聞こえたことに驚き、思わず振り返る。
そこにフェクトが素早く近づき、腹への突きで一人の意識を刈り取る。
そのまま流れるようにもう一人の顎を払い、一瞬で二人を制圧する。
ようやくそれに気づいた残りの二人が、フェクトに掌を向け、魔法を放とうとする。
だが、影と意思の鎖がしたから伸び、二人の腕を下へと向けさせる。
他の親衛隊の援護だ。
魔法がそれた隙に、フェクトは残った二人の意識も刈り取る。
ものの数秒で四人の魔法使いを制圧したフェクトのもとに、ソシーナが駆けつける。
二人はうなづき合うと、宿を離れるために走り出す。
異変に気付いた他の魔法使いたちがソシーナを追う。
「追え!奴等を逃がすな!」
そんな誰かの叫び声で暗殺者と王女の追いかけっこは始まった。