第4章 第33話 主役降板 2
「……ね、わかったでしょ」
上から声が聞こえる。たぶん瀬田さんだ。梨々花先輩と別れて戻ってきたのだろう。
「梨々花は屑なんだよ。私と同じ屑。まぁ人間みんなこんなもんだと思うけど」
「…………」
「どれだけ言葉を尽くそうと、結局聞こえるのは自分に都合のいい話だけ。いや、もっと言えば何を言われたかなんてどうでもよくて、好きな人に反応してもらえればそれだけでいいんだよ。それだけで自分が正しいと思えてくる。言葉なんてしょせんそんなもん。なんてくだらないんだろうね」
瀬田さんが口轡を外してくれた。穴が開いたボールには涎が大量に付着しており、見るに堪えない。たぶん今のあたしの顔もだろうけど。まぁあんんまり関係ない。もう上を向く気力なんかないんだから。
「Thank You,瀬田絵里」
高海さんの声が聞こえる。たぶん九寺さんもいる。きっとさっきの会話も聞いていたのだろう。というよりこの話をあたしに見せることが目的だったんだ。おそらく梨々花先輩を何らかの手段で追い詰め、瀬田さんを呼んで。あたしの全てを終わらせるために。
「これで目が覚めたわよね、水空環奈」
目が覚めた? なにを言ってるんだこのガキは。
梨々花先輩があたしを求めていないことなんて最初からわかっていた。
珠緒が入部した時も、紗茎との練習試合も。梨々花先輩は瀬田さんを求めていた。
あたしが脚を痛めていないことも気づかなかったし、どれだけ誘っても乗ってきてくれなかった。
あたしは梨々花先輩のためにバレーをやっていたけれど、梨々花先輩はそんなこと気にも留めてないことくらい知っていたんだ。
あたしは梨々花先輩しか見ていなかったから。わかってしまっていた。
それでも。あたしは。
「――あたしは、やっぱり梨々花先輩が好き」
求められていなくても。あんなことを言われても。あたしの気持ちに何一つ変化は起きなかった。
ドン引きしたし、ぶん殴りたくなったけど、それでもまだ梨々花先輩を嫌いにはなれない。
都合のいい女として扱われてもいいと思うし、むしろそれが梨々花先輩のためになるのなら喜んでこの身を捧げたい。
悔しいけど瀬田さんの言う通りだよ。言葉なんてどうでもいいんだ、あたしも。
もうあたしは、後戻りできないくらいに梨々花先輩に惚れてしまっているんだから。
「……あなたに小野塚梨々花を忘れさせるために瀬田絵里に協力を求めたけれど、無駄だったようね。Sorry,瀬田絵里」
「まぁ私的には遠ざける口実ができたからいいんだけど」
「チッ。小野塚梨々花なんてどうでもいいのよ……。水空環奈を何とかしないといけないのに……!」
何やらあたしのために色々していたらしいけど、申し訳ない。もうどうでもいいや。
「それじゃああたし帰るから。誰かロープほどいて」
三人が固まったのが見えないけどわかった。その後すぐに九寺さんが後ろに回り、電灯に固定された手首のロープに何か刃物で切り込みを入れる。
「悪かったわね、水空環奈。今夜のことは内緒にしてくれると助かるわ」
「あたしが梨々花先輩にフられたって? 言えるわけないでしょ」
手首が解放されたので腕を上げて身体の部分もほどくよう無言で指示する。あんまり痛みはなかったけど跡とか残らないといいな。
「じゃあまた明日会いましょう。Goo……」
「あたし帰るって言ったよね?」
「? だからまた明日って……」
なんだこの子、日本語があんまり得意じゃないのかな。
「帰るって言ったらゴーホームってことでしょ? あたしもうこの合宿に参加する気ないから。あとバレーももうやめるからリベロは梨々花先輩にお願いしてね」
よし、縄も全部外れたしさっさと帰っちゃおう。とりあえずコーチに伝えて明日徳永先生に退部届を出せばいいかな。
「じゃ、もう会うことはないと思うけどさよなら。別に恨んだりとかしてな……」
「待ちなさいっ!」
立ち上がって制服についた皺を伸ばしていると、高海さんがあたしの胸ぐらを掴んで電灯に押しつけてくる。身長が同じくらいとはいえ力はあたしの方が上。払いのけることは簡単だけど、後ろに控える九寺さんが怖い顔をしているので黙って受け入れることにする。
「あんた何言ってんのっ!? もう高校生でしょっ!? ちょっと傷ついたからって変にふてくされるのはやめなさいっ!」
「別にふてくされてないよ。ただあたしは梨々花先輩のためにバレーをやってたからさ、ああもはっきり言われちゃバレー続けるわけにはいかないでしょ」
「は、ぁ……!? あんた頭おかしいんじゃないのっ!? そんなくだらない理由でバレーを辞めるだなんて……!」
「あたしもくだらないとは思うけど梨々花先輩のためだから。あたしがいなくなればリベロもできるし、あたしのためなんて嘘もつかなくてよくなる。ほら、いいことづくめじゃん?」
「ふざけんなっ!」
高海さんが腕を引いてあたしを持ち上げようとするが、たいした力もないのでブラウスが持ち上がるだけになる。あーあ、また皺が増えちゃった。
「あなたは天才よっ! 身長至上主義者の私ですら認めざるを得ないほどの天才。あんたには将来バレー界を背負ってもらわなきゃいけないのっ! それが何で小野塚梨々花なんかに……!」
「あのさー……しょせんバレーだよ? 学生スポーツだよ? なにをそんな……」
「っ! それだけの才能を持ちながら……!」
「まぁそこら辺にしときなよ」
さらに力の強まった高海さんの腕を力ずくで引き剥がしたのは楽しそうにニコニコと笑っている瀬田さんだった。
「環奈は間違ってないよ。やりたくないんだったらやらなきゃいい。当たり前でしょ?」
「瀬田絵里……! あんたどっちの味方なのっ!?」
「梨々花の敵。あとついでに生意気なチビの敵かな。だから君は死ぬほどむかつくわけだよ、中坊ちゃん」
瀬田さんが手をぷらぷらと振ってあたしの前に出る。背中で見えないけどいつものむかつく笑顔なんだろうなっていうのはわかった。
「じゃあ環奈、一緒に帰ろっか」
「冗談でしょ。あんたと帰るくらいならここに残った方がましです」
「嫌われてるねー。やっぱかわいいなー、環奈は」
もういいだろう。この人たちと話すのも。ここにいるのも。
「さようなら」
梨々花先輩。バレーボール。
あたしはあたしの全てに別れを告げ、舞台を降りた。




