第4章 第19話 ステップ1
「うわー……」
雷菜さんから跳躍の極意を訊くために開放されている第二体育館を訪れた自分はただ声を出すしかありませんでした。
練習後に集まって自主練をしている紗茎の三年生の方々に感銘を受けたというわけではありません。
ここにいる方のほとんどがただ適当にボールに触っているだけだったからです。
談笑したり、ふざけ合ったり、座っていたり。まさにやっているだけ、という感じです。おそらくみんなやってるからやらなきゃいけない、といったところでしょう。ただ居残り練習が風習になっているというだけ。そこに意味なんてありません。
真剣に励んでいるのは、さきほど外を走っている姿を見かけた蒲田さんと、コートの隅でトス練とスパイク練をしている珠緒さんと雷菜さんだけ。このお二人が四軍というのが悲しいです。
「来ると思っていましたわ、きららさん」
体育館の入口で立ち止まっていた自分を見つけ、小さく手を振ってくる珠緒さん。どこか表情がうれしげです。
「なにをしていたんですか?」
珠緒さんたちの方に歩いていくと、ネットの向こうのコートに数本のペットボトルが並んでいることに気づきました。
「トスの精度上げですわ。トスはただスパイカーの打ちやすいところに上げるだけではなく、その地点によってスパイカーにコースの指定もさせることができますわ。これがうまく決まるとブロッカーをうまく騙せるんですのよ」
「私は打ちづらいトスにも力のこもったスパイクを打つ練習よ。私に来るトスは速いものが多いので、どうしたって合わなくなる時がありますから」
そういえば午前の試合で流火さんが木葉さんから離れた場所にトスを上げていた場面がありました。つまりはそれの練習ということでしょう。
「翠川さんがブロックに跳んでくれるとありがたいのだけれど」
「構いませんよ。あ、でもその前に一つ。自分に高く跳ぶ方法を教えてくれませんか?」
自分がそうお願いすると、雷菜さんは露骨に嫌な顔を見せました。
「だ、だめですか?」
「いえ別に構わないけれど……あなたなら私に訊かなくても同じことができるでしょう?」
「そんなわけないじゃないですか」
雷菜さんの跳躍力は常軌を逸しています。百五十センチという身長で戦うために死に物狂いで身に着けた技術なのでしょう。それを易々と……あ、
「もしかして梨々花さんのことですか?」
藍根との試合の最中、さすがに雷菜さんレベルとまではいきませんでしたが、一瞬まったく同じと錯覚してしまうほどの跳躍力を梨々花さんが見せていたことを思い出しました。
「でもあれは梨々花さんだからできたことですよ」
というより過集中の効果と言った方がいいでしょうか。とにかく自分には関係のないことです。
「教えるのは構わないけれど、正直参考になるかわからないわよ。私とあなたとじゃ体格も筋力も体重も違う。下手したらどこか痛めるかもしれません」
「それでも構いません。自分はもっと高く跳びたいんです」
自分の答えに雷菜さんは一度ため息をつくと、助走距離をとりました。気づけば珠緒さんもその動きを凝視しています。
「まず重要なのは助走の歩数です。助走こそ高さを底上げする一番の要因。これが中途半端だと高く跳ぶことはおろかネットを超すこともできないでしょう。まぁ翠川さんほどの身長があればネットを越さないということはないでしょうが」
助走……ですか。今までなんとなくで跳んでいたので気にしたことはありませんでした。
「通常は三歩、もしくは四歩が基本とされていますが、翠川さんのポジション、ミドルブロッカーの攻撃は基本的に速攻。コンパクトな攻撃になるので二歩と言われていますね。と言ってもラリーの最中いつでも完璧な助走ができるわけではありません。大事なのは歩数そのものよりも自分が最も打ちやすいタイミングと感覚です。まずはそれを探すことが助走の第一歩です」
思っていたよりも丁寧な解説。めちゃくちゃわかりやすいです。
「次に重要なのは体重移動。腕の振り方と言った方がわかりやすいでしょうか。腕を後ろに大きく広げ、跳び上がると同時に前へ持ってくる。こうすることで助走の勢いを殺すことなく跳躍のエネルギーとすることができます」
へぇ……そんな意味があったんですね。今までなんとなくこなしていたことの意味を知ったことで、より効果的に行えるような気がしてきました。
「ただやはりこれも速攻だと話は変わってきます。相手にブロックをする暇を与えない速攻でこんな大きな動きをしている余裕はありません。コンパクトに、それでも最大限大きく。やはりこれも個人個人のやりやすさが重要になってくるでしょう」
「もしかしてですがミドルブロッカーって初心者がやるには厳しいポジションなのでは?」
「当然ですわ。学んでいないのにそれなりに上手くできていたきららさんが異常なんですのよ」
褒められて……ないですねこれは。珠緒さんの表情がイライラにまみれています。
「そして個人的に一番大事だと思っているのがこの踏み切り。ちょっとやってみるから見ていて」
そう言うと雷菜さんはゆっくりと助走を開始します。
「助走の勢いを殺さないことを意識しつつ、」
雷菜さんの助走の歩数は五歩。
「全体重を足の指に集中させて、」
腕を後ろに大きく広げながら駆け出し、
「床を、蹴る!」
ドン。という音が体育館に響きました。
それが雷菜さんの踏み切りの音だと気づいた時には、雷菜さんの身体は既に宙にありました。
「……とまぁ、こんな感じかしら」
ツインテールの髪の束を振り回し、脚を曲げて着地する雷菜さん。その跳躍力に自分はこういうのが精一杯でした。
「なんか……試合の時より跳んでませんでした?」
「私も攻撃は基本的に速攻ですから。オープンをさせてくれるならこれくらいはいけます」
雷菜さんのポジションはアウトサイドヒッター。攻撃の要となる矛が役目です。だから基本で、それでいて強力なオープンスパイクが多いのですが、雷菜さんはコートを縦横無尽に動き回り、相手の目を眩ます囮の役目を買っています。その理由はおそらく身長。
「私は身長が低い分パワーがありませんから。それにいくら高く跳べるといっても最高到達点が高いというわけではありません。元々高い人が普通に跳んだ方が高いんですよ」
雷菜さんの跳躍力は目を見張るものがあります。ですがそれでも高さがたりないと言われた自分の方が高い。普通に正面からぶつかっても勝てないということでしょう。
「これが速攻だとこうなります」
再び助走を取り三歩駆けだします。そして小さく腕を後ろから前へ振り、さっきよりも小さな音を立てて宙へと跳び上がります。当然こちらの方が高さはありませんが、それでも胡桃先輩のオープンと同じくらい跳んでいる気がします。これが雷菜さんの普段の跳躍ですか。
「自分もやってみます」
行うのは万全のオープンスパイク。とりあえず三歩助走をやってみたのですが……ネットに近い! 自慢ですが自分の脚は長いです。普通の距離では前へ進みすぎてしまいます。
そしてそのまま腕を前に持ってきて床を蹴って跳び上がった……のですが、
「雷菜さんの方が音が出ていた気がします」
これは自分よりもだいぶ体重の軽い雷菜さんの方が蹴る際の力が強かったということ。やはり一筋縄ではいきません。
「翠川さんのことだから平然とやってみせると思っていたけれど……」
「買い被りすぎ……ということはありませんわね。わたくしもそう思っていましたし、藍根戦の後半の方が高かった気がしますわ」
自分と同時に珠緒さんと雷菜さんも首を捻ります。珠緒さんの発言から考えられることは、やはり過集中のこと。あの時の自分は無意識に雷菜さんの跳躍を再現していたのでしょうか。
「でもできなくてよかったかもしれないわね。私と同じ跳躍法では翠川さんの体格を活かせられないでしょうし、ゆっくり自分の跳躍法を探っていくのが大事よ」
「……わかりました」
跳躍のやり方はわかりましたが、結論は時間をかけて跳び方を探るというもの。楽にできるとは思っていませんでしたが、時間がかかりそうです。
「じゃあ次は私の頼みを聞く番よ。ブロックに跳んでもらえる?」
「わかりました。あ、ブロックの跳び方も教えてくれませんか?」
「はぁ……。構わないけれど、ブロックなら既に結構跳べて……」
雷菜さんの声が突然詰まりました。理由は一つ、緩かった体育館の空気がなぜか引き締まったのです。今まで適当にバレーの真似事をしていた紗茎の三年生の方々が急に真剣に練習をしていました。
「翠川さま、少しお時間をいただけないでしょうか」
その理由を探るために辺りを見渡すと、自分の後方にメイド服の女子が立っていることに気づきました。
「ご主人さまがお呼びです」
高海さんの使い、九寺さん。
「また自分を揺るがせようとしていますね……」
自分が過集中に頼りたくなってしまったこのタイミングで現れるなんて、木葉さん以上にこの方たちが嫌いかもしれません。




