第4章 第17話 高さ
夕食も済ませた午後七時半。自分は合宿所の端に位置する講師室を訪れていました。ここに自発的に訪れる理由はただ一つ。なにをどう練習すれば自分は強くなれるか教えてもらうためです。
高海さんは弱小校を県大会優勝に導いたという実績があるそうですが、どこまでいってもしょせんは中学三年生。教えることが仕事のこの方たちの方が信用できます。
「くっそー! やられたー!」
「いやー、伝姫が一番乗りだと思ってたのになー」
「うちの子たちは何だかんだこういうとこちゃんとやってくれるんですよ」
そう思っていたのですが、自分の顔を見た瞬間紗茎と藍根の監督、近田さんと大海さんが後ろに倒れ、花美のコーチ、小内さんは勝ち誇った笑みを浮かべていました。
「あのー……どういう……?」
「あー気にしないで。二番目に訊ねてきた子の学校の指導者がここのお金を払わなくていいってだけだから」
三人の指導者が囲んでいる中央には大量のお酒やらつまみやら……この方々酒盛りしていましたね……? というか畳に布団……こういう合宿所の標準という感じですが、一軍や二軍の方が豪華です。高海さんせっかくなんだから講師室も整えてあげたらよかったのに。
「ていうか二人目って?」
「ほら、あれ。四軍追い出されて泊まる場所ないから拾ってきた」
小内さんが指差した部屋の隅を見てみると、なんか梨々花さんがくねくねと踊っていました。
「ヨガでも始めたんですか?」
そう訊ねると、自分の視線に気づいた梨々花さんが耳から栓を取り外しました。
「耳栓……ワイヤレスイヤホンとかの方がよくないですか?」
「ワイヤ……レス……?」
この田舎者、ワイヤレスイヤホンの存在を知りません。どころかワイヤレスの意味すらわかっていないようでした。
「いえ、なんでもないです。それより梨々花さんはなにやってるんですか?」
「過集中のことを小内さんたちに話したら、ルーティーンを見つけたらいいって大海さんが。だから自分にとって一番リラックスできる動きを探ってるんだ」
自分の限界値以上の力を発揮する代わりに多大な体力を消費する過集中。これを梨々花さんは試合中常時発動しているから途中で疲れて動けなくなってしまうようです。
確かにルーティーンを覚え、これを過集中解除の合図にできれば過集中のコントロールができるかもしれません。
「きららちゃんもやったら?」
「いえ、自分は大丈夫です」
自分が断ると梨々花さんは「ふーん」と興味なさげに言い、再び耳栓をつけて踊り始めました。
自分の過集中は梨々花さんのような発動条件がわからないのでコントロール不能ですし、いつもより集中しているという自覚すらなかったのでまだその段階まで進めません。そもそも自分は過集中を捨てたからここに来たんです。
「それにしてもよく来たわね。自主練って一人で勝手にやる人が多いじゃない?」
「やりたいことと求められていることは違いますから」
自分がいくら天才と言えど、自己流で全て上手くいくとは考えていません。大人の言っていることは基本正しい。指導者の指示を仰ぐことが上達への近道です。
何事も最短で最効率を。こんなの基本中の基本です。
「でもとりあえず今日はブロック関係でお願いします」
やりたいことと求められていることは違うと言ってもやりたくないことを自主練でやっても身が入るわけありません。スパイク、レシーブ、トス、サーブ。たりないことはたくさんありますが、今胡桃先輩に教えてもらっているのは基本的にブロックのみ。まずはこれを完璧にするのが自分の役目です。
「んー……ブロックだけだと難しいわね……」
そう顎に手を当てて悩む小内さんの顔がまったく赤くないことに今さら気づきました。元々お酒に弱いのはあるでしょうが、小内さんは学校から雇われている正式な指導者ではなく、無給で面倒を見てくれている今年初めてコーチをする大学生。おそらく酔っ払った二人の先輩指導者から教育法を学んでいたのでしょう。
「正直あーしレベルからすれば十分優秀なのよね……。高さはもちろんだけど、真中さんが基礎を教えてくれてるからブロックだけなら一軍にいても見劣りしないのよ」
「うちの織華の方が上手いけどね!」
「まぁまぁ大海さん、ここはおとなしく聞いときましょうよ」
まだまだ二十代前半の大海さんを缶チューハイ片手にたしなめる近田さん。小内さんは古い教え子ですし、どこか期待している部分があるのでしょう。「それでもあえて言うなら」、と小内さんが言葉を発すると、近田さんの口角がニヤリと上がりました。
「翠川さんには高さがたりない」
その指摘は、その指摘だけは。自分にとって初めての出来事でした。




