第4章 第13話 過集中
〇梨々花
一軍から四軍の総当たり試合が終わったのは午後の六時を回ったころだった。途中何回も休憩を挟んだとはいえ、選考というプレッシャーの中丸一日試合漬けだったんだ。体育館に響くのは誰かの息遣いだけで、談笑の声なんかは一切しない。
「はぁっ……はぁっ……」
おそらく一番うるさいのはわたしだろう。二軍との第二試合、一軍との第三試合も第一試合と同様に体力切れでまったく役に立たなかった。とはいえ二軍、一軍との試合は三軍との試合よりもひどい惨敗。おかげで試合時間は短かったから午前ほどの地獄感はない。もっともそれは、この瞬間までだったけど。
「小野塚梨々花は四軍からトラッシュへ降格。代わりにトラッシュの谷多二、四軍へと入りなさい」
全体ミーティングで高海さんから告げられた脱落通達。わたしはもう観る価値すらないと切り捨てられてしまった。
まぁ内容的に仕方ない。悔しさはあるけど、それは実力不足への怒りというより、みんなの前で辱められた羞恥の方が大きい。それに部屋から追い出され、明日からは家から電車で三十分以上かかる紗茎まで行かなければならない。お金もかかるし、これがかなり地獄だ。
いや、いっそもうここに来るのやめるか。どうせ先はないんだし、おとなしく花美で二年生三人で適当に練習した方が楽しいだろう。
そんな情けないことを考えていると、高海さんは更なる異動を告げる。
「それから一軍の翠川きららを二軍に降格。代わりに加賀美和子を一軍にするわ。今日の異動はこれくらいね」
花美から二人目の降格か。まぁきららちゃんはまだ二軍で選抜圏内。身長的にまだ期待が大きいのだろう。
それにしても流火ちゃんと織華ちゃんはお咎めなしか。今日の試合は実力通りに一軍の全勝で終わったが、ちらっと見た感じあの二人もわたし並に疲れ果てていたはずだけど……まぁわたしとあの二人じゃ元の実力が違うか。
「それじゃあ今日は解散。異動になった四人はすぐに荷物を移動、それと昼に言った五人はここに残りなさい」
なんだ、まだわたしに用があるのか。きっぱり切り捨ててくれればいいのに。ここで無視して帰ってもよかったけど、一応わたしも花美の代表としてここに来ている。小内さんに迷惑はかけられないとその場に残っていると、体育館から人がどんどんいなくなるに従い、八月とは思えない涼しさが体育館の熱気を冷めてくれた。
ここに残っているのは、わたしと環奈ちゃん、きららちゃんに流火ちゃん、織華ちゃん。そして中学生の高海さんと九寺さんの計五人。床に寝そべるように倒れたままのわたしたちに高海さんはパイプ椅子に座ったまま声をかける。
「まずはおつかれさま。生徒だけだし楽にしてていいわよ」
「「ぅあー!」」
高海さんの言葉を聞くや否や床に仰向けで倒れ込む流火ちゃんと織華ちゃん。わたしもそうしたいけど、一応最上級生。ピクピクと胎動する脚をマッサージしながら話を聞く。
「残ってもらったのは他でもない。飛龍流火、木葉織華、小野塚梨々花。あなたたちの異常な体力低下の原因を教えるためよ」
「「「!」」」
ひんやりとした床に頬を擦り付け悦に浸っている流火ちゃんたちもその言葉に驚きを隠せない。
「今日は出なかったけど翠川きらら、水空環奈も同様のことが起こる可能性はあったわ」
環奈ちゃんたちまで……? でもこの三人に共通点なんて……。
「『過集中』。私はあなたたちの『浸透』や『熱中症』、『寄生』をそう呼んでいるわ」
『過集中』。聞きなれない単語が疲れ切った脳に上手く入ってきてくれない。たぶん意味的には過剰な集中ってことだと思うけど。理解できていないのはわたしだけではないのか、高海さんはすぐに説明を付け加えてくれた。
「ゾーン状態って聞いたことがあるでしょう? 地道に努力を重ねた優れたスポーツ選手が稀に入れる、能力をフルに発揮できる最高の状態。ボールがスローモーションに見えたり、相手選手が何をするのか瞬時に理解できた、とかをよく聞くわね。過集中はいわばその前段階。本来偶発的に発現するゾーンの一部を過剰な集中によって強制的に引き出している状態よ」
そう言われれば経験がある。スローモーションに見えたり相手の動きが理解できたり……。でもそれってちょっとおかしい気がする。
だって試合中ならいつだってボールはスローモーションになるものじゃないの?
「あなたたち五人はこの過集中を使ったことがあるわ」
そう言うと高海さんは一人ずつ事例を挙げていく。
チームではなく自分にとって圧倒的逆境に立たされた時に楽しくなる水空環奈の『浸透』。
テンションが上がるとトスのキレが鋭くなりすぎる飛龍流火の『熱中症』。
相手の攻撃パターンを完全に把握した時に全能感に陥る木葉織華の『寄生』。
藍根戦終盤に見せた翠川きららの才能の暴力。
そして、わたし。小野塚梨々花は。
「あなたは試合中、常時過集中状態にあるわ」
つまりこういうことらしい。
「過集中は実力以上のプレーを引き出せるけど、集中し過ぎる分体力の消耗が激しい。だから三人は今日の長時間の試合に耐えきれなかったのよ」
なるほど、過集中。そう言われると納得できるものがある。
わたしは普段意図的に方言を抑えている。でも試合中はそれを我慢することができなくなる。それが試合に集中し過ぎているから、というのはもっともな理由だ。
「『熱中症』……試合の記憶が時々なくなるな、とは思ってたけど、そんなことになってたなんて……」
「織華のは意図的だけど環奈ちゃんと流火ちゃんは完全に無意識だよね」
「あたしがなってたのは紗茎との練習試合とビーチバレー、あと中学時代の数回くらいかな。なんか不思議な気分」
環奈ちゃんたちも心当たりがあるのかそれぞれ頷いてみせている。でも納得できていないのが一人。
「自分のはちょっと違う気がします。普段の自分は猫を被った状態で、私モードが本来の自分。……ほら、私モードになっても別に集中なんてしてないけど」
きららちゃんはそう言いながら頬を叩くと、いつもの敬語を捨ててちょっと気の強い女の子っぽい口調になった。
「あなたのトリガーは口調じゃないわ。ただ偶然藍根との試合の終盤で過集中を発現しただけ。もっとも『私』の時じゃないと過集中までは至らないわ。集中していたら猫を被る……? 意味はよくわからないけど、自分を偽った状態ではいられないはずだもの」
「なるほど……です!」
再び頬を叩き、いつもの敬語に戻るきららちゃん。ていうかこの子、普段猫被ってたんだ。ただのちょっと馬鹿ないい子だと思ってたけどちょっと印象が変わった。
「それと一つ注意点。別に過集中が使えるから優れているというわけじゃない。むしろ試合中メンタルを一定に保てないという大きすぎる弱点を抱えているということを忘れないで」
「それでも」。高海さんはこう続けた。
「過集中をコントロールできた時、あなたたちはさらに上へと行ける。同格と言われている蝶野風美。数段格上の双蜂天音をも超えるほどに」
さらに上。
たとえば、環奈ちゃんが『浸透』をコントロールできないままでいたとしよう。
でもわたしがコントロールできていたとしたら。試合中の集中状態を保ったまま体力を切らさないでいられたら。
わたしは環奈ちゃんに。
勝てたりするのだろうか。
「水空環奈は発現率の低い『浸透』を引き出す。小野塚梨々花は逆に過集中を意図的に抑える。飛龍流火と木葉織華は性質上後半にしかできないから、その最中の過集中状態のオンオフの切り替えをできるようになりなさい」
環奈ちゃんの『浸透』というのは見たことがないからわからないが、紗茎と藍根の二人がそれをできるようになったら。それはもう手が付けられない。
流火ちゃんは誰にでも全力トスのせいでミスする時もあったが、天音ちゃんや風美ちゃんのような天才だけに超絶トスをできるようになったら純粋な強化。
織華ちゃんは試合後半は相手の攻撃を予測するゲスブロックしかできなかったが、精度は完璧じゃないしトスを見てから跳ぶリードブロックの方が効果的な場面もある。それをコントロールできるようになったらレシーバーも楽になるし、藍根の守備を崩すのは難しくなるだろう。
でも花美にはわたしと環奈ちゃん以外にもう一人。さらに強くなれる選手がいる。この子がいれば紗茎と藍根にも勝つことができるかもしれない。
「そして翠川きらら」
「はいっ!」
ただそれは。
「あなたは『自分』を捨てなさい」
彼女が望むやり方ではないのかもしれないけれど。




