第三章 盗賊領主はハンコウする編 「何気ない約束の行方。」
モンテ達一行が最果ての町に着いた翌日……。
「………。」
邸内の廊下を早足で歩きつつ、サルマンは自身の額から流れる冷たいものを浅葱色のハンカチで拭う。
何気なく見ると、手にしたハンカチが多量に水分を含み、紺色に近く変わってしまっていた。
それだけ自分は緊張、或いは恐怖という圧力に晒されていたいたのか、と自嘲気味に笑うしかない。
サルマンをそこまで追い詰めた元凶、張本人はというと「諸々の用事を済ませて来る。」と言い残し、飛空艇ギャンビット号で飛び立って行った……行ってくれたと内心で独りごちる。
(まさかあの浄火の勇者が来るなんて。)
二日前、生き残ったアドの住人を引き連れ、突如として来訪したシオリ・デストロイ・トラビスはサルマンに対し、開口一番に「難民を受け入れろ。」と有無を言わさぬ圧を掛けてきた。
無論、受け入れ自体は吝かではないし、アドヘ出向いていたジョー達が生還した事に胸を撫で下ろしてもいた。
しかしシオリは続けて、準備が出来次第コルカドからの難民も連れて来るからと付け足したのだ、おまけに負傷したゴブリン数名までいるのだから混乱するしかないだろう。
聞けばゴブリンたちはモンテの仲間になったという、あの人ならやりかねない……と、一瞬脳裏に過ぎったが、ギルドの討伐対象である魔物を匿う状況に陥るとは、モンテ本人に小言のひとつも言いたくもなる。
「ウチじゃ難民全員を受け入れ切れませんよ!!」
悪名高い浄火の勇者に必死過ぎる主張を展開、とてもじゃないが現実的じゃないと押し切ろうとする。
押し切ろうとしたが、「勇者の特権を使おうか?」と不穏極まりない笑顔で言われてしまい、瞬時に選択肢が無い事を悟ってしまう。
ーーならば、毒を喰らわば何とやらであろう。
「承りました、ですが食料が足りません。避難民全員を賄う住居もです、流通が潰されたウェストバーク内での調達が不可能である以上、それらは貴女に丸投げするという事で構いませんね。」
内心では恐怖に竦んでいたが、サルマンも立場の在る人間である……無理を通すだけの道筋を見出し、シオリにもそれなりのリスクを平然と要求したのだ。
本音を言えば、絶大な効力を発揮する勇者の特権、資産の徴収はそれなりに政治的な根回しをしなければ行使出来ないのは承知していた。
つまり時間を要するのだ、にも関わらずシオリ・デストロイ・トラビスはそれを匂わす程度とはいえ、行程を排して結果を求めてきた。
その背景に切迫する事態を鑑みるには充分過ぎる、またジョーから避難民の受け入れはモンテの判断であると証言を得ている……ならば己も最善の策でそれに沿わねばならない。
「俺達が最終防衛線だ。」
縁もゆかりも無くそう宣言し、実際にアドの住民とジョー達を守った男に報いる、それが唯一の選択であると信じるからだ。
「意外に豪胆な御仁だな。」
「……これでも充分ビビってますよ。」
禿げ上がった頭に汗をかき、怯える素振りでハンカチを取り出す冴えない中年……だがシオリはその眼差しに確かな決意を見出していた。
それからジョーを加え三人で今後の方針について細かく詰め、シオリは文字通り、嵐の様に去って行った……。
やるべき事が山積みである、ギャンビット号を見送り、邸内へ戻ったサルマンは何処から手を付けるか思案する。
ストレスで抜け毛が増えるのは覚悟の内である、そう独りごちた。
ーーサルマン邸内の一室。
厳重に施錠された室内は壁や調度品を含め、無傷である物は何ひとつ無かった。
猛獣が削り取ったが如く壁に残された夥しい爪跡、窓に至っては破られぬ様に鉄板で封鎖されている。
部屋の中央に完全固定されたボロボロのベッドには……マッコイが横たわっていた。
「……また、壁の傷を増やしちゃったわね、ゴメンなさい。」
そう弱々しく呟くマッコイの傍らにはジョーが付き添っており、掌に魔力光を集中させている。
傭兵団の中で唯一の治癒魔法の使い手であるジョーであるが、彼が今行使しているのは別の魔法であった。
マッコイはグール化した黒鬼人との激戦で瀕死の重傷を負ったが、同時に凄まじい瘴気に当てられ、体内へ蓄積していた。
これを放っておけばグール化するだけでなく、治癒魔法の効果が反転し、容易に死に至ってしまう。
故に治療は困難を窮める……何より先に体内に蓄積した瘴気を浄化しつつ、外傷は効果が薄く、速効性に欠ける医薬品に頼らざるを得なかった。
「気にするな、少しずつだが確実に浄化は進んでる。元々君自身の毒物耐性が高いんだろうがな。」
「でも夜の間、ずっと無意識で暴れているんでしょ……アタシ。」
「グールとしての本能的衝動が影響する位には毒気が抜けてないってトコだな。」
「…………。」
「まぁ何だ、こっちこそすまねぇな、命の恩人なのによ。」
そう苦虫を噛み潰しながら、ジョーがマッコイの手足へ視線を向ける……と、血の付いた鉄枷が目に入ってくる。
最初、破壊衝動の無い日中の間は鉄枷を外そうとジョーは提案したのだが丁寧に断られた。
ならばせめて治療中だけでも……と食い下がってみたものの、「誰かを傷つけるかもしれない。」と、マッコイは頑として認めなかったのだ。
アドで救われてから、少なからずゴブリンに対する認識を改めていた筈であったが……それでもマッコイと接してみて実感する。
今目の前に居るゴブリンは(ゴブリン離れしたゴツさだが……)意思疎通どころか思慮深く、人間である自分に対して気遣いまでしてくれているのだと。
ゴブリンとは本当にギルドの討伐対象になり得る邪悪な魔物なのだろうか?
「それこそ気にしないでちょうだい。」
そうはにかみながら、不意にマッコイの視線がジョーの背後……おそらくは扉へ向けられる。
「どうかしたのか?」
「ううん……何でもないわ。」
マッコイは眼を細め、静かに首を振り……続けて消え入りそうな声で、「ごめんね。」と呟いた。
それはおそらく、自分に向けて言ったのか?……一瞬、そう解釈しかけたジョーであったが、「ごめんね。」という物言いに違和感を覚える。
聴き間違いではない、情を深めた特定の誰かに向けたかの様な……そう理解し、野暮だと自重しつつジョーは考えるのを止めた。
その代わりではないが、他愛のない話をぽつりぽつりと交わす事にした。
モンテの話や、悪ガキだった頃の自分やサルマンのバカ話、果ては趣味の雑貨集めの話をしたが、マッコイが可愛い小物に眼を輝かせて食いついた事にジョーは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
……治療の為とは言え、殺風景で陰鬱とした部屋にマッコイを閉じ込めておくのに、気が咎めたのだろう。
「もっと洒落た話でもと思ったんだが……何かワリぃな。」
浄化魔法を行使する手に視線を定めつつ、乾いた笑い声でジョーがボヤくと、マッコイは口元の牙を覗かせて笑った。
「ううん、他の種族とお話が出来る様になったのが最近だったから楽しいわ。」
(そうか、少なくとも俺はコイツを、マッコイを邪悪だとは思ってねぇんだな。)
それから止めどなく会話を交わし、どれ程の時間が経過しただろうか……不意に扉を叩く音がジョーの背後で鳴り響く。
「団長、もうすぐ夕刻になります。」
その声で「今日はここまでかな?」と呟き、魔法を止めてゆっくりと立ち上がると、ジョーはにこやかに扉の取手へ手を掛ける。
マッコイもジョーの背中へ「部屋に飾る可愛い小物でも持ってきて。」と軽快な声を掛けた。
「…………。」
ーーギギィ……と重厚な音色を立てて扉が閉まったのを一瞥してから、ジョーは呼びに来た団員を見据える。
彼は気付いていた、まだ夕刻まで一時間以上あると、何より長年苦楽を共にしてきた戦友の声から異変を察していた。
「……何が起きた。」
団員を従え、ジョーは足早に廊下を後にした……。
ーーその日の深夜
暗闇が鎮座する部屋の中で、立ち尽くすジョー……。
彼の視線の先、たなびくレースのカーテンを挟み、窓であった筈の場所が夜闇を露出させている……。
絶え間ない風鳴が支配する最中、心許ない月明かりに照らされて、壁に刻まれた夥しい爪跡と血に塗れて転がる鉄枷が、喩え様の無い悪寒をジョーに抱かせた。
つづく




