転生ヒロインの真の敵は
そういえば乙女ゲームに転生したヒロインの話を書いてなかったので書いてみました。
お気楽にどうぞ。
ソロリア・コンマスは悪役令嬢である。
銀髪縦ロールに水色の瞳は整いすぎた容姿とあいまって冴え冴えとし、ゴージャスな装飾のついた扇子で口元を隠して目線で物言う姿はいかにも高慢ちきな悪役だ。十五歳にあるまじき豊満な胸とくびれた腰はすでに完成されていて、どこにも文句のつけようがない。当然のように男女問わず人気が高かった。
そう、彼女はいつでも人気者である。
この国の筆頭貴族であるコンマス公爵家の姫君であり、王太子の婚約者でもあるソロリア。彼女が歩けば少女たちは羨望の眼差しを向け、少年たちはこぞって花を捧げた。
初対面のお茶会で会ったその日にプロポーズかました王太子など、片時もソロリアを放そうとしないほどだ。
さて、そんなきらびやかな人々が通う王立魔法学園に、ひとりの少女が入学する。
彼女はドレミ・ハート男爵令嬢。世界に数人ほどしかいないといわれる光属性魔法の持ち主で、いわゆる聖女候補だ。
ソロリアとドレミ、二人の出会いは入学式。広い学園内で迷子になっていたドレミが学園を散策していたソロリアとぶつかるところからはじまる。
「きゃっ」
「きゃあ!」
公爵令嬢のソロリアは悪役らしく取り巻きを引き連れ、婚約者の王太子と彼の学友となる側近たちに囲まれていた。
尻餅をついたドレミに対し、ソロリアはすかさず王太子が彼女を抱き止めている。
「大丈夫かい? ソロリア」
「ええ。大丈夫ですわ」
生まれた時からあらゆるものに守られていたソロリアはちょっとしたハプニングでも大事にされる。彼女の取り巻きが口々にドレミを責めたてた。
「ちょっと、ソロリア様にぶつかっておいて謝罪もなさらないの?」
「ソロリア様は王太子殿下の婚約者。未来の国母ですのよ」
「しかも公爵令嬢。大切なお体に何かあったらどうしてくれますの」
セリフでわかるキャラクター紹介ありがとうございます。とも言えないドレミはやっちまった感にかわいらしい顔を歪めた。見ようによっては怯えているように見えなくもない。
そんな取り巻きに続き、王太子も困ったようにドレミに微笑んだ。
「君は、どうしてこんなところにいたんだい?」
ちなみに王太子は学園で王族しか着ることのできない伝統の白い制服に身を包んでいる。なぜか付けられた肩の飾り緒がいかにも王子様である。実にキラキラしい。真夏の炎天下に立たれたらちょっと目を開けていられないだろう。
田舎ではおよそお目にかかれない美形の男女にうっかり見惚れたドレミは、ハッと我に返ると慌てて立ち上がり頭を下げた。
「し、失礼しました! あの、あたし、ドレミ・ハート! 一年生です!」
位の低い男爵家とはいえ令嬢とは思えない元気な挨拶に、ソロリアは口元を扇で隠した。
「ドレミ・ハート? ああ、特待生の」
一瞬「誰?」という顔をした王太子は、合点がいったというようにうなずいた。
「君のことは聞いている、光属性の使い手だとか。これからよろしく」
にこやかに言い放った彼はさすがに王太子である。下級貴族にもやさしい。
「お気を付けなさい」
「あ、はい。……申し訳ありませんでした」
冷たく睨みつけたソロリアが冷たく言った。つい、ドレミも萎縮してしまう。
ぞろぞろと去っていくきらきらしい集団に頭を下げていたドレミは、ほっと息を吐いて呟いた。
「本物の悪役令嬢こっわ……」
関わらんとこ。
この発言からおわかりいただけるだろう。男爵令嬢ドレミ・ハートは転生ヒロインである。
前世ではまっていた乙女ゲームに転生していたドレミは、自分の立場を理解するや(これはもしやヒロインざまあのパターンなのでは!?)とすぐに考えた。虹、もとい二次創作をたしなむ程度のオタクであった前世でさんざん読み漁ったやつ。
オタク的思考で深読みしたドレミはキャラ攻略による恋愛エンドではなく、ましてや伝説の聖女になるノーマルエンドでもなく、無難に学園卒業を目指そうと決意した。
ドレミとてイケメンは好きだが観賞で充分だし、ぶっちゃけ王太子妃とかめんどくせ、としか思えなかった。こちとら前世からの庶民である。いきなり王子様と恋人になったからって貴族スキルが上がるとは思えなかった。
ついでにネタバレすると王太子エンドの場合ソロリアは断頭台である。良くも悪くも日本人なドレミには正直きつかった。ゲームでも首ちょんぱ場面は血しぶきだけだったし。生は無理。
というわけで初対面スチル「よろしくお願いします!」と言って王太子と握手は見事にスルーした。今後ともよろしくしなくて結構です。
迷子になったのはゲームの強制力というか、補正というか、ドレミ的には不可抗力だったけど、これで向こうには無作法者と嫌われただろう。ドレミはほっとして本来の目的であった入学式の行われる講堂を目指した。
しかし、ドレミの呟きを聞き逃さなかった人がいた。
「ちょっとあなた、お待ちなさい」
悪役令嬢その人だ。
カッカッ、となぜか上履きなのにヒールの音を立てさせて戻ってきたソロリアは、氷の瞳でドレミを見下した。見下すつもりはなくてもソロリアのほうが背が高いため自然とそうなった。
「ひぇっ! あ、あの……っ?」
いきなり廊下をUターンしたソロリアに、王太子以下きらきら軍団も驚いて足を止めている。
助けを求めるようにドレミは王太子以下きらきら軍団を見るが、ソロリアがドレミを気にかけたことが気に食わないのか、取り巻きABCに睨まれてしまった。
「あなた、足をくじいたのではなくて?」
「えっ?」
そのセリフ、王太子の側近で騎士のセリフじゃなかったかな。ドレミは目を丸くした。
騎士くんはソロリアと王太子が廊下の角を曲がって見えなくなった後、こっそり引き返してきてくれるのだ。
なぜここでソロリア。チラチラと彼女の背後にいる騎士くんと見比べているドレミをどう思ったのか、ソロリアはすっと手を差し出してきた。
「迷子になったのでしょう? 医務室まで送って差し上げますわ」
だからそのセリフは。
可哀想な騎士くんは出番を取られてぽかんとしている。そうだよね、まさか悪役令嬢がヒロインの怪我に気づくとか意外すぎるよね。差し出された手にドレミは迷った。ヒロインと悪役令嬢はともかく、男爵令嬢と公爵令嬢だ。好意を無下にするわけにはいかないが、畏れ多すぎてどうしたらいいのかわからない。
「ソロリア様、でしたらわたくしがお連れしますわ」
「そうですわ。ソロリア様がなさる必要ありませんわ」
「わたくしが手をお貸ししますわ」
取り巻きABCのセリフにソロリアは首を振った。
「いいえ、不注意でぶつかってしまったのはお互いさまですもの。学園内では身分など関係ありませんわ。わたくしが行きます」
そんなっ、と大げさな悲鳴をあげるABCに、ソロリアはあらあら困った子猫ちゃんだこと、とばかりに微笑んだ。ちょっと迫力がありすぎて威圧的な笑みである。
「聞こえませんでした? わたくし、自分でやると言ったんですのよ」
ソロリアの冷え冷えとした声に、びくっと肩を竦ませたABCはなぜかドレミを睨んできた。うーん、これが取り巻きクオリティ。
ソロリアは王太子に向かって制服でカーテシーを決め、
「そういうわけですので、どうぞお先に講堂へ行っていてくださいませ」
さっさとあっち行けと言い放った。少なくともドレミにはそう聞こえた。すげえな悪役令嬢、王太子を邪魔者扱いしたよ。つれなくされた王太子が頬を染めたのは見なかったことにする。
結局「NO」と言えないドレミはソロリアに支えられて医務室に行くことになった。
医務室には攻略キャラの一人である救護の先生がいるはずだ。長髪眼鏡にオネエという三拍子そろったイケメンである。乙女ゲームではよくあるパターンだ。
「あらぁ、ソロリア様。アタシに会いに来てくれたのぉ?」
「怪我人を案内しただけですわ」
ソロリアは体をくねらせてきゃっと喜ぶイケメン(オネエ)にかまうことなくドレミをベッドに座らせた。
このオネエは実は先王の隠し子という設定なのだが、自分の出生に悩んだ末に国家転覆を企むテロリストの首領になるとはとても思えない。単なる気さくなオネエである。
「怪我人? アタシが治療するわよぉ?」
「いいえ。わたくしが致しますわ」
ここでオネエに手当を頼むとドレミが光属性の使い手であることがばれる。光属性の生徒が入学することは王太子や教師陣には通達されているので、より正確にはドレミ・ハートであることがばれる。そこからオネエとのルートが開いていくのだが、どうやらソロリアがやってくれるようだ。攻略する気がないドレミはほっとした。
ドレミと同じ一年生のはずなのにソロリアは勝手知ったる様子で棚から湿布を取り出した。どちらの足をくじいたのか確認し、上履きを脱がせ靴下を下ろした足首にやさしく湿布を貼り付ける。意外にもその手付きは丁寧だった。
「女の子の綺麗な足に怪我をさせてしまうなんて……。ごめんなさいね」
乙女ゲームのキャラクターは足や腋に毛が生えたりしないのだ! 男であってもつるっつる。これだけは乙女ゲームに転生して良かったと思えるドレミである。
しかしまたもやソロリアがセリフを奪っている。今のは本来オネエが言わなくてはならないものだ。
「いえ、そんな。あたしの不注意ですしっ」
とりあえず無難な返事をしておく。恐怖で引き攣りそうな頬をなんとか動かして笑ってみせるも、満足のいくものではなかったのかソロリアがじっとドレミを覗き込んだ。
「あなた……。お聞きしたいのですが、先程わたくしのことを何とおっしゃいました?」
やべえ、聞かれてた。ドレミは冷や汗が流れるのを感じた。
ぶつかってから今まで、ソロリアはことごとくフラグを折りにきている。これはもう悪役令嬢によるヒロインざまあ確定だろう。
「あ、あの……、あの……」
「わたくしの記憶が確かなら、悪役令嬢、そうおっしゃいましたわね?」
詰んだ。
イエスと言ってもノーと言っても破滅しかない。オネエは「んまあ」と一言言うとドレミを睨みつけてきた。この時点だとソロリアの人気は絶頂期のはずだ。学園で救護の先生やってるオネエでも、名目上は伯爵家の出ということになっているのでソロリアとは貴族として付き合いがある。そもそも乙女ゲームはまさに始まったばかりで、いうなればチュートリアルの真っ最中であった。ヒロインとの好感度や親密度はゼロのままだ。
「申し訳ありませんでした!!」
ドレミはベッドに座ったままがばっと頭を下げた。イエスともノーとも言わず、そう聞こえちゃったらごめんなさいで逃げようとした。遺憾の意。
「謝るということは、言ったのね?」
しかしソロリアは追撃をかけてきた。ドレミは逃げられない!
「……はい」
終わった……。チュートリアルの途中で悪役令嬢がゲームを終わらせてきた。
今世の両親よ、短い間でしたがお世話になりました。あなたの娘は公爵令嬢への不敬罪で投獄間違いなしです。運が良ければ爵位返上くらいで許してもらえるかもしれません。先立つ不幸をお許しください。
ドレミが頭の中で両親への別れを告げているとも知らず、ソロリアは「やっぱり!」と叫んだ。
「先生、お聞きになりまして? この方、わたくしの魅了が効きませんわ!」
「聞いた! 聞いたわ! 確かに聞いた!」
てっきり逮捕されると思っていたドレミは、手を取って喜ぶソロリアとオネエに恐る恐る顔をあげた。子供のようにはしゃぐソロリアにぽかんとする。
口を開けて見ているドレミに気づいたのか、はしゃいだことを恥じるように頬を染めてソロリアが居住まいを正した。
「失礼しました」
「あ、いえ」
「ドレミ・ハートさんでしたわね。わたくしソロリア・コンマスと申します」
「あ、はい」
知ってます。さっき取り巻きABCが勝手に教えてくれました。
ドレミは曖昧に笑って会釈した。
公爵令嬢にして王太子の婚約者、未来の国母に対してずいぶんな態度だが、ソロリアは満足そうに微笑んだ。彼女の微笑はその美貌と銀髪縦ロール、水色の瞳、そして溢れ出る悪役令嬢オーラとの相乗効果でとても高慢に見える。
「悪役令嬢、言い得て妙ですわね。まさしくその通りですのよ」
そう言ってため息を吐いたソロリアは、聞いてもいないのに勝手に語り始めた。
「わたくし、公爵令嬢という身分もさることながら、この美貌でしょう? 幼い頃からそれはそれは周囲に大切にされ、愛されてきましたの」
自分で美貌って言っちゃうんだ。
さすが悪役令嬢である。ドレミは感心した。
「両親はもちろんのこと、兄たちもわたくしを溺愛しております。使用人も、わたくしを可愛がってくれますわ」
そりゃあそうだろう。我が子というのはどんな親だって世界一かわいいものだ。それがこんな天使のような女の子ならなおさらだ。
使用人だって多少我儘でも顔と身分の良い美少女に仕えるのは楽しかろう。少なくとも片田舎で貧乏男爵家に生まれるより公爵家の使用人のほうが絶対贅沢な暮らしをしている。なにそれずるい。いくらでも我慢するわ。
「おかしいと思ったのは六歳の時でした。母と行った王妃様主催のお茶会で、殿下にプロポーズされたのです」
王妃主催のお茶会とはつまり、王太子の友人やら婚約者やらを探すための、ずばり青田買いだ。王子様に憧れていた同年代の少女はもちろん、その親だったあわよくば王太子妃にと期待していただろう。
ところが蓋を開けてみればソロリアの一人勝ちである。さぞや周囲の嫉妬や妬みが……とはならなかった。
「拍手喝采されました。その頃のわたくしは、わけもわからず王太子の婚約者にされてしまったのです」
娘の嫁入り先が早々と決定してしまった両親は驚愕したが、これも貴族の宿命かと受け入れざるをえなかった。
『王子様』に憧れはあったが恋にも同じく憧れていた幼いソロリアは、物語のような婚約者にあっという間に夢見る乙女と化した。初対面で一目惚れされ、王子様が片膝ついて手を取りキスしてプロポーズの流れで浮かれないほうがおかしい。ソロリアは婚約の意味もわからずに喜んだ。
だが、それも長続きしなかった。
「それからもたびたびお茶会に招かれました。そして必ず誰かにプロポーズされたのです。ひどい時には八十を過ぎてとっくに引退していた前々の当主にまで迫られました。奥様や、婚約者のいる方も例外ではありません。わたくしが殿下と婚約しているとわかるとたいていの方は諦めてくれましたが、お花やお人形、宝石などの贈り物は後を絶ちません」
なんだそれ、自慢か。しかしソロリアは憂鬱そうにため息を吐いた。欲しくもないのに男たちは勝手に貢ぐの、困ったものね。とでも言い放ちそうである。
幸運なのは誘拐などの実力行使に出る者がいなかったことだろう。だれも、ソロリアを傷つけようとしなかった。
「それは、大変でしたね?」
ゲーム内ではさんざん自慢してたなぁ、何組もの婚約を破局させたって。公爵令嬢相手に抗議できるはずもなく、そもそも男がソロリアに言い寄っただけだ。婚約破棄された令嬢は泣き寝入り、ソロリアを恨んでいるだろう。
ドレミのそっけない相槌に、ソロリアはこくんとうなずいた。なんということでしょう、涙目になっています。こうしてみると、わけもわからず求婚され続けた被害者である。せんべい持った人目掛けて突進していく鹿をドレミは思い浮かべていた。ディズニープリンセスはしょせん物語といういい例だ。
「大変でしたわ、本当に……」
すっかりお茶会恐怖症になり、王家から招かれない限り外に出ない生活を送っていたソロリアに転機が訪れたのは、十歳になってからだった。
十歳になると魔力が安定し、それに合わせて測定が行われるのだ。
「わたくしの属性は闇。つまり呪魔法だったのです。そこで無意識に魅了を使っていることが判明しましたのですわ」
闇属性は光属性と同じく非常に珍しい、そしてあまり使いどころのない魔法である。
誰それと両想いになりますように、という恋のおまじないから、憎い相手を呪ってやる! まで、バリエーションに富んでいる。
しかしどうにも時間がかかる上に効果があるのかないのかはっきりしない。どれほど恋しく思っていても心変わりすることもあるし、復讐は自分でやったほうがすっきりする。呪殺という方法も、そもそも人はいつか死ぬのだからただ単に運が悪かった、といわれればそれまでである。
おまけに攻撃にも防御にも適さないのだから使いどころがないといわれるのも納得だ。通称役立たず属性、呪魔法は無魔法だといわれるくらい馬鹿にされていた。
この闇属性魔法のたった一つ恐れられる魔法、それが魅了である。
身を守る手段を持たないのなら、全員を味方に、というのは平和的かつはた迷惑なのだ。ソロリアは自分の属性が闇だと知るとショックを受け、そして納得した。
「みんなと仲良くなりたい。そう思っていた過去の自分を引っ叩いてやりたいですわ」
「あー……そういう?」
「はい」
子供がはじめて同じ年頃の子供たちと会うのだ。ソロリアの期待と不安はドレミにも理解できた。だからといって本当にみんなと仲良くなれるとは思わない。ソロリアは無意識に、魅了を使って子供たちに好意を植え付けたのだ。
男たちが求婚してきたのは好意を恋だと思い込んだからである。女友達など皆無に等しい貴族の令息なんてそんなもんだ。その筆頭が王太子というのがなんともいえない。
「でも、属性がわかったんなら、専属の先生がついてくれるでしょう?」
属性判明後、貴族ならその道のプロに指導を仰ぐ。ドレミも一応貴族なので光属性の先生を探したが、なにしろ聖女候補なので貧乏男爵家になど来てはくれず、やむなく教会の司祭様にそれっぽいことを教わっていた。学園に来たのは光属性魔法を学ぶためだ。
王立魔法学園に通うのは、一般知識と専門の魔法を修めるだけではなく、貴族の格付けや見栄、就職活動、婚約者探しと理由は様々だ。貴族といっても次男三男は自立しなければならないし、婚約者の見つからない令嬢はそれこそ必死で婿探しに走る。社交界デビューも済み、学園を卒業したにも関わらず就職も婚約者もできないようでは本当に結婚できなくなってしまうのだ。貴族社会はけっこうせちがらいのである。
「ええ。ですが闇属性はとても珍しく、俗世で忌避されている方ばかりでしたの。……公爵家に闇属性が生まれた、とたいそう喜んでくださいましたわ」
在りし日を思い出したソロリアが暗い笑みを浮かべた。何か企んでいそうで怖い。
顔で損してるな、とドレミは気の毒になった。
「あー……」
ドレミは察した。今までさんざん叩かれてきた鬱憤を、ソロリアで晴らしたのだろう――強化、という方法で。
魔法制御は基本中の基本である。公爵家といえども文句はいえない。ましてやソロリアは今まで人の悪意というものにさらされていなかった。先生が親身になって教えてくれるあれこれを真面目に学んだ結果、闇属性魔法最強の呪魔法師が誕生してしまった、というわけだ。
魅了の力は収まるどころか弥増すばかり。広範囲ではなくピンポイントに制御できればと思っていた先生方もこれにはどうしたことかと頭を抱え、一つの仮説を立てた。
「……今まで魅了でわたくしにやさしかった方々が、魅了が消えたことで騙されたと怒り、嫌うのではないか――。わたくし自身の心の弱さの問題ではないかと言われました」
人はこれを責任転嫁という。悲しそうなソロリアにそれ騙されてるよ、とドレミは言いたくなった。
たしかに操られていたとなれば、魔法が消えた途端手の平を返すのは想像に難くない。ソロリアのために婚約破棄した者がいるのだ、すでに被害がでている。怒るのが当然だろう。
それでもソロリアは勇気を出して魅了を抑え込んだ。本当の心で接してほしい、彼女の痛切な願いである。
「本当のわたくしを見て欲しい。そう思い、周囲に我儘を振りかざして困らせたこともありましたわ」
いや、だからさ。ドレミはさっきから起きている現象に気づき始めた。
本当の自分を見て欲しい。王太子でなくとも友になってくれるのか、試すようなことをしたこともある。
それ、王太子のセリフですから!!
「ぐ、具体的には……?」
「殿下にはわたくしの夫となるからにはわたくしより優秀でなくてはと、首席での入学、卒業を。友人のみなさんには持ち物をねだったことや、ご家族との仲を引き裂くことを言ったこともありました」
そこはちゃんと悪役令嬢してたんだ……。
どうやらゲーム補正が働いている。シナリオ通りにさせようと動かしているのだ。ドレミは戦慄した。
ソロリアがわたくしの夫になる方はうんぬん言って自身の優秀さをひけらかして王太子に劣等感を植え付け、取り巻きABCにはわたくしのほうがふさわしいわと言ってアクセサリーやメイドを奪い、忠誠心を試す。ゲームの設定と同じだ。
「でも、誰も怒らず、離れてもいきませんでした」
魅了抜きにしても公爵家に溺愛されている姫を邪険にできたらすごい度胸だ。王と王妃だって気を使うだろう。無茶言うなよ。そこはもうちょっと考えろとドレミは言いたくなったが、吹けば飛ぶような男爵令嬢はぐっと言葉を飲み込んだ。
「わたくし、もう恐ろしくて……! 人の好意というものを、信じられないのです」
「嫌われるよりは良いと思えばよろしいのでは……?」
「ええ、みなさんそうおっしゃいますわ! 魅了が闇属性の身を守る手段であると理解してくださいます。でも、今与えられている愛が、友情が、偽りかもしれないと思ってしまう恐怖と罪悪感は、誰も理解してくれません……!」
ついに感極まったソロリアがわっと泣き崩れた。
あたしここにいる意味ある? 思いはしても口には出せないドレミは、ひとまず彼女を隣に座らせた。
ふう、とオネエがいやに悩ましげな吐息を漏らす。
「ソロリアの気持ちはわからないでもねえんだ。魅了なんてない俺だって、周囲の気持ちを疑っちまうことあるからな」
おっと! オネエが男言葉になったぞ! これはかなり親密度が高くなっている証拠だー! って、ソロリアとオネエの親愛度、もしかして最高になってるんじゃないの? 何やったんだソロリア!?
ドレミがうろたえている間にも、オネエはソロリアの頭を胸に引き寄せ、その銀髪を撫で続けた。
「俺にありのままで良いって言ったのはお前だろ、ソロリア。何が好きで、どう生きようとも俺なんだって……。俺、すっげえ嬉しかったんだぜ?」
それ告白スチルの場面です……。うっそだろすでに攻略済みとか、うっそだろ。
まさかの悪役令嬢とオネエによる恋愛エンドなのかとドレミが思った時だった。医務室のドアがスパァンッと開いた。
「話は聞かせてもらった!」
時代劇か。ドレミは空気になることを心掛けた。
どかどかとなだれ込んで来たのは王太子ときらきら軍団だ。取り巻きABCはなにやら大げさに悶えている。
「ソロリア、まだそんなことで悩んでいたのか!?」
「そんなこと!? わたくしの苦しみを知らないから、あなたはそんなこと、なんて言えるのですわ! わ、わたくしが、どれほど、どれほど……っ」
言葉を詰まらせたソロリアはまた水色の瞳から涙を零した。ぽろぽろと光るそれはダイヤモンドのようにうつくしかった。
こんだけ濃い顔なのにすっぴんとかすげーな。そういうところはしっかり見ているドレミである。
王太子御一行はドレミなど視界に入っていないのか、主演・悪役令嬢の学園ドラマを熱演しはじめた。
「ソロリア、僕は君に救われたんだ。王太子という身分に惑わされることなくまっすぐに見てくれる君に。僕はいずれ王になる。その期待が重いなら、笑い飛ばせるくらい努力しろと言ってくれた。知識と経験は嘘を吐かない。君が僕に課した試練はどれも僕を成長させるものだった……。僕のことをこれほど想ってくれる君を、裏切ったりしないよ」
ヒロインが解決するはずの悩み、とっくに悪役令嬢が終わらせてる~! そうだよね、ここまできたらそうだよね。ドレミは邪魔にならないよう、そっとベッドの端に移動しようとしたが、ソロリアが袖をちょんと抓んでいたので座り直した。んんっ、かわいいかな!?
「自分もです。剣に生きるしかない自分に、あなたは自惚れるなと叱ってくれました。上には上がいる。己の剣に自惚れず、極めてみせろ、と。その時から自分の剣は殿下に、心はあなたに捧げました」
そうそう、プライド高いたかーいな騎士くんは、ヒロインに叱咤されて一念発起。見事ドラゴンを倒して戻ってくるんだよね。そしてドラゴンスレイヤーからパラディン、最終的にハイランダーになる。一騎当千、騎士の最高位だ。
「私もだ、ソロリア様。殿下とは親友だと思っているが、いずれ宰相になる私がそれでは阿諛追従の臣ばかりになるのではと悩んでいた。なにより私ではなく義兄が……あの人が家を継ぐのが正統なのではと。だが、悩む私にはき違えてはいけないと言ったのはソロリア様だ。義兄の血筋がどうあれ、王が承認したのならそれが正しいのだ、と。正義を貫くのならどんなに苦しくても迷ってはいけない。友であるのなら友が道を誤った時殴ってでも止めるもの、臣であれば王が道を誤った時、泥を舐めてもその道を正しいものにする。私はあの時腹を決めました」
未来の宰相くんは家庭が泥沼なんだよなぁ。義兄というのは父親の兄の息子のことで、兄は婚約者を捨てて今の奥さんを選んだことで家督相続から外されたのだ。でも血統からいえば家を継ぐのはその息子である義兄で、しかも宰相くんは義兄の妻に片思いしている。恋とプライドと忠義に悩む宰相くんを助けるのがヒロインなわけだが、こいつは隠れヤンデレなので愛が重い。
しかもためらう王太子に悪役令嬢を処刑するよう進言するのはこいつだ。毒にしかならない魔女だと罵ってたくせに、心酔してるじゃん。
ともあれオカマ、王太子、騎士くん、宰相くんと攻略キャラ一巡したし、これで終わりだろう。やっと解放されると息を吐いたドレミだが、今度は男たちを押しのけてソロリアの取り巻きABCがずいっと前に出てきた。
「そうですわソロリア様っ。いつも姉と比べられ、メイドにすら虐められていたわたくしに、わたくしの良いところを一つ一つ教えてくださったではありませんか。あのメイドにも教育してくださって。わたくしがどれだけ感謝しているか!」
「わたくしだって。お父様からいただいた耳飾りが、わたくしを都合の良い奴隷に洗脳する呪いがかけられているのを見抜いて阻止してくださったのはソロリア様ですわ! お母様の洗脳も解呪してくださったおかげで、我が家は助かったのです」
「わ、わたくしも! 友人もできずに一人でいたわたくしに、ソロリア様が声をかけてくださったおかげで世界が広がったのですわ!」
断罪シーンでソロリアによる恐怖の支配を語るはずの取り巻きABCが涙の訴えだー! っていうかそのネタで言いなりにしてたのを良いほうに軌道修正してる! 普通に良い話だ!
悪役令嬢どころか聖女じゃん。ヒロインの出番ある? ゲーム補正はもうちょっと仕事するべきじゃない?
そろそろ身の置き所がなくなってきたドレミの手を、ソロリアが握りしめた。
「ありがとう、ドレミさん」
「え? あたし何かしました?」
ドレミはひたすらソロリア主演の学園ドラマ(ダイジェスト版)を見ていただけである。
「あなたがいてくださる今こそ、わたくし信じることができます。光属性の前では闇属性は無力化する……。あなたの光がわたくしの闇を払ってくれたのですわ」
それかー! そこで出てくるのか光属性!
隣の女生徒としてモブってたかと思ったドレミだったが、ヒロインポジションがここで来た。
「そんな、あたしはただお話を聞いていただけです」
事実それしかしていない。首を振るドレミにソロリアは泣き濡れた瞳でふっと微笑んだ。
それはもはや悪役令嬢ではなく、心やさしい令嬢の笑みだった。
「あなたはそういう人ですのね……。やさしい人。あなたのような、いいえ、あなたこそ聖女にふさわしいわ」
「え?」
どうしてそうなった。
飛躍しすぎなソロリアの着地点が見当たらない。なんとかしろよと王太子以下きらきら軍団を見るも、そうだったのか! といわんばかりの顔だった。通じ合わないでほしい。
「光属性の特待生……そういうことか」
「ソロリア様の苦しみを救うとは、まさに聖女だ」
「光は闇を払い大地を照らし、闇は一時の安らぎを与える。お二人のことだったのですね」
「ちょっと悔しいけど、お似合いじゃなぁい」
上から王太子、騎士くん、宰相くん、オネエのセリフである。実に良い笑顔だ。
「ソロリア様の恩人はわたくしたちの恩人でもありますわ」
「ソロリア様が再び人を信じることができたのはあなたのおかげです」
「ソロリア様とドレミ様こそ親友……いいえ、心友ですわね」
取り巻きABCは何言ってんの?
あれよあれよと祭り上げられ、ドレミにもようやく危機感が湧いてきた。
乙女ゲーム的いちゃらぶなど端からするつもりはなかったが、ヒロインとして国家転覆を企むテロリストと戦うつもりもなかったのだ。
無難に入学し無難に勉強し無難に卒業してどこかの教会で光属性の教師にでもなれたら、と堅実一直線で計画していた人生設計が、なにやらキラキラしい道に急カーブしてしまった気がする。ブレーキなんてどこにもなかった。なんならドリフト決めてった。
「いえいえいえっ。私なんっにもしてませんから! みなさんの長年の努力と愛と友情と真心がソロリア様に通じたんです!!」
ドレミの言葉は実際事実なのだが、それはもはや聖女が彼らの努力に敬意を表したとしかみえなかった。
「まあ、ドレミさん……。いえ、ドレミ様」
ソロリアはやわらかく微笑んだ。悪役令嬢という枠組みから外れた彼女はとても綺麗だった。ドレミはうっかり見惚れてしまう。
「あなたらしいわ。どうかそのやさしさで、わたくしだけではなく国中を照らしてくださいませ」
握ったままだったドレミの手を、ソロリアが額に当てる。
それは、教皇が聖女を任命する時のポーズだった。ソロリアがドレミを聖女と認めてしまったのである。
――ちなみに、誰も攻略せずに迎えるノーマルエンドがまさに聖女任命式である。王太子妃となったソロリアが補佐官としてドレミを支えてくれるのだ。
教会聖堂で聖女のローブに身を包んだドレミと、隣にソロリア。二人を歓迎している王太子がいて、きらきら軍団と取り巻きABCも彼らを取り囲んでいる。今にもおめでとうコールが鳴り響きそうなスチルだった。
うっそだろお前。ドレミはもう何度目かになるツッコミを心の中で入れた。
乙女ゲームの世界にヒロイン転生したと思ったらチュートリアルでエンディングを迎えてしまった。
これはあれか、誰も攻略せず無難に卒業と決めていたから、ゲーム補正がやる気をなくしたのか。それともドレミが聖女にならないと終わらないから無理矢理終わらせたのか。どっちだろう。
「……よろしくお願いします……」
転生ヒロインの真の敵は悪役令嬢ではない、ゲーム補正だ。
このままこいつらをほっといたらいつの間にか伝説の聖女にさせられる。ドレミは迫りくる百年後、すなわちシリーズ第二作への予感に背筋を震わせ、せめてダメージを最小限に抑えるべく、ソロリアの手を握り返したのだった。