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バレンタイン・デイ(ズ)  作者: 木立 花音
第一章:楠恭子の日記 サイドA
7/23

20**/06/02(月)立花玲

◆20**年6月2日 (月曜日)


 ──ヤバい、遅刻する。


 腕時計に視線を落としながら必死に走る。髪の毛はたぶん、寝癖がついたままで毛先が跳ねているだろうし、朝食を食べている暇なんてなかったし、呼吸だって既に絶え絶えだ。

 まったくもって全てが最悪の朝。

 あたしが普段より三十分も遅く家を出た理由。それは、同じように三十分遅い時間に鳴り響いた、スマホのアラームのせいだった。

 ……というのは、スマホに罪を擦り付けているようで失礼だろうか。つまるところ、昨晩スマホを弄っている時に、意図せずアラームの設定を変えてしまい気づかなかったドジな自分のせいなんだけど!


 迂闊な自分への不満を脳内でぶちまけ走り続けるなか、ようやく学校まで至る長い坂道が、帯のような景観を眼前に晒し始める。弾んでいる呼吸を整えながら、腕時計でもう一度時刻を確認する。


 ──七時五十二分。……なんとか間に合いそうか。


 ほっと胸を撫で下ろすと、ゆったりとした歩調に変えた。


「この間はごめんなさい」と晃君になんとか謝れたのは、口論から三日も経過してようやくだった。彼はいつもと変わらない笑顔で、「別に気にしてないよ」と言ってくれた。だからこそ余計に、感情をあらわにして声を荒げた自分のことが恥ずかしい。

 それにしても……とあたしは思う。自分でも、あそこまで大きな声が出るとは意外だった。それが功を奏したのか、以降、瑠衣は嫌がらせをしてこなくなったのだが。


『はあ……』


 惨めな自分に、溜め息が漏れる。

 いや、溜め息はもう一つ聞こえた。不審に思い、隣に目を向ける。

 坂の途中で立ち尽くす女生徒が居た。校章から、同じ三年生だとわかる。けど、見たことのない顔だった。艶のある長い髪が、吹きおろしの風になびいている。背はわりと高い、百六十センチと少々だろうか。

 遅刻しそうなのだし本当はそのまま通り過ぎるつもりだった。それなのに、再び歩き始めたあたしの足は、彼女の瞳に吸い寄せられるようにもう一度止まる。なんとはなしに目を向けると、二人の視線がぶつかった。


 瞬間、心臓がどきりと跳ねた。

 ぱちっと音がしそうな程に長いまつ毛。切れ長の瞳。鼻筋が通った顔立ちは、整い過ぎていていっそ白々しい。凛とした佇まいといい、辞書で美人という単語を調べたら、こんな感じの女の子を形容する言葉が並んでいるのだろう。

 自分の身体を見下ろし彼女との違いを感じ取ると、認めたくない現実を突きつけられたようで感情が虚無になる。


「あの……遅刻しますよ」


 続いた沈黙に耐えられなくなり、こちらから声を掛けた。


「そうね。このままでは、きっと遅刻するわね」


 認識はしてるのか。斜め上のその返答に、なぜかこちらが困惑する。それにしても綺麗な声。外見同様、凛として透き通った声だ。


「まだ五分ほどあるから間に合いますよ。走りま、しょう?」


 困惑から、疑問形になってしまう。


「別に遅刻しても構わないわ……。私ね、学校に来るのが、半年振りだから」

「え……?」


 予想外の反応ばかりが返ってきて、困惑が益々深まった。

 それにしても……半年振りとは、いったいどういう意味なのか。


 何か、重い病気でも?

 あるいは、家庭の事情による、長期欠席?

 も、もしかして不登校とか?

 頭に浮かんだ質問は、どれも決まりの悪い内容ばかり。とてもじゃないけれど、訊ねる勇気はないなと苦笑い。


「半年くらい、宇都宮の病院に入院してたの。退院したのが、先週の金曜日」


 口から出なかった疑問は、彼女の言葉で払拭される。


「病気、だったんですか」


 一旦安堵すると、とたんに言葉がするすると喉元を通ってでた。自分のことながら現金なものだ。


「そうね。元々胃腸が、強い方じゃないから。何度か入退院を繰り返しているの」


 現在進行形ともとれる言い方が、少しばかり気に掛かる。


「大変だったんですね……でも、元気になって、良かったですね」

「ありがとう。あなた、意外と良い人ね。そうだ……お願いがあるんだけど、聞いてくれる?」

「はい、なんでしょう?」

「私、三年C組の立花玲(たちばなれい)。私と、友達になってくれるかしら?」

「え?」


 流石に驚きの声が漏れた。

 友達になってください──ええ、喜んで。こんな感じに交友関係を築いた経験なんてない。あたしはただでさえ、友人が少ないほうなのだから。

 もしかしたら、彼女は寂しいのかもしれない。久しぶりの登校だと本人も言っていたし。だから、


「えっと、あたし、三年A組の楠恭子です。よろしく、お願いします」


 おそるおそる手を差し出してみる。

 彼女──立花玲は、あたしの手をしっかり握り返すと、口元に微笑を湛えて言った。


「契約成立ね。これからよろしくね、恭子」

「こ、こちらこそ」


 それにしても、契約成立とはおかしなことを言い出す女の子だ。こんなに美人なのに、感性が少しおかしくないだろうか? それとも、美人だからこそ、なんだろうか。


 繋いでいた手を解くと、二人並んで校門まで歩いた。一年生の時、クラス何組だった? 部活動は? などと、様々な質問をされた。顔を憶えていないのだし当然かもしれないが、同じクラスになったことは、一度もないようだった。そして結局、二人揃って遅刻した。

 高校生活三年間で、最初で最後となる堂々とした遅刻。

 でも、何故だろう。恥ずかしいことのはずなのに、なんとなく心は弾んで清々しい。美少女と肩を並べて歩く自分が、ほんの少し誇らしく思えるから、だろうか。


 これが──あたしにとって生涯掛け替えのない友人となる、立花玲との出会いだった。


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