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バレンタイン・デイ(ズ)  作者: 木立 花音
第一章:楠恭子の日記 サイドA
5/23

20**/05/08(木)体育祭実行委員

◆20**年5月8日 (木曜日)


「おーい、楠~」


 職員室にプログラムを取りに行こうと廊下を歩いている時、背中から声を掛けられた。

 振り向かなくたって、誰の声か直ぐにわかる。自分の名前を呼んで欲しいと、いつも思っていた人の声だったから。暴れ始めた鼓動を必死に宥めつつ、ごく自然な風を装って振り返る。


「晃君、どうしたの?」

 彼は足早に追いついて来ると、あのさ、と口を開いた。


「もしかして、職員室まで行くところだった?」

「うん、そうだけど」

「じゃあさ、悪いんだけど、ついでに体育館脇にある倉庫のカギも借りてきてくんね? ライン引き用の石灰が足りなくなりそうなんだよね」

「わかった、受け取ったら後で持ってくね」

「助かった。恩に着るよ」


 晃君はニヤっと歯を見せて笑うと、よろしくな、と手を振りながら走り去って行った。彼の背中が廊下の角を曲がって見えなくなったのち、あげていた手のひらを下ろしてそっと胸の辺りに添えてみる。

 たぶん……。今日、初めて会話したかも。

 嬉々として誰かに報告したら、大袈裟、とでも笑われてしまいそうなささやかな幸せ。それでもあたしの心は、今にも踊り出しそうなほど弾んでいた。やっぱり、勇気を出して立候補してよかった。


 現在の時刻は十四時半。あたしが今行っているのは、各クラスから二名ずつ選出された、体育祭実行委員の仕事だった。

 百メートル走用のライン引き。綱引き用のロープにゴールテープなど、大小様々な荷物の搬送。テントの設営に校庭の石拾いなど多くの仕事が予定されており、数人ごとの分担で、二日間に渡って行われる計画だ。


 プログラムの束が詰まった箱を両手で抱えてグラウンドに戻ると、晃君は、一年生にライン引きの仕方を教えている最中だった。

 こういった人数をかける仕事の場になると、気配りのできる人とそうでない人の差は歴然と現れる。晃君は自分のしていた作業が片付くと、積極的に他の作業を手伝っている。要領の良くない人や困ってる人を見かけると、さり気無く側に寄って、分かり易く教えたり手助けをしていた。

 気配りの出来るところは、彼の長所の一つだと思う。同時にそれは、あたしに著しく欠けている要素の一つでもあり、素直に羨ましいとも凄いとも感じてしまう。

 職員室から借りてきたカギを「はい」と彼に差し出すと、「サンキュ」と言いながら受け取った。乱暴にポケットに突っ込むと、また別の方角に向かって走って行ってしまう。恐らく次は、体育館の方に向かったのだろう。


 ──忙しいんだから。


 彼の背中が見えなくなってから思い出し笑いをすると、離れた場所からこちらの様子を見守っていた美也が、からかうように声を掛けてくる。


「なかなか、上手くやってるじゃないの」

「そんなんじゃないよ。茶化さないで」


 あたしが晃君に対して絶賛片想い現在進行形であるという事実は、律はもちろんのこと、美也にも筒抜けである。なのでたびたび監視の目を向けられるのだが、どうにもやりにくい。

 いいから自分の仕事に戻りなさい、と美也を追い払った。


 作業に戻ろうとしたその時、先生の運転する軽トラックがグラウンドの中に入ってきた。

 荷台には、テントの骨組みや幌がビッシリと積載されている。

 男子生徒が群がると、あっという間に荷台の荷物を下ろしてしまった。下手に女子が手伝わないほうが早いのだ。男子の凄みというものだ。

 男子がテントの設営をしている間、女子は手分けして校庭の石拾いを行った。

 そのまま一時間ほどが経過して、雨が降って濡れると困る物を纏めてテントの幌の下に押し込んで、ブルーシートを被せたところで今日の作業は終了となる。全員で挨拶をして、三々五々解散した。

 結局晃君とは、あれ以降一度も会話をする機会がなかった。


「はあ……」


 いつもと同じ。積極的になれない自分に思わず溜め息がもれてしまう。


「楠、もしかしてこれから部活?」


 露骨に落胆している様を見て気遣ってくれたのか、晃君が控えめな口調で声を掛けてきた。突然の声に驚き顔を上げる。


「あ、うん。そうだよ」

「ひと仕事した後だと面倒だもんね。あーあ、俺もサボりてぇ」

「ふふ。でも、そんな余裕ないでしょ? 晃君は、大会来月だっけ? 頑張ってね」


 顔、赤くなってないだろうか? 顔色を隠すため視線を外して言葉を返すと、晃君は鼻の下をこすりながら「あんがと」と笑って歯を見せた。


「もちろんがんばるよ。俺達はシード権が取れてないから、たぶん厳しい組み合わせになるだろうけど、練習してきた自分達の力を信じて、ぶつかっていくしかないと思ってる」


 決意を固めるように、両の拳を握ってみせた。


 甲子園予選会のシード校は、各種大会や交流戦の実績を考慮して決められる。戦績が芳しくなくシード権を取れていない照葉学園は、おそらく初戦から二回戦までの間に、何れかのシード校と対戦することになるだろう。甲子園出場どころか、ベスト八に残るのですら苦難の道なのだ。


「あたしも頑張ってスタンドから応援してるからね。勝てるって信じてる」

「うん、ありがとう。楠さんのサクソフォン、秋の大会で凄く上達してるなーって感心した。やっぱりさ、応援がしっかりしてると勇気貰うよ」


 火照った顔の温度が更に上昇していく。褒められたことも嬉しいんだけど、あたしのパートを知ってたんだ、とそちらにむしろ驚いてしまう。


「楠はさ……」と彼は、考え込むように晴れ渡った空を見上げた。「コンクール何月だっけ?」

「県のコンクールが夏。そこで代表権を取れたら、北関東大会が九月だね……でも、どうして?」

「いや。都合をつけて、見に行こうかな、と思って」

「いいよ~無理しなくても。その頃には、色々と忙しい時期になってると思うし」

「そんなの関係ないよ。何時も応援してもらってるから、たまには俺からも恩返ししなくちゃね。楠さんが頑張っているところ、見届けたいし」


 晃君は頬に喜色を湛えると、あたしの頭をぽんと叩いた。


「う、うん、ありがと――」

「気にすんなって、単に、俺が見たいだけだから」


 そこで一旦言葉を切ると、照れくさそうに彼が小指を出してくる。

 どうやら、指切りをしようという意味らしい。なんだか古風なのね、と思わず笑いそうになる。一度手を出しかけてから、指先は泥で汚れているのに気がついた。ジャージの端で軽く拭ったのちに、恐る恐る小指を絡めた。


「じゃあ、約束」


 もう一度彼が歯を見せて笑う。「う、うん」と返した声は、自分でも驚くほどの擦れ声だ。手を振り合って別れたのち、晃君の背中が見えなくなったのを見届け頭にそっと手を乗せてみる。

 まだほんのりと、彼の熱が残っているような気がした。


 ──約束、か……


 この小指から運命の赤い糸が伸びて、彼の指と繋がっていればいいのに。

 そこまで考えたところで、あたしだって古風じゃないの、と苦笑い。二人の関係は、まだ友達と呼べるかすら怪しいものでしかないけれど、どんなに細くて頼りない糸でも、今はそれに縋りたい。だからあたしはこっそりと誓う。少しでも二人の関係を長く繋ぎとめるため、県のコンクールも北関東大会も突破して、全国の舞台に進みたいと──


 * * *


「ねえ楠。ちょっと付き合ってくれる? 相談したいことがあるんだけど」 


 クラスメイトの大塚瑠衣(おおつかるい)下平早百合(しもひらさゆり)が、あたしのところにやって来たのは、部活動に向かおうと教室で身支度をしている時だった。

 小百合は百五十八センチのあたし以上に身長が低く、ショートボブの物静かな女の子。対照的に瑠衣は、上背のあるロングヘアの女の子で、綺麗な顔立ちのわりに性格はきつめだった。正反対と言えるほどに対照的な二人だが、同じ中学だったこともあり不思議と仲が良い。

 とはいえ、仲が良いというのはこの二人の間の話。あたしとの関係は、正直なところよろしくなかった。同じクラスにこそなったものの、殆ど会話をした記憶がない。

 それだけに……嫌な予感しかしなかった。

 帰り支度を続けながら、「相談かあ、これから部活動があるんだよね──」と語尾を濁しつつ断る口実を探し求める。

 曖昧な返答を続けるあたしに痺れを切らした瑠衣が、イラついたように机の脚を蹴った。途端に大きな音が出て、教室中の視線がこちらに向いた。


「ね、いいでしょ? 時間とらせないから」


 逃がす気は無いとでも言いたげな瑠衣の強い口調。今まで綺麗に回っていた駒の軸がズレたように、彼女の機嫌が傾いたのがわかった。あたしはなんと答えてよいかわからず、結局黙って頷いた。

 瑠衣に背中を押され辿り着いた場所は、部室棟に向かう途中にある、ひと気の無い女子トイレ。半ば強引に中に引きずり込まれると、勢いもそのままに突き飛ばされた。


「ちょっと、何するの……!」


 不満の声を上げて振り返ると、瑠衣は両手を腰に当て仁王立ちになっていた。その表情を見ているだけでも、彼女が何かに怒ってるのは明白だった。

 瑠衣の逆鱗に触れるような出来事があっただろうかと、考えを巡らせていく。もっとも、普段から早百合はともかくとして、瑠衣との接触を避けているあたしにとって、思い当たる節などない。

 困惑から二の句を継げずにいると、瑠衣の方から沈黙を破った。


「……昨日のあれ、どういうつもり?」

「へ?」


 意味が分からない、と間の抜けた声が思わず漏れる。


「えっと。……実行委員の話」


 その時、ずっとだんまりを決め込んでいた早百合が小声で呟いた。ここにきてようやくあたしは思い至る。


 体育祭の実行委員を決めたのは、昨日のホームルームの時間だった。

 実行委員は、男女とも一名ずつの選出。男子の方は、早々に晃君が立候補して決まったものの、女子の方は誰も手を上げず、次第に気まずい空気が流れ始めていた。

 そこであたしは、恥ずかしいという気持ちにそっと蓋をし勇気を振り絞って挙手をした。もちろん、晃君と一緒にいられる時間を増やすためであり、動機は自分でも少々不純だと思う。

 ……でも。


「誰も手を上げなかったから、立候補したんだけど……何か不味かったの?」

「不味かったのか、ですって?」


 とたんに、瑠衣の声が苛立ち混じりになる。


「あの時、早百合も立候補しようと手を上げかけてたんだけど、もしかして見えてなかったの? 楠が邪魔をしなかったら、実行委員は早百合で決まりだったのに」

「あ……ごめん、早百合の事は見てなかった」


 どうやらあたしが立候補するのとほぼ同時のタイミングで、早百合の右手も動いていたらしい。

 だとしても。どうしてそれが、ここまで咎められる理由になるのだろう?


「でもそれってさ、あたしが悪いの?」


 うかんだ疑問をそのまま口にすると、瑠衣が大きな溜め息をついた。鈍感、と言わんばかりにこちらを睨む。


「早百合はね、晃のことを去年からずっと想っているんだよ。だからさ、晩熟なこの子なりに、どうにか近づくチャンス作ろうと頑張ってたんじゃない? それをあんたが、邪魔した格好になってんの? 分かる?」

「ねえ、瑠衣」

 おろおろし始めた早百合を他所に、「あんまり調子に乗んないでよね、目障りなのよ」と瑠衣は冷め切った声で吐き捨てた。

 

 言われてみると確かに、早百合は度々晃君の方に視線を送っていたように思う。彼女と時々視線がかち合うのはそれが理由だったんだ。

 早百合の気持ち、全然気付いてなかった。ちょっと悪い事をしたかな、と思わないわけでもない。でも、同時にふつふつと怒りに似た感情もわき上がってくる。

 あたしだって、恥ずかしいのを必死に我慢して立候補したのに、どうして『目障り』なんて言われなくちゃなんないの!?


「あたしだって――」と言いかけた後半の台詞は、瑠衣にひと睨みされると喉の奥に沈んだ。「──ごめん、悪かった」


 口汚い言葉が、幾つも幾つも頭の中で渦を巻くが、結局口からでたのは無難な謝罪。反撃は許さないという瑠衣の強い視線に怯えて、今日も本音は言えぬまま。


「もういいよ……瑠衣。私が手を上げるのが、遅かっただけだから……」


 早百合が消え入りそうな声で、フォローの言葉を口にする。

 早百合自身は、そこまで怒っても気にしてもいないのだろうが、瑠衣の方がとにかく気に食わないようだ。当てこするような言い回しで、なんとはなしにわかっていたが。

 瑠衣は小さく舌打ちを落とすと、あたしの髪を掴んでもう一度突き飛ばした。


「痛っ……」

「早百合の優しさに感謝するんだね。ただし、覚えておきなさいよ。晃に余計なちょっかいを出してきたら、今度こそ許さないから」


 瑠衣は再び吐き捨てるように言うと、そのままトイレから出て行った。早百合が慌てて彼女の後ろに着き従う。


 ──怖かった……


 張り詰めていた緊張感が緩むと、トイレの床なのも厭わずにへたり込んでしまう。

 同時に、煮え切らない自分の姿を意識して嫌気がさした。

 こうなってしまう原因は、自分でもよくわかっている。あたしが自分の気持ちをはっきり言わないから、否定の言葉をはっきりと伝えないから、だからこうして、度々嫌がらせを受けてしまうんだ。本当に、臆病なあたし。


「……しねばいいのに」


 先程飲み込んだ口汚い言葉が漏れたことに、自分でも驚き口を塞いだ。でも、


「負けたくない」


 スカートに付着していた埃を払い、荷物を抱えて立ち上がる。

 もう、どんなに悔やんでも来年なんてこないんだから。たとえ早百合が恋のライバルになったとしても、何もせずに負けるつもりなんてないんだから。

 あたしはトイレを出ると、前を向いて歩き始めた──。


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