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バレンタイン・デイ(ズ)  作者: 木立 花音
第二章:楠恭子の日記 サイドB
16/23

20**/12/19(金)面会謝絶

◆20**年12月19日 (金曜日)


 湯船一杯に張ったお湯から顔を半分だけだして、ぼんやりと思考を巡らせていた。湯気が立ちこめている浴室同様に、あたしの頭の中にもずっと(かすみ)がかっているみたい。

 思考が纏まらない原因は、自分でもわかってる。放課後に、晃君と何気なく交わした会話のせいだ。


 ──あれって、デートのお誘いですよね……?


 小さく口にした声は浴室に反響し、やがて湯気と交じり合って消える。デートに誘われるなんて、今日と明日は特別な一日になるなーと、幸せな気持ちで思い出す。


 それは、帰りのホームルームが終わって、教室を出た瞬間のことだった。晃君から掛けられた言葉、最初は聞き間違いだと思った。だから、「ごめん、今なんて?」と間抜けな声で問い返した。周囲の視線が、一斉にこちらに流れてきたことを意識しながら。


「恭子は明日って暇? もし良かったら、一緒に映画でも見にいかない?」


 彼はちょっとだけ恥ずかしそうに顔を伏せ、先ほどの台詞を反芻した。二度も言わせるなんて、と罪悪感が首をもたげる。だが、彼の口調は存外に軽い。まるで、ちょっとそこまでみたいなノリだ。


「も、もちろんいいよ。というか、受験勉強の息抜きには丁度いいかも」


 対照的にあたしは、頬が熱をおびるのを意識しながらなんとか頷いた。声は自分でも滑稽に思えるほど上擦っていた。


 ──ふう。


 流石に自意識過剰だな、と自分でも思う。でも、そんな風に自惚れてもいないと、何時ものマイナス思考が顔を出して邪魔をするのだから。デート、デートと、うわ言のように繰り返した。

 それにしても、とあたしは思う。どうして、クリスマスじゃなくて明日なんだろうか。

 彼は案外と朴念仁なところがあるから、とくに深い意味はないのかもしれない。 

 もしかすると、クリスマスは家族と過ごす予定があるのかもしれない。友達と大事な約束を、取り交わしているのかもしれない。あまり考えたくはないけれど、あたし以外の女の子と、予定を入れてるのかもしれない。

 ダメだ、ダメだ。

 考えれば考えるほど悪くなっていく妄想を、かぶりを振って追い払った。気にしていても埒が明かない。まずは明日、おもいっきり楽しもう。

 マイナス思考を溜め息と一緒に吐き出して、シャワーのお湯で洗い流した。一応、いつも以上に丁寧に体を洗い、逆上せない程度に湯船に浸かってから浴室を出る。

 鏡台の前に座ってドライヤーで髪を乾かすと、枝毛が無いか入念にチェックしながらブラッシングした。

 髪の手入れが済むとクローゼットを開け放って、中に入ってる洋服を引っ張りだして絨毯(じゅうたん)の上に並べてみる。


 ……思っていたよりも手持ちの服が少なくて、唖然となった。


 なんて、つまんない事で落ち込んでいてもしょうがない。手持ちの中でどうにかしないとダメなんだ。気持ちを切り替え鏡台の前に立つと、一着ずつ体に合わせて、明日着て行く服の選定を始める。


「……これにしておこうかな」白いセーターをハンガーに通すと、ベッドの脇に引っ掛けておいた。「次はボトムか」ここで、律の言葉を思い出した。


『男は基本的に、エロい事しか考えていないから』


 まあ、そうだろうけどね。思わず苦い顔になる。

 親友の言葉を信じるならば、丈が膝上のスカートか。「寒そう」という感想を抱いた。ストッキングを履けば、多少はマシになるだろうか。

 ……それにしても。

 あたしは彼の好みを、何にも知らないんだな。

 玲だったら晃君との付き合いも長いのだし、彼の好みを色々と知っていそう。あたしみたいに頭を悩ますこともなく、コーディネートだって出来ちゃうんだろうな。

 結局、玲と比較している事に気がつき、沸々と嫉妬の感情が湧いてくる。こうして今日も、自分の愚かさを思い知る。


「はあ」


 いっそ、彼の心の中を覗き見ることができたなら。

 たくさんいる大切な人たちの中で、自分は何番目に存在しているのかな? それを知りたいと願う自分と、知ることを恐れる自分とが、胸の内でせめぎ合っていた。

 もう一度溜め息を落としそうになったその時、Lineの着信音が二回立て続けに鳴った。誰だろ……と訝しげにスマートフォンを拾い上げると、画面には『福浦晃君』の名前が表示されていた。

 こんな時間になんだろう。ドキドキしながら画面をタップすると、そこには、短いメッセージが二つ、添えられていた。


『玲が緊急入院した』

『宇都宮総合病院556号室』


 あまりにも簡潔で短い文章だったことが、余計に、あたしの不安を増幅させた。

 急いでパジャマからトレーナーとパンツに着替えると、ベッドの脇に掛けてあったカーディガンだけを羽織って部屋を出る。階段を駆け下りながら、あたしは思う。きっと、Lineで何度も細かく遣り取りするよりも、直接向かった方が早いだろう。

 リビングの前を通過したとき、「こんな遅くに何処へ行くんだ」という父親の心配そうな声が聞こえてくる。確かに、二十一時も過ぎてるんだし無理もない。

「ゴメン、ちょっとそこまで。直ぐに戻るから」何も答えてないのと同じだな。自分の曖昧な返答に苦笑いをしながら、ブーツを履いて家を飛び出した。


 走りながら考える。宇都宮総合病院は、自宅からわりと近い。全力で走れば十分も掛からずに着くだろう。次第に呼吸が弾む中、スマートフォン以外の持ち物を忘れてきたのに気が付いた。とは言え、今更家に戻る時間も気力もなかった。

 走り続けているうちに、段々と思考がクリアになってくる。脳に送られる酸素量が欠乏してるはずなのに、と冷静に状況を分析しながら、ここ最近感じていた違和感の正体に気づき始める。


『半年くらい、宇都宮の病院に入院してたの。退院したのが、先週の金曜日』


 玲と初めて会った日に交わした会話。今思えばこの時既に、引っ掛かるような違和感はあった。彼女はずっと健康そうに見えていたから、あたしが勝手に安堵して、失念してただけのこと。

 玲は二日前から学校を休んでいた。そのことをあたしは、風邪に違いないと高を括っていたが、実に浅はかな考えだったと今ならば分かる。あれはきっと、こうなる兆候だったんだ。さっきまで浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。


「――玲!」


 自動ドアが開くまでの僅かな時間ですらも煩わしく感じる、病院のロビーに駆け込むと、リノリウムの床を踏みしめる音がシンとした空間に響き渡る。

 時間が遅いこともあって、ロビーの中には誰も居なかった。エレベーター脇のボタンを叩き、上を見上げる。誰も居ない時間だというのに、エレベーターは四階に止まったままだった。

 四階……どうして、こんな時に。

 結局は待ちきれないと判断し、エレベーターの脇にあった階段を駆け登る。五階に到達すると、病院特有の消毒液の匂いが鼻をついた。左右に視線を巡らして556号室の場所を探すと、玲の病室は直ぐに見つかった。

 それは、ナースセンターの直ぐ脇にある一人部屋で、扉の横に『立花玲』と書かれたプレートが掲げられていた。

 きっと扉を開ければ、意外にも元気そうな顔の玲が、驚いた表情で出迎えてくれるに違いない。そんな考えを、いまだ捨てきれずにいた。

「よし」呟きひとつ。震えのおさまらない指先を扉のノブに伸ばしかけた時、自分の考えが如何に甘かったのかを思い知らされる。


 扉の真ん中には小さな白い紙が貼られていて、その紙の中央には、【面会謝絶】と大きく書かれていた。


 ……嘘だ。

 ……嘘だ、そんなの嘘だ!

 現実を受け入れたくなくて、556号室脇のプレートをもう一度みた。だが、何度確認しても間違いない。そこは玲の病室だった。

 面会謝絶。それは面会をすることで病状に悪影響を与えるとき。本人または、家族が面会を希望しないとき。もしくは……患者本人が重症のときに取られる措置だ。

 誰かに病状を聞かなければ……! そう考えて視線を走らせたとき、556号室から少し離れた場所の廊下に、膝を抱えてうずくまる晃君の姿が見えた。


「晃君、そこに居たんだ。玲は? 玲は大丈夫なんでしょ……!?」


 動揺を隠せず、叫ぶような声になってしまう。

「恭子……」ようやく気付いたように、ゆっくりと彼は顔を上げた。


「呼び出したみたいになっちゃって、なんかゴメンな。本当は、明日になってから連絡してもいいかと思ったんだけど、恭子にはなるべく早く知らせておいたほうが良いと思って」

「いいよ、そんなの……それより玲は? どんな状態なの?」


 捲くし立てるような言い方になったと自分でも思う。けれど、もどかしさから抑えることはできそうもなかった。彼はスッと立ち上がると、あたしから視線を外して言った。


「正直、思ってたより良くない。今、玲の両親が、詳しい話を主治医から聞いている。二人が戻ってこないとハッキリした事はまだ言えないけど……」

「え、ちょ、ちょっと待ってよ。思ってたより良くないって、どういう意味よ」


 気が動転して、彼の言葉を遮った。遮ったのに、何を訊ねたらいいのか自分でも纏められずに、結局口を噤んでしまう。


「恭子には、病気のこと絶対に言うなって玲には止められてたんだけど」彼はあたしと目を合わせ、覚悟を決めた顔で言った。「やっぱり話しておいたほうが良いと思う。驚かないで聞いてほしい」


 緊張で、ごくりと喉が小さく鳴った。


「玲が冒されている病の名前は、癌だ。それも、結構転移が進んでいるらしい」


 瞬間、視界が暗転した。なんで……なんで……。告げられた病名が、何度も、何度も、頭の中で木霊した。

 癌。別名、悪性腫瘍。

 体内の細胞が異常かつ無制限に増殖する病気。細胞増殖が生命維持に必要な臓器や組織で起ると正常な機能がそこなわれ、あるいは停止し、死にいたることもある。癌は「岩のように硬いはれもの」を意味する言葉。広義には悪性腫瘍を指し、良性の腫瘍と違うのは広がるということ。

 もちろん、癌の名前も病の詳細もあたしは知っていた。転移が進んでるという言葉が持つ意味も瞬時に理解した。家を出てこの場所にたどり着くまでの間に、最悪のケースも想定はしていた。でも、それが現実のものになって突きつけられる覚悟は、おそらく出来ていなかった。

 ショックのあまりに両手をついて蹲ると、もう顔を上げることが出来なくなってしまった。


「ホントは明日、恭子に息抜きをしてもらおうと思ってたのにな……ごめん、とてもじゃないけど、行けそうにない」

「なんで晃君が謝るの? 晃君は何も悪くないし──ううん、誰も悪くなんかない。どうして……こんなことに」


 顔を伏せたまま、それだけを呟くのが精一杯だった。


* * *


 それからどれだけの時間、あたし達は膝を抱えていたのだろう。無言で過ごす時間は永劫と思えるほどに長くて、そのくせ、何を考えていたのかすら覚えていない。

 気が付いたときには玲の両親が戻ってきていて、時間も遅いからと、玲の母親の車で二人とも送られることになった。

 家に到着するまでの間、玲の母親が、病状と治療方針について説明をしてくれた。しかしその声は、どこか遠い場所で響いてるように耳には届かなくて。彼女の病状が、思ってたよりも遥かに悪いという事実しか、理解できていなかった。


「ありがとうございました」


 自宅の前で車から降りて頭を下げる。彷徨うように家の中に入ると、覚束ない足取りで二階への階段を登る。扉を開けて自室に入ると、うつ伏せの体勢で倒れこむようにベッドに沈んだ。

 瞼を閉じると、玲と過ごした日々の思い出が、次々と走馬灯のように浮かんでは消えた。まだ彼女が死ぬと決まったわけでもないのに、縁起でもない。ふつふつと自分に対する怒りが湧いてきたが、悪い妄想を止めることができなくなっていた。

 

『私、三年C組の立花玲。私と、友達になってくれるかしら?』


 そうして始まった二人の友情は、気が付けばもう、簡単には断ち切れないほどの強い絆へと成長していたんだ。


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