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バレンタイン・デイ(ズ)  作者: 木立 花音
第二章:楠恭子の日記 サイドB
15/23

20**/11/14(金)逡巡

◆20**年11月14日 (金曜日)


 翌日から、瑠衣と男子生徒の姿を学園内で見かけることはなくなった。


 二人に科せられた懲罰は、無期停学処分。卒業を間近に控えた三年生に対する懲罰としては、ほぼ、退学にも等しい意味合いを持つ。

 学園サイドに、このような重い懲罰を決断させるに至った背景にあるのは、未遂に終わったとはいえ強制わいせつに発展しかねない状況だったことと、なによりも、犯行の現場を教師に目撃されることになったというショックの大きさがあるのだろう。

 結論として、迷うことなく教師を呼びに走った玲の行動は、実に彼女らしい機転と判断だったと言える。

 とはいえ、刑事事件として明るみに出ることはなかった。

 あたしと加害生徒の間で示談が成立していた事。被害者の心身を考慮して (という名目だろうとも思うが)対応は慎重に行うべきとの学園側の判断によるものだ。

 二人が停学になった理由は生徒に公表されてなかったので、事情や顛末を知らない者たちの間では、飲酒及び喫煙。窃盗に万引き。挙げ句の果てには瑠衣が妊娠したんじゃないか、等々、実に様々な憶測が流れていた。

 悩んだ挙句、親友である律にだけは、今回の暴行事件の顛末についてちゃんと話をしておいた。

 決して彼女から訊かれた訳でもなかったが、中学校時代から常に支え続けてくれた彼女にだけは、本当のことを伝えておくべきだと思ったからだ。律は黙ってあたしの話を聞き終えた後、まるで自分のことのように涙を流してくれた。やはり話しておいて正解だったと思う。


 前述したような事件後の二人に関する噂話は、加害生徒と同じクラスに所属していた玲からも、逐一もたらされた。

 そればかりではない。彼女は休み時間のたびにあたしの居るA組までやって来ると、それとなく話し相手になったり、悩み事を聞いたりしてくれた。

「どう、少しは落ち着いた?」

「家族には、相談できた?」

「私はいつでも、恭子の味方だからね」

 彼女が掛けてくれる優しい言葉の数々は、あたしの心の傷を少しずつ癒し、瘡蓋(かさぶた)に変え、傷口はいつの間にか目立たなくなっていた。

 実際のところ、この時献身的に行われた玲のメンタルケアがなかったら、あたしは大学進学を棒に振りかねない程塞ぎ込んでいただろうと、今だからこそ思う。


 また、玲の計らいと晃君の気遣いから、学校から自宅までの間を、晃君が送り迎えしてくれるようになった。

 無期停学になった二人からの、報復が心配だからと彼は言っていた。帰りのホームルームが終ると、二人で別々に教室を出て、毎日決められた場所で待ち合わせをした。

 律と玲は余計な気を利かせ、下校時間になるとこっそりと姿をくらました。そんなことしなくて良いのに、と遠まわしに非難したけれど、聞く耳を持ってくれなかった。


 待ち合わせ場所にしていたのは、校門を出てからしばらく行った先にある三叉路。交差点の中心に小さなたばこ屋があって、(さび)れたベンチと自動販売機だけが置かれている場所だ。 

 三叉路を左側に進むと、晃君が毎日利用している駅があった。反対に右側に伸びている坂道を登りきって暫く歩いた先に、あたしの家があった。分かり易い言葉に例えると、ここは丁度、二人の分岐点といえる場所だった。

 だいたい先に待っていてくれるのは彼のほう。あたしがいつもより遅くなると、心配して引き返してくる彼と、鉢合わせになることがたびたびあった。

 あたしの顔を認めると、いつも右手を上げて「今帰り? じゃあ一緒に帰ろうか」と彼は言う。周囲に怪しまれないよう、意図的に偶然の出会いを演出しているようだった。繰り返される単調なやり取りに、ちょっとだけ可笑しくなった。


* * *


 週末となる金曜日。今日は朝から、冷たい雨が降る日だった。

 すっかりと冷え込んでしまった指先に、息を吐き掛けながら待ち合わせ場所にたどり着くと、晃君はベンチに座り、項垂れるようにして待っていた。彼が顔を伏せていた理由は直ぐに分かる。頭からずぶ濡れの様子に、驚きと同時に罪悪感が込み上げた。いったい何分前から、傘も差さずに待っていたのだろうか。


「何やってんの。風邪ひくでしょ」


 唯一持ってた小さめのハンドタオルを鞄から出すと、彼の方に差し出した。


「ごめん。全然、天気予報見てなかったんだ」


 晃君は申し訳無さそうにタオルを受け取ると、濡れた顔や頭を拭いていった。


「少しだけ、休んでからいこうか?」晃君の提案に、「その濡れ方じゃ、そっちの方が良さそうね」と嘆息してから、彼の隣に腰を下ろした。

 晃君は、あらかじめ買っておいたであろう紅茶のプルタブを開けると。一口だけ口に含む。そして、「ふう……」と溜め息をついた。一拍の後、失念してたといわんばかりの勢いで立ち上がると、自動販売機の前に移動してから訊ねてきた。


「恭子は、ミルクセーキで良いよな?」

「うん、それ好きなんだ。ありがとね」


 手渡されたミルクセーキを受け取ると、悴んだ手のひらを温めてから蓋を開けた。「ミルクセーキが好きなんだ」と話したのは多分一度だけ。あたしの好み、ちゃんと憶えててくれたんだ。缶の中身を口に含むと、口から喉、喉からお腹へと暖かさが染み渡っていくようで、とても心地いい。


「これくらいの雨なら大丈夫か」僅かに陽が射し始めた空を見上げて、晃君が呟いた。「んじゃ、帰ろうか」

「そうだね」とあたしも頷くと、二人肩を並べて歩き始める。


 ところが、そう思っていた矢先のことだった。小降りだった雨が急に息を吹き返したように本格的な雨に変わる。

 あたしは傘を開くと、晃君に「入って」と促した。彼は「ごめん」と言いながら傘を受け取ると、身を屈めるようにしてから高く掲げた。あたしの肩が濡れないように、ちょっとだけ傘をこちらに寄せて。

「通り雨かな……」と見上げて呟いた言葉とは裏腹に、雨の勢いは増していく一方だ。終いには雷を伴う雷雨にまで発展してしまった。

 急な雨が作り出した水溜りを踏んでしまわぬよう、足元に気遣いながら肩を寄せ合い歩いた。冷たい雨と風がどんどん体温を奪っていくのに、時折触れ合う肩を意識すると、頬の火照りは増していく一方だ。


「恭子、少しは気分的に落ち着いてきた?」


 歩きながら、晃君が訊ねてきた。言葉が足りなくて、なんの話かと最初は戸惑ったけれど、彼の気遣うような口調で暴行事件の話だと分かった。


「うん……。暫くの間、男の人に視線を向けられたとき怖いって感じてたけど、今はもう大丈夫だよ」


 玲と晃君、二人の気遣いもあって、恐怖心は殆ど拭えてた。もし、あのまま最後までされてたらと思うとゾッとする。きっと、こんな風に話題にする余裕はなかっただろう。

 隣を歩く晃君の顔を、火照った頬を擦りながら見上げた。思いのほか顔の距離が近くて、慌てて視線を逸らした。


「そっか、それなら良かった。心の傷は、最初のケアが大切だからね」

「ごめんね。なんだか色々と、気を遣わせちゃったみたいで」

「気にしなくていいよ」と彼が首を横に振る。「玲にもさ、たまには一緒に帰るかって誘ってるんだけど、色々と理由付けては逃げられてる」


 そう言って彼は、少し伸びて、長くなった襟足の辺りを掻いた。


「彼女、忙しくしてるみたいね」

「どうなんだろ。最近は放課後になると真っ直ぐ図書室に篭って自習したり、かと思えば、ホームルームが終わり次第そそくさと居なくなってみたり。アイツが何をして、何を考えてるのか、イマイチ分かんないんだよね」

「資格取りたいからって、玲がこの間言ってたよ。なんの資格なのかは、訊いても教えてくれないんだけど」


 そうして二人、顔を見合わせて笑った。

 暫く笑って……次第に、ごく自然に、あたしは笑みを引き取った。


 特に話題が見付からないとき。若しくは――あたしが話題を振らないとき、彼はだいたい玲の話をする。そして彼女の話をしているとき、彼は少しだけ饒舌になる。

 二人は古くからの友人だから、きっと共通の話題が多いんだろう。

 頭では、玲に敵わない部分があることを理解しているつもりでも、ふとした時、暗い感情が顔を覗かせてしまう。彼女さえ居なければ、自分たちの話だけできるのに、等と考えてしまう。意図せずそんな事を考えてしまっては、自分のことがちょっとだけイヤになる。


 ──あたしの事、どう思ってる?


 彼の気持ちをまっすぐに訊き出せたら、どんなに楽になるんだろう。彼の返答がイエスであってもノーであっても、その瞬間に、あたしの片想いは終わるのに。

 土砂降りの雨の音に紛れてだったら、少しは勇気を出せるんだろうか。普段は言い出しにくい台詞も、すんなりと喉元を通るんだろうか。虚しい心の声が、頭の中で反響を続けていた。

 どれくらいの時間、あたしは逡巡していたのだろうか。ようやく雨の勢いも衰えて、会話の組み立てが出来始めた頃合には、自宅の前まで到達していた。

「ありがとう」と言って傘をあたしの方に戻し、「じゃあ、また明日」と告げて背中を向けた彼を、思いきって呼び止めた。


「あ、晃君!」

「どうしたの?」


 普段と変わらない、優しい瞳がこちらに向けられる。

 むしろ、彼の態度が普段と変わらぬことが、あたしの勇気を挫いていく。ずっと伝えたかった二文字の言葉は、どうしても喉元から出てこない。


「あの……」

「うん」

「あ……また雨強くなってくるかもしれないし、傘、持って行っていいよ」

「そっか。ずっと濡れながら駅まで歩くのも大変だし、じゃあ、恭子の言葉に甘えるとするよ」

「うん。返すの何時でもいいから。じゃあ、また明日ね」

「また、明日」


 結局、言えなかった二文字は、なんでもないやり取りにすり替えられる。

 やっぱり今日も、言えなかった。

 繰り返される告白は、いつも心の中でだけ。


 雨の中去って行く彼の背中を見送った後、玄関を開けて身体を滑り込ませると、靴も脱がずにそのまましゃがみこんだ。

 (うずくま)って、顔を伏せて、あたしは泣きだしてしまう。ごめん。全然晃君は悪くないのに、もう止めることができない。


「あんまり、優しくしないで」


 変われない自分の事がなんだか惨めで、涙は止め処なく溢れた。そのまま暫くの間、泣きじゃくっていた。


* * *


 規則正しい電車の揺れに、体を委ねていた。

 昼下がりの東北本線は空いていて、車輌にはあたしの他に数人しか乗客がいなかった。持ってきた文庫本に集中できずに、頬杖をついて窓の外を眺めてみる。

 県境を越えたばかりの郊外を走り抜ける電車。車窓の外に広がる景色は、青々と茂る一面の田園地帯だ。二年前と大きく変わることのない景観に、自然と昔のことを思い出す。

 本当に、臆病だったあたし。

 あの雨の日。あのタイミングで告白ができていたら、未来は大きく変わっていただろうか。

 あたしにとっても。彼にとっても。もちろん、玲にとっても。あの時点での三人が望んでいた、最高の未来が待っていたのだろうか。


 そこまで考えたのち、軽く笑ってみせた。──何を考えてるんだろう、あたしは。数日前からずっと昔のことばかり。

 たぶん、この間読み返した日記のせいだ、とあたしは思う。

 これから晃君と会うのだから、いつまでもセンチメンタルな気持ちに浸っている場合でもないのに。


 ──頑張らなくちゃ。今度こそ。


 車窓の景色から視線を外すと、再び文庫本の世界に意識を投じた。

 地元宇都宮が、次第に近づいてくる。

 不安なあたしの心など、知る由もなく。


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