第4話1節 旧知の錬金術師
この世界にどれだけの「種」があって、どれだけの個体数があるのかを俺は知らない。それでも言える確かなことは、生き物は種の存続をかけて戦っているということだろう。むしろ生物はそのためだけに不要な機能を削ぎ落し、新たな能力を獲得し、他の生物を淘汰し、時に利用している。
人間はどうだろうか。
我々の生きる意味はここにあると、そう言えるものを皆が持っているか。自分の生きる意味は種の保存であると言い切る人物がどれほどいるだろうか。俺の元いた世界では「人は幸せになるために生まれてきたのです」なんて教える自己啓発セミナーがあって、裏を返すとそれだけ人は不幸そうな顔をしていたのだった。
とはいえ人間だけが知能が高いわけではない。子犬や猿も遊ぶ。久しく見ていない動物番組なんかを思い返すと、見たことのないものを前にして迷い、悩んでいる様子を見ていた気がする。
とはいえ動物たちが悩むのは、それが危険であるかどうかだろう。自分たちに危害を加えてくる存在なのか、そうでないのかを見極めるために悩む。目の前に突如現れたモノリスに、恐る恐る触る猿のように。危険ならば逃げて、一個体でも多く生き残ることが種の保存に繋がる。それは機能としての「悩み」であり、感情的な「悩み」ではないのだ。
そうであるならば、もしも、人間が他の動物と大きく異なっていると感じることがあるならば、それは「感情」のせいだろう。幸せが足りないだとか生きる意味が見いだせないだとか、そういう自分の中にある寂しさを嘆いて悩んでいるのなら、それは自然界にないものだ。自然界にあるのは、どうやって生きるかだけであって、なぜ生きるかなんて悩みはない。
飛躍した思考を目の前のことに戻すとしよう。
「…………」
リオンは俺の向かいに座り、ニコニコしながら、机に両肘をつき、頬に手を当てて俺の方を見ている。ついさっき彼女は、「どうぞ」と言って、イチゴのような果実の入ったカゴを俺の方に突き出してきた。
お店の休憩室、普通に考えればそれは、俺がイチゴを食べるのを待っているのだろう。
「リオン、このイチゴ、どうしたんだ?」
「…………?」
彼女は僅かに首を傾げるだけで、何も答えない。表情にも何の変化もない。
「誰かに貰ったのか?」
「…………?」
首が反対側に傾くだけで、やはり何の変化もない。リオンは自信作を人に差し出すとき、無口だ。
「リオンはこれをもう食べたのか?」
「タケシ」
「ん?」
「いいから食べてよ。きっと美味しいよ」
「きっと? いま、『きっと』って言ったのか?」
「…………?」
今度ははじめと同じ向きに首が傾いた。もう埒が明かない。
「こんな正体も分からない怪しいイチゴが食えるかってんだ」
「なんですって!? タケシ、あなた、私のイチゴが食べられないというの!?」
「アルハラ上司みたいなこと言ってんな!」
「私、いつもがんばってるタケシに日頃のお礼がしたくて用意したのに……ひどい!」
「日頃のお礼なんだったら食べることに不安の残るものを寄越すな」
「大丈夫だって! ちゃんと解毒剤だって……いや、なんでもない」
「解毒剤!?」
本音を言えば食べたい。このところ草とか根っことかばかり食べていたから、目の前のイチゴがとてつもなく美味しそうに見える。ただ、「先に」食べたくないのだ。リオンの解毒剤はよく効くが、もしそれを食べられない状態になったら、アウト。
とはいえもうそろそろ「俺も男だ」とか言って覚悟を決める頃合いかなと思っていると、部屋の扉がノックされた。
「リオンちゃん、お客さんだよー?」
よく通る声でそう言いながら入って来たのは、ナタリーという女性だった。俺とリオンだけではお店に手が足りないので、新たに雇い入れたのだ。元々は王宮騎士団にいたらしいが、今はフリーターをしている。
「ナタリー! ちょうどよかった、イチゴあるけど食べる?」
「…………遠慮しておく。ふたりで楽しんで」
「なんで!? ほら、こんなに美味しそうなのに!」
さすがは元王宮騎士団。勘がいい。
「ねえ、一個! 一個でいいから! ね!?」
「一個もいらない。それよりお客さん通しても大丈夫?」
「うん…………誰?」
「ソロヴィって女の子よ」
「え?」
そして俺たちの前に現れたのは、金髪碧眼の美少女だった。それを見たリオンは立ち上がった。
「ソロヴィ! 帰ってきてたの!?」
「久しぶりね。つい昨日着いたばかりよ」
「へー、うわー、見ないうちに大人っぽくなったね」
「そう?」
ソロヴィというらしいその少女の手を取って、リオンは飛び跳ねている。飛び跳ねるほど揺れるお胸が目に入る。
「……リオンは相変わらず立派なものをお持ちなのね」
「なんのこと?」
「なんでもない」
彼女もなんにもないわけではないと思うのだが、相手が悪い。
「リオン、その子は誰だ?」
「うん、紹介するね。彼女はソロヴィ。私の修行時代の同門生なの」
確かリオンは錬金術師の元で修業しながら、村を救うための研究をしていたのだった。ということは同じ錬金術師に師事していたということになるのか。
「俺はヤマダ=タケシ。リオンと一緒にこの店を経営しているんだ」
「なるほど、タケシさんですね。、私はソロヴィ=ベークルートといいます。よろしくお願いします」
彼女のお辞儀がとても綺麗だった。流れるような金髪が彼女の肩を滑り落ちた。丁寧でいい子じゃないか。
「狭いけどゆっくりしてってくれよ」
「お気遣いなく」
俺が席を立とうとすると、リオンが「タケシもここにいて」と言ってきた。どういう意図があるのだろうか。友人との久々の再会に俺は必要なのか。
「ソロヴィはそっちにでも座って。いまお茶を淹れるから」
「え? いらない」
「なんで!? 普通のお茶! 普通のお茶だから!」
「ならいいけど」
休憩室のすぐ横に給湯室がある。そこに真っ当なお茶やポットなどをちゃんと用意している。だから安心だ。席に立ったリオンの背を見届けてから、ソロヴィに訊いてみる。
「リオンが変な植物を煎じようとするのは、昔からなのか?」
「ええ。時には舌が麻痺して、三日ほど物の味が分からなくなったこともあります」
「この店に置いてあるのは普通のお茶だから安心してくれ」
「はい」
年齢は十六か十七かくらいだろうが、落ち着いているし、リオンよりも大人っぽく感じる。そういえばリオンの昔の友達に会うのは、これが初めてじゃないだろうか。
「俺に対しては別にため口でいいぞ。そんなに歳も変わらないだろうし」
「え、ええ、なら、そうさせて……そうする。わよ。ですわよ?」
「話しづらいなら無理にとは言わないけど」
リオンはすぐにお茶を用意して戻って来た。
「一緒にお茶を飲むのも久しぶりね。あ、ミルク忘れた。タケシ取ってきて」
なぜ俺が? と思わなくはないのだが、ソロヴィの前であまりせこいことは言いたくない。席を立ち、給湯室にあるミルクを取ってくる。
すると後ろから大変な会話が聞こえてきた。
「イチゴあるんだけど食べる?」
「これのこと? いいの?」
ナチュラルにイチゴを勧めている。
「本気か!?」
俺は慌てて戻るが、時すでに遅し。ソロヴィの桜色の唇がイチゴを咥えていた。
「うん、おいしい」
「ソロヴィ、大丈夫か?」
「うん? なにがですか?」
「いや、平気ならいいんだけど」
怪訝そうな顔をするソロヴィ。はてさて、正直に話したものかどうか。リオンの方はもっと端的に彼女に様子を訊ねている。
「甘かった? 妙な苦みとかなかった?」
「え、うん。甘かった」
「舌に痺れがあったり、胸焼けするような感じもない?」
「うん。ない。……リオン、今、私に何を食べさせたの?」
「イチゴだよ? それじゃあ安全そうだから私も食べようかな」
「リオン! 私に何を食べさせたのか教えなさい! 今すぐに!」
「イチゴだよ?」
「嘘だ!」
リオンも食べたイチゴを、俺も食べてみる。本当に美味しいイチゴだった。でもソロヴィには少し申し訳ない気持ちになった。
ひとしきりお茶とイチゴを堪能した後、俺たちは外へ出た。目的はリオンの錬金術を見せるためだ。店の隣に倉庫を建てて、その中にロステクを詰め込んでいるのだが、リオンはその中からひとつ、ロステクを持ってきた。
「これがロステク?」
「うん。なんの道具かは分からないけどね」
大きさは手のひらサイズで、とても汚いし、元の形は分からないが、それでも壊れていることが見て取れるほど。中にファンのようなものがあって、扇風機か何かに見えるが、果たして。
「材料はこんなもんかな」
作業台の上にロステクを置いて、材料を置く。作業台といっても空の木箱を二つ並べただけの台だが。
「いくよ? リカバリ直し」
リオンが杖をかざす。
なるほど。なぜ旧友との再会にリオンが俺を置いたのかが分かった。要はこの錬金術を友達に自慢したかったのだ。いつものように、ロステクが震えて光りだす。怯えたようにソロヴィは俺の後ろに移動した。
「リーサルネイル」
俺は右手を振り下ろし、ロステクに手刀を与える。糸が切れたように大人しくなり、新品のような輝きを取り戻した。
みんなでそれを囲む。
「リオンって、前から物を直す錬金術ってやってたよね? 私がいた頃は『器具』の修復はできて『機械』は直せなかったと思うけど」
「今も機械はあんまりうまくいかないんだけど、タケシのおかげでロステクは直せるようになったよ」
「タケシさんのおかげ……? どういうこと?」
「最後の手刀ね、どういうわけかあれでロステクの修復が完成するの」
「手刀で……? へぇ」
ソロヴィが俺の方を見つめてくる。興味があるような、考えるような、そんな素振りを見せている。リオンが新しいアイテムを考えている時もこういう感じだから、さしずめ似たもの同士というやつなのだろう。
「ところでこれ、どうやって使うんだろうね。タケシ?」
「そうだな……」
ボタンらしきものがいくつかある。その横に見覚えのあるマークが刻まれている。電源と、強度の上げ下げをするボタンだろうか。試しに電源を入れてみると、「コォォォォォ」という音がして、この機械が空気を吸い込み始めたのがわかった。
ということは、これは。
「空気清浄機……だな、たぶん」
「?」
どういうものなのだろう? という顔をしている二人に向けて俺は話し出す。
「空気を吸い込んで、空気中の汚れを取り除く機械だ。ほら、ここから吸い込んでこっちから空気が出てる。そんで、ここにカラビナがついてるから、きっと持ち運び用なんだろう」
「空気中の汚れ?」
「例えば埃とか花粉とか、そういうの。だから喘息持ちの人とかに重宝するかもな。これを持っていけば、どこの部屋にいても汚れを浄化できるから」
電源を切って清浄器を置く。
「タケシさんって、物知りなんですね」
「まあ、そう、かな?」
「そうですよ」
彼女が嬉しそうに俺を褒めるから、悪い気はしなかった。というか普通に嬉しかった。リオンは今更俺の何かを褒めたりはしてくれないし、だからその反応がとても新鮮だった。
「よかったら今度、是非――」
「タケシ、あれ見て」
ソロヴィが俺に何かを言おうとしていたのだが、リオンが遮った。その指さす先には、桜色の髪の少女がいた。
「イアじゃないか」
「うん。なんだか辛そうに見えるね」
言われてみると、確かに。
まずマスクをしているのがいつもと違う。徒歩でこちらへ歩いてくるその足取りは酷く重そうだし、ふらついている。
「やっほー、イア! 元気!?」
どう見ても元気ではない人にその挨拶はどうかと思うが。イアは片手をあげるだけでそれに応えた。
「今日はアイテムを買いに来ました。例のリオンポーション、あれが欲しいのです」
その声は酷い鼻声だった。マスクもしているし、リオンにしろ俺にしろよく聞き取れたなと思うレベル。
「クエストにでも行くの?」
「いえ、ちょっと目が痒くて、鼻がむずむずして、体がだるくて、喉がいがいがして、くしゃみと鼻水が止まらないだけなんですが」
「イア、花粉症なの?」
「いえ? 違いますけど?」
「え?」
リオンも唖然としているが、俺も同じ気持ちだった。どう見ても花粉症なのに……。
「私は花粉症ではないのですが、例のリオンポーションで治るかと思いまして」
「私のポーションで花粉症を? ……うーん」
あれは外傷によく効くアイテムだが、アレルギーには効くのだろうか。製作者であるリオンの表情を見るに、そっちの方向では期待できないのだろう。当のイアは「花粉症ではありませんけど?」とか鼻声で言っているが。
すると、思わぬ方から声があがった。
「そういうことなら、私に任せてください」
ソロヴィだった。自信のありそうな表情をしている。
「リオン、調合室を借りてもいい?」
「いいよ」
みんなで移動して、ソロヴィの調合を見守った。ずぼらな性格のリオンの調合室は散らかっている。棚などの収納場所はあるものの、使う道具はまるで収められることもなく、テーブルの上に置かれている。スプーンの挿されたマグも置かれているが、あれはいつから置かれているのか。
よく使うのであろう本はテーブルの横や錬金釜のそばに積まれている。有意義な本が平積みになっているのは、本屋と共通しているかもしれないと思った。
「さて、これとこれを混ぜて……」
他人の調合室を使う感覚というのはいかなるものか、それは俺には分からない。だがソロヴィは目的のものをすぐに手にして、さくさくと調合を進めているように見える。錬金術師の頭の中はだいたい共通しているのか、よく使う道具が共通しているからすぐに見つかるのか、はたまたリオンとの付き合いが成せる業なのか。
「できた。これで症状は改善するはず」
調合を始めて二十分くらい。新しいマグに入れられた液体はお屠蘇みたいな匂いがした。色合いは透き通ったレモン色をしていて、湯面には何かの果実の粒らしきものが浮いている。
「これは?」
「その症状を改善できるであろう効能を持つ薬草から調合したお薬です。症状を抑え込むというよりも、体の自然治癒力を高める作用があります。お薬というよりかは、栄養のある食事などに近いかもしれません」
「漢方みたいなものか」
「よくご存知で」
こういう匂いのする漢方薬を飲んだことがある気がする。たぶん名前は漢字で五文字か六文字くらいだったと思う。
「ありがとうございます。いただきます」
湯気の立っているそれを、イアは少しずつ飲んでいる。
「どうですか? 少しは味も調えたつもりですが」
「とても飲みやすいです」
「それはよかった」
ソロヴィはにこりと微笑んだ。
うちを後にするイアには空気清浄機も渡しておいた。さすがに纏わりつく空気をすべて浄化できるほどの効果はないだろうが、自分の部屋の空気くらいは清潔を保つことができるだろう。
「驚いたな。ソロヴィってマジの天才なんだな」
「マジじゃない天才ってあるんですか?」
「例えばそうだな。効果は抜群なのに死ぬほど不味いポーションしか作れないとか」
「それ、リオンのポーションですか?」
「ちょっと! 二人とも私の悪口やめてよ!」
その後、錬金術師たちは調合室へと戻り、二人で遊び始めた。遊びといっても、何かの調合を一緒に考えるという高度な遊び。俺は見ているだけ。
「悪口だなんてそんな。薬剤ではリオンに及ばないわよ」
「思ったんだけど、ソロヴィって『古典派』だったよね? さっきみたいな薬の錬成はあっちで?」
「向こうでちょっと縁があって。まあ、趣味みたいなものね」
あれが趣味……。そういえばソロヴィが昔この街にいて、一時期出ていたらしいことは分かるが、どこで何をしていたのだろう。
「今のお勉強のメインは『再現』ね」
「もうそこまで進んだの? やっぱりソロヴィって天才だ……」
「リオンもちゃんと続ければ何でもできたでしょうに」
この辺りで二人が何を話しているのかが分からなくなってきた。
だが、普段何気なくリオンが錬金術をしているのも、ちゃんとした知識の土台があってのものだと再認識された。
「うん、これで完成かしら」
「いいね」
さっきから二人で、ああでもないこうでもないと言いながら何か作っていたが、それが完成したようだ。
「それはなんだ?」
「これはね、植物の栄養剤だよ」
「栄養剤?」
「これを与えると、植物がとんでもなく成長する」
「へー」
「だからこれを使えば、イチゴが食べ放題」
「そういうことか」
呆れつつも、それがあればつまり、家の裏に畑でも作れば自給自足生活ができるということなのではないか? なんて思ったが、そういうものでもないらしい。
「成長が早い分、死ぬのも早いと思いますけどね。たぶん、どうしようもなく枯れます」
「そうなんだ……」
だけど自分で育てていない、いわば「食べておいしい雑草」なら、増やすだけ増やして食べて、その後枯れてくれても俺たちにダメージはない。これはこれで、いい発明なのではないだろうか。
「あら、もうこんな時間」
「そういえば陽が傾いてきたね」
ソロヴィがそろそろお暇しようとしていると、リオンも見送りに行くと言い出した。ついでに薬を散布するのだとか。
「俺も行こう」
ちゃんと女性を送り届ける男アピールのために同行を申し出たものの、すぐに失敗だったかと思った。
「やっぱり調合室は落ち着くわ。まだ帰ったばかりで調合室がすっからかんだから、早く整えないと」
「そっか、家の調合室はあんまり使ってなかったんだっけ?」
「子供の頃使ってた器具くらいはあるけどね」
「そっかー。あ、ねえ、知ってる? 最近は魔法で作った時短材料で錬金できるってのが売られてるんだよ」
「古い研究にそういうのあったわね。使えるのかしら」
「割と高いから手が出ないでいるんだけど、実際どうなんだろうね」
彼女たちの錬金トークに俺は全くついていくことができず、無言で歩く時間だった。失敗した。そう思うのだが、一つだけ収穫があるとすれば、それはリオンの新しい一面を見ることができたことか。俺に対しては錬金術の話をしないが、本当はこういう話し相手が欲しかったのかも。
「それじゃあ、私たちは公園に向かうから、ソロヴィ、またね」
「ええ、またね」
そして踵を返しかけたとき、「タケシさん」と俺を呼ぶ声がした。
「ソロヴィ?」
「あの、えっと、その、また遊びにいいきますね。……タケシくん、またね」
そう言うとすぐに背を向けて歩き去っていった。俺の名前を呼ぶとき、彼女の顔が赤く見えたのは夕陽のせいか、それとも。
「タケシ、行こう?」
リオンと一緒に歩き出す。なぜか、今更になってリオンとの無言が重く感じて、俺はつい口を滑らせた。
「リオンにも友達がいたんだな」
「それはいくら何でも失礼なんじゃない!?」