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至高のアルケミスト  作者: いちのじ
第2話 冷たい錬金術
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第2話4節 緩やかな再起

 タケシは求心力を失った。

「…………さむい」


 買掛金を払いきれなかった商品が回収された。噂が広まるのは早いもので、不渡りが出そうだという不安が広まると、手形が戻り始めた。噂は魔物だ。信用をあっという間に食べつくす。私財を投げ打ってどうにか不渡りを出さないようにしたのだが、銀行までも取り立てを始めるともはや店も財産も失った。

 噂が真実を作ってしまった結果となった。


「…………さむい」


 店はもう別の経営者の手に渡り、別の店になっている。そして家も、借り入れの返済に充てるために売り払ってしまった。

 凍えないようにと体に古新聞を巻いて、風の当たりにくい路地で蹲っているのだが、寒さが身に染みる。俺の住んでいた日本とは気候が違うようで、毎日二〇センチ近い雪が積もっている。昼間に半分くらい溶けて、夜にまた積もる。

 俺は朝が来るたびに、こう思う。

 あぁ、まだ生きていたのか。


「…………さむい」


 目を閉じて眠ってしまえば、もしかして今夜こそは死ぬのではないかと思うのは、毎夜のことだ。寒さのせいでなかなか眠れないので、どちらかというと恐怖する時間の方が長いのも毎夜のことだった。

 温かいお風呂に、暖かいベッド。リオンやイア、それから他のスタッフたちと楽しく働いていたあの頃のことを今でも鮮明に思い出せる。あれを一代で築いたのは確かに俺だが、ここまで落ちてしまってはもう再起を図る気にもなれない。

 そろそろ死んでもいいのだが、死を目前にすると体が拒み始める。飢えが、渇きが、震えが、焦燥が、耳鳴りが、幻覚が……体はとりうる手段を駆使して俺に訴えかけるのだ。死にたくないと。


「…………さむい」


 衣食住のすべてを失った俺だが、たった一つだけ持ち物がある。それは錬金術師の杖だった。リオンに冷たくされた風邪の後、リオンに渡そうと思って買っておいたものだ。食べることもできないし、暖かくもなれない。それでも震える手でこれを持ち続けているのは、リオンへの未練だった。これを彼女に渡すんだ。そんな未練。

 血の巡りが悪化している。意識が途絶えそうになった時だった。


「…………タケシ?」


 懐かしい声がした。


「やっぱりタケシだよね? わ、すごい姿。大丈夫? 寒そうだよ?」

「あ、え……あぁ」


 うまく声が出なかった。

 目の前に現れたのは冬の姿をしたリオンだった。俺が最後に見た時の彼女よりもずっと質素な格好をしているが、コートにマフラー、タイツなど防寒対策はしっかりしていて暖かそうだ。


「た、タケシ?」


 声は出なかったが、涙なら出てきた。俺は思わずリオンに抱き着いていた。その柔らかくて温かい身体を、残る力で抱き寄せていた。


「あ、あああ、あああああああ!」

「ちょっと!? どうしたの急に!」


 一気に思い出が溢れてきて、俺は堪えきれなかった。溢れてきたのは思い出だけじゃなくて、その時の感情や、時が経った今になって思うこともそうだった。

 風邪を引いたあの日のことを鮮明に思い出していた。人は出来事そのものよりもその時に感じた気持ちの方を印象強く覚えているというが、本当のようだった。


 あの時、俺は寂しかったんだ。


 体調が悪くて、日本が懐かしくなって、弱っていたんだ。だからいつものように、リオンに優しくしてほしかった。でもしてくれなかった。どうしようもなかった。元の世界に帰ることもできなくて、この世界で生きていくのにはたくさんのエネルギーが必要で、辛くて、急に心細くなって、耐えきれずに心が壊れそうだった。リオンの他に頼れる誰かもいないから、自分が壊れないように俺は鎧を身に着けたんだ。エゴという名の鎧を。

 リオンはずるかった。リオンは「お金なんかなくても」と言ったが、それは俺もそう思っていた。誰かと一緒にって、それを望んでいた。でもリオンが優しくしてくれなかったから、俺は諦めた。リオンはひとりで、先にそれを手にしようとして、また俺を置いていこうとして、だから俺はリオンを拒絶した。

 そしたら俺はみんなに嫌われ始めて、こんな寒くて暗くて臭い路地に追いやられた。全部、リオンのせいだ。リオンが悪い。リオンが悪い。リオンが悪い。全部リオンのせいで…………全部、俺の独りよがりだ。


「実はちょっとだけ心配してたんだ。あれからタケシ、どうしたのかなって。私はずっと例の小屋にいたけど、タケシってば全然来ないし。また新しいビジネスでも始めてるのかなー、なんて思ったりもしたけど。あ、そうそう、あの小屋ね、ちゃんとした小屋に建て直したんだ。手持ちのお金じゃ少し足りなかったから、持ち物とか売っちゃったけどね」


 辛かった。苦しかった。寂しかった。言葉にしたい思いはあるのに、嗚咽がそれを邪魔していた。


「タケシってば、まったくもう。こんな姿になって」


 リオンの手が俺の頭を撫でた。ぼさぼさでフケと脂まみれの俺の髪を、優しく。


「どうする? うちに来る? お金は相変わらずないけど、私はお金なんかなくても平気だからさ。また一緒に、あの小屋で暮らしてもいいよ」


 情けなくてみっともない姿を晒して、そのうえ手を差し伸べてもらって家まで連れ帰ってもらい、介抱された。後にして思うと限りなく恥ずかしい思い出となった。

 でもそのことが、リオンへの愛着を深めたように思う。富も名誉も見る影もなく、砂上の楼閣のように消え去った。この世界に家族も気の置けない友人も居場所すらも持たない俺の手を、たったひとり、リオンだけがその小さな手で救い上げてくれた。




「どう? 温まるでしょ?」


 リオンにもらったキャンディ、その名も「サンサンキャンディ」を嘗めると、たちどころに体が温まってしまった。ぽっかぽかに。それを嘗めさせた彼女は次に、行水を勧めてきた。


「大丈夫だって。今なら素っ裸で氷の浮いてる湖に飛び込んでも死なないから」

「…………」


 やってみると本当に死ななかった。むしろ涼しくて気持ちいくらいだった。そうして体を綺麗にした俺はリオンに訊いてみた。


「なあ、どうして俺を路地で拾ってくれたんだ? 普通なら見捨てるよな?」

「うん。普通なら見捨てるね」

「あ、あっさりと言うなぁ……」

「でもタケシさ、あんなにがんばってくれたのって、私のためでしょ?」

「…………」

「後で気づいたんだけど、私の借金全部返してくれてたそうじゃない。私にはあんなにたくさんお金をくれて、借金まで返してくれて。あれだけお金を稼いだのも、全部私のためだったんでしょ?」

「いや、まあ、そういや返したような」

「それからこれも」


 俺が大事に抱えていた杖は今、リオンの手元にある。やはり彼女の元にあってこそ、杖は杖として輝く。


「……べ、べべべ、別にリオンのためなんかじゃないんだからね!」

「なんでツンデレ?」


 一瞬だけ呆れた顔をしたリオンだが、またいつもの表情で言った。


「私はその恩を忘れるような恥知らずじゃないよ。それに……」

「それに?」

「タケシと一緒がいいから……」

「え、それって……」

「べ、べべべ、別にタケシと一緒にいたいってことじゃないんだからね! ただ、ひとりより幾分かマシというか、そんな深い意味はないんだから! 勘違いしないでよね!」

「なんでツンデレ?」


 ともかくこうして、俺とリオンはまた小屋で暮らすことになった。


「それで、これからどうする?」

「どうする? ……ってのはどういう?」

「冬は野生の食糧がなかなか採れないの。だからどうやって生き抜いていくかを考えないといけないんだけど」

「え?」

「お金もない。食料もない。だけどタケシはそんな状態でどうにか生きていたでしょ? だからタケシと一緒ならどうにか冬を越えられると思ったのよ。さ! まずは何をしたらいい!?」

「…………それじゃあまず、率直な意見なんだが」

「うん?」

「拾われる相手を間違えた」

「ん? いま、なんて?」


 どうやらこれは、面倒見のいい女性に拾われて暖かい食事にありつけるなんて、そんなうまい話ではないらしい。


「えっと、私はとりあえず、枯れ枝とかを食べて飢えをしのぐ予定なんだけど、当面はそれでいい?」


 枝……。街にいた時は残飯を漁ったものだが、それでもまだ立派に食べ物だった。それがどうだ。昔なじみの女性に拾われたら、枝って。虫か。俺はシロアリか何かなのか。


「……仕方ねぇ。それならまず、せめて食べておいしい枝を探すぞ。一緒に行こう」

「了解!」


 だったらやってやる。もともと裸一貫、店を立ち上げて成り上った男だ。冬を越えるくらいやってやる。

 リオンがいるなら、それも可能な気がしていた。


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