前兆
中庭会議の後、あの日の深夜に聞いた虫の鳴き声に違和感を覚えた私達は、連日ログインしてホワイトランス周辺を調べてみたが、虫の鳴き声が聞こえてくる事はなかった。
「金曜日の18時〜22時 異常なし、っと」
沙耶はメニューを開き今日の調査内容を記録する。
「明日は休みだから、深夜の調査を試してみよっか」
この数日で調査したのは主に下校してから寝るまでの時間。
深夜の調査はまだおこなっていない。村人Cさんが声を聞いた話や、私達が虫の鳴き声のようなものを聞いた時間帯を考えると、やはり深夜に調査したほうが怪奇現象に遭遇する可能性は高いと思われる。他にも月の満ち欠け等を考慮してもいいかもしれない。
「マリ、どう思う? 私達が探しているのはモンスターか、それともただの虫か」
「私達の知らない間に小さな虫が実装されて、ただそこに存在しているだけならいいけど……モンスターだとしたら、なんでこんな町中にいたのかが気になるね」
ホワイトランスを根城にしているとしたら、周りがPCだらけのスノートリトンはモンスターにとってはリスクが高すぎる。
例えば現実世界のように開拓が進んでいき、行き場をなくした生物が人里に下りて来るのならば理解出来る。
だがNWはまだまだ緑豊かな未開拓地に溢れているし、人口密度も濃くはない。ならば、なんらかの目的があって下りてきた?
いや、やめよう。なんだか不気味に思えてきて私は思考を停止する。そもそも何がいるかもわからない状態なのだ。まずは正体を突き止めなければならない。
◇
翌日は0時からログインし、しばらくホワイトランス周辺で様子を見てみる。今日の面子は私、沙耶、会長、双海さん、ハナビちゃんの5人。
明日が休日という事もあり、スノートリトンはまだ人で溢れかえっているので、人が捌けるまではウィンドショッピングやスノートリトン周辺で狩りをしながら時間を潰した。
「双海ちゃん、それ何に使うの?」
沙耶が指をさしたのは双海さんが持っているアイテム。
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた。これは防衛ダンボールのダンボーさん!」
「ダンボ…?」
「ダンボーさん! "さん"をつけなさい! さんを!」
「で、そのダンボーさんをどうするの?」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた」
「その前フリもういいから」
「ダンボーさんは本来は町や家の防衛用に使われるけど、普通のフィールドバトルでも使い道はあるのだよ」
「へぇ……」
「まずはこの畳まれた状態のダンボーさんを床に置く、するとダンボーさんは自動で展開する!」
双海さんが手に持っていたダンボーさんを地面に置くと、ダンボーさんは折り畳まれた状態からパタパタと音を立てながらL字型に開いていき、ダンボールの壁が出現する。
壁と言ってもガードレール程の高さで、到底敵の侵入を防げるようには見えないのだが。
「そしたらスズ、ジャガイモ貸して」
「ジャガイモ? 持ってませんわよ」
「ネズミだよネズミ。スズの頭に乗ってるそのネズミ」
「この子はジャガイモではなくジャガミですわ!」
「そうジャガミ! ジャガミ貸して」
「まったく、一体何が始まるのです」
双海さんは会長の頭に乗っていたジャガミを抱きかかえるとダンボーさんの前に降ろす。
「よし、ジャガミ。あのダンボーさんに思いきり体当たりだ!」
まるでモンスタートレーナーのようにジャガミに指示を出す双海さん。
しかし、やはりと言うべきか当然と言うべきか、ジャガミは双海さんの指示を聞かない。視線も合わさない。そしてテクテク歩いて双海さんの後ろに回り込む。
「くぅ、さすがジャガミ! 一筋縄じゃいかないなぁってうわぁああわぁん!!」
突如叫び出した双海さん。
話している最中に背後からジャガミにタックルをくらい、体が押し出されて綺麗にすっ転んでダンボーさんへと突っ込んでいった。
「イタタ、助けて神崎さ〜ん」
「何してるの〜、もぉ〜」
私は双海さんを起こそうと体を軽く引っ張る。しかし、どういう事か双海さんの体はピクリともしない。その体はダンボーさんにピタッとくっついて離れないのだ。
「あれ? なんで」
「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれた。実はこれ、接触した対象をしばらく拘束するトラップなのだよ」
「そうなんだ。いつまでこのままなの?」
「ダンボーさんが壊れるまで!」
「ええ……せっかく買ったのになんで使っちゃったの。壊したら使えなくなっちゃうんでしょ?」
「ふっふっふ、予備はいっぱいあるのだよ」
「そんなに買ったの? 拘束系トラップって結構高いんじゃ」
「いや、それがこれを売ってくれた人はお金に困ってるからって、とにかく手元にある商品を捌きたくてバーゲン状態だったよ。そこから更に値切ったし。なんでも幽霊を撃退する防衛グッズを購入しすぎて武器も食事も買えない状態になったらしくてさ」
……絶対に村人Cさんだ。
「ほら、相手が虫ならダンボーさんの粘着力で軽々捕獲出来るかもしれないでしょ?」
「ああ、そのために双海ちゃんはダンボーさんを買ったのね。ていうか壊すわよ、ダンボーさん」
沙耶は剣を抜いてダンボーさんに攻撃をして耐久値を削りとる。
するとダンボーさんは消滅して双海さんは解放された。
沙耶の斬撃で2回ほどアタックして壊れたのを見ると純粋なアタッカーの攻撃ならば一撃だろうか。耐久値はそこまで高くないようだ。
拘束したモンスターが暴れたら数秒、もしくは数十秒で壊れてしまうだろう。だがその数秒間は一方的に攻撃出来る事を考えるとかなり便利なトラップと言える。
もしも鳴き声の主がモンスターならば、相手を追い込む手段は多いほうがいい。どんな状況にも対応出来る備えが必要なことを考えるとダンボーさんの存在はありがたい。
「ちなみに別のトラップもある! この爆弾は【ビッグバン】」
「ば、バクダン? なんでそんな物まで」
「実はこの爆弾、あまりにも威力が強すぎて敵味方を無差別に吹き飛ばすうえに、地形ごと破壊するから地面がえぐれたりして、なかなか使いどころがなかったらしい。だからダンボーさん買ったら、オマケで残り全部くれた」
「絶対使わないでよ!? スノートリトンの街並を破壊したらシャレにならないから! 指名手配されるから!!」
◇
「さて、今日の班分けは?」
時刻は二時を回り、ようやくスノートリトンにも静寂が訪れると、双海さんが沙耶に問う。
「そうね。私とリンが待機。マリ、双海ちゃん、ハナビで前回と同じルートを回って確かめてみて」
「うん、わかった。今日はたいまつも持ってきたから前回よりは視界がいいはず」
「ほう、つまり神崎さんがそのたいまつの明かりで虫モンスターを私のダンボーさんまで誘導すれば……名案!」
「そんなに上手くいくかなぁ」
「いくいく! 相手は虫なんだから本能で明かりに近付いてくるよ」
「いやでもこれ火だし、むしろ逃げるんじゃ……あ、でも飛んで火に入る夏の虫ってそういう意味か」
ならば虫系のモンスターに試す価値はあるかもしれない。
◇
「ハナビちゃん、暗いから私から離れないようにね」
「マリお母様、ハナビはそこまで子供ではありません」
「相変わらず親バカだなぁ、神崎さんは」
「い、いいじゃん! 何があるかわからないし……とにかく警戒は怠らないように!」
「わかりました。あ、マリお母様、足元に気をつけてください」
「へ? うわぁ!」
何かに躓いた私は前のめりに倒れてしまう。
「ぷっ、あはは! 神崎さんの方が子供みたい」
「ぐぬぬ、一体なにが……へっ?」
私は何かに足を引っ掛けて転んだ。
大きめ石か、それとも段差? 何かしらのオブジェクトに接触したのは間違いない。
私はそれを確かめようと、たいまつで足元を照らした。
しかし、そこにあったのは石でもなければ段差でもなかった。
最初は太めの木の枝かと思った。しかしその物体は木の色とは違う、少し薄い色をしている。いや、樹皮が剥がれたらこんな色になるのかもしれない。
長さは40センチほど、その先端は綺麗に5分割に枝分かれしている。
理解が追いついた時には咄嗟にその物体から離れ、辺りを警戒する。
何故、こんなものが町中に落ちているか。
何故、切り離されても消えずに残っているのか。
何故、人の腕が、こんな場所に落ちているんだ。




