深海の檻
トリデンテに戻り、私はバブルドロップを人数分クラフトして海底神殿にいく準備を整えた。
「何があるかわらないから、貴重品は持っていかないほうがいいかもね」
イヴさんからメールの返信がないことを再度確認しながら沙耶が言う。執行者との戦い以降は安定した戦闘しかしていなかったので、デスペナによるアイテムロストへの危機感が薄かったかもしれない。
「確かに、さっきのバブルハンマーみたいのは、もう懲り懲り」
1度に100匹ものサメを相手に戦うなんて事、この先の人生で2度と……いや、この世界でならあり得るか。
そもそも1度に100匹なんて表示したら、普通のゲームならば間違いなく処理落ちしてしまうだろう。無茶しすぎだよ、NW社。
「さてと…じゃあ、イヴさんの捜索&ヒビキの記憶奪還作戦といきますか」
身支度を終えた沙耶が、拳を天に突き上げながらポーズを取る。それに対して私、会長、ヒビキの3人も「おー!」という掛け声で応え、最後にヴォイスの遠吠えがトリデンテの空に響き渡り、私達は再び広大な海へと船を出した。
◇
海底神殿があるとされる付近に船を止めて、バブルドロップを使用する。すると、私達を巨大な泡が包み込む。
「うわ~、これもまた素敵だね」
それはまるでシャボン玉の中に入ってるようで、メルヘンチックな雰囲気に包まれた私はどこまでも飛んでいけそうな気分になる。…なんて、実際は飛ぶわけじゃなく潜るんだけど。
先程、水中で見た景色に感動したばかりだが、またひとつ素敵な物との出会いに引き合わせてくれたNWに感謝する。ゲームを始めてから2ヶ月近くになるが、まだまだ私の知らないNWがいっぱい存在しているんだって実感した。
私達は、そのままどんどん水中に沈んでいき、優雅に泳ぐ魚達の景色を観賞しながら海の底に着いた。
「見て、あれじゃない?」
沙耶が指をさした先には、石造りの立派な神殿が大きな口を開けて、そこにそびえ立っていた。
◇
『ここに、ウチの記憶が…』
神殿の入り口に立ち、ヒビキは私達に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でボソッと呟いた。自分の知らない記憶がある…今の自分が本当に自分なのか不安に感じているのかもしれない。
以前、ロストメモリーズ事件で記憶を抜き取られた私も、こんな風に不安になったから。ましてや、ヒビキは記憶の大部分がないのだ。その不安は計り知れない。
でも、私には沙耶がいたから、沙耶が側にいてくれたから、不安も安心に変えてくれるくらい心強かった。沙耶からもらった暖かさを、今度は私がヒビキに伝えよう。
「ヒビキ、私達が一緒にいる!だから、大丈夫!」
『マリっち……』
私が、不安という暗闇から、希望を照らす光になるんだ。
『マリっちが言っても、なんか頼りないナ』
「ええ……」
かっこよく決めたつもりなんだけど、私じゃ決まらないか。でも、ヒビキは笑顔になって『ありがとう』と言ってくれた。それだけで私の想いは十分伝わったんだってわかる。だから、大丈夫。
◇
「通路は結構狭いですわね」
海底神殿に入って、しばらく歩いたが通路は二人が横に並んで歩くのが限界、というくらいの狭さだった。いくつか分かれ道があったり、行き止まりがあったり、まるで迷路のような構造をしている。
「予め、何かを隠すために作られた施設だったりして」
みんなの盾となるべくPTの戦闘に立つ沙耶が、こちらを振り返りながら言う。
何かを隠す…アイテムを?いや、記憶を…?ならば、ここはNW社にとっての最重要施設のひとつになるのではないだろうか。
「う~ん、そのわりには警備が薄いような?」
沙耶の後ろを三歩下がって付いて歩く私が答える。海底神殿に潜入してから歩くこと10分、その間、私達の前に立ちはだかったのはカニの雑魚モンスターが2匹、たったのそれだけだった。
ちなみに三歩下がって歩くのは、別に大和撫子を気取ってるわけじゃない。沙耶の横を歩きたいのに、「前に出ると危ないから少し下がって」と言われてしまった。バブルハンマーとの戦闘で、私を守れずに戦闘不能にさせてしまった事を悔いているらしい。
私は別に気にしてないのに、沙耶ったら本当に私を守ってくれる騎士様みたい。
『……これはサーヤっちの事を考えている顔だな』
「えっ?」
ヴォイスを頭の上に乗せながら私の横を飛んでいたヒビキが覗き込みながら言う。
『だらしない顔してる時のマリっちは、9割サーヤっちの事を考えている』
沙耶の事を考えると顔に出るっていうのは、なんとなく自覚あったけど、まだ付き合いの短いヒビキにまで見破られるとは…。
『って、リンっちが言ってた』
ガクッと、うなだれる。
「そういうことですか」と、後ろの会長を見ると「なんのことかしら」と目をそらした。
そんなにだらしない顔してるかなぁ……。
じゃあ、沙耶が私の事を考えている時は、どんな顔してるんだろう?と、沙耶のほうをチラッと見る。しかし後ろからなので沙耶の表情はよくわからなかった。
だから、沙耶の横に並んで歩きたかったのに。
◇
その後もモンスターを倒しながら海底神殿をどんどん先に進んでいく。途中いくつかの部屋があったけど、中にはモンスターがいるだけで、イヴさんやヒビキの記憶の手掛かりになりそうな物は見当たらなかった。
「少しずつモンスターの強さも数も増えてきたね」
水中の中で弓が機能しないので、私は大鎌モードで敵を刈り取っていく。弓に比べると使う頻度は少ないけど、それなりに付き合いの長い武器なので、だんだんと接近戦もこなせるようになってきた。敵と距離をとっての弓とは違った楽しさがある。
「……大鎌のスキルも、いくつか習得しておこうかな」
「そういえば、マリってマルチウェポンを手に入れたのに弓で戦う事が多いね」
「う、うん。恐竜狩るゲームで近接武器振り回して、味方もろともぶっ飛ばして凄く怒られたトラウマがあって…」
そのシーンを想像したのだろうか、沙耶は必死に笑いを堪えている。顔を逸らして隠してるけど、バレバレなんだから…。
「笑わないでよ」
「笑ってないってば……ププッ」
「もぉ~!」
◇
海底神殿に入ってから一時間くらい歩き、迷いに迷ってようやく辿り着いた場所には、他とは明らかに違う巨大な扉があった。
「いかにもボスがいますって感じの扉だね」
先頭で突入する沙耶は、会長に防御上昇魔法の【プロテクトスキン】をかけてもらい、私は【トリデンテ風 野菜炒め】でステータスを上昇させる。ヒビキとヴォイスは安全第一を心掛けてもらい、準備を整えて一気に扉の中に突入した。
「さぁ、かかってきなさい!」
勢い良く突入した私達だったが、突入した部屋はとてつもなく広く、例えるなら学校の体育館のような空間だった。
「何もいませんわね…?」
だだっ広い空間を見渡すが、モンスターの姿はない。巨大なモンスターでもいるのかと思って突入したので少々期待ハズレといった思いだ。
『おい、奥のほうに何かあるゾ』
ヒビキが指差した方角には、何か箱のような物があった。なんだろう?と思って近付いていくと、箱だと思った物の正体が見えてくる。
「檻?」
なんで檻が?と思って私は更に近付いていくと、中に人影が見えた。
「……イヴさん?」
檻の中にいるのは、まぎれもなくイヴさんだった。目を閉じて横たわり、ぐったりしている様子で動かない。
「イヴさん!イヴさん!どうしましたの!?」
イヴさんの信奉者である会長が取り乱して檻に掴みかかり、大声でイヴさんの名前を叫ぶ。しかし、イヴさんに気をとられていた私達は後ろから来る攻撃に気付かなかった。
エンゼルケアの【ライトニングランス】→リンに899のダメージ
リンに麻痺の効果
イヴさんを助けだそうと試行錯誤していた会長に、電撃の槍が無数に直撃し、更に会長の上からイヴさんが囚われていた檻と同じ物が下りてきて会長も囚われてしまう。
「邪魔をしないでもらおうか」
後ろから野太い声がして急いで振り返る。
「だれっ!?」
私達が振り返って、姿を確認すると、そこには赤い鎧に黒いマントを装備した無精髭のオジサンが立っている……本当に誰だ。
「イヴを拘束しておけば安心かと思ったが、まさか仲間がいたとはな」
オジサンは私達の顔をひとりひとり順番に確認していく。私、会長、沙耶……そしてヒビキの顔を見たところで、オジサンの動きがピタリと止まる。大きく目を開いて、何故?といった表情をしている。
「ヒビキ…なのか?何故ここに来た…おまえは…」
『あん?誰だよオッサン』
反抗期の子供のような態度でヒビキが答える。オジサンが放つ嫌な人オーラも相まって、いつにも増して口が悪い。
「こいつらが…連れてきたのか。おまえ達がヒビキを!」
このオジサンが何故怒っているのかは謎だけど、友好的な態度じゃないのはよくわかる。私が武器を構えると、沙耶は私を庇うように前に出て陣形を整える。
「イヴさんを檻に閉じ込めたのはアンタ?」
「だとしたら?」
「わかるでしょ。解放して」
オジサンを睨み付けながら言い放つが、返事の代わりに電撃が飛んできた。
エンゼルケアは【ライトニングランス】を発動→サーヤに320のダメージ
「わかるだろ。解放するわけないと」
「ッ!……理由くらい教えなさいよ」
バカにして!と言いたげな顔をして沙耶が更に問いかける。
「ヒビキに関わるからだ。お前達も未来永劫この水中監獄に閉じ込めてやろうか」
ログを見るにエンゼルケアというのがオジサンの名前らしい。エンゼルケア……?なんだっけ、聞いたことがある単語だけど思い出せない。思い出せないのなら私にとっては関わりの薄いジャンルの用語なのだろう。
「意味わからないんだけど?アンタはヒビキの何なのよ」
しかし、またしてもオジサンは返事の代わりに沙耶を目掛けて攻撃を仕掛ける。沙耶は攻撃を受け止めるも、衝撃で後方へ吹き飛んでしまう。
「話ぐらい――」
沙耶が言い終わる前に、私は【縮地】でオジサンとの距離を詰めて、デスサイズを思い切り振りかざす。
「沙耶は話をしてるんだ!攻撃をしないで!」
今度は私の攻撃でオジサンが後ろに吹き飛んだ。
「くっ、言ってる事とやってるが矛盾してるだろ。このガキが」
沙耶に対してあまりにも失礼な対応をされて、ちょっと頭に血がのぼり、手が出てしまった……けど、後悔はしてない。
オジサンは話をする気は全くありませんといった様子で武器を構える。オジサンの武器は槍か…リーチ的には私の大鎌と変わりない。沙耶は再び私の前に立って構え、私も攻撃態勢を崩さない。
『ウチもいるぞ、おっさん!』
私達を相手に身構えていたオジサンは、ヒビキから強烈な飛び蹴りをお見舞いされる。
「ヒビキ!何をするんだ…私がわからないか」
『わからないって言ってるだろ。しつこいゾ』
ヒビキに対してだけ明らかに態度が違うのは何故だろう。とにかく、この人がヒビキの記憶に関係してるのは明白だ、なんとかして聞き出さないと。
「オジサン、ヒビキについて知っているなら教えてください。お願いします!」
「何度も言わすな。これ以上、ヒビキに関わらないでくれ」
言い終わるとオジサンはスキルを発動する。
「深海に囚われろ【ディープ・シー・ゲージ】!」
すると、私達の頭上にも檻が現れる。これがさっき会長を閉じ込めた檻か!
とっさに回避するも、回避した先にまた檻が降り注ぎ、沙耶と一緒にあえなく閉じ込めたられてしまう。
「くっ、なんなの!この檻!」
沙耶は持っていた剣で斬りかかるがびくともしない。私もスキルを使って檻を攻撃しようと試みるが、おかしな事にスキルが使えない。
「特殊効果…?」
「その檻は捕らえたものを無力化し、私がよしとするまで永久に脱出が出来ないスキルだよ」
「趣味が悪いわね。女の子を捕らえて何するつもり?」
沙耶がオジサンに軽蔑の眼差しを向けて威嚇する。こんなスキルは普通ではありえない物だ。つまり、Nos.とみて間違いないだろう。どんな想いで発現させたかはわからないが【拘束】のスキルは私達を完全に無力化してしまった。
『おい、やめろ!マリっち達を離せ』
「それは出来ない。ヒビキ、すぐにルーティンを組んでやるから待っていろ」
『このジジイ…!』




