死を乗り越えて
限界だった。
全速力で走れるほどの体力は最早なくすぐにでも倒れてしまいたかったが、それは隣で走っているミィも同じだったようで、歩くのと同じくらいまでゆっくりになっている。
「も、もう、大丈夫みたい、にゃ」
途切れ途切れの言葉に地へと両手両膝をつき、唾を吐き出す。
大丈夫と言った本人も、湿り気のある大地に大の字で横たわっている。
「み、ミィ、大丈夫か?」
二つの激しい吐息だけがここに存在している。
「ひぃ、ひぃ、だ、大丈夫、大丈夫にゃ。
でも、少しだけ、待ってくれないか、にゃ」
「オレの台詞だよ、それは」
静かな時の中、お互いがお互いの息が整うのを待っていた。
「これだけ走れば、あと少しで湿原を出られると思うが」
必死だったおかげで真っ直ぐ西へと向かえてはいないと思うが、それでも出られる位の距離は稼いでいるはず。
「だとイイにゃ。
それよりも、ジェスタはどうするにゃ?」
「見捨てるわけではないが、このまま湿原を抜ける」
「それって、見捨てるんじゃ……」
「いや、もし逃げたんならオレ達まで引き返すことはできない。
逃げたのではなく、囮になるつもりでの行動なら、それこそ助けに行ったらオレが怒られてしまう。
親友だからこそ、あいつの意思を尊重したいんだ」
そう、ジェスタの行動、気持ちを無駄にしない為にも進まなければならない。
「分かったにゃ。
わたしたちは先へ進むんだにゃ」
そういうことだと立ち上がりミィに手を差し伸べると、掴まり重くなった腰を上げた。
「さぁ、行こうか。
ここにいるのは危険すぎるからな」
灯りもなしに、魔獣のいるところを抜けて行かねばならなくなった。
秘術で光を創ってもらってもいいが、それで魔獣に気づかれても仕方ないと、二人付かず離れずの距離を保ち慎重に進んでいく。
「ん?
何か踏んだ?」
この辺りに木々はないが、何か木の棒でも踏んだかの感触があった。
「これは、骨か?」
じっくり地面を窺うと人骨らしきものが無数に転がり、近くには槍や錆びた湾曲刀といった武器の類も落ちている。
「まずいにゃ。
こんな場所でこんなのがあるのは。
急ご、レイヴ」
「なんでだ、どうして?」
よく分からないまま早足になるミィについて行くが、一向に骨が無くならない。
と思った矢先、乾いた音が周囲に響き渡る。
「囲まれるにゃ、急いで!」
走ろうかとしたが、どうやら遅かった。
乾いた音の正体が無数に取り囲んでいる。
「なんで骨が!?」
周囲の骨が集まり人間の形を成し、手と呼べる部分には思い思いの武器を持っている。
「これは骨魔人にゃ。
知能も何も持たない、魔力だけで動く人形みたいなものにゃ。
生きてる者の皮を、肉を削いで仲間を増やすだけの下等な魔人だけど、こうも数が多いと相手にしてられないにゃ」
過去にこの地で命を落とした者達の成れの果てとでもいうべきか。
「どうする?
こいつらを退ける方法はあるのか?」
「動き自体はゆっくりだから突破はできると思うけど、術とか破壊的な武器じゃないと。
わたしの術も爪もこいつらには役に立たないにゃ」
言ってるそばから、骨の軋む音を出しながら輪を狭めてきている。
「魔弾で爆発を起こせるのは三発。
ミィ、オレが切り開く!
正面突破でいくぞ!」
ミィの走り出す構えを確認し、爆発の魔弾【爆弾】を目の前の集団に放つと、爆発した一角だけ骨魔人が吹き消し飛んだ。
「行くにゃっ!」
掛け声と共に駆け抜けるミィを追う。
右左から来る攻撃を避け、輪を抜けた直後に振り返るともう一度魔弾を放つ。
「行くぞ、急げミィ」
疲れが抜けきっていないミィを追い越し先導するが、草がなくなり今までより確実にぬかるんでいる感じに嫌な予感がした。
「ミィ、止まれ!
それ以上来るな!」
立ち止まったことで分かった。
ゆっくりとではあるが、確実に沈んでいる。
「どうしたんだにゃ!?」
立ち止まったことが失敗だったらしい。
今や戻ろうにも一歩踏み出すのが精一杯なほどに泥濘にはまっている。
「底なし沼だ、こっちへ来るな!
立ち止まらず草に沿って迂回しろ!」
「でも、骨魔人も迫って来てるのに置いてけないにゃ!」
「オレのことはいいから、早く行け!
なんとかする!」
それでも置いて行けないと、出会ったばかりなのに心配してくれるのは嬉しいが、二人ともこんなところで目的も果たせなくなるのはあってはならない。
それに、オレの代わりにミィの力になってくれる人は他にもいるはず、ミィだけでも行かせなければ。
「ミィ、湿原を出ろ!
後から行く。
だからっ!
頼む、お願いだっ!」
肩を震わせているのがぼんやりと見える。
「わかった、わかったにゃ。
でも、すぐ来てよ。
ママのところに――ママのところに一緒に行くんだからにゃっ!」
「ありがとうな、ミィ……」
霧の中、シルエットが見えなくなったのを確認できたことで少し安心したのも束の間、別の影が無数の音と共に姿を現す。
「こいつら、まだっ!」
膝まで浸かっている沼の泥を抜け出すにはあと三歩ほどだが、辿り着く手前で確実に骨魔人の餌食になるだろう。
【爆弾】もあと一発、今使ったところで抜け出た直後の手が何も残っていない。
「くそっ!
くそっ!
こんなところで」
ようやく一歩踏み出せたが、何体かの影が武器を構えてオレを狙っているのが分かる。
「えぇい!
これで終わりだっ!
どうとでもなれ!」
次を踏み出すよりも蹴散らすことを選択した。
最後の悪あがきというやつだ。
銃の勢いで太ももまで埋まり、泥の中で少しづつ前進するのが精一杯になっている。
「ここで、これで終わりか。
ごめんな、ミィ。
約束、守れなくって」
あと一歩で沼と大地の境目に手が届くというのに、無念で仕方ない。
それは、あと僅かのところで命を落とすことよりも、約束を守れなかったことが何よりだった。
「あぁ、もう疲れたな。
いろんなことが有り過ぎた」
腰まで浸かり動こうともせず諦めていると、霧の中から人間の手が伸びてきた。
「掴まれ、レイヴ!」
聞き覚えのある声で我に返り、しっかりとその手を握った。
「ジェスタ?
まさか、ジェスタなのか!?」
伸びた腕から血の匂いがしているが、この手の感触、子供の頃からの友人に間違いなかった。
「やっと、やっと戻ってきたぜ。
ほら、もう少しだ」
「お前……怪我してんのか?」
「大したことはねぇよ、ただ少しばかり血が出てるだけさ」
引っ張られ近づくと、いたる所から鮮血しているのが分かった。
「そんな傷で――オレに構わずここを出るんだ!
外にはミィが待っているはずだ!」
「お前を置いて行くなんて出来るわけねぇだろ?
オレが勝手についてきてんだからよ」
「ジェスタ……」
胸に込み上げるものを感じ、気力を振り絞ろうとしたときだった。
ジェスタの背後に忍び寄る影が見えたのは。
「ぐぅぅ、ぐほっ」
寝そべったジェスタは背中から槍で突き刺され、口から大量に吐血している。
「ジェスタぁぁぁ!!」
握っている手に力が入りジェスタを引っ張りそうになったが、それよりも力強く握り返され、オレを引き上げようとしている。
「う、うぐぉっ。
レ、レイヴ、もう、少し。
もう少しだっ」
「おまえらぁ!」
足を泥から抜き一歩踏み出し大地に手をかけると、後は己の力で出ることができた。
しかし、ジェスタは意識がないのか、微動だにしていない。
「うおぉぉぉ!」
足元に転がっている棍棒とジェスタの短剣を手に、周りを囲む残り数体の骨魔人へ突進した。
無我夢中で振り回し幾度か斬られ傷を負うが、全く痛みは感じなかった。
「はぁ、はぁ、はぁ。
ジェスタ、ジェスタ!」
近場にいた骨魔人を全て排除しジェスタの元に駆け寄り声をかけると、ゆっくりと顔を上げ虚ろな目をし何か訴えようとしていた。
「オレの……体から、抜いてくんねぇか」
耳を近づけ弱弱しい声を聞き取り、望み通り体に突き刺さっている槍を引き抜こうとすると、苦しそうな声が聞こえる。
しかし、見るからに致命傷なジェスタの頼みを無視することはできず、心を鬼にするとゆっくりと引き抜いていく。
「ジェスタ、抜いてやったぞ……」
膝の上に抱え、手を握りしめると笑顔を見せてくれた。
「あ……りがとう……な。
レイヴ……お、お前の顔……よく、見え……ねぇ」
言葉もままならなくなり、握る手にも力がまるで感じない。
「それは夜だし霧の中だからだ……ジェスタ、ありがとうな」
「何を……改まって……」
「お前は、英雄だよ。
世界の英雄ではないかも知れないが、オレの命を救った英雄だよ」
目頭が熱くなるが、ジェスタに気づかせまいと必死にこらえる。
ここで泣いてしまったら、安らかに逝けない気がするからだ。
「そう……か。
お前だけの……英雄……ってのも……悪く……ねぇな。
へへっ、オレは…………ついに」
「あぁ、そうだ。
命を引き換えに、友を救い出した英雄だ」
「レイヴ…………。
お前を助ける……ので……疲れちまったよ。
少し…………眠らせて……くれ。
なぁ…………」
「あぁ、いいとも。
ゆっくり……ゆっくり休んでくれ、ジェスタ」
ゆっくり目を閉じると、同時に呼吸がなくなっていた。
夜霧の中、冷たくなった友の名を何度も呟くと、とめどなく涙が溢れ出した。
流れ出た涙の一粒一粒に思い出が詰まっているのか、友と過ごした懐かしい日々が次から次へと甦ってくる。
ひとしきり流した涙を拭うと、強い意志が心にあった。
オレを救う為に命を賭した友の為に、この命無駄にはできないのだと。
そして、そんな友の亡骸をこんな場所にはおいて行けない。
ジェスタを抱きかかえ、ミィの後を追うように走り去った方へと足を向ける。
待っていなければ、追いつくのは相当あとになりそうだと思いながら、草のある地を確認しつつ沼に沿っていると、若干だが霧が薄くなっている箇所が見える。
頭の中にある地図と状況から判断すると、そこが湿原との境目だと思われた。
予想通り、霧はなくなり湿原の終わりに辿り着くと、
そこには祈るように手を組み、涙を流しながらも笑顔のミィが出迎えてくれた。
「そっか……ジェスタが。
彼は真の英雄になったんだにゃ。
ねぇ、レイヴ。
ジェスタはわたしに弔わせてくれないかにゃ?
次はわたしが守ってあげるにゃ」
「あぁ。
べつに構わないが、どうやって?」
優しく穏やかな顔をすると静かに目を閉じ、聞き慣れない言葉を連ね始めた。
今までの術とは違い腕を大きく広げ、空と大地を指差し円を描くと光の輪が現れ、横たわるジェスタを包むと体が光を纏い始めた。
その光景はまさに神々しく、神とはこういうものなのかと想像を掻き立てられる。
光を纏った体はやがて土の中へと沈み、一筋の光の柱が空へと伸びていき、それが消えると爽やかな風が通り抜けていった。
「これでジェスタの体も魂も、魔に侵されることはないにゃ」
「そうか、ありがとう。
ジェスタがいたら何て言ってただろうなぁ……。
こういった術があるのなら命なんて惜しくない。
なんて言うんだろうな、あいつなら。
きっと」
いつだってそんな想いで皆を助けていたのだろうと、居なくなって改めて想いの重みが伝わってくる。
この想いはオレが引き継いでいく証にと、ジェスタの眠る上に形見の短剣を墓石代わりにし、オレの腕輪を短剣の握りに掛けた。
「レイヴ、大丈夫かにゃ?
わたしのせいで友達が、大切な友達が。
レイヴだっていつ何が起こるか分からないにゃ、わたしと一緒にいたら。
だから……」
「だから、オレには帰れって?
冗談言うなよ。
ジェスタの想いは、意思は、オレが引き継いでいく。
勝手について行ってミィを助けるってのもな」
「レイヴ……」
「それにだ。
オレの爺さんが言っててな、オレがミィと旅に出ることが重要なんだって。
だから、目的を果たすまでは一緒に行くってワケだから、次からは帰れなんて言わないでくれよな。
仲間だと思ってるんだから」
「ありがとう、レイヴ。
もう、そんなことは思わないし、言わないにゃ。
わたしも仲間だと思うから。
だから、一緒に来てくれる?」
「もちろんだ。
絶対にお母さんに会わせてやるからな、それまで頑張ろうぜ」
瞳を潤わせ目じりを下げているミィの頭を撫でながら空を見上げ『オレが守っていくから安心してくれ』と小声で呟く。
ミィへの誓いと共にジェスタへの別れの言葉でもあった。
そして、日が昇り始めると目の前にある森からは何かを告げるかのように鳥たちのさえずりが聞こえ、勢いよく飛び立って行った。