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元気じゃろうであろう  作者: 緑川太陽
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元気じゃろうであろう (2)

私としては、病院というものとまったくつきあわない人生だったらどうなっていたかなとも思う。

多くの人は病院とは無縁というものかもしれない。でも、体のことその他もろもろの相談したいことがあったら、どこに行くかが問題だ。具合が悪くなれば、やはり病院へと出向くものだろう。

私は、今となってはもう取り戻せないのだから、不都合があっても、文句を言っても仕方ないと思っている。人生のある一定の時期を通して、学校でも職場でもない場所で、ひとびとと知り合い、話をしてもみるという機会はそうそうない。病気だから、病院へと出向くのだけれど、そこでは医師も看護師も待っていて、カウンセリングをしてくれるひともいることもある。

どこからが私にとっての不都合かといえば、かなりいろいろと考える要素がある。でも、病気になってしまったと自覚しているのは、やはり病院で診断されて病名が付いた瞬間からだ。いまよりももっと具合は悪くて、何もできないような状況が自分の体に現れていた。健康という言葉が病の反対のものであるなら、私は健康からもっとも離れていたのが、病院へと出向き始めたころのことだった。すごく状態が悪いのであるから、そこからどこかに行って、まったく新しい環境という場所で、医師ではあっても他人の視線のもとでいろいろと聞かれて、答えなければならないのは、結構たいへんなものだ。そうして踏み込んだ場所に、待合室があって、知らない顔があり、見慣れない本やポスターがあちらこちらにある。

もっとも、私が世間知らずな若者で、人生をこれから進んでいく者として、そこに来ていても、いずれはどこかに行くということは、医師は分かっていたかもしれない。私はいまだに病院に出向いているが、最初に出会った医師とはもうずいぶん会っていない。そして、その待合室でいろんなことを話したはずの同じような境遇だと思われる若者たちとも、もう会っていない。あれからみんなに同じだけの時間が流れた。もうどこかに行ってしまったひとたち。人生のある時間があの場所で共有されていたんだなと思う。周囲にいるひとたちとの距離感というものがあって、人にはそれぞれの感覚があり、病院では自覚症状の違いもあることが、だんだんと分かるようになって、病院ツウに一歩一歩近づきつつある。患者側としてのものだけれど、私はたぶんあまり長くは生きてはいないと思われていたのではないだろうか。そんなふうなことも、ときおり考えるようになった。出来事を振り返り、私の場合に特有な問題について、思い当たるふしがある。人生がいくぶん進んで、物事が分かるようになり、闘病記というジャンルが本の世界にはあることも知った。それで、他人の目には早死にする恐れをかかえている危うい状況が、とうの本人は気づかなくても、あるんだなと思う。私は、危険なひととも思われていたのかもしれない。つきあいたくないひととか。病気を考えると、心の問題というのは、冷静な目線で見れば、それだけでは重症になっていくとは見えない。心の中には、なにがあるかは他人の目にも見えないし、自分でものぞけない。いつか治って、元気になってやり直したい。そういう気持ちはどうやったら、持てるのだろう。それとは正反対に、自分の具合の悪さの原因を探るばかりで、いつまでもどうどうめぐりで悩むというのか常道だろうか。暗い話だなと思うが、いつかは全快する希望は捨ててはいけない。



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