その五/行くのは過去?未来?
鹿は、僕達を乗せたまま、ずっと走っていった。
そして──。
三十分くらい経った頃。鹿が足を止めて、低い態勢になったから、僕はゆっくりとおりた。
「ありがとう、鹿さん」
本当に、君のお陰で、大分遠くまで来れた。鹿は僕らに背を向けると、森の中に紛れていった。
……それにしても、ここはどこだろう。ぽんたも、不思議そうに辺りを見回している。
《03:16》
結構時間経ったなぁ。ここまで来れば、家からも相当離れているよね。腕を上げて、少し伸びをする。
「よし、行こう。ぽんた」
そうして、歩き出した。……のだけど。
「あれっ……」
足元に大きな木の板が落ちていて、不思議に思ってそれを拾う。何だろう、これ。土がかかっていて、よく見えない。また地面にそれを置いて、土を払う。
……すると。
『この先すぐ、“青い池”』
そんな文字が、出てきた。思わず笑顔を、ぽんたに見せる。
「やったぁ、もうちょっとだよ!ぽんた!」
嬉しくて、疲れも一気に飛んでく気がする。足を弾ませながら、僕は再び、歩き出した。
そして、それから数分後の事だった。木々の隙間から、青い何かが見えてきたのは。ドキドキしながら、歩みを進めていく。きっとあれだよ、青い池。少しずつ、足元の枯葉が、貴緑色の綺麗な葉っぱに変わっていく。たくさんある木の枝を掻き分けて……。
「着いたー!」
ついに、到着した。
本当に、空よりも、海よりも、地球よりも……。
青い池。
そこに飛び込めば、タイムスリップ出来るんだって。
期限は一年間。
でも、過去か未来、どっちに行けるのかは、飛び込んでみてからのお楽しみ──。
そんな言葉が、頭の中を過ぎっていく。
小さくも大きくもない、青々としたその池は、月の光に照らされて、すごく神秘的に見えた。池の周りに生えている色とりどりの草花。本当に、おとぎ話みたいだ。
「ぽんた、ちょっと待っててね」
ぽんたを地面に降ろした僕は、ニコニコしながら、さっそく使い捨てカメラを取り出し、カシャッと一枚収めた。
……すごい。こんなに綺麗な景色、初めて見た。
目の前に広がる光景。夢じゃない、よね。頬っぺたを軽くつねってみる。……痛い。現実だ。
本当に、青い池に来れたんだ!
嬉しくて嬉しくて、たまらない。問題は、これからどうするか、だけど……。
本当に飛び込んじゃう?どうする?自分。
だって、どこに行けるか分からないんだよ。その前に、タイムスリップ出来るかすら微妙なんだから。
その時、不意に、お母さんとお父さんの顔が脳裏に浮かぶ。もしも本当にタイムスリップしたら、一年間も会えないけど……。
でも、会いたくない。僕は悪くない。
そんな事を考えていた時だった。
──ドポンッ!
「……え?」
音源は……多分、青い池。あれ?何が落ちたの?僕のリュック?カメラ?
……いや、それらは全部足元にある。嫌な予感がして、恐る恐る、池に顔を向けた。
「──ぽんた!」
池からは、茶色くて小さな手が僅かに見えていた。慌てて駆け寄るけど、遅かった。じたばた暴れるその手は、やがて池の中に、吸い込まれるように消えていく。
ぽんたが溺れた……助けないと……!
僕は、迷わず池に飛び込んだ。タイムスリップとか、そんなのはもう頭になかった。あ、リュックとか置いてきちゃった。だけど今は、ぽんたを助ける事が先決だ。冷たい水の中を泳ぐけど、なかなかぽんたに手が届かない。しかも、池の奥深くへ、ぐいぐいと引っ張られている感じがする。息が出来ない。苦しい。気が遠くなっていく。ガポッと、水を飲み込んでしまい、そして吐いた。やっぱり来るべきじゃなかったのかな?こんな事に、なるなんて。ぽんたを守るって決めたのは、僕なのに……。だんだん、意識が薄れていく。視界が真っ暗になり、力もなくなっていく。
その瞬間──。
真っ暗な頭の中に、カチカチカチ……と、何かが出てきた。まだ意識はなくなってないけど、何だろう……これは。目は瞑った状態で、それをもっとよく見ようと意識する。……あぁ、やっと分かった。数字だ。数字が、スロットみたいに回っているんだ。えっと……八桁ある。カチッと音が鳴って、一番左の数字が止まった。
《1》
次の数字も。
《1》《8》
その、次も。
《1》《8》《6》
次も、次も──。
やがて、八桁の数字が、頭の中に並んでいく。
《1》《8》《6》《3》《0》《7》《2》《6》
何だよ、これ……。意識が朦朧として、頭が回らない。ごめんね、ぽんた。助けてあげられなくて……。
──僕はついに、意識を手放した。