引きこもり…紘之
引き続き紘之視点です。
更新遅くなってごめんなさい。
この別荘に来て二週間が経った。
週に一度かかってくる父からの電話。
月曜日と木曜日に来る通いの家政婦、三谷さん。
ほぼ毎日昼過ぎに来る上川の婆さん。
何もする気が起こらず、時間に関係なく酒を飲み、だらだら過ごす。
飯は食ったり食わなかったりで、三谷さんに買ってきてもらったもので済ましていた。
父から『とりあえず三ヶ月休め、仕事の話はそれからだ』と言われ、それも無気力の要因になっていた。
療養で来ているはずなのに、気持ちは塞ぐばかりだ。
余りにもだらしない生活に上川の婆さんがあきれ果て、夕飯の手配をするという。
何度も断わると父に連絡され、電話で叱られるという情けないことになり仕方なく受け入れたが、届いた食事はなかなかの物だった。
届けに来たのは若い男で、お世辞にも愛想がいいとは言えなかった。
毎日会いたいと思えるわけもなく、次から置いていくように伝える。
上川の婆さんの行きつけの店だそうだが、どんな店なのか少し気になるが出かけて行く気にはならなかった。
あいかわらずの引きこもり生活を過ごす中で、夕食が楽しみになっていた。
一週間ごとに担当が代わるのか、メニューや味付けが全く違ったものになる。
いかにもレストランというものと、一般家庭の飯、飯というか弁当のようなもの。
どちらも美味いが、食べてほっとするのは後者だった。
朝は食べず、昼は三谷さんが買ってきてくれたパン、冷凍食品、カップラーメン。
上川さんに『家政婦に食事も作らせればいい』と言われたが、長時間、家の中にいられるのが嫌だったから断った。
唯一のまともな食事だからこそ、我侭な提案を申し出てみた。
弁当みたいなほうだけにしてくれ、と。
断られるかと思いながらした提案は受け入れられ、望みの食事が食べられることになった。
担当者の宇田川さんは、さっそく手紙をくれリクエストも受けてくれるらしい。
早速、鶏の唐揚、甘い卵焼き、ポテトサラダをリクエストしてみた。
弁当。
宇田川。
ずっと忘れていた思い出が蘇る。
別れて八年経つ元彼女が作ってくれた弁当。
祝い事の時は、必ず鶏の唐揚が出た。
料理の苦手な母より、俺の中の母の味といったら郁の料理だった。
今頃どうしてるんだろう。
自分勝手に振舞って振られてしまった。別れを切り出された時、追いかけもせず……。
散々浮気して、女と付き合うなんて簡単だと思っていたのに、郁と別れた後は誰とも長く付き合うことはなかった。
仕事にのめりこんでいたここ数年は、付き合うことすらなかった。
こんなところで燻っている俺を見たら、郁はどう思うだろう。
いつでもいいと書いたのに、リクエストの翌日に届いた夕食は懐かしさでいっぱいだった。
その日は子供の頃のことや、郁のことを思い出しながら、久しぶりに酒に頼ることなく安眠できた。
次の週明け、一週間の献立表に今までなかった私信が付いていた。
うちからも徒歩でも行けるくらいの距離にあるカフェの情報だった。パンやサラダ、飲み物もテイクアウトできるらしい。
なんとなく、本当になんとなくだが、ここに来て初めて出かける気になり教えてもらった次の日に店に行ってみた。本当に良い雰囲気の店だった。
店の感想と、料理のリクエストを書いた手紙の返事にも、美味しい蕎麦屋や惣菜屋の情報が書いてあった。
宇田川さんの教えてくれた店には、三谷さんに頼まず自分で出かけるようにした。
彼女の教えてくれる店にはハズレが無く、また来ようと思える所ばかり。
店だけじゃなく、勧めてくれたものも当たりが多く、友人になれるんじゃないかと思ってしまう。
教えてもらうことばかりだったが、宇田川さんとのやり取りは心地よいものだった。
外に出る機会が増えるにつれ酒の量も減り、食事を摂るようになったせいか体調も良くなり、ずっと目を背けていた自分自身の問題とも、少しずつ向き合い始めた。
宇田川さんが、手紙に書いてあったことから女性だと知ってはいた。
一度、配達の時間に窓から覗いてみたが帽子をかぶっていたし、薄暗くてよく見えず……。
服装はTシャツにデニム。年齢はどれくらいだろう。
手紙では二十代か三十代、落ち着いた大人の女性、という印象だった。
人と接する機会が少ないせいで人恋しくなっているんだろうか。
彼女が気になってしかたない。
上川さんに頼んで店に連れて行ってもらおうかと思っていた矢先。
読書に夢中になりソファで転寝した夜、急激な冷え込みで風邪をひいた。
熱が出て、咳がとまらない。頭痛も酷い。だるくて動けず寝込んでいると、独りきりということが沁みてくる。
薬の場所もわからないから眠ることに専念していると、昼過ぎに訪れた上川の婆さんに発見され病院に連れていかれた。
患者は少ないようで、すぐに診てもらえた。
たんなる風邪だから、暖かくして、きちんと食事を摂り、薬を飲むこと。
すぐに診療は終わり会計を待っていた。
ベンチに腰掛け目を閉じて俯いていると、隣に座っていた上川の婆さんが誰かと話し始めた。
「ノリ、どうしたの」
「大したことないんですけど、ちょっと火傷しちゃって」
「そりゃ大変だね。郁ちゃんは付き添いかい」
「この手じゃ運転できないですからね。上川さんはどうされたんですか」
「郁ちゃんと同じ付き添いでね、この人の」
「あ……、藤倉さん」
郁ちゃん、上川の婆さんはそう言った。
反射的に目を開いて顔を上げると、婆さんの前に二人の男女が立っていた。
男に名前を呼ばれたが、目が女に吸い寄せられて離れない。
Tシャツにデニム、きっちりポニーテールに結った長い髪、俺を見て驚きに見開かれた瞳。
自分も驚きすぎて声も出せず、八年で女はここまで変わるものなのか、そんなことを考えていた。
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ご飯であっさり立ち直りすぎかと。あっさり再会させすぎかと。
ちょっと悩んでしまいました……。