日傘の女
のっぺらぼうは存在する。現にこうして美術の教科書にも載っているのだ。クロード・モネの「左向きの日傘の女」に描かれている女性には目や鼻がなければ口も眉毛もない。あまり美術に詳しくないし興味も持てない俺のような人間にのっぺらぼうの存在を知らしめるには十分すぎる、ある意味名作だ。
もちろん教科書に載るほどの作品だし、モネという名前はどこかで聞いたことがあるので偉大だということは分かっている。俺がこの絵に惹かれたのは、それほどの画家がなぜ女性の表情を描かなかったのかということが気になったのもある。なんとなく画家って似顔絵が上手いイメージがあるので、あえて書かなかったのか自信がなかったのかどうなのかというのが気になって仕方がない。黒板をいっぱいに使って訳の分からないカタカナを嬉しそうに話すおばさん先生の声を遠いBGMにし、俺はずっと教科書を眺めていた。
それともう一つ、俺にはこの絵が頭から離れない理由があった。たまに夢に出てくる小さな女の子とどこか被るのだ。夢の中の自分は幼稚園生か小学校低学年かそこらで、女の子も同じくらい。薄暗い雨降りの道端で、黄色い傘を右肩に乗せて路地を行く女の子に、小さい俺は必死に追いつこうと一生懸命早歩きをする。やっと追いついて肩を叩いてみると、振り返った女の子には目も鼻もましてや口も眉毛もない。だいたいここで夢が終わってしまうのだが、どうもこの夢だけは何日かおきに再生されるので覚えてしまった。きっと俺の小さい頃の思い出の欠片なのだろうが、そもそものっぺらぼうな女の子なんて友達にいなかったし、だとしたら自分自身忘れてしまいたいほどの顔だったのかと思うと不思議でおかしくてたまらなかった。
うちの中学校の美術は、必ず決まって二時間連続。うちのクラスは昼飯前の三,四時間目でちょうど腹が減って集中力が途切れる頃にある。いつもならとっくに寝ているか雑談に花を咲かせている頃だが、今日は違った。さっきの時間に眺めていたモネの「左向きの日傘の女」に引き寄せられるようにまじまじと見入っていた。
全体的にぼやけた感じのする筆遣いが、どこか昔の曖昧な記憶を辿っているようでどこか儚い。空は青く大きめの雲が活発に泳いでいるようにも見える。初夏か真夏か晩夏かは分からないが、青空に灰色が混じっているのに気付いて、とにかく夕方がひっそりと近づいてきていることがなんとなく想像できた。ということは、真昼間というよりは落ち着きのある午後三時半前後くらいだろうか。背景の中で地面よりも空のほうが占める割合が高いところから、川沿いの土手かなにかなのではないかと推測できる。強い風が大河の水面をすべりぬけ、土手を超えてそらにまた昇っていく。そんな情景が想像できた。そして、生い茂る草々に女性が一人、薄緑の日傘をさして立っている。吹いている風をそのまま編みこんで作ったような水色のスカーフは、勢いよく舞い上がり女性の目の高さまで昇っている。その割にアイボリーの洋服はそれほど風の影響を受けていないようだ。そんな女性の影はかなり濃く、さわやかな印象とはほど遠い。そういえば青空に灰色が混じっていたのもなんとなく気がかりだ。だが最大の違和感はこの顔面。水色の風で必死に隠しているその顔面は、雰囲気さえも感じ取れない。何を考えて何を伝えようとしているのだろう。今日はなんだかまたあの女の子の夢を見てしまいそうだ。
予想は的中した。また同じくあの小さな女の子の夢を見たのだ。だが今回は少し様子が違っていた。入道雲が勢いよく立ち上る乾いたアスファルト。追いかけて行った先の女の子がさしていたのは雨傘ではなく日傘。だがなぜだか俺の中ではいつもの雨の路地の情景よりもしっくりくるというか、のっぺらぼうの女の子が当然の存在として認識出来たのだ。パズルのピースをはめるという表現はもう使い古されているのかもしれないが、まさにそんな気分。と同時に、これが昔の記憶だという確信が持てた。その女の子の名札は見えなかったものの、その舞台である路地は間違いなく小学校低学年の頃の通学路そのものだと思い出したからだ。小学四年生で今の家に引っ越してきてからは昔の通学路が無かったかのように頭の中から完全に抜けていた。だとしたらあの女の子は、一年間だけ一緒の小学校に通っていた隣の上の子だろう。たぶん、間違いない。
かつて隣の家に住んでいた女の子は俺の同級生で、ちょうど一年でまた引っ越していった。その頃の俺とは同じくらいの身長で、血が通っていないのかと心配するほど色白で、肌が弱いからと毎日日傘をさしていて。そのせいでやんちゃな奴らからいじめられているのを見たことがあったが、その子は屈することなく一年間一緒に通い続けていた。弱音を吐かないその子は本当に強い子だったと今になって思う。だがそれでも、どうしても顔が思い出せないでいる。その表情さえ分かればと思えば思うほどにどんどんぼやけていって、モネの「左向きの日傘の女」のあの女性のように風の中に溶け込んでいく。日傘をさしている女性はやがて背景に溶け込んでいって、風景と化していく。その途中経過をモネは描写していたのかもしれない。
休みの日の午前中、ちょうど時間が空いているし日差しが出ていて心地よいので、久々に前住んでいた辺りを散策してみることにした。そんなに遠くから来たわけではないから行こうと思えばいつでも行けたのだが、なんとなく気が乗らなくて足を運ばずにいたため、所々知らない建物なんかが建っていて新鮮だった。用水路の水は相変わらず淀んでいるし、塀からはみ出た柿の木の実も相変わらず熟れ過ぎている。よく遊んでいた公園の砂場がほとんど干からびているのは少々残念だったが、昔住んでいた家の近くの路地は相変わらず薄い灰色のアスファルトだった。
そのアスファルトに、綺麗な形で黒く染まった部分を見つけた。瞬時にそれが影だと気付き、歩を早める。角ばったキノコのような特徴的な影はすぐに傘の形だと分かる。それにその先のひらひらした部分はきっとスカートだ。目線をぐっと上げると、目の前にはまるでモネの描いた女性がそのまま絵の中から飛び出してきたかのような綺麗な背姿の女性が道に沿ってまっすぐ歩いている。まさか、あの女性は夢の中の小さな女の子もとい隣に住んでいた女の子だろうか。そんなことを考えながら、足は意思に関係なく勝手にその女性へと近づいていた。早足で女性を追いかける俺。夢とぴったり重なるその景色に少しの戸惑いも無いのは不思議だった。ただやはりそれでも緊張はするのか、距離が縮まれば縮まるほど喉仏の奥の管が収縮していくような、そんな感覚に襲われた。手を伸ばせば届きそうな距離にまで近づいた時、右腕が自分でも驚くほど伸び、女性の肩をぐっと掴んだ。
肩を叩いて振り向いた女性は、まったく見知らぬ人だった。当然だがのっぺらぼうでもなかった。その人が隣に住んでいた人なのかどうかは分からない。だが、俺の顔を見て怪訝な顔をしたのが酷く心に突き刺さって抜けなかった。結局怒らせてしまう前に自分から「人違いでした」と言ってその場を離れたが、やはり存在そのものが気になって仕方がなく、少し離れた電柱の陰でそっと振り向いて女性をじっと眺めてみる。夕方がすぐ近くに迫っている午後三時半過ぎの出来事だった。
それ以来、俺はあの小さい女の子の夢を見なくなった。あののっぺらぼうは、もう二度と見ることができないのだ。夢なのか思い出なのかよくわからない薄水色と灰色が混ざったようなのっぺらぼうは、日傘をさして背を向けて、そしてどこかへまっすぐ行ってしまった。