間章 滅び
幸福な日々は、あの夜、灰となって消えた。
「シエラ、ごめんなさい……お兄様とお姉様を止められなかったの」
幼なじみのノセリアが謝罪の言葉を口にする。私は首を横に振った。
「それはノセリアのせいじゃないよ。悪いのは私だ。まさか私が祖父の力を継ぐなんて誰も思わなかったし、あなたのお父様からの婚約の申し出を断ったのも原因かもしれないね。」
泣き出しそうなノセリアを慰めながら、私は微笑んだ。
「泣いちゃだめだよ。そうしたら、せっかくの逃走計画が台無しになっちゃう。セリーナ、後のことは頼んだよ。」
「分かってるわ、シエラ。あなたも気をつけて。包みの中には食料や生活用品をたくさん入れておいたわ。国境まではそれで持つはず。そこに私たちの仲間がいるから、あなたを匿ってくれる。エルヴィー、シエラのことを頼んだわよ。」
「お嬢様の侍女として、命に代えてもお守りいたします。」
「分かったわ。二人とも気をつけてね。じゃあ――またいつか会いましょう。」
二人を抱きしめ、私は七年間暮らした場所を、夜の闇に紛れて後にした。
――――――――――――
七歳の時、魔王が死んだ。
魔王の力は魔族四大種族の中から無作為に選ばれた者へと受け継がれる。誰がその力を継ぐかによって次の魔王が決まるのだ。
人々は魔王の死を悲しみながらも、同時に自分が次代の魔王となることを夢見ていた。
魔王は私の祖父だった。かつて勇者との戦いで不治の傷を負い、ついに寿命が尽きようとしていた。血縁ではあるけれど、私は祖父とあまり会ったことがなく、特別な感情もなかった。ただ、平穏な日々を過ごしたいと願っていた。
そんなある夜、私は夢を見た。
王宮の玉座に祖父が座っており、私は礼服を着てその前に跪いていた。王宮には祖父と私だけ。
「シエラよ……わしの時はもう尽きた。この力を、お前に託す時が来た。」
なに……?声を出そうとしても、出せなかった。
「なぜお前なのか、運命の子とは何か……その答えはこの力の中にある。いずれお前がこの力を完全に扱えるようになれば、自然と分かるだろう。」
祖父が手を掲げると、私の体が宙に浮かび、凄まじい力が体内に流れ込んできた。
熱い、苦しい、体が裂けそう――。
それでも力の流入は止まらない。
「やはり……この力は本来、お前のものだったのだな。」
祖父が微笑みながら言った。
もう、耐えられない。なぜ私なの? 運命の子? 魔王の力? これは魔王の力なの? なぜ私が――。
頭が割れそうな痛みに襲われたその瞬間、祖父の声が響く。
「わしの使命は果たされた。魔族の未来を、頼んだぞ……シエラ。」
強い光に包まれ、夢は終わった。
「……行かないで!」
私は叫びながら目を覚ました。全身が汗で濡れ、心臓が激しく脈打っている。あまりに現実的な夢。考え込んでいると、扉を叩く音がした。
「お嬢様、どうなさいました? 叫び声が聞こえましたが……」
エルヴィーの声だった。
「大丈夫よ、入ってきてエルヴィー。話したいことがあるの。」
彼女はロウソクを手に寝間着姿で入ってきた。
しかし私の顔を見るなり、動きを止めた。
「どうしたの、エルヴィー? そんなに見つめて……」
彼女は我に返り、指先を私の鎖骨あたりに向けた。
「?」
視線を下げると、鎖骨の辺りに赤く輝く紋章が浮かび上がっていた。
それは、魔王の力の象徴――。
その時、扉の外から別の侍女の声が響いた。
「シエラ様、ペレオス様がお呼びです。すぐに喪服に着替えて、大広間へお越しください。」
「喪服……?どういうこと?」
「魔王陛下が、たった今……お亡くなりになられたそうです。」
まるで雷に打たれたようだった。
夢は現実だった。魔王が死に、力は私に――私は、魔王の後継者に?
呆然とする私を、エルヴィーが支え起こし、素早く着替えさせる。
階下では母が泣き、父がその肩を抱いていた。
「シエラ、お祖父様が亡くなられた。これから王宮へ向かい、弔いをする。」
「お父様……」
私の声の異変に父が気づく。母も振り向いた。
私は服の襟を下げ、鎖骨の印を見せた。二人とも息を呑んだ。
「……私が、祖父の力を継ぎました。」
――――――――――――
王宮にはすでに多くの貴族たちが集まっていた。
悲しみに沈む者は少なく、誰が新たな魔王となるのか、そればかりが関心事だった。
父母と共に大広間へ向かう途中、叔父と叔母が私たちを出迎えた。
「シエラ……本当に魔王の力を継いだの?」
私は襟を下げ、印を見せる。叔父と叔母は一瞬硬直したが、すぐに目に喜びの色を浮かべた。その表情に、私は寒気を覚えた。
「ならばシエラを王宮に留め、葬儀が終わり次第、彼女を魔王の継承者として正式に発表しよう。」
叔父がそう言い、父の拳が震え、母は小声で祈りを捧げていた。
――もう、どうすることもできない。
葬儀の後、叔父は私を“新たな魔王”として発表した。
同時に、一方的に私と従兄の婚約を宣言したのだ。
その日から私は「魔王の力に呑まれ、昏睡状態にある」と偽られ、別宮に幽閉された。
父母とは会えず、日々は果てしなく長く感じられた。
数日後、王女であるノセリアが私を訪ねてきた。
彼女の言葉は衝撃的だった。
「シエラ……父上はあなたを魔王にしようとしたんじゃないの。お兄様を次の魔王にしたかったのよ。つまり……」
「つまり、私を殺して力を兄に移すつもりなのね?」
魔王の力の継承は本来“無作為”だが、継承直後の者は制御が未熟。
その状態で瀕死に陥れば、古代の禁術で力を他者に“移す”ことができる――。
その禁術は祖父によって封印され、記録も焼かれたはずだった。
だが叔父は、禁術を研究していた魔導師を買収し、再現していたのだ。
「……ごめんなさい、シエラ。」
ノセリアが震える手で私の手を握った。
「父と母は?」
「伯父上と伯母上はこのことを知って抗議したけれど、父上は会おうともしなかった。“魔王の力で昏睡状態にある”と、皆に言い訳しているわ。」
「そんな……ありえない……」
私は肩を落とした。数日で二度も、私の運命は他人に決められた。
どうして?なぜ私が?怒りと悲しみが混ざり、体の中の力が暴れ出した。部屋が震える。
「シエラ、落ち着いて!お願い!」
ノセリアが私を抱きしめる。気づけば壁にヒビが入っていた。
「ごめん……ノセリア。少し、抑えられなかった。」
彼女は唇を噛み、震えながらも必死に冷静さを保とうとしていた。
「気持ちは分かる。でも、時間がないの。今日来たのはそれだけじゃないわ。私たち……あなたを逃がすつもりなの。」
「私たち?」
「そう。セリーナも一緒よ。私たち三人であなたを助ける。」
「セリーナと話し合って決めたの。伯父上と伯母上とも協力して、今夜、あなたを王都から脱出させる。国境まで行って、仲間のもとで身を隠すの。」
「でも……ノセリア、あなたはどうなるの?伯父様が怒るわ。」
「大丈夫よ。私は第一王女。証拠がなければ、兄上も何もできないわ。……私たちは幼い頃からずっと一緒だった。あなたが消えるのを黙って見ていられない。だからお願い、シエラ――生き延びて。伯父上と伯母上のために、私たちのために、そして……あなた自身のために。」
そうだ。生きなければならない。彼らのために、私自身のために。
その夜、計画は順調に進んだ。
城門での検問もセリーナの魅惑術で突破し、私はエルヴィーとともに王都を脱出した。
だがその頃、叔父も私の脱走を知り――追っ手を放っていた。




