封じられた夏(7)
第一章はここまでです。
そして――
「……“骨は喰らう”とは、どういう意味なのですか?」
低く、抑えた声で、彼は神主に問い直した。
葛葉神主は静かに頷いた。
「……よろしいでしょう。ここまで深く縁が刻まれたのであれば、もはや“外”の人間ではない。今ここにいる全員が、“守りの環”に加わる者と理解しております」
そして神主は、畳の上に古びた巻物を置いた。表紙には、薄れて読めぬ筆文字。慎重にそれを開きながら、神主は語り出す。
葛葉神主の声が、空気を震わせるように静かに響いた。
「――名を、**“山の三方の本骨の祟り神”**と申します」
その響きに、地元の者たちは誰もがわずかに背筋を伸ばした。それは湧名の地で、決して口外されぬ“封じ名”だった。
「それは、かつて三方の山に分かたれて封じられた神性――人の骨を喰らう“祟り神”でございます。その気配は人の“生の匂い”に惹かれ、家々に宿り、生と共に病や死をもたらす」
「この存在は、社や祠では封じきれません。それゆえ、“人の暮らした痕跡”――生活の残る家屋に封じるしかないのです。この地に、あえて人が住み続けるのは、その封印を維持するために他なりません」
神主は、巻物の中の一節を指でなぞりながら、さらに語る。
「封じの術には、“犠牲”が伴います。祟りに触れ、命を落とした者の遺骨の一部を結界の核として家を建て替え、再び“山本家”として封を施す。それが、代々繰り返されてきた“骨封じ”の原理です」
言葉を失う父母たちに、神主は続けた。
「しかし、命を落とさずとも、自らの内に霊的結界を築けた者は封印を完成できます。それができるのは――二十歳まで」
「心身の霊的感応が未熟なうちに結界を定め、滝行や瞑想、護符によって“呼ばれぬ体質”を築き上げる。それが、あなた方のお子たちに課せられた道です」
そして、早瀬正行の問いに応えるように、神主はさらに低く静かに言った。
「しかし――もし、二十歳を超えた者がこの“封じ”に関われば、元々持つ霊的資質によっては守りきれることもある。だが、弱ければ――一~三年のうちに命を落とします」
沈黙が走る。
神主は目を伏せた。
「そのため、地元の者たちには“元日の隠された祭り”でこの口伝が受け継がれ、成人する者には静かに封じの意味が伝えられてきました。かつては口伝でしたが、今では簡易な記録にもまとめられております」
神主の言葉に、詩織の父・正行は、はじめて視線を落とした。
「葛葉さん」
低く静かな声。
「……失礼ながら、どうしてこの村の人たちは、
こんなものに縛られた土地に住み続けるんですか?」
その言葉には、抑えきれない苛立ちと、本物の疑問が込められていた。
他県から来た早瀬にとって、“骨封じ”や“祟り”の話はどうしても異様に思えた。
普通なら、こんな土地は捨てるはずだ。なのに――
葛葉神主は、少し目を閉じ、そして静かに語り出した。
「……早瀬さん。
それは、簡単な答えではありません」
「……」
「かつて、湧名村――今の湧名地区は、“山の三方の本骨の祟り神”に苦しみました。
何度も村を捨てようという話が出た。
けれど、村を離れた者たちは――祟りから逃れられなかったのです」
「どういうことですか」
「家を継ぐ者は血と地の縁が切れず、離れた土地でも不運を招き、
時には本人だけでなく、その家族までも命を落とす事態が続いた。
それも、数年単位で、確実に」
早瀬は顔をしかめた。
葛葉神主は続ける。
「だからこそ、“ここに留まる”という選択をしたのです。
地を鎮め、封じを守り、因縁ごと引き受けて生きる。
強制されたのではありません。
この地に残った者たちは、覚悟を持って、ここに生き続けているのです」
葛葉の言葉は、まるで重石のように静かに胸に響いた。
そして、葛葉はふっと微笑みを浮かべた。
「それに――」
「……それに?」
「この土地は、不思議なことに、“命を育む力”も持っています。
子宝に見放された夫婦でも、ここに来て暮らし始めると子どもができることが、何度もありました。現に高齢化も進んだこの村で世帯数の割には子供たちが多いでしょう。
科学では説明できない。けれど、それがこの地のもうひとつの側面です」
「……そんな馬鹿な」
「現実です」
葛葉神主は静かに言った。
「祟りと恵み。
死を呼び、命も呼ぶ。
それが、この湧名という土地なのです」
「……」
早瀬は、答えに窮した。
理解できない。だが、否定もできない。
この村には、目に見えない力が確かに流れている――それを、嫌でも感じざるを得なかった。
自らの知らぬ土地で、知らぬうちに娘が“神の鎖”に触れていた現実に――彼は初めて言葉を失った。
次回よりそれぞれの日常に戻った話を書いていきたいと思います。